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われてもすゑに
肆 女達の行く末
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女達にもそれぞれ罰が下された。
分家の奥の台所で働く御末のもんは川村千勢の手先として本家の奥の台所に入り本家の情報を伝えることで報酬を得ていた。もんは直ちに口入屋に戻された。不祥事に関わったので奉公構に処したことを聞いた口入屋はただちにもんを出入り禁止にした。また口入屋の仲間にもんという五十余りの女子を入れぬようにと伝えた。
もんは江戸では働くことができず、郷里の下総に帰ったという。
また、もんに屋敷の噂を話したおたまは厳重に注意を受け謹慎の身となった。鳴滝から淑姫様やお佳穂の方の特別の思し召しがなければ国許の実家が取り潰しになりかねなかったと聞き、おたまは己のしたことの恐ろしさを初めて知った。
「口は災いの門と言う。ゆめゆめ忘れてはならぬ」
おたまは以来、口のきき方に気を付けるようになった。
帰国後、おたまは実家のありさまに愕然とした。江戸で逼塞になったと聞いていたが、実際に家の前に立つと、門の前には城から遣わされた番士が立ち人の出入りを拒んでいた。夜も門を閉ざされる閉門と違い、逼塞は昼間だけ出入りが禁止されるといっても、監視の目があるというのは異常な事態だった。
おたまが江戸から戻って来た娘だと知ると、番士は無言で門を通した。その視線には明らかに蔑みの色が浮かんでいた。
おたまは改めて己の愚かさに気付き、泣きたい気持ちで両親に対面した。
両親はただただ無事でよかったと言い、おたまを責めなかった。無論、後で昔奥女中をしていた祖母には厳しく叱られたが、不貞腐れることはなかった。以前は祖母の言うことは昔の人の話と笑っていたが、江戸に出て己の不注意でしたことの結果の重さを知れば、笑えなかった。
百日の謹慎の後、おたまはそれまでとは人が変わったようになっていた。
数年後、嫁入りしたおたまは嫁ぎ先でよく働き、人の悪口を言わぬよい嫁と舅姑に娘のように可愛がられた。
おたまとともに帰国したおちほとおまちも、身分相応の相手と結婚し、穏やかな生活を送った。
三人とも子どもや孫には、決して人の陰口を言ってはならないと晩年まで言っていた。
さて、お志麻はどうなったのか。
彼女は尼に唆されて乱心したということで、実家に引き取られることとなった。
迎えに来た母親とともに上屋敷の門の脇で駕籠に乗ろうとした時であった。たまたま大名屋敷に出入りする呉服屋の番頭と若旦那がその前を通った。お志麻は奥女中の装束ではなく町方の女の着る木綿の地味な色の着物を着ていた。だが、それでも隠せぬ色香に若旦那は目を留め、こっそりと駕籠の後をつけて住まいを確かめた。番頭はえり好みの激しい若旦那の縁談に悩んでいる主人にお志麻のことを話した。すぐに主人はお志麻の身の上を調べさせた。
両親のことはともかく、大名屋敷に勤め若殿様のお目に留まり若殿様の急死と何等かの事情で実家に帰ったということで主人はこれは難があると思った。事情を屋敷の者にそれとなく聞いてもはぐらかされるばかりであった。
若旦那は父親が縁談の相手のことを調べていると知り、お志麻を嫁にしてくれ、してくれないなら家を出ると言いだした。父親は仰天したものの、息子がこれほど執心するならと、媒酌人を介して棟梁の元に縁談を持ち込んだ。
お志麻の母親も棟梁も仰天したが、若旦那の勢いと呉服屋の財力に押されて、娘を嫁にやることに決めた。月野家を出る時に口止め料としていくばくかの金を渡されていたので、それで嫁入り支度を整えた。当初は困惑していたお志麻は若旦那の情熱に絆されて呉服屋の嫁となったのだった。
