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われてもすゑに
伍 目付の縁組
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おみちの結婚は当時家中の評判になった。
まず国許の許婚者から破談を申し渡されたのが始まりだった。おみちは一生奉公でも構わないと思っていたのでさほど落ち込むことはなかった。
それからしばらくして、縁談があった。相手は目付吉井采女の息子で小姓の吉井新兵衛忠登である。将来の目付ということでこれは良縁と国許の親は喜び賛成、すぐに御前様に婚姻の許しを得るための書類が父の吉井采女から提出された。
おみち自身は新兵衛の顔もよく知らないが、目付の吉井様が舅なら悪い話ではないと思った。厳めしい顔だが、取り調べの際に時折おみちへの思いやりを表情に滲ませていた。それに離縁しているということで姑もいない。元許婚者には姑も小姑もいたので、それよりはましだろうとしか思っていなかった。
だが、その書類に御前様である慶温は驚いた。花婿の名が吉井忠登ではなく吉井忠澄となっていたのである。忠澄は采女の諱である。息子ではなく父親とはいかなることかとすぐに目付を呼んで尋ねた。
驚いたのは采女も同様である。息子の氏名を書いたはずなのに、登にさんずいが付けられているのだから。しかも明らかにその筆跡は自分の物ではなかった。息子の筆跡だった。つまり、息子が勝手に父親の知らぬうちに書類を改竄していたのである。公文書偽造である。
息子の名と自分の名を間違えたと普通の親なら言うところである。だが、吉井は目付だった。明らかにこれは公文書偽造、息子が悪い。息子を摘発しなければならない。
吉井は慶温にこれは息子の仕業、監督不行届きにつき、目付を辞め、息子ともども切腹し家は取り潰すと言いだした。これには慶温も慌てた。たかがさんずいの有無と言おうとしたが、采女はたかがなどという言葉を許す男ではない。
吉井を辞めさせず、息子の切腹を止めるにはどうすればいいか。
恐らく息子には想い人がいて、おみちとはどうしても祝言を挙げたくないのではないか。だからこそ父親の怒りをかうことを承知でさんずいを書き加えたのではないか。父親の性格を知った上での命がけの行ないを思えば切腹などさせるわけにはいかない。もし相手に異存がなければおみちではなく想い人と結婚させる方法を考えることもできよう。
慶温は息子を呼び、いかなるわけでかようなことをしたのか尋ねた。
すると案の定、息子はおみちとの結婚が嫌だったからと答えた。しかもその理由があきれるようなものだった。息子の新兵衛には特に想い人はいない。だが、父は縁談を決めてから朝晩顔を合わせるたびに、おみちがいかに嫁にふさわしいか延々と語るので、嫌になったと言うのである。
「いっそのこと、父が妻にすればよいかと思いまして。かような立派な婦女子、それがしには勿体ないことで」
采女が怒ったのは言うまでもない。慶温もそれは新兵衛の我儘ではないかと思った。恐らく新兵衛は両親の離縁の経緯もあり、父への反発があるのだろう。
だが、それで吉井家取り潰しとはつまらぬ話である。おみちにとっても良いことはない。
おみちは一度縁談が破談になっている。その上、このような騒ぎで結婚相手の家が取り潰しとなってはもう嫁の貰い手などいなくなってしまう。
だが、慶温が息子におみちよ結婚せよと命じても納得しないと思われた。その場でははいと返事をするかもしれぬが、結婚後、父が勝手に決めたとおみちに対して冷たく当たるやもしれぬ。
そこで考えた。もしおみちが新兵衛と結婚したいと言えば、新兵衛も無下にできぬのではないかと。書類は不手際があるという理由で差し戻し新しい届けを出させればよかろうと。それなら切腹だの取り潰しだのという騒ぎは起きない。ありえない話だが、万が一采女を選んだら、この書類を改竄扱いにせず、そのまま受理すればよいのである。どちらにしろ吉井父子の切腹は避けたかった。
もっともおみちが結婚自体を諦める恐れもあった。その時は書類自体なかったことにすればよい。
「吉井を取り潰したらおみちも寝覚めがよくあるまい。ただでさえ一度破談になっているのだ。ここはおみちに決めさせる。異存はないな。自害も取り潰しも許さぬぞ。さようなことになれば、おみちは立つ瀬がない」
御前様の命令に否とは言えない。吉井は畏まりましたと言い、息子もまた遅れて小さな声で畏まりましたと言った。
息子はもうこれで自分の人生はおしまいだと思った。幼い頃からずっと父に従ってきた。母が離縁となった時も母についていくことはできなかった。そして結婚までも父に決められる。ずっと父の言いなりとは。
そこへ奥からおみちが連れて来られた。
