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十 明治百年
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私自身の話はとりあえずここまでにしておきます。
さて、戦後、生活も落ち着いてくると、盛之はしきりに洞田衛生兵のことを気がかりにするようになったようでした。ことにニュースなどで東北地方に津波が来るかもしれないとか放送されると、じっと画面を見ておりました。同い年の貞吉はどうしているのか、気がかりだったのでございましょう。
まだ嫁入り前の話ですので、これは夫の盛紀から聞いた話です。昭和三十五年のチリ地震大津波が来た時でした。とうとう盛之は盛正に日露の戦で起きた出来事を語り、なんとかして洞田貞吉衛生兵を探し出したいと話したそうでございます。
盛正は厚生省にいる友人に軍人恩給の受給者を調べてもらったり、自治省の友人に岩手県の洞田姓の人を探してもらったりしました。当時は今ほど個人情報の守秘ということがうるさくなかったようで、そのようなこともできたのです。
そこで判明したことは、おおよそ次のようなことでした。
洞田貞吉は明治十八年、岩手県の海岸沿いのQ村に生まれた。
明治二十九年六月十五日の三陸大津波で父を失い、その後、母親の実家のある町で弟妹たちと暮らし、高等小学校卒業後、十四歳から盛岡市の薬種問屋で丁稚奉公をしていた。
明治三十七年兵役を志願し入営。日露戦争で大陸に渡ったものの、明治三十八年病気のため帰国後除隊。
その後、元いた薬種問屋に勤め、明治四十三年にその薬種問屋の次女ツネと結婚。
大正元年長男貞一誕生。
薬種商の免許を取り、母親の実家のある村で薬屋を開業。
昭和八年三月三日の三陸海岸大津波の際は、薬屋として被災者の援護に協力。
息子の貞一は薬学専門学校を卒業し、薬剤師免許取得後、昭和十年宮城県で開業。貞吉も宮城県に転居した。
その後結婚した貞一に昭和十二年長女トミノが誕生。
昭和十九年、貞一は召集され、昭和二十年南方で戦病死したとの記録あり。妻子と貞吉の行方は不明。
盛之も盛正もたいそう驚いたそうでございます。盛之と貞吉は二人と生年が同じで、結婚した年、子どもの生まれた年も一致しているのですから。さらに長男が召集されたのも同じ昭和十九年で、盛正は免除され、貞一は戦病死という正反対のことにも。
その後も機会があるごとに二人は貞吉と貞一の妻子の行方、貞吉の弟妹のことなど、調べようとしたようです。
ですが、戦争で役所が火災に遭ったり、津波やその他の災害により公文書が不明になったために、洞田家の方々の行方はしばらく追うことができませんでした。
明治百年と世間で喧伝されていた昭和四十三年、盛之は洞田家の人々のことを案じながら、急な病で亡くなりました。朝のニュースを見ながらお茶を飲んでおりまして、突然茶碗を落としたかと思うと、その場にくずおれたのでございます。救急車を呼びましたが、救急隊員の方たちもこれは手の施しようがないとわかるほどでした。死因は脳溢血。八十三歳でした。
見ていたニュースは岩手県の漁村を映したものでした。恐らく、洞田貞吉のことを思い出しながら盛之は逝ったのではないでしょうか。
さて、お恥ずかしい話ですが、それから三十年ばかり、私どもは洞田家のことを忘れておりました。盛之の死によって明治の記憶が薄れたこともありますが、世間はGNP世界第二位だの、ドルショックだの、バブルだので、騒がしく、我が家にもその波が押し寄せていたからでございましょうか。舅の盛正の貿易会社も仕事を広げ、夫盛紀もその仕事を手伝い、私もその仕事柄、華やかな社交の場に出ることが多く、我が家の繁栄の基となった方の恩を忘れていたのかもしれません。
時折、何かの折に「陀羅尼助」という言葉を聞いて、そう言えばと思い出すこともあったのですが。
あれはまだ息子の盛和が小さい頃、テレビで夕方に人形劇を意味もわからぬまま見ていた時のことでございます。私はその人形劇の元になった話を少しは知っておりましたので、家事の合間に見るともなく見ておりました。
その中で役行者という方が姫の病気を治すために「陀羅尼助」という薬を授けるという場面がございました。そういえば盛之が洞田衛生兵から塗られたものも「陀羅尼助」だったと思い出しました。ですが、劇の最後で怨霊の人形が出てきて、盛和が恐怖のあまり私に抱きついてきたので、そのことは私の記憶からすぐに消えました。
