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13 ブラック幕府?
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一体、どんな仕事なのだろう。育児休暇を終えた兄なら知っているかもしれないと思ったが、仕事も働いている庁舎も違うから正確な情報は得られそうになかった。
「携帯の電波が入らない場所? ああ、それは中奥と大奥ね」
左京様のメールについて相談すると、母上はすぐに答えてくれた。
どちらも上様とその家族のプライベートな空間だった。中奥は上様の私的な御殿、大奥は御台所様と若君や姫君の住む御殿である。
「大奥から外部に動画配信されたらとんでもないことになるものね」
ネットの動画配信は海外でも見ることができる。もし上様や御台所様のプライベートが世界中に配信されたら大変なことになるのは私にも想像できる。
「そのようなところに行く仕事があるのですか」
「普通はないわね。大体うちは御家人だから、上様に直にお目通りできないし。欧州出張の関係かもね。向こうの事情を御広敷の役人に説明するとか」
「御広敷の役人というのはどのようなお仕事をされているのでしょう」
「大奥の事務。大奥だけど男の役人が多い。お金の出入りも管理してるから、御台所様が欧州に行く際の出費を予算に計上しないといけないんじゃないかしら。それで必要なものを調べてるのかもね。前の御台所様は外遊なさらなかったからわからないことも多いだろうし」
「でも大奥からも御中臈様が欧州に行っているのでしょう」
「そうか……」
「それにしばらくって……」
「とにかく待つしかない。居場所はわかってるんだから、心配いらない。それに欧州よりはずっと近くにいるんだからね」
母上の言う通りだとは思う。けれど、会えない時間が長過ぎるのはつらい。それに休む間もなく次の仕事だなんて、非常識過ぎるように思う。母上が言っていたブラック幕府という言葉が胸をよぎった。
「でもお休みがないなんて」
「それは確かにね。これだけ働かされたんだから、この仕事が終わったら絶対休みをもらわないとね。それで箱根でも熱海でも行けばいいわ」
「町人は泊まりの旅行に行けるけど、武家は仕事以外で外泊できないんじゃないですか」
母から小学生の頃に聞いたことがある。夏休みに北海道に旅行に行った町人の同級生が書いた作文の話をした時だった。
「若年寄に届けを出せば行ける。祝言の後、一泊だけ安房に旅行に行ったもの」
そんなことができるなんて。兄たちも祝言の次の日から普通の生活をしていたので、できないものだと思っていた。御家人の家の生徒も旅行に行った話など一切したことがなかった。だから、祝言の支度をしている時、旅行のことなど考えも及ばなかった。
「まあ、若年寄に届けを出すと言っても職場の上司経由になるから面倒だものね。うちはたまたまその頃まだ生きていた私の父と若年寄が親しかったから届を出しやすかったの。それでも一泊だけどね」
母上の実家は御家人とはいえそれなりの家柄だったらしい。父親と若年寄が親しいなんて、普通はない。
「でも、父が若年寄の伝手を使ったのはそれだけ。たまたま同じ昌平黌の出だったからなんだけどね。うちの父の頃は昌平黌も御家人の子弟が結構いたらしいんだけどね」
「はあ」
「なんだか最近は御家人の子弟の合格者が減ったみたいね。やっぱり朝顔作りの内職をしているような家だと勉強の時間が足りないのかもね」
「朝顔作りをなさってたんですか」
「私の実家は副業に朝顔を作って朝顔市に出してたの。祖父が変わり朝顔を作っててね。二番目の兄は昌平黌に落ちて大学で生物学の勉強をして、今は種苗会社にいる。朝顔じゃなくて、野菜の遺伝子を研究してる」
「そうだったんですか」
母上の実家の方々は披露宴には来ていなかったので知らなかった。
「今は兄夫婦が朝顔を作ってる。そして私は読者モデルをやってる。これも一種の副業ね」
いつの間にか副業の話になっていた。
「あら、いけない。お休みの話だった。とにかくさっさと仕事を片付けて戻って来て欲しいもんだわ」
それができないからメールが来たのだと思う。でも、母上の言う通り、早い帰りを祈りながら待つしかない。
結婚前に思っていたのと違う生活だけれど。
母上はそんな私の気持ちを元気づけるように、車のカタログをいくつも出した。
「どれがいいと思う? 私はこの車がいいと思うの」
「これってスポーツカーですね」
「少し派手かしら」
「目立つし、燃費が悪そうな」
「燃費かあ。でも軽自動車はちょっと」
「この辺、道が狭いから軽がいいような気がします」
「あ、いけない。これ、うちの馬小屋に入る大きさじゃないわ。やっぱりもう少し小さいのがいいか」
そんな話をしているうちに私は少しだけ元気が出てきた。
夫を待っているだけの生活をしていられるほど暇ではないのだ。車を選ばなきゃいけないし、授業の準備もある、二学期は運動会の準備もある、夏休みの宿題のチェックもある。
寂しいけれど、それは左京様も同じのはず。私も耐えなければ。
と思っていたけれど、二学期が始まっても左京様は帰っていらっしゃらない。
中奥や大奥という上様一家のプライベートの空間にいるにしては長過ぎた。
さすがに母上もおかしいと言い出した。
他にも携帯の電波の入らない場所があるのではと言うと、母上はそうかもしれないと頷いた。
お城の詳しい構造は警備上の問題があって公表されていない。携帯の通じない場所が他にあっても不思議ではない。
ふと、私は兵庫様のことを思い出した。京都に上った時に上様の傍に仕えておいでなら、左京様のいる場所がわかるかもしれない。もしわかったら、なんとか様子を知ることができるかもしえない。