武家屋敷勤めでそれなりに目が肥えていたお志麻は店の仕入れなどを手伝うようになった。するとどこで聞き付けたのか元御殿女中の若おかみが選んだ品が買えると評判になり、店はそれまで以上に繁盛するようになった。お志麻はその後、子どもにも恵まれ、明治維新後も店は存続、夫に先立たれた後は若い息子を助けて店の経営に携わり、大正時代に百貨店へと模様替えする基礎を作った。
お志麻は子どもや孫に、自分に取り入るような人間を近づけてはいけないと厳しく戒めたという。また、流言や予言などを信じなかった。
明治四十三年(一九一〇年)、ハレー彗星が地球に近づき、地球の空気が五分間だけなくなるという噂が広まった。ひ孫たちが自転車のチューブを買い集めようとするのを、お志麻は一喝して止めさせたと後に百貨店を中心とする企業グループが編纂した社史に記載されている。
大正二年(一九一三年)十一月二十二日に亡くなった最後の将軍徳川慶喜の上野寛永寺から谷中墓地までの葬列を家族一同で見送ったのが十一月三十日。その翌日から風邪で床に就いたお志麻は三日後に肺炎で亡くなった。子、孫、曾孫ら総勢二十人以上に看取られた大往生であった。
お園は兄梶田仁右衛門が中屋敷用人を御役御免になり家禄も減らされたが、奥勤めは今まで通り許された。兄は亡くなった光信院様の菩提を弔いたいと慶温の許しを得て江戸の月野家の菩提寺で出家し仏道修行に励み、後には高位の僧となった。
お園は家の存続のため婿をとることになり、佳穂の婚礼を見届けて国許に戻った。
相手は本家城代家老の次男であった。お園を案じた聡姫はお園の縁談を城代家老の妻に依頼していた。彼女はお園を一目で気に入り、次男の婿入りを決めてしまった。
お園の長男は後に蘭学を学び、幕末の月野家を支える屋台骨の一つとして活躍することになる。
佳穂の叔母千勢は詳細な取り調べのために分家の奥に預けられた。
千勢が分家の奥に奉公して以来、わかっているだけで五人ほど不審な死を遂げている者がおり、うち二人が喉を突いて死んでいた。二人とも自害の理由はなかった。二人は千勢の同輩で、いずれは年寄にもなれると言われていた。別の一人は斉理の御手付きで井戸に落ちて亡くなっていた。残りの二人は前日まで元気だったのに、朝床の中で亡くなっていた。二人とも奥勤めを始めた頃の千勢を苛めた者達であった。
その前後のことを記した本家の鳴滝の日記などを検証し、余罪を調べようとしていた矢先、千勢は死んだ。
朝、閉じ込められている牢座敷に声を掛けたが、起きてこないので鍵を開け布団をめくったところすでに息絶えていたのだった。
千勢が以前使っていた部屋を調べると、眠り薬や正体のわからぬ薬が見つかったことから、千勢は隠し持った薬を飲んで自害したのではないかと推定された。医師の見立ても毒物によるものということだった。
その知らせを鳴滝の文で知った佳穂はその時星川家にいた。
哀れな、愚かなという言葉だけでは表現できない思いに佳穂は涙した。千代とともに佳穂の憧れだった叔母。彼女の輝くような姿を思い出すと、胸が詰まった。あの輝きに斉理は惹かれたのかもしれない。けれど、斉理が妻を捨てて、叔母との暮らしを望んだ手段は最悪のものだった。
その結果の千勢の死。斉理の愛は結局愛する者を滅ぼしたのだ。
いや、千勢の欲望が千勢自身を滅ぼしたのかもしれなかった。
出世と斉理両方を得んがための所業が破綻し、千勢は生きる望みを失ったのではないか。
欲望に振り回されるのは一人叔母だけのことではないのかもしれなかった。奥で出世するために他人を蹴落とそうとする者は少なくない。あるいは殿の寵を得るために。