思い出したのは盛和がもう少し大きくなって人形劇の思い出を話した時でした。
再び、洞田家のことを思い出すきっかけになったのは、二〇〇〇年の長男盛和の結婚でした。お相手は旧男爵家T家の令嬢でした。このT家は我が家とは違い、日露の戦で軍功を立てた海軍の中将の家柄でございました。勲功華族の中の勲功華族とも言っていい家柄です。お相手の令嬢の兄上も皇宮警察にお勤めという方。
さてその兄上の奥様というのは、なんという因縁か、薩摩藩の分家の家に仕えていた士族の出で、警察庁にお勤めの方でした。その方のご先祖もやはり日露の戦で大陸に渡られたという話が顔合わせの席で判明したのです。
その場で、盛正は実は亡くなった父がと話をしましたところ、その奥様が大変興味を示されたのです。その頃、Tの奥様は三十にもなっていなかったと存じますが、大変に歴史に明るく、川原治左衛門の話などを興味深くお聞きになっておりました。村川新右衛門という祖先についても、そういえば田舎に村川姓や黒岩姓の人がいるとおっしゃっておりました。T夫人は新右衛門と同郷かもしれないと笑っておりました。
そういった話の流れで日露の折の話になったのです。夫盛紀が祖父盛之が出会った洞田衛生兵の話をしたのです。なるほどとその席ではT夫人は話を聞いただけで終わりました。
その一か月後だったでしょうか。夫に夫人から連絡が来たのです。洞田家の子孫と思われる人々が生きているらしいと。
昭和十二年に生まれた貞一の長女トミノと思われる女性が宮城県のある町で薬局を営む夫と長男夫妻と生活していると。
トミノには死別した夫との間に長男があり、その長男を連れて現在の夫に嫁いだとのことでした。その夫との間に娘が二人生まれ、その娘たちも嫁ぎ、穏やかな老後を送っているとのことでした。
一体どうやって調べたのか、T夫人は何もおっしゃいませんでしたが、恐らく警察の伝手を使ったのだと思います。警察というのは、都会では今はそういうことはあまりありませんが、田舎だと新しく人が転居してくると、巡査がやってきて家族構成などを調べるそうで、恐らくそういうデータを使って洞田家の人々のことを調べ上げたのでございましょう。
さて、戦後、生活も落ち着いてくると、盛之はしきりに洞田衛生兵のことを気がかりにするようになったようでした。ことにニュースなどで東北地方に津波が来るかもしれないとか放送されると、じっと画面を見ておりました。同い年の貞吉はどうしているのか、気がかりだったのでございましょう。
まだ嫁入り前の話ですので、これは夫の盛紀から聞いた話です。昭和三十五年のチリ地震大津波が来た時でした。とうとう盛之は盛正に日露の戦で起きた出来事を語り、なんとかして洞田貞吉衛生兵を探し出したいと話したそうでございます。
盛正は厚生省にいる友人に軍人恩給の受給者を調べてもらったり、自治省の友人に岩手県の洞田姓の人を探してもらったりしました。当時は今ほど個人情報の守秘ということがうるさくなかったようで、そのようなこともできたのです。
そこで判明したことは、おおよそ次のようなことでした。
洞田貞吉は明治十八年、岩手県の海岸沿いのQ村に生まれた。
明治二十九年六月十五日の三陸大津波で父を失い、その後、母親の実家のある町で弟妹たちと暮らし、高等小学校卒業後、十四歳から盛岡市の薬種問屋で丁稚奉公をしていた。
明治三十七年兵役を志願し入営。日露戦争で大陸に渡ったものの、明治三十八年病気のため帰国後除隊。
その後、元いた薬種問屋に勤め、明治四十三年にその薬種問屋の次女ツネと結婚。
大正元年長男貞一誕生。
薬種商の免許を取り、母親の実家のある村で薬屋を開業。
昭和八年三月三日の三陸海岸大津波の際は、薬屋として被災者の援護に協力。
息子の貞一は薬学専門学校を卒業し、薬剤師免許取得後、昭和十年宮城県で開業。貞吉も宮城県に転居した。
その後結婚した貞一に昭和十二年長女トミノが誕生。
昭和十九年、貞一は召集され、昭和二十年南方で戦病死したとの記録あり。妻子と貞吉の行方は不明。
盛之も盛正もたいそう驚いたそうでございます。盛之と貞吉は二人と生年が同じで、結婚した年、子どもの生まれた年も一致しているのですから。さらに長男が召集されたのも同じ昭和十九年で、盛正は免除され、貞一は戦病死という正反対のことにも。
その後も機会があるごとに二人は貞吉と貞一の妻子の行方、貞吉の弟妹のことなど、調べようとしたようです。
ですが、戦争で役所が火災に遭ったり、津波やその他の災害により公文書が不明になったために、洞田家の方々の行方はしばらく追うことができませんでした。
明治百年と世間で喧伝されていた昭和四十三年、盛之は洞田家の人々のことを案じながら、急な病で亡くなりました。朝のニュースを見ながらお茶を飲んでおりまして、突然茶碗を落としたかと思うと、その場にくずおれたのでございます。救急車を呼びましたが、救急隊員の方たちもこれは手の施しようがないとわかるほどでした。死因は脳溢血。八十三歳でした。
見ていたニュースは岩手県の漁村を映したものでした。恐らく、洞田貞吉のことを思い出しながら盛之は逝ったのではないでしょうか。
さて、お恥ずかしい話ですが、それから三十年ばかり、私どもは洞田家のことを忘れておりました。盛之の死によって明治の記憶が薄れたこともありますが、世間はGNP世界第二位だの、ドルショックだの、バブルだので、騒がしく、我が家にもその波が押し寄せていたからでございましょうか。舅の盛正の貿易会社も仕事を広げ、夫盛紀もその仕事を手伝い、私もその仕事柄、華やかな社交の場に出ることが多く、我が家の繁栄の基となった方の恩を忘れていたのかもしれません。
時折、何かの折に「陀羅尼助」という言葉を聞いて、そう言えばと思い出すこともあったのですが。
あれはまだ息子の盛和が小さい頃、テレビで夕方に人形劇を意味もわからぬまま見ていた時のことでございます。私はその人形劇の元になった話を少しは知っておりましたので、家事の合間に見るともなく見ておりました。
その中で役行者という方が姫の病気を治すために「陀羅尼助」という薬を授けるという場面がございました。そういえば盛之が洞田衛生兵から塗られたものも「陀羅尼助」だったと思い出しました。ですが、劇の最後で怨霊の人形が出てきて、盛和が恐怖のあまり私に抱きついてきたので、そのことは私の記憶からすぐに消えました。
思い出したのは盛和がもう少し大きくなって人形劇の思い出を話した時でした。
再び、洞田家のことを思い出すきっかけになったのは、二〇〇〇年の長男盛和の結婚でした。お相手は旧男爵家T家の令嬢でした。このT家は我が家とは違い、日露の戦で軍功を立てた海軍の中将の家柄でございました。勲功華族の中の勲功華族とも言っていい家柄です。お相手の令嬢の兄上も皇宮警察にお勤めという方。
さてその兄上の奥様というのは、なんという因縁か、薩摩藩の分家の家に仕えていた士族の出で、警察庁にお勤めの方でした。その方のご先祖もやはり日露の戦で大陸に渡られたという話が顔合わせの席で判明したのです。
その場で、盛正は実は亡くなった父がと話をしましたところ、その奥様が大変興味を示されたのです。その頃、Tの奥様は三十にもなっていなかったと存じますが、大変に歴史に明るく、川原治左衛門の話などを興味深くお聞きになっておりました。村川新右衛門という祖先についても、そういえば田舎に村川姓や黒岩姓の人がいるとおっしゃっておりました。T夫人は新右衛門と同郷かもしれないと笑っておりました。
そういった話の流れで日露の折の話になったのです。夫盛紀が祖父盛之が出会った洞田衛生兵の話をしたのです。なるほどとその席ではT夫人は話を聞いただけで終わりました。
その一か月後だったでしょうか。夫に夫人から連絡が来たのです。洞田家の子孫と思われる人々が生きているらしいと。
昭和十二年に生まれた貞一の長女トミノと思われる女性が宮城県のある町で薬局を営む夫と長男夫妻と生活していると。
トミノには死別した夫との間に長男があり、その長男を連れて現在の夫に嫁いだとのことでした。その夫との間に娘が二人生まれ、その娘たちも嫁ぎ、穏やかな老後を送っているとのことでした。
一体どうやって調べたのか、T夫人は何もおっしゃいませんでしたが、恐らく警察の伝手を使ったのだと思います。警察というのは、都会では今はそういうことはあまりありませんが、田舎だと新しく人が転居してくると、巡査がやってきて家族構成などを調べるそうで、恐らくそういうデータを使って洞田家の人々のことを調べ上げたのでございましょう。
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