「兵庫様に伺ってみたら」
口にした瞬間、母上は少し眉を顰めた。
「携帯の電波が入らない場所? ああ、それは中奥と大奥ね」
左京様のメールについて相談すると、母上はすぐに答えてくれた。
どちらも上様とその家族のプライベートな空間だった。中奥は上様の私的な御殿、大奥は御台所様と若君や姫君の住む御殿である。
「大奥から外部に動画配信されたらとんでもないことになるものね」
ネットの動画配信は海外でも見ることができる。もし上様や御台所様のプライベートが世界中に配信されたら大変なことになるのは私にも想像できる。
「そのようなところに行く仕事があるのですか」
「普通はないわね。大体うちは御家人だから、上様に直にお目通りできないし。欧州出張の関係かもね。向こうの事情を御広敷の役人に説明するとか」
「御広敷の役人というのはどのようなお仕事をされているのでしょう」
「大奥の事務。大奥だけど男の役人が多い。お金の出入りも管理してるから、御台所様が欧州に行く際の出費を予算に計上しないといけないんじゃないかしら。それで必要なものを調べてるのかもね。前の御台所様は外遊なさらなかったからわからないことも多いだろうし」
「でも大奥からも御中臈様が欧州に行っているのでしょう」
「そうか……」
「それにしばらくって……」
「とにかく待つしかない。居場所はわかってるんだから、心配いらない。それに欧州よりはずっと近くにいるんだからね」
母上の言う通りだとは思う。けれど、会えない時間が長過ぎるのはつらい。それに休む間もなく次の仕事だなんて、非常識過ぎるように思う。母上が言っていたブラック幕府という言葉が胸をよぎった。
「でもお休みがないなんて」
「それは確かにね。これだけ働かされたんだから、この仕事が終わったら絶対休みをもらわないとね。それで箱根でも熱海でも行けばいいわ」
「町人は泊まりの旅行に行けるけど、武家は仕事以外で外泊できないんじゃないですか」
母から小学生の頃に聞いたことがある。夏休みに北海道に旅行に行った町人の同級生が書いた作文の話をした時だった。
「若年寄に届けを出せば行ける。祝言の後、一泊だけ安房に旅行に行ったもの」
そんなことができるなんて。兄たちも祝言の次の日から普通の生活をしていたので、できないものだと思っていた。御家人の家の生徒も旅行に行った話など一切したことがなかった。だから、祝言の支度をしている時、旅行のことなど考えも及ばなかった。
「まあ、若年寄に届けを出すと言っても職場の上司経由になるから面倒だものね。うちはたまたまその頃まだ生きていた私の父と若年寄が親しかったから届を出しやすかったの。それでも一泊だけどね」
母上の実家は御家人とはいえそれなりの家柄だったらしい。父親と若年寄が親しいなんて、普通はない。
「でも、父が若年寄の伝手を使ったのはそれだけ。たまたま同じ昌平黌の出だったからなんだけどね。うちの父の頃は昌平黌も御家人の子弟が結構いたらしいんだけどね」
「はあ」
「なんだか最近は御家人の子弟の合格者が減ったみたいね。やっぱり朝顔作りの内職をしているような家だと勉強の時間が足りないのかもね」
「朝顔作りをなさってたんですか」
「私の実家は副業に朝顔を作って朝顔市に出してたの。祖父が変わり朝顔を作っててね。二番目の兄は昌平黌に落ちて大学で生物学の勉強をして、今は種苗会社にいる。朝顔じゃなくて、野菜の遺伝子を研究してる」
「そうだったんですか」
母上の実家の方々は披露宴には来ていなかったので知らなかった。
「今は兄夫婦が朝顔を作ってる。そして私は読者モデルをやってる。これも一種の副業ね」
いつの間にか副業の話になっていた。
「あら、いけない。お休みの話だった。とにかくさっさと仕事を片付けて戻って来て欲しいもんだわ」
それができないからメールが来たのだと思う。でも、母上の言う通り、早い帰りを祈りながら待つしかない。
結婚前に思っていたのと違う生活だけれど。
母上はそんな私の気持ちを元気づけるように、車のカタログをいくつも出した。
「どれがいいと思う? 私はこの車がいいと思うの」
「これってスポーツカーですね」
「少し派手かしら」
「目立つし、燃費が悪そうな」
「燃費かあ。でも軽自動車はちょっと」
「この辺、道が狭いから軽がいいような気がします」
「あ、いけない。これ、うちの馬小屋に入る大きさじゃないわ。やっぱりもう少し小さいのがいいか」
そんな話をしているうちに私は少しだけ元気が出てきた。
夫を待っているだけの生活をしていられるほど暇ではないのだ。車を選ばなきゃいけないし、授業の準備もある、二学期は運動会の準備もある、夏休みの宿題のチェックもある。
寂しいけれど、それは左京様も同じのはず。私も耐えなければ。
と思っていたけれど、二学期が始まっても左京様は帰っていらっしゃらない。
中奥や大奥という上様一家のプライベートの空間にいるにしては長過ぎた。
さすがに母上もおかしいと言い出した。
他にも携帯の電波の入らない場所があるのではと言うと、母上はそうかもしれないと頷いた。
お城の詳しい構造は警備上の問題があって公表されていない。携帯の通じない場所が他にあっても不思議ではない。
ふと、私は兵庫様のことを思い出した。京都に上った時に上様の傍に仕えておいでなら、左京様のいる場所がわかるかもしれない。もしわかったら、なんとか様子を知ることができるかもしえない。
「兵庫様に伺ってみたら」
口にした瞬間、母上は少し眉を顰めた。
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