奥の女達は皆大なり小なり戦っている。美しい衣も化粧も男にとっての鎧兜と同じなのだ。恐らく大奥でも他の家中の奥でも、女達は今も闘っている。
ただ、川村千勢という女は戦いに勝ち抜くためにしてはならぬことをしてしまった。どこかで人としての道を踏み外してしまったのだ。
佳穂にとって他人事ではなかった。佳穂は運よく本家の奥方様や淑姫に守られたから、又四郎の寵を受けることになってもそれほどひどい目には遭っていなかった。陰口など可愛いものだった。けれどもし、自分がそういう立場でなければ……。考えるだけでおぞましかった。だが、そうなる恐れはなかったとは言えない。
あばたを見るたびにこれがなかったらどんなにかいいだろうと思っていた。どうかすると、あばたのない女を羨む気持ちが芽生えそうになったこともある。そのたびに、これは「病と闘って得た名誉の手傷」と思い、羨む気持ちを打ち消したことが幾度あったことか。
だが、名誉の手傷と思えなかったら……。羨む気持ちが妬みになり、やがて殺意となったら……。
佳穂は心から感謝した。千代に、奥方様に、淑姫に、鳴滝に、同輩たちに、小姓達に。それに父と継母にも。
今思えば父は新たに生まれた妹、弟のために明るい家庭を作ろうと母のことを忘れたかのように振る舞っていたのではないか。継母もなじまぬ佳穂に苦労していたのではなかろうか。そう思えるのは、今度の一件で瑠璃姫や淑姫の見えなかった一面を見ることになったからかもしれない。瑠璃姫は家のことを思い一度は濡れ衣を着る覚悟で振る舞った。淑姫も若い夫のことを思い離縁となるように行動した。表に見えることがすべてではない。その奥底には表とは違う様相が潜んでいる。そう考えると、故郷の両親のことも不思議と慕わしく思われるのだった。
その父も国家老の職を辞し、家督を長男の彦右衛門に譲った。彦右衛門は若輩ということで作事奉行の添役(補助)に任じられ、屋敷替えで陣屋から離れた屋敷に移された。
継母の春は、このように書くのは畏れおおいことながらと、多忙だった父上がやっと休めるようになって、かえって安堵しているということを文に書いて佳穂に送った。そんな文を読めば、人の幸不幸は簡単に決められるものではないと佳穂には思えてくる。継母は奥勤めの華やかさも知らず、若い身空で子持ちの国家老に嫁ぎ子を産み、家事を切り盛りしてきたが、穏やかな日常の幸せがあることを知っているようだった。
父や兄は苦境にあるが、継母や兄嫁がそばにいればささやかでも幸せに生きていけるのではなかろうか。
まるで咎人の叔母を切り捨てるかのように他家の養女になることに心苦しさはあったが、春の文のおかげで佳穂は少し気が楽になっていた。恐らく父もそんな春だから妻にしたのであろう。
もし、千勢が春のような生き方もあることを知っていたらと思っても今更詮無いことだが。
次に春に会うことがあったら、父の妻になってくれたことを感謝したかった。
千勢の死から二十日ほど後、仲秋の名月を前に斉理が倒れた。下屋敷で卒中を起こしたということだった。
驚いたことに、瑠璃姫はすぐに下屋敷に駆けつけ斉理の看病を始めた。離縁の届けは御公儀に受け付けられていないからという理由だった。家督を継いだ斉陽も登美姫も瑠璃姫を止めた。今更こんな父のために苦労をすることはないと。
すると瑠璃姫は静かに微笑んだ。
「これでやっと殿はわらわ一人のものになったのだ。わらわは殿のおそばにずっとおる」
ちょうど佳穂の縁組も決まり御公儀への届けも認められた頃で、瑠璃姫に憂いはなかった。瑠璃姫は七年後に斉理が亡くなるまで本家下屋敷で看病と介護に明け暮れた。その顔はいつもいきいきとしていたと側に仕えていた奥女中らは語っている。
