西の女吸血鬼は美味なる血を持つ東の若侍に恋をした

三矢由巳

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さすらい

4 浮浪者と追跡者

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 その日、二人はパロへ出かけた。オペラ座に歌劇を見に行くためである。
 ボックスシートから二人はアイタリヤ人の作曲家ラッシーニによるヘルバの伝説的弓の名手の物語を堪能した。クロードは名手本人ではなく息子に会ったことがあると言った。

「頭の上の林檎に矢が向かっているとわかっていても、怖かったと言っていたよ」
 
 オペラ座を出た後、予約していたレストランで食事をした。コースは伝統的なフロランの料理で、各国の美味を味わったことのある吸血鬼ですら満足させる味だった。
 ジャックが迎えに来たので二人はレストランを出た。

「たまにはこういうのもいいわね」
「そうだな」

 馬車に乗ろうとした時だった。薄汚いなりをした老人がのろのろと馬車に近づいてきた。

「旦那様、お恵みを」

 クロードは小銭を老人に向かって投げた。老人はそれを拾うと、ありがとうございます、旦那様に神様のお恵みがありますようにと言って顔を上げた。途端に顔色が変わった。

「え?! あんたは……」

 カロリーネは自分を射抜くように見つめる目にひるみそうになった。

「マダム! マダムじゃないか。それに、お屋敷の旦那じゃないか」

 クロードは手を引きカロリーネを馬車に先に乗せ、自分も乗るとすぐに馬車を出させた。
 老人は呆然として馬車を見送った。



 カロリーネは老人に見覚えがなかった。

「どこかで会ったかしら」
「こちらが覚えていなくとも、相手が覚えていることがある。パロに住んだことはないから、周辺の村から流れてきたのかもしれない。しばらく、あの界隈には近づかないほうがいい」

 だが、クロードは知らない。交通機関の発達により、昔よりも大勢の人間が都市に流入するようになっていた。また都市も工業の発達により労働者を必要としていた。パロから離れた地方の田園地帯の村の男がフロランの都パロに流れ、年老いて食い詰めて物乞いになるという話は枚挙にいとまがなかった。
 従って、カロリーネに恋い焦がれていたパン屋のドラ息子がパロで物乞いになり果てても不思議ではなかった。



 老人となったドラ息子は小銭を薄汚れたコートの内ポケットにしまって、ねぐらにしている地下道へと向かった。

「爺さん、今日はなんだか機嫌がいいな」

 仲間と言うほどではないが親しいポールに老人はにんまりと笑って見せた。

「ああ。マダムに会えたんだ」
「マダム?」
「故郷の村にいたマダムだ。ある日突然いなくなっちまった。それがオペラ座の近くにいたんだ」
「へえ」
「しかも旦那も一緒だ。もう何年になるかな、カポレオンが皇帝に即位した頃だからな」

 ポールは首をひねった。

「爺さん、そいつはいつの話だ。マダムもババアじゃねえか」
「うんにゃ、昔と同じだった。旦那もそうだ」
「人違いだ、そりゃ」

 ポールは笑った。老人はいやいやと首を振った。

「ありゃ間違いねえ。マダムだ」
「昔と同じって化け物じゃねえんだから」
「爺さん、ちょっと話聞かせてくんねえか」

 二人は背後の声に振り返った。目つきの鋭い若い男だった。男は二人に葉巻をよこした。

「おお、こいつはありがてえ」

 老人はポケットからからマッチを出そうとした。すると若い男は先にマッチを擦って火をつけてやった。

「すまねえな、若いの」
「気にすんねえ。で、そのマダムと旦那は昔と同じだったのかい」
「ああ。マダムは色が白くて、目が深い湖の色で、髪は麦畑のように金色だ。旦那もちっとも髪が薄くなってねえ」
「オペラ座の近くにいたんだな」
「ああ。ありゃ芝居を見た帰りだな」
 
