西の女吸血鬼は美味なる血を持つ東の若侍に恋をした

三矢由巳

文字の大きさ
上 下
4 / 65
さすらい

1 黄金の国を夢見て ★

しおりを挟む
 ネルランドはミャーロッパ大陸の西側の沿岸部にある低地の国である。低地だから洪水が起きればすぐに街は水浸しになってしまう。そこで堤防が作られ、低地の水を堤防の外に出し干拓し、陸地を広げて人々は暮らしていた。
 農畜産業が盛んなだけでなく、商人たちは貿易に熱心で小国ながら諸外国との貿易で多大な利益を得ていた。特に東洋との貿易では他国を圧倒していた。彼らは東方の島国ジルパンと独占的に交易を行ない、多くの金・銀・銅を手に入れていた。手に入れた金で彼らはインデスとの貿易の決済を行ない、香辛料などをミャーロッパに売り、莫大な利益を得ていた。



 クロードとカロリーネはそんなネルランドの港町の一角にある小さな宿屋に身を置いていた。
 田舎の町と違い、人の出入りの多い港町だからさほど目立つことはないのだが、革命のさなかのフロランとは近いので貴族でございと振る舞うわけにはいかなかった。ゲマルン語を話す神聖帝国から来た商人のライマン夫婦ということで、宿屋に泊まっている。小間使いのマリイとルイーズは相変わらずそっくりな顔で二人に仕えている。
 昼間はマリイとルイーズがあれこれ使いのために外出し、日が暮れるとクロードとカロリーネは街に出た。食事をするためだが、血を吸うためでもある。
 互いに血を吸い合う二人は毎日吸血をする必要はなかったが、それでも月に一日か二日は他人の血が欲しくなる時期があった。



 ヘルバ連邦の町でも、彼らは血を求めて町を散策したものだった。夕刻、湖のほとりの貧しい漁師の家々のあるあたりを歩きながら、ひとり暮らしの漁師や寡婦を探した。クロードはようやく差し障りのない寡婦を見つけ、彼女の血を吸った。といっても死ぬほどは吸わない。血を吸われて死んだ者はカロリーネ同様、不死の吸血鬼となる。仲間を必要以上に増やす気はなかったので、クロードは死なぬ程度に血を吸い、寡婦を解放した。彼女には吸血された記憶はない。小さな牙の痕が首筋に残るだけである。
 カロリーネもクロードが見つけた若い漁師の血を吸った。彼にも記憶は残らず、牙の痕しか残らない。その痕は数日すれば消える。
 だが、神父が日曜に教会に来た寡婦の首筋の痕に気付いてしまった。彼は驚き、教区の司教に相談した。司教は驚き、悪魔祓いを専門とする神父らを町に派遣したのだ。彼らは神父の元に招待された侯爵夫妻を捕まえるつもりでいたらしい。
 たまたま外出していたアランは教会周辺の異変に気付き、クロードに知らせたのだった。
 一階でカロリーネを待っていたクロードはアランから話を聞き、先に宿を出た。
 宿屋の主人は神父から侯爵夫妻に何か動きがあったら知らせるように言われていたので、すぐに女中を教会に走らせた。それで、あんなにも早く神父たちがやって来たのだった。

「アランには本当に可哀想なことを」

 カロリーネはあの時のことを思い出すたびにそう言った。アランは吸血鬼ではなかった。クロードによって使い魔とされた黒犬だった。彼もまた不死身であったが、銃の弾丸に銀が使われていたために灰となったのだとクロードは言った。

「銀にはまことに用心せねばならない。ジルパンでは銀が採れる。あまりに多くの銀が国外に流出したため、ジルパンの政府は銀を貿易の支払いに使うことを禁じたのだ」
「まあ、恐ろしい」

 ジルパンは神を信じる者を火あぶりにすると聞いていたが、銀が豊富にあるなら自分達にとっても危ない国かもしれなかった。



 数日後、宿屋の近くの商人らが利用する店で食事をしている時のことだった。
 いつもはさほど混まない店だが、大きな船団が入港したということで船乗りたちがどっと入って来た。ネルランド人だけでなく神聖帝国の者もいるようでゲマルン語も聞こえてきた。
 彼らは一様に酒を注文した。
 酒が入れば話も弾む。