瑠璃姫はその後、分家屋敷に戻り大奥様として崇敬され、明治を迎える前に亡くなった。晩年まで斉陽の子らの衣服を調えていたと言う。
さて、寺社奉行所に引き渡された伶観だが……。
ここは江戸のさる旗本の屋敷。
座敷の上座に座る主は、武家らしい女と対峙していた。らしいというのは、成人しているにもかかわらず鉄漿をしていないからである。
「如草会の一件、ご苦労であった」
「さすがに此度は参りました。百叩きになったらいかがしようかと」
女は白い歯を見せて笑った。
「まこと、危ないところであった」
「おかげさまでいろいろと面白いことがありました」
「報告は読んだ。とりあえずはこれ以上の介入はいらぬだろう」
「あの、若殿のほうは」
「構わん。御公儀に害をなせば別だが、今のところは心配なかろう」
女はそれでいいのだろうかと思った。いい男だが、中身は結構危ない若殿なのに。まあ、上の者の判断だから従うが。
「そなたのおかげで、公方様の面目も保てた。幕臣や大名が女のなりで町を歩くなど、噂が広まれば、御公儀にいかなる目が向けられることか」
「まこと。屋敷のうちでやっておればよいものを」
「確かにな。屋敷のうちでなら女のなりで歩こうが、裸でいようが構わぬが、外では困る」
実際にそんな殿様がいたら、家臣らに押し込められて隠居ということになる。
「公方様も安堵なさっておる。それにしても、目安箱というものを考えた有徳院様はかような訴えがあろうとは思われなかったであろうな」
「まことに」
昨年の春のことであった。辰ノ口の評定所前に置かれた目安箱にいささか変わった訴えがあった。
目安箱の鍵を開けた公方様はそれを読んで仰天した。江戸の某町に住む商家の主からの訴えには、近頃、男が女のなりをして自分の店にやって来て買い物をするが、どうもその口振りや買い物慣れしていないありさまから、直参の旗本か大名のように思われる、御公儀はこれをご存知なのか、放置されれば天下のけじめが失われるのではないかとあった。
公方様はこのようなことをわざわざ老中や若年寄に相談するのも憚られた。彼らは懸案事項を抱えていて多忙だった。それによく考えると、女のなりをしている大名旗本が幕閣の中にいるやもしれぬ。
そこで御庭番を呼び、調査するように命じた。御庭番たちは一体どうやって調査したものか悩んだ。
だが、御庭番のうちで知恵のある旗本が、罠を仕掛けることにした。占いの上手な尼がいると噂を立て、大名家の奥に出入りさせ、内情を探らせるという案であった。
大名家の奥方や側室は庶民と違って暇だった。彼女達は殿様の愛情を争い、あるいは犬や猫、鳥、金魚などの愛玩動物を可愛がるだけの暇があった。当然、物珍しい占いのよく当たる尼がいると聞けば興味を持つはずである。そうやっていくつかの家の奥に出入りすれば、奥でしか知り得ない殿様の性癖などが判明し、女のなりをするのを好むかもわかると考えたのである。もし一人でもいれば、そこから交友関係を探って同好の士を調べることができる。屋敷の外でも女子のなりをするのは、一人ではなかなかできることではなかろう。恐らく徒党を組んでいるに違いなかった。
公方様は調査と言ったが、恐らく彼らが屋敷の外で女のなりをすることを止めさせたいとの意味もあるのであろうと考え、同好の士の集まりの活動に釘を刺すことまで彼らは考えて行動した。
というわけで、この旗本の配下の女を伶観という尼に仕立てたのだった。
伶観は広尾に庵を構え、噂を聞いてやってくる奥女中を待った。無論、旗本が噂を流した大名らの家族のことは調べ上げているので、彼らが来るとあたかも占っていたかのように、出身地やこれまで暮らした場所などを言い当てたのだった。
