ヴァルプルギスの夜に恋して

三矢由巳

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02 お尻の危機

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 生贄。お供えの動物。神に捧げるために殺される。あるいは神域で飼われる。
 スケープゴート。人身御供。
 ろくなもんじゃないということは七三子にもわかる。

「間違えました、失礼します」

 そう言って回れ右したが、目の前には黒いシャツの男が立ちはだかった。

「悪いけど、生贄と決まったら、帰すわけにはいかないんだ」

 切れ長の目が釣り上がって見えた。薄い唇も妙に口角が上がっている。
 何かに似ていると気付いた。何だろう。

「まあ、かわいい子羊ちゃんね」

 背後で甲高い女の声がした。

「もっと若いのはいなかったのか」

 野太い声が聞こえた。
 黒シャツの男がふてくされたように言う。

「今日はロクなのがいねえ。3階を見たが、まるで動物園だぞ」

 3階。七三子は3階こそが目的のイベント会場だったのかと気付いた。

「3階です。私、3階と間違ったんです! だから帰してください。ここで見たことは誰にも言いません」

 七三子は男に向かって必死で言った。
 こんな乱交パーティで生贄にされるなんて、何をされるかわかったものではない。
 いくら、性的に鈍感な七三子でも、性器丸出しで歩いている男女やベッドの上で絡み合っている男女が生贄に何を望むか、察しはつく。
 それにさっきからする妙な匂いは麻薬かもしれない。
 麻薬を打たれて、大勢の男女に弄ばれるなんて、貞操の危機どころか、命の危険だってあるかもしれない。

「ダーメ!」

 男は通せんぼをするように七三子の前に立ちふさがった。百八十センチくらいかと思っていた身長がさらに大きく見えた。

「一般人はここから生きて出すわけにはいかねえんだよ」

 にやりと笑って言うにはあまりに恐ろしい言葉だった。
 そこをなんとかと言いたかったが、周囲に次第に人が集まってきたのに気付いた。黒い服や下着を身に付けた男女だけでなく、全裸の男女も見えた。皆、七三子を興味深げに見ながら勝手なことを言っている。

「今時、髪も染めてないのかよ」
「耳タブに穴も開いてねえな」
「おっぱい小っちゃくね?」
「ヘア手入れしてないよね、この子」
「剛毛だと痛いよな」
「お尻は処女だよね」
「あ、俺もーらい!」
「あら、あたしが先よ。」
「待てわしが!」

 後方で言い争いが始まった。七三子はあまりのことに声も出せなかった。
 お尻の処女をもらうって、それって、それって……。

「なあ、ネエちゃん、あきらめな。それにまんざら悪くもないぜ。皆でてんご、おっと間違った、地獄に連れてってやるからさあ」

 冗談ではなかった。地獄に連れて行かれるなんて。
 七三子は力の限りに叫んだ。

「いや、いや、いやああああ!」

 叫んで黒シャツ男の脇を駆け抜けて先ほど閉められたドアへと走った。逃げなきゃ。
 だが、何かにごんとぶつかって、その反動で床に尻餅をついていた。

「いったあああ!」

 お尻が痛い。でも、お尻の穴に何かを突っ込まれるのだけは御免だった。七三子はなんとか立ち上がろうと四つん這いになった。目の前に柱のようなものがあったのでつかんで立ち上がろうとした。

「あれ?」

 手触りが柱じゃない。これはもしかして人の足?
 でも、とにかく立ち上がらないといけない。立ち上がって逃げないと。そう思って柱につかまり立ち上がった。
 七三子の目の前には男が立っていた。身長は黒シャツ男ほどではないが、七三子より十センチは高い。

「ご、ごめんなさい」

 謝っている場合ではないが、七三子はここでこれ以上因縁をつけられたくはなかった。
 顔がよく見えない。怒っているのだろか、黙っている。

「シュウ! そいつは生贄だ」

 背後で黒シャツ男の声がした。どうやら、この男も黒シャツ男の仲間らしい。七三子は詰んだと思った。
 その瞬間、物凄い力で七三子は男に引っ張られた。

「ひゃっ!」

 おしまいだと思った。男は七三子を自分の身体に押し付けるように抱き締めた。

「おい、インキュバス、これは処女じゃないだろ」

 男の声が胸の皮膚越しに伝わってくる。七三子の好きな低音ではないが、滑舌がしっかりしている。

「いいじゃん。あんまり使い込んでないみたいだし」

 黒シャツ男の声が聞こえた。インクなんとかという名前かと七三子は思った。どうやら外国人らしい。
 それにしても「使い込んでない」とは一体何のことだろうか。まさかお尻の穴のことだろうか。やはりまずい。逃げなければ。七三子は男の腕の中から逃げようともがいたが、びくともしない。