「国のめしはうまいなあ」
「まったくだ。酒の味も違う」
「けど、女は、ナガサキだ」
「そんなにいいのか」
「ああ。ジルパンの女はいいぞ。こっちの女より情がある」

 どうやら彼らはジルパンに行ったことがあるようだった。

「そんなにいいのか」

 クロードは立ち上がり、男らにネルランド語で尋ねた。

「あたぼうよ」

 男は当然とばかりに言う。クロードは店の親父にこの勇敢な船乗りたちの酒代を払うと言ったので、皆歓声を上げた。

「ジルパンという国は儲かるのか」

 クロードの問いに男達は喜んで答えた。

「ああ。しんで買った絹糸や織物や砂糖を売ると何倍にもなるんだ」
「俺の時はラクダを運んだぜ。ジルパンの商人はそれを見世物小屋に売ると言っていた」
「俺なんざ、オウムを二羽だ。なんでもダイミョウが御所望だとか言っていたな」
「ダイミョウは行列作ってエドに行くんだ。俺は商館長のお供でエドに行く途中で、行列を見たよ。あんまり長いんで追い抜くのに三日かかった」

 男達の話からすると、ジルパンという国は様々な動物も輸入しているらしかった。ダイミョウというのは、クロードの説明によると地方領主のことらしかった。

「ジルパンに行ってみたい」

 宿屋に戻りそう言うと、クロードは静かに微笑んだ。

「そうだな。今は行けないけれど、いずれ行けるようになるだろう」

 クロードの話では、ネルランドのようにジルパンと交易をしたい国は多いのだと言う。特にインガレスが東洋の地域に興味を持ち、自国の植民地にしようと画策しているらしい。そうなったらジルパンもいずれは国を開かざるを得なくなるのではないかとクロードは語った。

「そうなったらいいわね」
「その時は行ってみるか。ただ南をまわるから、日差しが強い。あまり外には出られないな」

 吸血鬼の常でクロードもカロリーネも強い日差しは避けていた。夕方や曇や雨の時なら少しくらいは外に出ても大丈夫なのだが、長時間は耐えられなかった。

「いいものを見せよう」

 クロードは船乗りから手に入れたという紙を広げた。

「まあ」

 薄暗い部屋の中、灯したランプの光に照らされたのは、男女の絡み合う絵だった。だが、それはミャーロッパのものではない。男も女も見たことのない髪の結い方をしていた。男の額は広く、女の髪はどうすればそうなるのかわからないような結い方だった。
 しかも二人は服のようなものをまとっているものの、局部だけ露出させて繋がり合っていた。男の一物は恐るべき大きさであった。
 隣に座ったクロードは説明した。

「これはジルパンの版画だそうだ。素晴らしい印刷技術だ。見たまえ、髪の一本一本を。これは絵具で描いたものではないんだ。木を彫って、紙に印刷したのだ」

 印刷技術はともかく、カロリーネは男女の結合部分に目を奪われていた。大きさ以外は実に精緻に表現されていた。ジルパンの人々はこの絵のような身体をしているのであろうか。

「本当にこんな身体をしているのかしら」
「さあ。確かめてみるにしても行かねばならないな。だが、そなたがあちらの男に心惹かれては困る」
「まあ」

 カロリーネは笑った。ありえない話だった。

「そんなこと心配するなんて」

 クロードはそう言ったカロリーネの唇を唇でふさいだ。熱い舌がカロリーネの口腔をまさぐる。初めてのキスの時は冷たい舌だと思っていたのに、今はクロードの身体が熱く感じられるようになっていた。
 そのまま、転げ込むようにベッドに倒れこんで互いの身体を求め合う。
 閉め切られたカーテンの向こうの外は夜明け近い。強い光を浴びることの許されぬ二人の抱擁は夕刻まで続いた。



 ジルパンのナガサキで商館長をしていたという男に会ったのはその数日後の夜のことだった。
 先日知り合った船乗りの一人が引退した商館長の屋敷に出入りしているということで、その伝手を使っての対面だった。
 クロードはクラ―ス・ライマンと名乗り、カロリーネを妻と紹介した。
 商館長は五十過ぎていたが、年齢よりも若く見えた。彼は旅先で集めたコレクションに囲まれた応接室で二人をもてなした。
 宸の青磁の壺、ジルパンの鮮やかな赤色を使った陶器の大皿、インデスの象牙等、見たこともない品々にカロリーネは目を奪われた。
 商館長は船旅のことを語った後、ジルパンでの日々を語った。