だが、なかなかそれらしい大名や旗本は見つからなかった。
そろそろ河岸を変えようと思った頃に来たのが月野家分家の「奥女中」だった。伶観は一目で男だと見破った。御高祖頭巾をかぶっていても香をつけていてもわかるのだ。
これだと伶観は思い、「奥女中」の依頼に従って本家の中屋敷に住む若殿の側仕えのお志麻に近づいたのだった。お志麻は簡単に伶観を信用した。伶観は出入りしながら月野家の交友関係を調べた。他の御庭番たちも月野家本家・分家と交遊のある家を調査し始めた。
彼らはすぐに月野下野守斉理が如草会なる会に所属していることを突き止めた。他の会員もすぐに判明した。
さらには分家の次男又四郎が美青年であることから、彼も女のなりをするのではないかと調べた。彼の交友関係にも如草会の関係者がいたからである。又四郎が中屋敷からの帰りに尾行されたのは、そのためであった。
途中、水野忠邦や鳥居耀蔵の件の調査があり、この件の調査が停滞したものの、月野家分家「奥女中」の依頼で事態は大きく動いた。新しい若殿様を仇と思うようにお志麻を唆せという依頼に、伶観は仰天した。だが、これを利用すれば如草会やそれを支援する喜久屋の活動を停止させることができるかもしれないということで、彼女は他の御庭番とともに動いた。
赤岩という浪人が命を落とすことになったが、現場となった喜久乃屋はたたまれ、如草会の活動はほぼ停止した。分家の斉理が乱心のために隠居したということで、会員らは異変を感じたようだった。
江戸市中に潜入している御庭番からはここしばらく女装の大名や旗本を見ることはなくなったと報告があった。
「まことにご苦労だった。しばし休むがよい」
旗本は伶観だった女、おりょうにねぎらいの言葉をかけた。
「畏れながら、休みの間にしばし学びたきことがございます」
「何をいまさら。武芸の嗜みは十分であろう」
「英吉利語を学びたく。つきましては通詞に紹介を願います」
「英吉利語とは、またいかなる風の吹き回しか」
「いずれ英吉利語を話す英吉利人や米利堅人が日の本に来るやもしれません、彼の者に近づくために」
旗本は笑った。そして真面目な顔になった。
「なるほど。それはよい。我らの仕事も大名旗本相手だけではいずれは済まなくなるかもしれぬな。では、紹介状を書こう」
「かたじけないことに存じます」
おりょうは月野家本家の新しい主慶温の考えを偵察の中で知り、外国語を学ぼうと考えたのだった。
十年たたぬうちに、彼女がその語学力を生かす時がやって来ることになる。
お志麻に仕えていたおみちは上屋敷の奥で新しい奥方様に仕えることになった。国許に許婚者がいるので、一年後に戻る予定でいた。
ところが、突然破談になったと国許の親から知らせがあった。理由はわからぬが、相手の家に何やら不祥事があったとのことだった。
おみちは相手の顔も知らぬので、さほど衝撃はなかった。かえって江戸で奥勤めが長くできると喜んだ。
それから一か月もたたぬうちに縁談がもたらされた。
おみちにとって思いも寄らぬ相手であった。
だが、それは相手にとっても同じく思いも寄らぬことであった。
分家の奥の台所で働く御末のもんは川村千勢の手先として本家の奥の台所に入り本家の情報を伝えることで報酬を得ていた。もんは直ちに口入屋に戻された。不祥事に関わったので奉公構に処したことを聞いた口入屋はただちにもんを出入り禁止にした。また口入屋の仲間にもんという五十余りの女子を入れぬようにと伝えた。
もんは江戸では働くことができず、郷里の下総に帰ったという。
