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04 今週の切腹 弐
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いよいよ後半、切腹の生中継。場所は江戸の某所。恐らくどこかの武家の下屋敷であろう。
スタジオのアナウンサーが罪状を読み上げた。出張旅費の使い込みを隠蔽するため文書を改竄したということだった。
「勘定方はきちんと仕事をしたのだな」
父がテレビを見て感想めいたことを言うのは珍しかった。
米の先物取引に失敗しての使い込みだというアナウンサーの話があった後、映像が切り替わった。
レポーターが職場だと言った。兄が身を乗り出した。
「左京いるかな」
総務省はお城の一角にある。といっても御殿とは違って建物は近代的な高層ビルである。オフィスにずらりと並んだ机にはパソコンが置かれ、壁のスチール製の書類棚にはファイルが整然と並んでいた。
ただし部屋は畳敷きで、その上に職員は正座して設置された巨大なスクリーンを見上げていた。
私の目は知らず知らずに左京様を探していた。
いた。インタビューを受けている人の斜め後ろに小さく映っていたけれど、紛れもなく左京様だった。
胸の高鳴りが隣にいる義姉に聞こえたらどうしようと思いながら私は目に焼き付けるように見つめた。兄のところへ来ていた頃に比べすっかり大人になっていた。元々しっかりしている顔立ちだったけれど、ますます頼もしい感じになっていた。
時間としてはほんの数秒のことだった。
すぐに画面は切腹の場に切り替わった。介錯の美青年が登場すると、義姉はため息をついた。
画面が切腹者の屋敷前に切り替わると義姉は不服そうな顔になった。
「もしかすると我が家がこうなっていたのかもしれぬ」
父がぼそっと言った。
思いもかけぬ言葉だった。
私は父の仕事のしくじりの内容を知らない。恐らく母や兄には知らされていただろう。だから大したしくじりではないと思っていた。まかり間違えば切腹になっていたようなしくじりとは思ってもいなかった。
義姉は姿勢を正した。さすがに浮かれている場合ではないと思ったらしい。
ベテランの女性レポーターが固く閉ざされた門の前で、関係者の話によると家族は皆憔悴していると伝えた。
『家庭では良き夫、良き父であったはずですが、何が狂わせてしまったのでしょうか。今これを御覧になっているお役所勤めの皆様、どうかご家族のためにも、不正を行わないように』
スタジオのアナウンサーのコメントの後、カメラは処刑場になっている屋敷の庭に切り替わった。
庭の一隅に白い小袖に浅葱色の裃を身につけた壮年の男性が現れた。顔色はあまりよくない。私はもしこれが父だったらと想像し、胸が痛んだ。
『先ほど。辞世の歌が報道陣に公開されました』
男性レポーターが歌を読み上げた。
『朝見し 霜の白きも 夕べには 消え果てにけり 烈しき光に』
毎回辞世が発表されるけれど、よくこんな時に詠めるものだと思う。兄は皆事前に準備しているのだと言う。元服したらすぐに辞世を書いた短冊を抽斗の中にしまっておく人もいるらしい。兄が作ったかどうか、私は知らない。
男性の前に膳が置かれると、この世の最期の食事の説明が始まった。
『あの飯碗に入っているのは湯漬けです。それに香の物が三切れ添えられています。「三切れ」なのは「身切れ」すなわち身体を斬れということを意味しているとのことです。他には塩、味噌が添えられています。盃は二杯で、上はかわらけ、下は塗り物です。食事の後、それぞれ二回で飲み干すことになっています』
説明通りの作法で食事を終え、盃を飲み干すと膳が片付けられ、短刀を載せられた三方が差し出された。いよいよだと息を呑んだ時だった。
突然、画面が変わった。左京様の職場だった。先ほどと違い、皆立ち上がってスクリーンとは別の方向を向いていた。視線の先には洋服の男女が複数見えた。髷を結っていないところを見ると町人らしかった。
『たった今、城内に不審者が乱入したとのことです。喜多川さん、そちらの状況はいかがですか』
スタジオのアナウンサーもかなり動揺しているようだった。私達もえっと叫んでいた。
