初恋はいつ実る?

三矢由巳

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31 兄の来訪

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 月曜日の夜、兄が訪ねて来た。
 母上にも同席してもらいたいということなので、リビングに入ってもらった。慣れないソファだったので、兄には座りにくいようだった。
 夕食はすでにとったということなので、昨日いただいたクッキーとお茶を出した。
 けれど、兄はお茶にもクッキーにも手をつけなかった。

「今日は兵庫の件と、左京のことを話しに来ました」

 左京のこと、そう言った瞬間、私は兄の顔を凝視した。いい話なのか、そうでないのか。兄の表情を観察した。だが、兄が何を考えているのかわからなかった。思えば兄のふだんの表情は昔から読みにくかった。
 母上もまた兄を見つめた。

「息子は元気なんでしょうね」

 兄は一呼吸置いて告げた。

「左京は任務遂行中です。それだけは確かです」

 母上はほっと息をついた。私も我知らず肩に入っていた力が緩むをの感じた。

「津由子さん、よかったわね」
「母上も」

 兄も私達の様子を見て安堵したようだった。

「中奥に仕えている中学時代の同級生が教えてくれました。任務の内容は不明ですが」
「危険なお仕事なのですか」

 私の問いに兄はわからないとだけ答えた。

「中奥ということは上様に関することでしょうね。仕事の中身が不明なのは仕方ない」

 母上は冷静だった。

「まあ、無事がわかっただけ儲けもの。でも、そろそろ二カ月たつんだから帰って来てもいいのに。一体いつ帰るの?」
「いつ戻れるかはわかりません。こちらからメールも電話もできないので」
「メールも電話もできない場所ってどこ?」
「どこにいるかもわからないんです」

 母上の矢継ぎ早の問いに兄は困惑していた。本当に知らされていないのだろう。

「母上、質問攻めにするのは。兄も知らないのです」
「はい、はい。わかった。ごめんなさいね。日本橋の義兄からも一度だけ情報があって以来、何もないものだから」
「御家族に何も知らされないのは辛いことですから、当然のことです」

 兄はそこでやっと茶碗に口を付けた。

「それで兵庫のことなんですが」
「兵庫がどうかしたの?」

 母上にはカフェノアローでのことは話していなかった。従って母上の中では兵庫は上様のお傍近くに仕える由緒ある家柄の優秀な若者なのだ。

「まだ、母上にはこの前のこと話してないの」
「そうか、俺から話そう」

 私と兄のやり取りで母上は何かを察したようだった。





「不覚だったわ」

 兄の話を聞いた後、母上はこめかみを押さえた。
 左京様が大奥御中臈の浅茅様と不義密通し、貢ぐために出張費の不正請求をしたという噂を私に教え、親戚の目付に金子を握らせてなかったことにするから、その代わりに私をという茶番を聞いて、呆れてしまわれたのだろう。

「津由子さんも罪作りねえ」
「え?」

 母上、それはもしや私が悪いとでも?

「あ、勘違いしないでね、津由子さんは悪くない。兵庫が馬鹿なの。それも大の字が付くくらいのね」

 母上と兄は兵庫が馬鹿だという点で考えが一致しているようだった。私は少し可哀そうだなと思うのだが。

「それで兵庫は目付に捕まったというわけね」
「火付盗賊改方の馳川様もおいででした」
「っていうことは、何か他の事件に関与してるってことね。大馬鹿もここに極まれりね」

 そう言った後、母上は私を見た。

「目の前で兵庫が捕まるのを見たのね。昔からの知り合いだから辛かったわね」
「でも、それは私が」
「津由子に協力を頼んだのは私です」

 兄は私の言葉を遮った。
 
「目付の鈴木刑部様から兵庫の振舞に些かの不審があるとの仰せがありまして」

 それは私も知らない話だった。そういえば召し捕りに来た徒目付組頭は鈴木刑部の命と言っていた。

「鈴木刑部か……あの方なら間違いないわ」

 母上は納得の顔だった。

「で、何が不審なの?」
「兵庫の母方の親戚に奥祐筆がいます。奥祐筆といえば公文書を広く扱うお役目。老中の御用部屋に控えることもできます。その奥祐筆が左京の出張の根回しをしたらしいのです。それを依頼したのが兵庫だと」

 それは初めて聞く話だった。

「実は我らの間でも兵庫の出張の多さは話題になっていたのです。目付の耳にも入っていたようで。目付も人の子ですから祝言を挙げたばかりの御家人が希望もしないのに、連続で出張が入っているのに不審を覚えたのです。欧州出張の際に、たまたま目付の鈴木様の屋敷の奉公人の原五平の弟の十内が左京の部下だったので、事情を聞いたところ、まったく本人の知らぬところで欧州出張が決まったとのこと。しかも急に出た欠員というのは奥祐筆の総務省勤めの兄。急病ということでしたが、診断書を書いた医者を調べると、欧州に行けぬほどの病気ではないことが判明したのです。そこで鈴木様は奥祐筆に狙いを定め調査したところ、兵庫との接触があるのは勿論のこと、ある事実がわかったのです。左京は中等学校時代に蹴球部に所属していたでしょう」
「ええ。私も時々応援に行ったわね」

 左京様の活躍の姿を想像し、私の胸は高鳴った。

「件の奥祐筆は左京と同じ学校の蹴球部員でしたが、後輩の左京に選手の座を奪われてしまったのです。彼の同級生の話では、蹴球の実力が劣るだけでなく生活態度にも問題があったようで、中途退部しています。同級生の集まりではいまだに左京のことを顧問に媚を売る奴だと言って、逆恨みしているそうです。恐らくそれもあって兵庫の依頼を受けたのでしょう」

 学生時代の部活動の恨みを就職してからも持ち続けているとは恐るべき執念だった。
 母上は呆れ顔だった。

「たかが学生の部活じゃないの。それが人生のすべてじゃないのに」

 だが、本人にとっては大問題なのだ。小学生だってちょっとした人間関係で躓いてしまうこともある。左京様の先輩は恐らく部活での躓きから立ち直るきっかけがなかったのだろう。だからといって、職権を濫用していいという話はないのだが。

「それから、左京の欧州出張中、津由子たちが怪しい浪人に襲われたことがあったと聞きました」

 これはすでに兄から菓子屋の二階の喫茶店で聞いた話だった。

「それも兵庫?」

 母上は察したようだた。

「ええ。兵庫が浪人たちを人材派遣会社を通じて雇ったのです。ならず者を雇っている会社ですから、反社会的勢力との関わりがあるようです。公務員法度では、反社会的勢力と関係のある企業・個人との契約を禁じていますから、兵庫は法度に背いたことになります」
「つまり、マッチポンプってやつ?」
「その通りです。自作自演で津由子を助けて気を引こうとした。涙ぐましい話です」

 哀れな兵庫、一体どこで道を間違ってしまったのだろうか。




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