また、もんに屋敷の噂を話したおたまは厳重に注意を受け謹慎の身となった。鳴滝から淑姫様やお佳穂の方の特別の思し召しがなければ国許の実家が取り潰しになりかねなかったと聞き、おたまは己のしたことの恐ろしさを初めて知った。
「口は災いの門と言う。ゆめゆめ忘れてはならぬ」
おたまは以来、口のきき方に気を付けるようになった。
帰国後、おたまは実家のありさまに愕然とした。江戸で逼塞になったと聞いていたが、実際に家の前に立つと、門の前には城から遣わされた番士が立ち人の出入りを拒んでいた。夜も門を閉ざされる閉門と違い、逼塞は昼間だけ出入りが禁止されるといっても、監視の目があるというのは異常な事態だった。
おたまが江戸から戻って来た娘だと知ると、番士は無言で門を通した。その視線には明らかに蔑みの色が浮かんでいた。
おたまは改めて己の愚かさに気付き、泣きたい気持ちで両親に対面した。
両親はただただ無事でよかったと言い、おたまを責めなかった。無論、後で昔奥女中をしていた祖母には厳しく叱られたが、不貞腐れることはなかった。以前は祖母の言うことは昔の人の話と笑っていたが、江戸に出て己の不注意でしたことの結果の重さを知れば、笑えなかった。
百日の謹慎の後、おたまはそれまでとは人が変わったようになっていた。
数年後、嫁入りしたおたまは嫁ぎ先でよく働き、人の悪口を言わぬよい嫁と舅姑に娘のように可愛がられた。
おたまとともに帰国したおちほとおまちも、身分相応の相手と結婚し、穏やかな生活を送った。
三人とも子どもや孫には、決して人の陰口を言ってはならないと晩年まで言っていた。
さて、お志麻はどうなったのか。
彼女は尼に唆されて乱心したということで、実家に引き取られることとなった。
迎えに来た母親とともに上屋敷の門の脇で駕籠に乗ろうとした時であった。たまたま大名屋敷に出入りする呉服屋の番頭と若旦那がその前を通った。お志麻は奥女中の装束ではなく町方の女の着る木綿の地味な色の着物を着ていた。だが、それでも隠せぬ色香に若旦那は目を留め、こっそりと駕籠の後をつけて住まいを確かめた。番頭はえり好みの激しい若旦那の縁談に悩んでいる主人にお志麻のことを話した。すぐに主人はお志麻の身の上を調べさせた。
両親のことはともかく、大名屋敷に勤め若殿様のお目に留まり若殿様の急死と何等かの事情で実家に帰ったということで主人はこれは難があると思った。事情を屋敷の者にそれとなく聞いてもはぐらかされるばかりであった。
若旦那は父親が縁談の相手のことを調べていると知り、お志麻を嫁にしてくれ、してくれないなら家を出ると言いだした。父親は仰天したものの、息子がこれほど執心するならと、媒酌人を介して棟梁の元に縁談を持ち込んだ。
お志麻の母親も棟梁も仰天したが、若旦那の勢いと呉服屋の財力に押されて、娘を嫁にやることに決めた。月野家を出る時に口止め料としていくばくかの金を渡されていたので、それで嫁入り支度を整えた。当初は困惑していたお志麻は若旦那の情熱に絆されて呉服屋の嫁となったのだった。
武家屋敷勤めでそれなりに目が肥えていたお志麻は店の仕入れなどを手伝うようになった。するとどこで聞き付けたのか元御殿女中の若おかみが選んだ品が買えると評判になり、店はそれまで以上に繁盛するようになった。お志麻はその後、子どもにも恵まれ、明治維新後も店は存続、夫に先立たれた後は若い息子を助けて店の経営に携わり、大正時代に百貨店へと模様替えする基礎を作った。
お志麻は子どもや孫に、自分に取り入るような人間を近づけてはいけないと厳しく戒めたという。また、流言や予言などを信じなかった。