父は眉を顰めた。
「なんたることか、たるんでおる」
「IDカードがないと民間人は城の門を通れないはず」
兄は不審を感じているようだった。
『現場には八名の町人の男女が切腹と中継の反対を叫んで押しかけています。リーダー格らしい男が爆弾を持っている、切腹を中止しなければ爆破させると言っています』
レポーターは沈着冷静だった。だが、内容はとんでもないものだった。
「愚かな。町人が爆弾とは」
父がそう言い終わらぬうちに画面に大きく洋服の町人の男が映し出されたかと思うと聞くに堪えぬような大声を上げた。
『切腹を中止しろ! さもないと爆弾を爆破させる!』
スタジオのアナウンサーは穏やかな口調で言った。
『爆弾が爆破すれば、あなた方も無事では済みません。早まらないでください』
『野蛮極まりない切腹を中継してるくせに何を言ってるんだ』
男の鼻息は荒かった。
義姉は大変とつぶやいた。私も大変なことになったと思った。だが、父が言った。
「こやつらは口だけだ。武芸の嗜みなどない。まあ、見て御覧」
画面は町人達を映し出している。プラカードを持った女性もいた。皆ごく普通にその辺を歩いている町人の恰好である。全国展開している衣料量販店の防寒衣類を着ている者も多かった。
スタジオの女性アナウンサーの声がそこにかぶさった。
『ただいま、刑場から情報が入りました。現在、介錯の山田浅右衛門殿が刀の不備に気付き切腹の儀式は中断されています』
まさか彼らの要求に応じて中止になったのだろうかと思ったが、ありえないような気がした。死罪や切腹が中止になったというのは聞いたことがなかった。
だが、その情報で彼らに隙が出来た。彼らは顔を見合わせ安堵しているように見えた。
あっと気付いた時には、職員いや、侍たちが町人達に襲い掛かっていた。武士は町人に手出しをしてはならないというのは平時の話、このような緊急の場合は致し方ない。
現場のレポーターは実況放送を始めた。
『今まさに狼藉者が制圧されようとしています。私の目の前では若い侍が、リーダー格の男を背負い投げ、さらには寝技を掛けて動きを封じました。あちらではナイフを振り回す狼藉者の腕を脇差で斬りつけ、ナイフを回収、そちらでは部屋の壁に掛けてあった刺股を使い制圧、早縄を見事に掛けています。あっ、これはお見事! 反撃に転じた狼藉者にラリアット! 受け身を取れずダウンしたあ!』
八人が制圧され縄を掛けられたところへ警察隊が駆け込んで来た。警察隊の入っている建物は城外にあるので、来るのが遅れたらしい。
縄を掛けられた八人が連行されたところでカメラはスタジオに切り替わった。
乱闘の間、私は左京様がどこにいるのか目で探した。けれど小さな画面で大勢から一人を探すのは無理だった。
兄は目がいいのか、左京様が最初に脇差を抜いたと言った。
兄が言うには学問だけでなく武芸にも精進して北辰一刀流の中目録免許を持っているということだった。家には来ないけれど、兄との交流はあるとその時知って私は少し驚いた。
なぜ、家に来てくださらないのだろう。やはり我が家が狭いからであろうか。それなら兵庫様はなぜしょっちゅう来るのであろうか。
あれこれ考えているうちに、中断していた切腹の儀式は再開され番組は終わってしまった。
録画機がない我が家ではもう二度と左京様の姿は見られない。悔やんでも悔やみきれなかった。
それから三か月近くたって伯母が縁談を持って来たのだ。
元服の時に撮った振袖姿の写真と身上書を伯母に託して三日後、伯母がやって来た。
兄嫁はせめて鬘でもいいから結った髪で写真を撮ればよかったと言っていたが、意外にも伯母からは顔合わせの日取りが知らされた。
これには父も驚いていた。
「うちのような家でよいのか」
「あちらの奥様はそういうことを気にされないようで。私もまだ会ったことがないのですけれど、少々変わった方らしいのです」
伯母が仲介しているのかと思ったら、まだ間に人がいるらしかった。
それにしても左京様の母上とはどんな方なのだろうか。兄は小学生の頃遊びに行った時は特に変わったことはなかった、その後は行かなくなったのでわからないということだった。兄の小学校の保護者会で会っていた母なら知っているかもしれないが、話を聞きたくても母はもういない。
