13 / 20
十三 その日まで1
しおりを挟む
T夫人は結局破落戸の我が家の話もしたらしい。
付き合いに躊躇するのは当たり前だろう。
良識的な家庭ならばなおさらだ。
もし、昔奥さんの御先祖にお世話になりましてなんて挨拶したら、付け込まれてひどい目に遭うことになる。
母の兄の貞雄伯父にだけ話したとしても、そういうことを嗅ぎ付けることに関して父や祖父母は普通じゃなかった。
母の腹に俺がいると知った父は不貞を責めなかった。その理由の一つは、流れ者の男の親族が統括する組織との関わりを切りたくなかったからだ。流れ者の男は町を出てから行方知れずになっていたが、父は男の親族に母の妊娠を知らせた。
親族は身内の不始末を謝罪し、養育費として相応の額を毎月父の口座に振り込むようになった。それは父が死ぬまで続いた。養育費と言っても、それは父の遊興費に消えていたらしいが。
そんな家族なのだ。
関わりを持つなどとんでもない話だ。
俺だってそんな家族は嫌だった。
俺の出生は秘密でもなんでもなく町内の人間は皆知っていた。
父が寝取られて生まれた子だと。
母の不貞の証だと。
不思議な話だが、父は母と離婚しなかった。しかも、俺が生まれた後も妹と弟が生まれている。
恐らく血判のせいだろう。母の両親の前で誓った事を裏切るわけにはいかないと思ったのだろう。妻が自分を裏切っても、自分は両親を裏切れないと。
母は一体どういう気持ちでいたのか。
いまだに俺には理解できない。いや、女というものがわからない。
きょうだいの中で俺だけが特殊だった。
兄も姉も妹も弟も、父そっくりだった。学校では徒党を組み、授業をさぼり、給食と体育の授業の時だけは生き生きとしていた。学校が終われば仲間と遊び、夕飯を食った後はまた遊び。時には友人を家に連れて来て大騒ぎしていた。父も同じようにしていたからと特に注意することもなかった。祖父母もまた孫を放任していた。
母も最初のうちは叱っていたようだが、まったく効き目がなく、また父や舅姑の協力もないので、ほぼ放任していた。近所の人々も母に放っておけばよい、そのうち旦那のように少しは落ち着くからと言ったというから呆れる。
ただ俺については母は異常なほど教育熱心だった。
小学校入学前から兄の友人達と遊ばせないように、近所の寺の同い年の息子と遊ばせた。その影響で俺はお経を暗誦できたし、難しい漢字も読めるようになった。
小学校に入ると町内にたった一つだけあった学習塾に通わせたのは勿論、俺が読みたいと思った本は何でも買ってくれた。
おかげで俺は学校の成績は一番だった。成績がいいとますます勉強する気になるから、兄や姉と一緒に悪さをする気にもなれなかった。
父に似ない出来のいい子だと近所の人は皆言った。
父はそれを聞いても顔色一つ変えなかった。
元々、俺は自分の生まれを小学校に上がる前から知っていたので、父に似ていないのは当然と思っていた。本当の父親である流れ者の男に会ってみたいと思ったこともあった。
一度だけ母に本当のお父さんはどこにいるのと尋ねた覚えがある。
『長い草鞋を履いたから会えないよ』
今思えば小学校低学年の子どもに対する答えとも思えない答えだ。
だが、俺はその言葉の意味を理解してしまった。たぶん、もう会えないということだと。
俺は二度と母に尋ねなかった。
その代わり、母は俺が小学校高学年になると、押し入れの段ボールから文庫本を時々出して読ませてくれた。お父さんやきょうだいには秘密だよと言って。
俺はその秘密の文庫本を貪るように読んだ。ところどころに鉛筆で線が引いてあった。誰が引いたのかわからないけれど、それは俺が面白いと思ったところと一緒の場所だった。
今思えば、母は文庫本で本当の父と俺を対面させてくれたのかもしれない。
当然のことだが、そんな俺を祖父母や父だけでなく、兄や姉、妹、弟までもが鬱陶しく思っていた。
兄弟でただ一人出来のいい子。父の血を引かぬ子。
俺だけが学校の教師に褒められる。
俺の存在が面白いはずがない。
嫌がらせは日常茶飯事だった。
教科書やノートを隠されたり、果ては捨てられたり。
気付いた担任は教科書を書店に多めに注文した。授業のノートについては困らなかった。俺は全部覚えていた。
ただ宿題帳は捨てられるとまずいので、放課後に学校で終わらせて職員室の先生に提出した。
夏休みの宿題はそういうわけにいかないので家に置いていたら、二学期の始業式前日の夜に工作から何からすべて川に捨てられた。
俺は次の年の夏休みから宿題を済ませると、寺に預けておいて最初の登校日に全部提出してしまった。その代わり、寺の息子の宿題を手伝った。兄や姉もさすがにお寺に押しかけて俺の宿題を取るような真似はできなかった。寺の息子を脅すこともできなかった。うちの祖父母や両親にとって神社仏閣は神聖不可侵な存在で、関係者を苛めたら父から半殺しの目に遭わされると兄は言っていた。
そういうわけで、文庫本のことは母も俺も隠し通さねばならなかった。もし、あの段ボールのことが知れたら何をされるかわからなかった。
段ボールを寺に預けたらと思ったが、そうなると母は読むことができなくなる。寺の人々にとってもうちの母の不貞の相手の持ち物を預かるというのはいい気分ではなかろう。
俺は注意深くきょうだいのいない時を見計らって段ボールから本を取って懐に隠して、学校の裏山で読んだり、寺の息子の勉強を見ながら読んだ。
だが、彼らは勘がよかった。
付き合いに躊躇するのは当たり前だろう。
良識的な家庭ならばなおさらだ。
もし、昔奥さんの御先祖にお世話になりましてなんて挨拶したら、付け込まれてひどい目に遭うことになる。