明治四十三年(一九一〇年)、ハレー彗星が地球に近づき、地球の空気が五分間だけなくなるという噂が広まった。ひ孫たちが自転車のチューブを買い集めようとするのを、お志麻は一喝して止めさせたと後に百貨店を中心とする企業グループが編纂した社史に記載されている。
大正二年(一九一三年)十一月二十二日に亡くなった最後の将軍徳川慶喜の上野寛永寺から谷中墓地までの葬列を家族一同で見送ったのが十一月三十日。その翌日から風邪で床に就いたお志麻は三日後に肺炎で亡くなった。子、孫、曾孫ら総勢二十人以上に看取られた大往生であった。
お園は兄梶田仁右衛門が中屋敷用人を御役御免になり家禄も減らされたが、奥勤めは今まで通り許された。兄は亡くなった光信院様の菩提を弔いたいと慶温の許しを得て江戸の月野家の菩提寺で出家し仏道修行に励み、後には高位の僧となった。
お園は家の存続のため婿をとることになり、佳穂の婚礼を見届けて国許に戻った。
相手は本家城代家老の次男であった。お園を案じた聡姫はお園の縁談を城代家老の妻に依頼していた。彼女はお園を一目で気に入り、次男の婿入りを決めてしまった。
お園の長男は後に蘭学を学び、幕末の月野家を支える屋台骨の一つとして活躍することになる。
佳穂の叔母千勢は詳細な取り調べのために分家の奥に預けられた。
千勢が分家の奥に奉公して以来、わかっているだけで五人ほど不審な死を遂げている者がおり、うち二人が喉を突いて死んでいた。二人とも自害の理由はなかった。二人は千勢の同輩で、いずれは年寄にもなれると言われていた。別の一人は斉理の御手付きで井戸に落ちて亡くなっていた。残りの二人は前日まで元気だったのに、朝床の中で亡くなっていた。二人とも奥勤めを始めた頃の千勢を苛めた者達であった。
その前後のことを記した本家の鳴滝の日記などを検証し、余罪を調べようとしていた矢先、千勢は死んだ。
朝、閉じ込められている牢座敷に声を掛けたが、起きてこないので鍵を開け布団をめくったところすでに息絶えていたのだった。
千勢が以前使っていた部屋を調べると、眠り薬や正体のわからぬ薬が見つかったことから、千勢は隠し持った薬を飲んで自害したのではないかと推定された。医師の見立ても毒物によるものということだった。
その知らせを鳴滝の文で知った佳穂はその時星川家にいた。
哀れな、愚かなという言葉だけでは表現できない思いに佳穂は涙した。千代とともに佳穂の憧れだった叔母。彼女の輝くような姿を思い出すと、胸が詰まった。あの輝きに斉理は惹かれたのかもしれない。けれど、斉理が妻を捨てて、叔母との暮らしを望んだ手段は最悪のものだった。
その結果の千勢の死。斉理の愛は結局愛する者を滅ぼしたのだ。
いや、千勢の欲望が千勢自身を滅ぼしたのかもしれなかった。
出世と斉理両方を得んがための所業が破綻し、千勢は生きる望みを失ったのではないか。
欲望に振り回されるのは一人叔母だけのことではないのかもしれなかった。奥で出世するために他人を蹴落とそうとする者は少なくない。あるいは殿の寵を得るために。
奥の女達は皆大なり小なり戦っている。美しい衣も化粧も男にとっての鎧兜と同じなのだ。恐らく大奥でも他の家中の奥でも、女達は今も闘っている。
ただ、川村千勢という女は戦いに勝ち抜くためにしてはならぬことをしてしまった。どこかで人としての道を踏み外してしまったのだ。
佳穂にとって他人事ではなかった。佳穂は運よく本家の奥方様や淑姫に守られたから、又四郎の寵を受けることになってもそれほどひどい目には遭っていなかった。陰口など可愛いものだった。けれどもし、自分がそういう立場でなければ……。考えるだけでおぞましかった。だが、そうなる恐れはなかったとは言えない。