 若者は老人からひとしきり話を聞いた後、地下道から表へ出た。その懐には銀の弾丸を込めた銃が隠されていた。




 若者は吸血鬼を追う一族の末裔だった。一族は教会の上層部とも縁のある信心深い人々であった。
 はるか昔に彼の祖先の一族が吸血鬼に血を吸われて死に、吸血鬼に変化した。名門であった一族の人々は大いに憂い、吸血鬼となった男を銀のナイフで葬り去った。
 だが、男に血を吸われ吸血鬼となった者達が各地に散っていた。
 一族は誓った。必ずや吸血鬼を殲滅すると。以来、一族の中で知恵のある信心深い者が吸血鬼を追跡することとなった。無論、教会の協力も得てのことである。
 若者もまた父の後を継いで、追跡者となった。銀のナイフと銀の弾丸を込めた銃を持ち、血を吸われた人々の噂を聞きミャーロッパ各地を奔走した。だが、彼はいまだ一人の吸血鬼も倒せていない。
 パロに来たのは、これだけの大都市ならば吸血鬼の情報が集まるはずと思ったからである。
 図らずもパロに来た当日に地下道に住む浮浪者から有力な情報を得た。
 深い湖の色の目、麦畑のような金色の髪といえば、ウイース会議の時に出没した女吸血鬼かもしれない。大物の伯爵と言われる吸血鬼とともに行動していると祖父の記録にあったから、それかもしれない。
 若者は初めての大仕事に高揚していた。



 数日後、老人のことを忘れていたカロリーネはジャンから驚くべき報告を受けた。

「先日の物乞いの老人はパロの地下道をねぐらにしているデジレという浮浪者です。出身はフロバソスのガレ。パン屋の末息子に生まれのらくらしていたのですが、カポレオンの軍隊に招集されています。戦争が終わった後、町には戻らずパロで働いていました。ですが、仕事でしくじり解雇されてからは地下道をねぐらにする物乞いになったようです」

 ガレのパン屋の末息子。そういえばと思い出した。あの軽薄そうな顔の若者であったのかと。
 クロードは眉をひそめた。

「町に戻ればよかったものを」
「まことに」

 ジャンはうなずき、いかがいたしますかと尋ねた。
 クロードは少し考えていた。昔は始末が簡単にできたが、近頃は警察とかいう組織がうるさい。フロランの警察は特に。

「放っておけ。こちらが何もしなくとも、あの身の上では長くはあるまい」
「御意」

 カロリーネは少しだけほっとしていた。クロードは自分たちの危険因子となる人間に対しては厳しい。以前いた町で、夜盗の一味が屋敷に忍び込んだことがあった。クロードは夜盗を全員斬殺し、夜のうちにジャンとジャックとともに遺体を近くの山に捨てて狼の餌にしたことがあった。
 あの時は狼が人の手を咥えていたのを猟師が見つけ騒動になった。クロードは何食わぬ顔で村人と人食い狼狩りに加わっていた。
 他にも似たようなことは幾度かあり、クロードの残虐な面をカロリーネは知っていた。
 今回のように放っておくというのは珍しかった。
 自分のことを覚えていたから老人を殺すというのも、確かにあまり気分のいいものではない。カロリーネは安堵した。
 だが、一方では不安もあった。
 以前アランが殺された時のように、自分達吸血鬼を付け狙う者たちがいるのだ。彼らに知られては困る。教会の組織は国境を隔てても強い繋がりを持っている。

「大丈夫かしら」
「下手に手を出すとパロの警察は厄介だ。フロランの警察組織は他の国よりしっかりしている」

 それはカロリーネも感じている。フロランは他の国よりも治安がいい。犯罪が起きると警察はすぐ捜査に動く。かつてのカポレオンの独裁的な帝政は批判もあるが、法律を整備し、義務教育を充実させた。その結果が今出ていると言える。
 人の多いパロの街であの老人を殺めれば、誰かに見られる恐れがある。警察は目撃者を探し出し証拠をこつこつと集め殺害したのが誰かすぐに突き留めて、裁判にまで持ち込んでしまうだろう。

「昔は良かった」

 クロードは呟いた。
 カロリーネはふと思う。彼の言う「昔」は一体いつの頃なのだろうか、いつか自分も同じことを呟くようになるのだろうかと。
 


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