母の兄の貞雄伯父にだけ話したとしても、そういうことを嗅ぎ付けることに関して父や祖父母は普通じゃなかった。
母の腹に俺がいると知った父は不貞を責めなかった。その理由の一つは、流れ者の男の親族が統括する組織との関わりを切りたくなかったからだ。流れ者の男は町を出てから行方知れずになっていたが、父は男の親族に母の妊娠を知らせた。
親族は身内の不始末を謝罪し、養育費として相応の額を毎月父の口座に振り込むようになった。それは父が死ぬまで続いた。養育費と言っても、それは父の遊興費に消えていたらしいが。
そんな家族なのだ。
関わりを持つなどとんでもない話だ。
俺だってそんな家族は嫌だった。
俺の出生は秘密でもなんでもなく町内の人間は皆知っていた。
父が寝取られて生まれた子だと。
母の不貞の証だと。
不思議な話だが、父は母と離婚しなかった。しかも、俺が生まれた後も妹と弟が生まれている。
恐らく血判のせいだろう。母の両親の前で誓った事を裏切るわけにはいかないと思ったのだろう。妻が自分を裏切っても、自分は両親を裏切れないと。
母は一体どういう気持ちでいたのか。
いまだに俺には理解できない。いや、女というものがわからない。
きょうだいの中で俺だけが特殊だった。
兄も姉も妹も弟も、父そっくりだった。学校では徒党を組み、授業をさぼり、給食と体育の授業の時だけは生き生きとしていた。学校が終われば仲間と遊び、夕飯を食った後はまた遊び。時には友人を家に連れて来て大騒ぎしていた。父も同じようにしていたからと特に注意することもなかった。祖父母もまた孫を放任していた。
母も最初のうちは叱っていたようだが、まったく効き目がなく、また父や舅姑の協力もないので、ほぼ放任していた。近所の人々も母に放っておけばよい、そのうち旦那のように少しは落ち着くからと言ったというから呆れる。
ただ俺については母は異常なほど教育熱心だった。
小学校入学前から兄の友人達と遊ばせないように、近所の寺の同い年の息子と遊ばせた。その影響で俺はお経を暗誦できたし、難しい漢字も読めるようになった。
小学校に入ると町内にたった一つだけあった学習塾に通わせたのは勿論、俺が読みたいと思った本は何でも買ってくれた。
おかげで俺は学校の成績は一番だった。成績がいいとますます勉強する気になるから、兄や姉と一緒に悪さをする気にもなれなかった。
父に似ない出来のいい子だと近所の人は皆言った。
父はそれを聞いても顔色一つ変えなかった。
元々、俺は自分の生まれを小学校に上がる前から知っていたので、父に似ていないのは当然と思っていた。本当の父親である流れ者の男に会ってみたいと思ったこともあった。
一度だけ母に本当のお父さんはどこにいるのと尋ねた覚えがある。
『長い草鞋を履いたから会えないよ』
今思えば小学校低学年の子どもに対する答えとも思えない答えだ。
だが、俺はその言葉の意味を理解してしまった。たぶん、もう会えないということだと。
俺は二度と母に尋ねなかった。
その代わり、母は俺が小学校高学年になると、押し入れの段ボールから文庫本を時々出して読ませてくれた。お父さんやきょうだいには秘密だよと言って。
俺はその秘密の文庫本を貪るように読んだ。ところどころに鉛筆で線が引いてあった。誰が引いたのかわからないけれど、それは俺が面白いと思ったところと一緒の場所だった。
今思えば、母は文庫本で本当の父と俺を対面させてくれたのかもしれない。
当然のことだが、そんな俺を祖父母や父だけでなく、兄や姉、妹、弟までもが鬱陶しく思っていた。
兄弟でただ一人出来のいい子。父の血を引かぬ子。
俺だけが学校の教師に褒められる。
俺の存在が面白いはずがない。
嫌がらせは日常茶飯事だった。
教科書やノートを隠されたり、果ては捨てられたり。
気付いた担任は教科書を書店に多めに注文した。授業のノートについては困らなかった。俺は全部覚えていた。
ただ宿題帳は捨てられるとまずいので、放課後に学校で終わらせて職員室の先生に提出した。
夏休みの宿題はそういうわけにいかないので家に置いていたら、二学期の始業式前日の夜に工作から何からすべて川に捨てられた。
俺は次の年の夏休みから宿題を済ませると、寺に預けておいて最初の登校日に全部提出してしまった。その代わり、寺の息子の宿題を手伝った。兄や姉もさすがにお寺に押しかけて俺の宿題を取るような真似はできなかった。寺の息子を脅すこともできなかった。うちの祖父母や両親にとって神社仏閣は神聖不可侵な存在で、関係者を苛めたら父から半殺しの目に遭わされると兄は言っていた。
そういうわけで、文庫本のことは母も俺も隠し通さねばならなかった。もし、あの段ボールのことが知れたら何をされるかわからなかった。
段ボールを寺に預けたらと思ったが、そうなると母は読むことができなくなる。寺の人々にとってもうちの母の不貞の相手の持ち物を預かるというのはいい気分ではなかろう。
俺は注意深くきょうだいのいない時を見計らって段ボールから本を取って懐に隠して、学校の裏山で読んだり、寺の息子の勉強を見ながら読んだ。
だが、彼らは勘がよかった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
命の番人
小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。
二人の男の奇妙な物語が始まる。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる