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四 坂の下のヒマワリ

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 こう来たか。
 俺は便箋から顔を上げた。
 顔も知らない母方の御先祖様、洞田貞吉。
 この名を聞いたのは今年になって二度目だ。

『あなた様の母方の御先祖の洞田貞吉様にうちの大舅が大変世話になりまして』

 PTA総会が終わった後、体育館を出たところで待ち構えていた老婦人に言われて俺はしばし声も出せなかった。
 確かに俺の母親の旧姓は洞田だ。貞吉の名は母方の親戚が来た時に何度か聞いたことがある。遠い時代の人なので特に何も感じなかった。親戚も特に感慨深げに話していたわけでもない。ただ立派な人だったらしいという印象しかない。
 陀羅尼助って、怪我した時におふくろが塗ってくれた膏薬じゃないか。実家から持って来たとか言ってたけど、そういうことか。



 それはともかく、出て行ったタネさんの夫はどうなったのだろうか。嫁入り先から実家に戻った嫁のようなものだろうか。養子ということは恐らく長男ではないだろう。次男以下では肩身が狭かったかもしれない。婿入りの時に持参金でも持って来ていたら、それとともに返されたのかもしれないが、果たしてどんな気持ちだったことか。
 昔の家というのは理不尽なことが多い。いや、今でもそういう家はあるんだろうな。
 盛之が落ち着かない性質だったのも、自分の立場が不安定だったからかもしれないな。
 それが戦争をきっかけに軍の中に居場所を見つけたということか。



 黒溝台をネットで調べてみた。
 ロシア側の事情でロシアは撤退したみたいだな。もし撤退してなかったらやばかったろうな。
 盛之も運がよかったということか。
 けど、陀羅尼助がこんなに効くっていうのは納得できない。たぶん銃で受けた傷のはずだ。
 俺だって傷が治るのに時間かかったのに。
 それとも貞吉さんが作ったのは特別なものだったのか。
 予言めいたことまで言ってるし。不思議な人だったんだな。



 大元帥をネットで調べたら、すぐに名まえがわかった。
 確かに西郷さんの親戚なら故郷に帰りづらいだろう。
 でも、なんなんだ、薩摩という地域から明治時代に活躍した人がぞろぞろ出るなんて。薩摩の芋づるという言葉があるけど、ほんとに芋づる状態……。



 俺はヒマワリの種を口に運んだ。
 もしかすると、ヒマワリのように、薩摩の三方限さんぽうぎりという巨大な花からできたたくさんの種たちが幕末から明治にかけて日本中に蒔かれたのかもしれない。
 ネットを見ると、三方限というのは高麗町、上之園町、上荒田町という場所で、地図を見れば三つの町は甲突川という川の南側にある。近くに鹿児島中央駅があるから、今はそこそこ開けた場所なのだろう。
 荒田なんていう地名があるから昔は田んぼがあったのかもしれない。そんな場所で生まれ育った男達が時代を動かしたというのは、なんとも不思議なことだ。
  三方限出身名士顕彰碑 というのが高麗町にあるのか。四十八人も! ネットに出てる名まえを見ても、知ってるのは西郷さんと大久保さんくらいだな。他の西郷姓の人は西郷さんの弟なんだろうな。



 すっかり冷めてしまったカフェオレを俺は口に含んだ。
 三十五歳で退役した安積中尉、英子さんが嫁入りする頃生きていたっていうことは、その後の人生がずいぶん長かったんだな。戦前の平均寿命っていくつぐらいだなんろう。
 俺はまたネットで検索した。
 そうか、四十代前半か。一九四七年の調査でやっと五十超えてる。
 ずいぶんと頑丈な人だったんだな。
 亡くなるまで寝込むことなかったって書いてるし。
 そんな爺さんの昔話を大舅から聞かされるって、英子さんもたまったもんじゃないな。まあ、辛抱強い人なんだろうけど。
 これだけ長い手紙を書く根性もあるし。
 俺はまだまだ続く手紙を読むべく、便箋をめくった。


 
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