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01 サバトへようこそ

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 4月30日の夜はヴァルプルギスの祭り。
 魔女たちが集まってサバトが始まる。
 そんな夜の出来事。





 鬼河原おにがわら七三子なみこはぽかんと口を開けたまま立ち尽くしていた。
 一体、自分は何を見ているのだろうか。
 婚活イベントの会場に来たはずだった。
 だが、宴会場の中に入って顔を上げた途端に目の前に現れた光景はこの世のものとは思えなかった。
 七三子の目の前を歩く女は、黒いレースのような透けた生地のブラジャーだけを身につけ、血のように真っ赤な唇から誘うように舌を出していた。
 彼女の誘いに乗ったのか、話しかけた男は上半身裸に下半身は黒い革のパンツなのだが、そのパンツは肝心な物を隠していなかった。その部分に穴が開いていたのだ。穴から出たそれは腹につかんばかりに屹立していた。
 さらにその先にはベッドがいくつかあって、そのすべてが使用中だった。ただし、睡眠を取っている人間は誰もいない。
 肉色の物体がからみつき、喘ぎ声を上げている。あるものは二つ、あるものは三つが複雑にからみあっていた。
 中には6人の男女が複雑に絡み合い、まるで組体操をしているかのようなベッドまであった。
 さらに会場の中央、大きな燭台を囲んで10人ほどの全裸の男女が小学校の時に運動会で踊ったフォークダンスを彷彿とさせるように前の人の肩に両手を乗せて跳ねまわっている。
 よく見ると、彼らは腕だけでなく、股間でもつながっていた。最後尾の男の男根が前の男の尻に突き刺さり、その男の男根は前の男の尻に突き刺さりと、男根で数珠つなぎになっていた。
 間に女性が数人挟まっていたが、彼女達は腰のベルトにディルドを固定していて、それを前の男の尻に突き刺していた。
 ありえない。これ、絶対に婚活のイベントじゃない。





 その2時間前。
 七三子はいつもと同じ電車に乗って帰宅しようとしていた。
 ところが、二駅前で突然の豪雨で電車の運行が止まった。次の停車駅で雨量計が限度を超えたと車内放送が流れた。
 電車の中で発車を待ってもいっこうに雨はやみそうもない。それどころか勢いが増したように見えた。
 近くに立っているサラリーマンがスマホの画面を見て舌打ちするのが聞こえた。
 女子高校生らしい二人連れの制服少女がやばいとかどうしようとか言っている。
 窓の外の向こうに一瞬稲光が見えた。
 七三子は数えた。1、2、3、4、轟音が響いた。女子高生がきゃあっと叫んだ。
 雷雲はすぐ近くでもないが遠くでもない。常温で音速は約340メートル。
 まだ雷雨は続きそうだった。
 もうこれで今日の予定はおしまいだなと思った。
 アパートに帰って着替えて、そこから二つ先の駅の近くのホテルで行われるイベントに行くはずだった。電車を降りてタクシーで直行するという手もあるが、今着ているスーツは通勤用で、今日のイベントには不似合いだ。
 それにこの豪雨では道路もどうなっていることか。数年前にもこんな雨が降ってアパートの近くの道路が冠水し車が通れなくなったことがある。
 別に特に行きたいイベントでもなかった。だからまあいいかと思った。
 3年前に嫁いだ姉が勧めた婚活イベント。
 結婚情報サイトで結婚相手を決めた姉は妹にも婚活を勧めた。
 早く結婚しないと子ども作るのも金がかかるんだからねという姉は去年体外受精で子どもを産んだ。結婚してすぐに不妊治療を始めた姉は自動車一台は買える金額を費やしたという。
 結婚・妊娠に苦労した姉の言葉を無視するわけにもいかず、七三子は姉の勧めるサイトに登録し、気が進まないながらもイベントにたまに参加した。
 気が進まないのにはわけがある。お金で結婚相手を買うような気がするのだ。結婚に経済の問題は不可欠だと割り切れればいいかもしれないが、七三子にはお金だけじゃないという少しばかり青臭い気持ちがある。それに何より、親しい男性がいなくて寂しいとか感じたことはあまりない。つい数か月前にも別れを告げられたが、さほど大きな衝撃は受けなかった。自分が至らなかったからだと思う気持ちのほうが強かった。
 たぶん男女のことには不向きなのだろうから、一人身のまま仕事を定年まで続けてもいいんじゃないかと思うことさえある。
 無論、七三子とて木石ではないから、生まれてから29年の間に交際した男性は複数いる。
 だが、七三子は交際の過程で行われる儀式めいたキスとかそういう類のことにいまいち乗れなかった。
 キスしてときめくとか、身体をまさぐられて快感に慄くとか、挿入されて喘ぎ身体を弓のようにしならせるだとか、一体どこの国の誰の話なんだというのが実感だった。
 人並みの感覚、くすぐられたら笑うとか、そういう感覚はあるのだが、こと性的なことになると、七三子は鈍感と言ってよかった。
 男が身体の上で腰を振っているのを他人事のような顔をして見ているのは申し訳ない感じがする。
 だからといって感じる演技をしようにも、一体どうやればいいのか。
 ネットでその類の動画を見ても、いまいちぴんとこない。あんな声どこから出すのか。
 相手の男性も七三子の反応の薄さに気付くと、だんだんしらけるらしく、次第に疎遠になるのがいつものパターンだった。