おみちは御前様の前に吉井親子がいるのを見て、一体何ごとかと思った。ことによるとまた破談なのかもしれぬと思った。息子は青い顔でうつむいているし、父親は怒りのせいか顔を赤くしている。何か不都合があったに違いない。
慶温はこの縁談の書類の名まえが父親の名まえになっていること、息子の新兵衛忠登がさんずいを書き加えたこと、そのことで采女が息子を文書改竄で罰し、父子ともども切腹し、吉井の家を取り潰すと言っていると話した。
さすがにおみちもこれには驚きあきれた。
吉井の息子ならばもっと考え深い者だと思っていた。それが己の名にさんずいを書き加え父の名にするような愚か者であったとは。采女が怒るのも当然である。息子は青い顔で怯えたような顔をしている。己の行ないの意味がわからなかったのかと怒りが込み上げて来た。
「新たに書類を書き直し新兵衛と結婚するか、書類通りに采女と結婚するか、そなたの思う通りにせよ」
「では、采女様と夫婦になります」
間髪入れずにおみちは答えた。部屋の中の空気が一変した。采女は耳まで赤く染めて震えていた。青い顔の新兵衛はほっと息をついた。慶温は聞き間違いではないかと思った。控えていた小姓もこれは一大事とこれから先の会話を聞き逃してはなるまいと耳を傾けた。
「よいのか、おみち」
「はい」
「あいわかった。ゆえに、この届は改竄ではない。従って吉井新兵衛に罪はない。これにて一件落着」
慶温はそう言うと、別室で話し合いをするようにと言って三人を部屋から出した。
後におみちが佳穂に語ったところによると、別室に入るなり、采女は新兵衛を勘当だと殴った。そこへおみちが割って入り、采女はようやく振り上げた拳をおさめた。
『最初の話と変わり、相手は采女様になりましたが、私は采女様が相手になって安堵しております。どうかよろしくお願いします』
おみちがそう言うと、采女は真っ赤な顔をますます赤くして、口をまるで金魚のようにぱくぱくとさせた。新兵衛はそれがしの出番はないようでと言って部屋を出た。後に残された采女が何と言ったかはわからない。
目付が息子よりも若い娘と再婚するという話はあっという間に屋敷の中に広まった。
結婚の経緯を知った鳴滝は、あまりのことに絶句した。それでいいのかと鳴滝にきかれたおみちは新兵衛様とは縁がなかったと思っておりますと答えただけだった。
祝言は屋敷の外にある吉井家で行われたが、祝いの酒宴は夜遅くまで続いた。祝言の翌年、おみちは女子を生んだ。息子の新兵衛はその年、御前様の紹介で分家の奥女中と結婚した。おみちの産んだ女子は生まれて一年たたぬうちに叔母になった。
采女が隠居すると、おみちは再び月野家の奥に奉公した。
まず国許の許婚者から破談を申し渡されたのが始まりだった。おみちは一生奉公でも構わないと思っていたのでさほど落ち込むことはなかった。
それからしばらくして、縁談があった。相手は目付吉井采女の息子で小姓の吉井新兵衛忠登である。将来の目付ということでこれは良縁と国許の親は喜び賛成、すぐに御前様に婚姻の許しを得るための書類が父の吉井采女から提出された。
おみち自身は新兵衛の顔もよく知らないが、目付の吉井様が舅なら悪い話ではないと思った。厳めしい顔だが、取り調べの際に時折おみちへの思いやりを表情に滲ませていた。それに離縁しているということで姑もいない。元許婚者には姑も小姑もいたので、それよりはましだろうとしか思っていなかった。
だが、その書類に御前様である慶温は驚いた。花婿の名が吉井忠登ではなく吉井忠澄となっていたのである。忠澄は采女の諱である。息子ではなく父親とはいかなることかとすぐに目付を呼んで尋ねた。
驚いたのは采女も同様である。息子の氏名を書いたはずなのに、登にさんずいが付けられているのだから。しかも明らかにその筆跡は自分の物ではなかった。息子の筆跡だった。つまり、息子が勝手に父親の知らぬうちに書類を改竄していたのである。公文書偽造である。
息子の名と自分の名を間違えたと普通の親なら言うところである。だが、吉井は目付だった。明らかにこれは公文書偽造、息子が悪い。息子を摘発しなければならない。
吉井は慶温にこれは息子の仕業、監督不行届きにつき、目付を辞め、息子ともども切腹し家は取り潰すと言いだした。これには慶温も慌てた。たかがさんずいの有無と言おうとしたが、采女はたかがなどという言葉を許す男ではない。
吉井を辞めさせず、息子の切腹を止めるにはどうすればいいか。
恐らく息子には想い人がいて、おみちとはどうしても祝言を挙げたくないのではないか。だからこそ父親の怒りをかうことを承知でさんずいを書き加えたのではないか。父親の性格を知った上での命がけの行ないを思えば切腹などさせるわけにはいかない。もし相手に異存がなければおみちではなく想い人と結婚させる方法を考えることもできよう。
慶温は息子を呼び、いかなるわけでかようなことをしたのか尋ねた。