「ナガサキはまことによい港であった。女性たちは美しかった。デジマの役人達はあれこれとうるさかったが、学者や医者は好奇心と知識を吸収する意欲に溢れていた。エドへの旅はなにもかも物珍しかった。カゴという乗り物の揺れることといったら慣れるのに時間がかかった」

 商館長は紙に羽ペンでカゴという乗り物の絵を描いた。箱の上に棒がついており、それを前後の男が担ぐのだと言う。担ぎ手の髪型も奇妙なものだった。
 エドでのタイクンとの謁見や学者たちとの交流、ダイミョウとの情報交換等、クロードは興味深げに聞いていた。カロリーネはタイクンの夫人はどのような宮殿で暮らしているのか尋ねた。

「オオオクという男の入ることのできぬ宮殿で暮らしている。謁見の際には、ミスという薄いカーテンの向こうから我らを見ていたようだ。あちらでは舞踏会はない。晩餐会にも女性の姿はない。タイクンの妻たちは隠されているのだ、ハレムのように」

 商館長は次の言葉で話を締め括った。

「かの国はいずれ、国を開くであろう。もしそれまで生きることができたなら、もう一度行きたいものだ」



 明け方、カロリーネははるか東の国を胸に思い描きながら眠りについた。美しい女達、カゴを担ぐ奇妙な髪型の男達、オオオクというハレムにいる女達、精巧な印刷技術で作られた版画、金箔を壁一面に施した建物、フジという火の山……。
 午後目覚めたカロリーネは、すでに起きて書類に目を通しているクロードに告げた。

「ジルパンの言葉を勉強したい」
「わかった。ジルパンの言葉は難しい。だが、我らのように永遠を生きる者にとってはいい暇つぶしになる。商館長に教師を紹介してもらおう」

 クロードは上機嫌だった。カロリーネが自分から新たなことを学びたいと言うのは初めてのことだった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】愛する夫の務めとは

Ringo
恋愛
アンダーソン侯爵家のひとり娘レイチェルと結婚し婿入りした第二王子セドリック。 政略結婚ながら確かな愛情を育んだふたりは仲睦まじく過ごし、跡継ぎも生まれて順風満帆。 しかし突然王家から呼び出しを受けたセドリックは“伝統”の遂行を命じられ、断れば妻子の命はないと脅され受け入れることに。 その後…… 城に滞在するセドリックは妻ではない女性を何度も抱いて子種を注いでいた。 ※完結予約済み ※全6話+おまけ2話 ※ご都合主義の創作ファンタジー ※ヒーローがヒロイン以外と致す描写がございます ※ヒーローは変態です ※セカンドヒーロー、途中まで空気です

【完結】「聖女として召喚された女子高生、イケメン王子に散々利用されて捨てられる。傷心の彼女を拾ってくれたのは心優しい木こりでした」

まほりろ
恋愛
 聖女として召喚された女子高生は、王子との結婚を餌に修行と瘴気の浄化作業に青春の全てを捧げる。  だが瘴気の浄化作業が終わると王子は彼女をあっさりと捨て、若い女に乗 り換えた。 「この世界じゃ十九歳を過ぎて独り身の女は行き遅れなんだよ!」  聖女は「青春返せーー!」と叫ぶがあとの祭り……。  そんな彼女を哀れんだ神が彼女を元の世界に戻したのだが……。 「神様登場遅すぎ! 余計なことしないでよ!」 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します。 ※他サイトにも投稿しています。 ※カクヨム版やpixiv版とは多少ラストが違います。 ※小説家になろう版にラスト部分を加筆した物です。 ※二章に王子と自称神様へのざまぁがあります。 ※二章はアルファポリス先行投稿です! ※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。 「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」 ※小説家になろうにて、2022/12/14、異世界転生/転移・恋愛・日間ランキング2位まで上がりました! ありがとうございます! ※感想で続編を望む声を頂いたので、続編の投稿を始めました!2022/12/17 ※アルファポリス、12/15総合98位、12/15恋愛65位、12/13女性向けホット36位まで上がりました。ありがとうございました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

処理中です...