『おまえ、なんか鈍いんだよなあ。どっか身体悪いんじゃないのか』

 そんなことを最後に言った男もいた。
 七三子は健康にだけは自信があった。大学まで無遅刻無欠席だった。生理も周期が狂ったことはほとんどない。だから身体が悪いとは思えない、たぶんこういうことにも生まれつきの才能というのがあるのかもしれないと七三子は思っている。
 というわけで結婚に対してさほど気持ちの動かない七三子だったから、イベントに悪天候で行けないくらい別になんということはなかった。
 突如、バッグの中からメールの着信音が聞こえた。
 何だろうと見ると、姉からだった。

  大雨だけど、イベントは一時間遅れで始まるそうだから、行きなさいよ。
 
 わざわざイベントの担当者にでも問い合わせたのだろうか。まったく恐れ入る。乳飲み子の世話で大変なはずなのに。それくらい気配りのできる女だから義兄は姉を選んだのだろう。
 七三子はこのまま電車が動かなければいいのにと思った。
 そう思った時だった。間もなく発車しますという車掌のアナウンスが聞こえた。
 雨は小降りになっていた。稲光は見えるが音は聞こえなくなっていた。
 七三子はそのままイベントのあるホテル近くの駅まで乗車した。
 駅からホテルまで歩いて10分。雨はやんでいた。一時間遅れで始まるというから、何とか間に合いそうだった。
 出席すると返事をしてイベントを無断で欠席すればペナルティがあるという話をちらっと聞いていた。担当者の顔を立てる意味でも行ったほうがいいだろう。服装はいまいちさえないけれど、軽食を食べに行くと思えばいい。
 イベント会場はホテルの宴会場だと案内に書いてあった。
 ホテルに入ると、まず案内板を探した。婚活サイトの名前やあからさまにそれとわかるイベントの名称は書いていない。
 七三子はイベントの名称を正確に覚えていなかった。興味がさほどなかったからである。
 前に出たイベントは散々だった。
 七三子にも好みはあるが、それは当然他の女性の好みとかぶるわけで、積極的に婚活をしているわけではない七三子は当然出遅れる。結局他の意欲的な女性にさらわれていくのだ。
 逆に好みでもない男性にまとわりつかれたり。
 今回も似たようなことになる気がした。いまいちやる気になれないせいか、イベントの名称もはっきり覚えていなかったのだ。
 確か、マジックとかマジカルとかいう言葉が入っていたような気がする。イベントのゲストが有名なマジシャンだとかサイトには書いてあった。
 七三子の目の前には二枚の案内板があった。

『春色マジカルナイトパーティ 十三階松の間』
『マジカルイブニングミーティング 三階フラワーガーデン』

 紛らわしい名称の会合が二つもあるなんて。しかも案内の人もいない。

「ねえ、君」

 背後で男性の声がした。もしかして自分と同じイベントに出る人かも。七三子は振り返った。

「え!」

 思わず叫んでしまった。七三子の好みそのままの男性だった。身長は180センチ余り。筋肉質で、髪は短め、目は切れ長で唇は薄い。身体にぴったりした黒い長袖のシャツを着ていて下は革の黒いパンツ。先の尖った黒い革靴。切れ長の目からはどこか危険なものを感じさせる色気がダダ漏れだった。

「君もイベントに行くの?」
「は、はい」

 反射的に返事をしていた。上気した顔に気付かれてしまいそうで俯いた。

「一緒に行こうか」

 その声に導かれるように、七三子は男と近くのエレベーターに乗り込んだ。他には誰もいない。
 男は13のボタンを押した。
 七三子は知らない。ほとんどのホテルの客用のエレベーターには13階のボタンがないことを。





 シースルーのエレベーターが街のネオンの海から浮き上がっていく。だが、七三子はそれどころではない。自分の好みそのままの男性が今目の前にいる。顔を見るのも恥ずかしく、床ばかり見ていた。

「着いたよ」

 慌てて男の後を追う。こんなところで迷ったら大変だ。
 その会場は廊下の突き当たりのドアの向こうにあった。
 男が両開きのドアを開けた。七三子はその後に続く。
 背後でドアがバタンと閉まった。その瞬間、背筋がなぜかぞくりとした。
 何やら嗅いだ事のないような妙な匂いがする。お線香のようだけど、なんだか生臭い。
 それに奇妙な音楽が流れている。日本の音楽じゃない。知っている海外のアーティストのものでもない。
 心臓を鷲掴みにされるような低音の響きに女性の悲鳴のようなボーカルが乗っていて、なんだか、胸がざわつく。
 顔を上げた七三子は目の前の光景に声も出せなかった。
 蝋燭で照らされたほのかに明るい会場で展開されている光景はこの世のものとは思えない。
 やばい。間違えた。逃げなきゃ。
 これ、婚活じゃない。
 男は楽し気に言った。

「ようこそ、サバトへ。君が今日の生贄だ」

 イケニエ? 生贄のこと? 何それ?




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