すると案の定、息子はおみちとの結婚が嫌だったからと答えた。しかもその理由があきれるようなものだった。息子の新兵衛には特に想い人はいない。だが、父は縁談を決めてから朝晩顔を合わせるたびに、おみちがいかに嫁にふさわしいか延々と語るので、嫌になったと言うのである。
「いっそのこと、父が妻にすればよいかと思いまして。かような立派な婦女子、それがしには勿体ないことで」
采女が怒ったのは言うまでもない。慶温もそれは新兵衛の我儘ではないかと思った。恐らく新兵衛は両親の離縁の経緯もあり、父への反発があるのだろう。
だが、それで吉井家取り潰しとはつまらぬ話である。おみちにとっても良いことはない。
おみちは一度縁談が破談になっている。その上、このような騒ぎで結婚相手の家が取り潰しとなってはもう嫁の貰い手などいなくなってしまう。
だが、慶温が息子におみちよ結婚せよと命じても納得しないと思われた。その場でははいと返事をするかもしれぬが、結婚後、父が勝手に決めたとおみちに対して冷たく当たるやもしれぬ。
そこで考えた。もしおみちが新兵衛と結婚したいと言えば、新兵衛も無下にできぬのではないかと。書類は不手際があるという理由で差し戻し新しい届けを出させればよかろうと。それなら切腹だの取り潰しだのという騒ぎは起きない。ありえない話だが、万が一采女を選んだら、この書類を改竄扱いにせず、そのまま受理すればよいのである。どちらにしろ吉井父子の切腹は避けたかった。
もっともおみちが結婚自体を諦める恐れもあった。その時は書類自体なかったことにすればよい。
「吉井を取り潰したらおみちも寝覚めがよくあるまい。ただでさえ一度破談になっているのだ。ここはおみちに決めさせる。異存はないな。自害も取り潰しも許さぬぞ。さようなことになれば、おみちは立つ瀬がない」
御前様の命令に否とは言えない。吉井は畏まりましたと言い、息子もまた遅れて小さな声で畏まりましたと言った。
息子はもうこれで自分の人生はおしまいだと思った。幼い頃からずっと父に従ってきた。母が離縁となった時も母についていくことはできなかった。そして結婚までも父に決められる。ずっと父の言いなりとは。
そこへ奥からおみちが連れて来られた。
おみちは御前様の前に吉井親子がいるのを見て、一体何ごとかと思った。ことによるとまた破談なのかもしれぬと思った。息子は青い顔でうつむいているし、父親は怒りのせいか顔を赤くしている。何か不都合があったに違いない。
慶温はこの縁談の書類の名まえが父親の名まえになっていること、息子の新兵衛忠登がさんずいを書き加えたこと、そのことで采女が息子を文書改竄で罰し、父子ともども切腹し、吉井の家を取り潰すと言っていると話した。
さすがにおみちもこれには驚きあきれた。
吉井の息子ならばもっと考え深い者だと思っていた。それが己の名にさんずいを書き加え父の名にするような愚か者であったとは。采女が怒るのも当然である。息子は青い顔で怯えたような顔をしている。己の行ないの意味がわからなかったのかと怒りが込み上げて来た。
「新たに書類を書き直し新兵衛と結婚するか、書類通りに采女と結婚するか、そなたの思う通りにせよ」
「では、采女様と夫婦になります」
間髪入れずにおみちは答えた。部屋の中の空気が一変した。采女は耳まで赤く染めて震えていた。青い顔の新兵衛はほっと息をついた。慶温は聞き間違いではないかと思った。控えていた小姓もこれは一大事とこれから先の会話を聞き逃してはなるまいと耳を傾けた。
「よいのか、おみち」
「はい」
「あいわかった。ゆえに、この届は改竄ではない。従って吉井新兵衛に罪はない。これにて一件落着」
慶温はそう言うと、別室で話し合いをするようにと言って三人を部屋から出した。
後におみちが佳穂に語ったところによると、別室に入るなり、采女は新兵衛を勘当だと殴った。そこへおみちが割って入り、采女はようやく振り上げた拳をおさめた。
『最初の話と変わり、相手は采女様になりましたが、私は采女様が相手になって安堵しております。どうかよろしくお願いします』
おみちがそう言うと、采女は真っ赤な顔をますます赤くして、口をまるで金魚のようにぱくぱくとさせた。新兵衛はそれがしの出番はないようでと言って部屋を出た。後に残された采女が何と言ったかはわからない。
目付が息子よりも若い娘と再婚するという話はあっという間に屋敷の中に広まった。
結婚の経緯を知った鳴滝は、あまりのことに絶句した。それでいいのかと鳴滝にきかれたおみちは新兵衛様とは縁がなかったと思っておりますと答えただけだった。
祝言は屋敷の外にある吉井家で行われたが、祝いの酒宴は夜遅くまで続いた。祝言の翌年、おみちは女子を生んだ。息子の新兵衛はその年、御前様の紹介で分家の奥女中と結婚した。おみちの産んだ女子は生まれて一年たたぬうちに叔母になった。
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