顔合わせは日曜日、向島の料亭と決まった。
スタジオのアナウンサーが罪状を読み上げた。出張旅費の使い込みを隠蔽するため文書を改竄したということだった。
「勘定方はきちんと仕事をしたのだな」
父がテレビを見て感想めいたことを言うのは珍しかった。
米の先物取引に失敗しての使い込みだというアナウンサーの話があった後、映像が切り替わった。
レポーターが職場だと言った。兄が身を乗り出した。
「左京いるかな」
総務省はお城の一角にある。といっても御殿とは違って建物は近代的な高層ビルである。オフィスにずらりと並んだ机にはパソコンが置かれ、壁のスチール製の書類棚にはファイルが整然と並んでいた。
ただし部屋は畳敷きで、その上に職員は正座して設置された巨大なスクリーンを見上げていた。
私の目は知らず知らずに左京様を探していた。
いた。インタビューを受けている人の斜め後ろに小さく映っていたけれど、紛れもなく左京様だった。
胸の高鳴りが隣にいる義姉に聞こえたらどうしようと思いながら私は目に焼き付けるように見つめた。兄のところへ来ていた頃に比べすっかり大人になっていた。元々しっかりしている顔立ちだったけれど、ますます頼もしい感じになっていた。
時間としてはほんの数秒のことだった。
すぐに画面は切腹の場に切り替わった。介錯の美青年が登場すると、義姉はため息をついた。
画面が切腹者の屋敷前に切り替わると義姉は不服そうな顔になった。
「もしかすると我が家がこうなっていたのかもしれぬ」
父がぼそっと言った。
思いもかけぬ言葉だった。
私は父の仕事のしくじりの内容を知らない。恐らく母や兄には知らされていただろう。だから大したしくじりではないと思っていた。まかり間違えば切腹になっていたようなしくじりとは思ってもいなかった。
義姉は姿勢を正した。さすがに浮かれている場合ではないと思ったらしい。
ベテランの女性レポーターが固く閉ざされた門の前で、関係者の話によると家族は皆憔悴していると伝えた。
『家庭では良き夫、良き父であったはずですが、何が狂わせてしまったのでしょうか。今これを御覧になっているお役所勤めの皆様、どうかご家族のためにも、不正を行わないように』
スタジオのアナウンサーのコメントの後、カメラは処刑場になっている屋敷の庭に切り替わった。
庭の一隅に白い小袖に浅葱色の裃を身につけた壮年の男性が現れた。顔色はあまりよくない。私はもしこれが父だったらと想像し、胸が痛んだ。
『先ほど。辞世の歌が報道陣に公開されました』
男性レポーターが歌を読み上げた。
『朝見し 霜の白きも 夕べには 消え果てにけり 烈しき光に』
毎回辞世が発表されるけれど、よくこんな時に詠めるものだと思う。兄は皆事前に準備しているのだと言う。元服したらすぐに辞世を書いた短冊を抽斗の中にしまっておく人もいるらしい。兄が作ったかどうか、私は知らない。
男性の前に膳が置かれると、この世の最期の食事の説明が始まった。
『あの飯碗に入っているのは湯漬けです。それに香の物が三切れ添えられています。「三切れ」なのは「身切れ」すなわち身体を斬れということを意味しているとのことです。他には塩、味噌が添えられています。盃は二杯で、上はかわらけ、下は塗り物です。食事の後、それぞれ二回で飲み干すことになっています』
説明通りの作法で食事を終え、盃を飲み干すと膳が片付けられ、短刀を載せられた三方が差し出された。いよいよだと息を呑んだ時だった。
突然、画面が変わった。左京様の職場だった。先ほどと違い、皆立ち上がってスクリーンとは別の方向を向いていた。視線の先には洋服の男女が複数見えた。髷を結っていないところを見ると町人らしかった。
『たった今、城内に不審者が乱入したとのことです。喜多川さん、そちらの状況はいかがですか』
スタジオのアナウンサーもかなり動揺しているようだった。私達もえっと叫んでいた。
父は眉を顰めた。
「なんたることか、たるんでおる」
「IDカードがないと民間人は城の門を通れないはず」
兄は不審を感じているようだった。
