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01 縁談
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もし明治維新が起きず、21世紀まで江戸幕府が続いていたとしたら……。
今から150年余り前江戸幕府に滅亡の危機が迫った。西国の複数の雄藩が倒幕に動いたのだ。
朝敵とされそうになった幕府は機先を制し、近代的な軍勢を率いて倒幕軍を倒した。
無論、そのままでは遺恨が残るということで藩自体は存続させた。
ここに日本は将軍の下に藩連合を置く近代国家となった。
以来外国との戦争等の紆余曲折はあったが、21世紀まで幕府、いや将軍を中心とする政府は存続している。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
一糸まとわぬ私の身体をじっと見つめて左京様はつぶやいた。
「ああ、まったく、こんな美しいあなたを放っておいたなんて。私はなんて愚かなんだ。あなたもつらかったことだろう。許して欲しい」
許すも何も仕方ない。運命の悪戯というのは大袈裟かもしれないけれど、そういうめぐり合わせになってしまったのだから。私は微笑んだ。
「仕方ありません」
「致し方ないとはいえ……」
少しやせて鋭く見える左京様の顔には悔いのようなものが浮かんでいた。
私達は結婚して初めての夜を迎えようとしていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
事の始まりは父方の伯母が左京様との縁談を持ってきたことだった。
「あちら様は元は町人の出とはいえ、今は立派にお勤めをなさっている方。先日は上様からお褒めの言葉を頂き加増されたとか」
そのことは聞いていた。時折家に来る左京様と兄の共通の友人の兵庫様から聞いた話を兄は自分のことのように嬉しそうに話してくれた。
「家柄のことをとやかく言う人もいるかもしれないけれど、伯父という人が日本橋の銀行で頭取をなさっているというし。今の暮らしよりよほどましな暮らしができるというもの」
伯母の言葉に父は何も言い返せなかった。無理もない。父は仕事のしくじりで隠居を命じられ、後を継いだ兄も職場では鳴かず飛ばず、兄嫁の内職や質屋通いだけでは暮らしは成り立たなかった。近所の工場で働きながら定時制女学校を出て小学校の代用教員をしている私の給与がなければ食べるにも不自由したことだろう。
「でも、津由子さんが家を出たら困るわ。私もうすぐ子どもが生まれるし」
兄嫁は正直だった。すると伯母はうなずいた。
「そのことだったら心配いりませんよ」
伯母の話では、左京様の伯父は政府の高官に伝手があり、兄の待遇に便宜を図ってもらえそうだという。そんな虫のいい話があるとは思えないのだが。頭取をしているような人が便宜を図るなどありえないと思う。
だが、兄嫁の目が輝いてきた。女子専門学校を卒業しているから決して頭が悪い人には思えないのだが、ウマい話には乗りやすい人だった。この前も卵をただでもらえるからと言って近所の荒れ寺に行って羽毛布団を買わされそうになったのだ。幸いにも早く帰宅した兄が気付いて契約する寸前で連れ戻してくれた。
「それなら津由子さんは働かなくても大丈夫ね。仕事を辞めたら髪を伸ばしてまた髪が結える。もし私が独り身だったら、私が行きたいくらい」
さすがに父が不愉快そうな顔になったので、兄嫁はその後口を開かなかった。代わりに父が伯母に話を進めてくれるように頼んだ。
私の気持ちは全く訊かれなかった。かえってそのほうが私にはよかった。訊かれたらたぶん何も言えなかったと思う。
伯母が帰った後になって父によいかと尋ねられた。私ははいと頷いた。父は黙って頷いた。
今から150年余り前江戸幕府に滅亡の危機が迫った。西国の複数の雄藩が倒幕に動いたのだ。
朝敵とされそうになった幕府は機先を制し、近代的な軍勢を率いて倒幕軍を倒した。
無論、そのままでは遺恨が残るということで藩自体は存続させた。
ここに日本は将軍の下に藩連合を置く近代国家となった。
以来外国との戦争等の紆余曲折はあったが、21世紀まで幕府、いや将軍を中心とする政府は存続している。
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一糸まとわぬ私の身体をじっと見つめて左京様はつぶやいた。
「ああ、まったく、こんな美しいあなたを放っておいたなんて。私はなんて愚かなんだ。あなたもつらかったことだろう。許して欲しい」
許すも何も仕方ない。運命の悪戯というのは大袈裟かもしれないけれど、そういうめぐり合わせになってしまったのだから。私は微笑んだ。
「仕方ありません」
「致し方ないとはいえ……」
少しやせて鋭く見える左京様の顔には悔いのようなものが浮かんでいた。
私達は結婚して初めての夜を迎えようとしていた。
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事の始まりは父方の伯母が左京様との縁談を持ってきたことだった。
「あちら様は元は町人の出とはいえ、今は立派にお勤めをなさっている方。先日は上様からお褒めの言葉を頂き加増されたとか」
そのことは聞いていた。時折家に来る左京様と兄の共通の友人の兵庫様から聞いた話を兄は自分のことのように嬉しそうに話してくれた。
「家柄のことをとやかく言う人もいるかもしれないけれど、伯父という人が日本橋の銀行で頭取をなさっているというし。今の暮らしよりよほどましな暮らしができるというもの」
伯母の言葉に父は何も言い返せなかった。無理もない。父は仕事のしくじりで隠居を命じられ、後を継いだ兄も職場では鳴かず飛ばず、兄嫁の内職や質屋通いだけでは暮らしは成り立たなかった。近所の工場で働きながら定時制女学校を出て小学校の代用教員をしている私の給与がなければ食べるにも不自由したことだろう。
「でも、津由子さんが家を出たら困るわ。私もうすぐ子どもが生まれるし」
兄嫁は正直だった。すると伯母はうなずいた。
「そのことだったら心配いりませんよ」
伯母の話では、左京様の伯父は政府の高官に伝手があり、兄の待遇に便宜を図ってもらえそうだという。そんな虫のいい話があるとは思えないのだが。頭取をしているような人が便宜を図るなどありえないと思う。
だが、兄嫁の目が輝いてきた。女子専門学校を卒業しているから決して頭が悪い人には思えないのだが、ウマい話には乗りやすい人だった。この前も卵をただでもらえるからと言って近所の荒れ寺に行って羽毛布団を買わされそうになったのだ。幸いにも早く帰宅した兄が気付いて契約する寸前で連れ戻してくれた。
「それなら津由子さんは働かなくても大丈夫ね。仕事を辞めたら髪を伸ばしてまた髪が結える。もし私が独り身だったら、私が行きたいくらい」
さすがに父が不愉快そうな顔になったので、兄嫁はその後口を開かなかった。代わりに父が伯母に話を進めてくれるように頼んだ。
私の気持ちは全く訊かれなかった。かえってそのほうが私にはよかった。訊かれたらたぶん何も言えなかったと思う。
伯母が帰った後になって父によいかと尋ねられた。私ははいと頷いた。父は黙って頷いた。
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