西の女吸血鬼は美味なる血を持つ東の若侍に恋をした

三矢由巳

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太陽の国から来た男

5 血を求めて

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 エイムズ夫人は留学生に自己紹介をするように言った。それでやっと二人のインガレス語がきちんと聞けた。

「わ、わたしは、内川桐吾とうごといます。日の本からの、留学生です」
「私は石田幾三郎いくさぶろうといいます。日の本からの留学生です」

 丸顔がトウゴ、痩せているのがイクサブロウとカロリーネは覚えた。発音はイクサブロウの方がうまかった。

「それでは、あなた方が新聞に載っていたタイクンの国の留学生でしたのね」

 カロリーネはゆっくりとインガレス語で語った。彼らははいと返事をした。

「はるばるインガレスまで、さぞや大変な旅であったことでしょう」
「はい、それはもう」

 イクサブロウが答えた。少し声が高くなったように思われた。

「さりながら、各地のありさまを見ながらの旅は有益でした。コンホンの夜景もエプジトのミイラも初めて見るものでした」
「まあ、コンホンの夜景を見たのですか。あれは素晴らしかったでしょう。私も夫との旅行で見ました」

 カロリーネはクロードとの旅を思い出していた。あの時、二人静かに見上げたコンホンの夜景。一緒にいるだけで心が満たされていた。

「申し訳ありません。お亡くなりになった殿様のことを思い出させてしまって」

 イクサブロウの声にカロリーネははっとした。表情に感情をそのまま出してしまったらしい。不覚だった。

「いえ、いいの。悲しいけれど、夫といた日々は幸せでしたもの。幸せを思い出させてくれてありがとう」

 カロリーネは感情にこれ以上流されぬように微笑んだ。なぜかイクサブロウは頬を赤らめていた。
 隣のトウゴは何か言いたげな顔でカロリーネとイクサブロウをかわりばんこに見た。その様子が、カロリーネには不快に感じられた。この若者は少々落ち着きが足りないようだった。
 その後、出されたケーキと紅茶を口にし、カロリーネは礼を言って席を立った。

「お宅までお送りします」

 イクサブロウが立ち上がった。トウゴが咎めるような目で彼を見上げジルパンの言葉を口にした。

「男女七歳にして席を同じうせず」

 カロリーネには中国の古い言葉だとわかった。ジルパンの武士は中国の古典を学んでいるとアルベルトが言っていた。
 だが、カロリーネは何を今さらと思う。ミャーロッパまで来て、故国の習わしを言いだすとは。しかも先ほどまでともに茶を飲んでいたではないか。

「貴婦人を一人で家に帰すのは紳士として忍びない」
 
 イクサブロウは毅然と言い放った。
 ジルパンの人々は意志を伝える時、はっきり言わずに婉曲に表現すると聞いていた。だが、イクサブロウは違った。カロリーネは痩せた青年の物言いに好感を覚えた。

「イシダさんなら大丈夫でしょう」

 エイムズ夫人が人の良い笑顔で言った。もの言いたげなトウゴはそれで黙ってしまった。

「お隣なら私の下宿の途中ですから」

 そう言ってイクサブロウはカロリーネとともに暇の挨拶をして、エイムズ家を出た。



 通りに出ると、イクサブロウは周囲をさっと見回した。曇り空のせいか、西に沈む夕日の光は弱い。
 カロリーネは思い切ってジルパンの言葉を口にしてみた。

「お心遣いかたじけなく思います」
「え?」

 イクサブロウの足が止まった。カロリーネは言った。

「少しだけそちらの言葉を学びました」
「とてもお上手です」

 イクサブロウはインガレス語だった。それにあまり嬉しそうな顔ではない。思いも寄らなかった。故国の言葉を聞けばもっと喜ぶと思ったのに。
 
「なにゆえ国の言葉を話さないのですか」
「それは……私は留学生です。インガレスの言葉を学びに来たのです。だからこちらでは国の言葉を話さぬと決めました」

 真面目な男だと思った。

「私の国はこちらの諸国に比べて遅れています。少しでも早く多くミャーロッパの文明を学びたいのです。そのためには言語は重要です。言葉は武器だと考えています」

 クロードとの思い出が甦った。

『言葉を知っていれば、身を守ることができる。言葉は武器でもあり、防御の手段でもある』

 クロードと同じことをこの人は考えている。その事実が、カロリーネの胸を打った。

「わかりました」

 インガレス語でカロリーネは返事をした。

「ありがとうございます。我儘を言って申し訳ありません」
「我儘などではありません。当然のことです。お勉強がはかどるといいですね」

 再び歩き始めると、すぐに屋敷が見えてきた。

「このバラの咲くお宅ですか」
「ええ」
「美しいですね。まるであなたの着ているドレスのような、いえ、あなたがバラをまとっているようだ」

 歯の浮くようなセリフなのに、少しも不快な感じがしなかった。母国語でない言葉で精一杯の表現をしているのがむしろ微笑ましかった。

「ありがとう、ミスターイシダ」

 礼を言うと、イクサブロウは恥かしそうに笑った。

「幾三郎と呼んでください」
「イクサブロウ、でいいかしら」
「はい、マダム」
「私のこともカロリーネと」
「カロリーネ」

 その響きに甘さを感じたのは錯覚だろうか。

 イクサブロウは門の前までカロリーネを送った。カロリーネはお礼にお茶でもと思ったが、誘う前にイクサブロウは下宿の夕食の時間に遅れるのでと言って、足早に去った。慎み深いジルパンの者らしい振舞だった。