『現場には八名の町人の男女が切腹と中継の反対を叫んで押しかけています。リーダー格らしい男が爆弾を持っている、切腹を中止しなければ爆破させると言っています』
レポーターは沈着冷静だった。だが、内容はとんでもないものだった。
「愚かな。町人が爆弾とは」
父がそう言い終わらぬうちに画面に大きく洋服の町人の男が映し出されたかと思うと聞くに堪えぬような大声を上げた。
『切腹を中止しろ! さもないと爆弾を爆破させる!』
スタジオのアナウンサーは穏やかな口調で言った。
『爆弾が爆破すれば、あなた方も無事では済みません。早まらないでください』
『野蛮極まりない切腹を中継してるくせに何を言ってるんだ』
男の鼻息は荒かった。
義姉は大変とつぶやいた。私も大変なことになったと思った。だが、父が言った。
「こやつらは口だけだ。武芸の嗜みなどない。まあ、見て御覧」
画面は町人達を映し出している。プラカードを持った女性もいた。皆ごく普通にその辺を歩いている町人の恰好である。全国展開している衣料量販店の防寒衣類を着ている者も多かった。
スタジオの女性アナウンサーの声がそこにかぶさった。
『ただいま、刑場から情報が入りました。現在、介錯の山田浅右衛門殿が刀の不備に気付き切腹の儀式は中断されています』
まさか彼らの要求に応じて中止になったのだろうかと思ったが、ありえないような気がした。死罪や切腹が中止になったというのは聞いたことがなかった。
だが、その情報で彼らに隙が出来た。彼らは顔を見合わせ安堵しているように見えた。
あっと気付いた時には、職員いや、侍たちが町人達に襲い掛かっていた。武士は町人に手出しをしてはならないというのは平時の話、このような緊急の場合は致し方ない。
現場のレポーターは実況放送を始めた。
『今まさに狼藉者が制圧されようとしています。私の目の前では若い侍が、リーダー格の男を背負い投げ、さらには寝技を掛けて動きを封じました。あちらではナイフを振り回す狼藉者の腕を脇差で斬りつけ、ナイフを回収、そちらでは部屋の壁に掛けてあった刺股を使い制圧、早縄を見事に掛けています。あっ、これはお見事! 反撃に転じた狼藉者にラリアット! 受け身を取れずダウンしたあ!』
八人が制圧され縄を掛けられたところへ警察隊が駆け込んで来た。警察隊の入っている建物は城外にあるので、来るのが遅れたらしい。
縄を掛けられた八人が連行されたところでカメラはスタジオに切り替わった。
乱闘の間、私は左京様がどこにいるのか目で探した。けれど小さな画面で大勢から一人を探すのは無理だった。
兄は目がいいのか、左京様が最初に脇差を抜いたと言った。
兄が言うには学問だけでなく武芸にも精進して北辰一刀流の中目録免許を持っているということだった。家には来ないけれど、兄との交流はあるとその時知って私は少し驚いた。
なぜ、家に来てくださらないのだろう。やはり我が家が狭いからであろうか。それなら兵庫様はなぜしょっちゅう来るのであろうか。
あれこれ考えているうちに、中断していた切腹の儀式は再開され番組は終わってしまった。
録画機がない我が家ではもう二度と左京様の姿は見られない。悔やんでも悔やみきれなかった。
それから三か月近くたって伯母が縁談を持って来たのだ。
元服の時に撮った振袖姿の写真と身上書を伯母に託して三日後、伯母がやって来た。
兄嫁はせめて鬘でもいいから結った髪で写真を撮ればよかったと言っていたが、意外にも伯母からは顔合わせの日取りが知らされた。
これには父も驚いていた。
「うちのような家でよいのか」
「あちらの奥様はそういうことを気にされないようで。私もまだ会ったことがないのですけれど、少々変わった方らしいのです」
伯母が仲介しているのかと思ったら、まだ間に人がいるらしかった。
それにしても左京様の母上とはどんな方なのだろうか。兄は小学生の頃遊びに行った時は特に変わったことはなかった、その後は行かなくなったのでわからないということだった。兄の小学校の保護者会で会っていた母なら知っているかもしれないが、話を聞きたくても母はもういない。
顔合わせは日曜日、向島の料亭と決まった。
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