「生贄なんぞいらんだろ。終わった後の処分どうする気だ。最近はいろいろ面倒だぞ」
「ちぇっ。ヴァルプルギスくらい羽目外そうや」
「ヴァルプルギスだからこそだ。警察が最近うるさいんだ」
「ったく、堅いなあ。けど、その女どうすんの?」
「俺のものにする。匂いをつければ問題ないだろ」
「わかった、わかった。ちぇ、つまんねえの」

 話の流れからするとどうやら生贄にはならずに済んだようだった。

「なーんだ、つまんない」
「世知辛い世の中になったもんだな」

 周囲に集まった男女もばらけていく。
 だが、「俺のもの」とか「匂いをつければ」ってなんだと七三子は男を見上げた。薄暗さに慣れたせいか、男の顔がなんとなく見えてきた。顎が割れてる?

「おい、女」

 男は七三子を左腕で抱きしめたまま言った。

「つきあってもらうぞ」
「つきあう?」

 七三子の問いに男は答えずに、ひょいと軽々と横抱きにした。

「ちょ、ちょっとお。なんなの!」

 馬鹿力だった。七三子が腕をばたつかせても、まったく歩く速度は変わらない。落ちそうになるので、七三子は仕方なく両腕を首に巻きつけた。肘にかけたトートバッグが男の胸に当たったが男は平然としていた。
 男はずんずんと宴会場の奥へと向かう。両脇の複数のベッドでは男女や男女男、女男女といった組み合わせで肉色の身体が交わっていた。6人で組体操でもしているかのように身体を絡ませているグループはまた体勢が変わっていた。それぞれが喘ぎ声を上げていて、七三子はその声だけで気分がおかしくなってきそうだった。





 異常な状況の中、男は平然と歩いていた。
 宴会場の奥のドアを開けると、廊下があって片側にドアがいくつか並んでいた。そのうちの一つを開けると、男女の艶めいた声が聞こえた。
 男はバタンと足でドアを閉めた。

「ったく、使用中の札くらい出しとけ。」

 そう言って今度は隣のドアを開けた。声も気配もない。
 男は七三子を抱いたまま中に入るとまた足でドアを閉めた。すぐに七三子を腕から下ろしたので、七三子はドアへ向けて走った。

「馬鹿!捕まる気か!」

 男は怒鳴って、七三子の肩をつかんだ。

「今出てったら、餌食になるぞ。インキュバスはまだおまえを狙ってるからな」
「だけど、私は3階に」
「今夜はここから出るな。いいか。死にたくなかったらここにいろ!」

 男は七三子を睨みつけた。その目の迫力に動けなくなった七三子の身体をさっと横抱きにした。七三子はきゃあと叫んでいた。

「落ち着け!」

 男はそのまま歩きだし、七三子を奥のベッドの上にごろんと置いた。

「きゃああ、何すんのおお!」

 七三子はまずいことになったと思い叫んでいた。
 男は面倒臭そうに言った。

「いちいちうるさいな。」
「だって、だって……」

 生贄だの尻の処女だのと言われ「俺のもの」とか聞けば平静でいられるはずがなかった。
 しかも密室に男と二人。ベッドに転がされては、危機を感じないほうがおかしい。
 男は転がった七三子の隣に腰を下ろした。七三子は身体を壁際に寄せた。

「いいか、おまえさんは今オオカミの巣にいるようなもんなんだ。ベッド見ただろ。乱交パーティみたいなもんをやってるんだ。そんなとこにのこのこ出てみろ、すぐさま、奴らの餌食になる。」

 やはりそうだったのか。乱交パーティをやっていたのかと七三子は納得した。

「麻薬とかも?」
「麻薬? いや、それはない。変な匂いがするのは、あれは香だ。まあ、それはいい。とにかく、朝までここから出たら駄目だ。特に今夜は特別な日なんだ。こんな夜に外を歩き回ったら、服をひん剥かれて身体中の穴という穴にいろんなもんを突っ込まれるぞ」

 男は真面目な顔で言った。

「特別な日?何ですか」

 七三子は今日は誰かの誕生日だっただろうかと考えていた。

「ヴァルプルギス。悪魔の大宴会の日だ」

 男はそう言い放った。




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