「お帰りなさいませ」

 出迎えたカールは奥様の顔色がいつもより紅潮しているのに気付いた。何かいいことがおありだったに違いない。そう思うと、カール自身もまた幸福な気持ちになるのだった。
 当然のことながら、マリイもルイーズもテレーズもカール同様に気付いていた。恐らく、留学生の中に気になる者がいたに違いない。

「今日の夕食はいかがなさいますか」

 ルイーズに問われたカロリーネは即答した。

「いらないわ。外に出るから」
「かしこまりました」

 カロリーネは久しぶりに高揚感を覚えていた。どうしようもないほどの食欲が湧くのを感じた。慎み深く紳士の振舞をする東の国の青年の血が欲しかった。
 クロードがいたらやめておけと言うかもしれない。だが、もうクロードはいない。それに、クロードとしたような交わりはするつもりはない。カロリーネはクロードが亡くなって以降、ずっと貞節を守っていた。あの真面目な青年は男女のことを知っているようには思えなかった。血を吸えばそれで終わりだ。貞節は守れるはずである。



 周囲の家々が寝静まった頃を見計らい、カロリーネは黒いマントを身に着けた。
 タッカー大佐がどのような人物かは知らないが、退役軍人が夜中に女性を家に入れるはずがないのはわかりきっていた。
 カロリーネ達吸血鬼には流儀がある。
 狙った人の部屋に入る際は、許しを得なければならない。勝手に押し入ってはならないのだ。クロードも他の仲間も皆それを守っている。クロードが初めてカロリーネの部屋の戸を叩いた時もカロリーネが「どうぞ、お入りになって」と言ったから入って来れたのだ。
 イクサブロウの部屋に入るのにも、イクサブロウの許しが必要だった。
 タッカー家の玄関から入れないのだから、イクサブロウの部屋の窓から許しを得て入らなければならない。果たして、イクサブロウは許してくれるのか。
 蝙蝠に身を変えて部屋から外へ出たカロリーネをテレーズはいってらっしゃいませと見送った。



 蝙蝠はタッカー大佐の家の周囲を飛んだ。イクサブロウの部屋はどこなのか、聴覚を研ぎすました。
 ペンが紙の上をすべる音がする。
 ここだと目を付けた部屋は二階の上の屋根裏部屋だった。

「ごめんくださいませ」

  蝙蝠から身を変えて屋根裏部屋の跳ね上げ式の窓の下の小屋根に座って、ジルパンの言葉を繰り返した。

「ごめんくださいませ」

 三度言った後、窓の向こうから声がした。

「誰ですか」

 イクサブロウのインガレス語だった。間違いなかった。カロリーネは胸の高鳴りを覚えた。

「カロリーネです」

 しばし沈黙があった。無理もない。屋根裏部屋の窓の外に女性がいるなど、想像もつかぬはずである。

「イクサブロウ、入れてください」
「あやかしか?」

 ジルパンの言葉が聞こえた。「あやかし」とはなんのことだろうか。口調からすると、好ましいものではないように思われた。

「違います。カロリーネです」

 不意に窓が上に開いた。目の前にいるイクサブロウは右手に短い刀を持っていた。ジルパンのものなのだろう。柄の形が独特だった。

「まことに?」

 驚くイクサブロウにカロリーネは言った。

「入れてください。お話があります」
「まことに、あなただったとは」

 イクサブロウは抜いていた刀を左手に持っていた鞘に納め傍の棚に置いた。

「危ないから、中へ」
「入っていいのですね」
「勿論」

 カロリーネは安堵した。これで入れる。
 窓に頭をぶつけないように、下の窓枠に手を掛けて足を部屋の中に入れて1メートルほど下の床に下りた。イクサブロウは窓を閉めた。

「無茶なことを。どうやってここへ」

 それには答えず、カロリーネはイクサブロウの身体に近づいた。

「何を!」

 イクサブロウは後ずさった。だが、狭い屋根裏なのですぐ後ろの寝台にぶつかり、尻もちをつかざるを得なかった。
 カロリーネはさっとその隣に座った。固い寝台だった。タッカー氏は下宿人にまで軍隊式を強いているらしい。
 姿勢を正したイクサブロウは隣のカロリーネを見ずに口を開いた。

「こんな夜中に、何の御用ですか。伯爵夫人ともあろう御方が」
「お話があると申しました」
「私の国では、身分ある女人が一人で歩くことなどありません。ましてや、こんな場所まで。インガレスでも夜分に女性が一人歩きをなさるなど」

 真面目なイクサブロウはそう言うと、カロリーネを見た。夜目にも白い顔は整って美しかった。
 今だとカロリーネはイクサブロウの身体を両腕で抱きしめるや、首筋に咬みついた。
 
「んん!」

 呻き声も構わず、犬歯を立てて血を啜った。温かな命のほとばしりがカロリーネの身体を満たす。これまでになく美味だった。くどくなく、かといって薄いわけでもない。旨味が舌を満足させた。
 だが、吸い過ぎてはいけない。死なれては困る。彼を仲間にするつもりはない。 



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