あばたを見るたびにこれがなかったらどんなにかいいだろうと思っていた。どうかすると、あばたのない女を羨む気持ちが芽生えそうになったこともある。そのたびに、これは「病と闘って得た名誉の手傷」と思い、羨む気持ちを打ち消したことが幾度あったことか。
だが、名誉の手傷と思えなかったら……。羨む気持ちが妬みになり、やがて殺意となったら……。
佳穂は心から感謝した。千代に、奥方様に、淑姫に、鳴滝に、同輩たちに、小姓達に。それに父と継母にも。
今思えば父は新たに生まれた妹、弟のために明るい家庭を作ろうと母のことを忘れたかのように振る舞っていたのではないか。継母もなじまぬ佳穂に苦労していたのではなかろうか。そう思えるのは、今度の一件で瑠璃姫や淑姫の見えなかった一面を見ることになったからかもしれない。瑠璃姫は家のことを思い一度は濡れ衣を着る覚悟で振る舞った。淑姫も若い夫のことを思い離縁となるように行動した。表に見えることがすべてではない。その奥底には表とは違う様相が潜んでいる。そう考えると、故郷の両親のことも不思議と慕わしく思われるのだった。
その父も国家老の職を辞し、家督を長男の彦右衛門に譲った。彦右衛門は若輩ということで作事奉行の添役(補助)に任じられ、屋敷替えで陣屋から離れた屋敷に移された。
継母の春は、このように書くのは畏れおおいことながらと、多忙だった父上がやっと休めるようになって、かえって安堵しているということを文に書いて佳穂に送った。そんな文を読めば、人の幸不幸は簡単に決められるものではないと佳穂には思えてくる。継母は奥勤めの華やかさも知らず、若い身空で子持ちの国家老に嫁ぎ子を産み、家事を切り盛りしてきたが、穏やかな日常の幸せがあることを知っているようだった。
父や兄は苦境にあるが、継母や兄嫁がそばにいればささやかでも幸せに生きていけるのではなかろうか。
まるで咎人の叔母を切り捨てるかのように他家の養女になることに心苦しさはあったが、春の文のおかげで佳穂は少し気が楽になっていた。恐らく父もそんな春だから妻にしたのであろう。
もし、千勢が春のような生き方もあることを知っていたらと思っても今更詮無いことだが。
次に春に会うことがあったら、父の妻になってくれたことを感謝したかった。
千勢の死から二十日ほど後、仲秋の名月を前に斉理が倒れた。下屋敷で卒中を起こしたということだった。
驚いたことに、瑠璃姫はすぐに下屋敷に駆けつけ斉理の看病を始めた。離縁の届けは御公儀に受け付けられていないからという理由だった。家督を継いだ斉陽も登美姫も瑠璃姫を止めた。今更こんな父のために苦労をすることはないと。
すると瑠璃姫は静かに微笑んだ。
「これでやっと殿はわらわ一人のものになったのだ。わらわは殿のおそばにずっとおる」
ちょうど佳穂の縁組も決まり御公儀への届けも認められた頃で、瑠璃姫に憂いはなかった。瑠璃姫は七年後に斉理が亡くなるまで本家下屋敷で看病と介護に明け暮れた。その顔はいつもいきいきとしていたと側に仕えていた奥女中らは語っている。
瑠璃姫はその後、分家屋敷に戻り大奥様として崇敬され、明治を迎える前に亡くなった。晩年まで斉陽の子らの衣服を調えていたと言う。
さて、寺社奉行所に引き渡された伶観だが……。
ここは江戸のさる旗本の屋敷。
座敷の上座に座る主は、武家らしい女と対峙していた。らしいというのは、成人しているにもかかわらず鉄漿をしていないからである。
「如草会の一件、ご苦労であった」
「さすがに此度は参りました。百叩きになったらいかがしようかと」
女は白い歯を見せて笑った。
「まこと、危ないところであった」
「おかげさまでいろいろと面白いことがありました」
「報告は読んだ。とりあえずはこれ以上の介入はいらぬだろう」
「あの、若殿のほうは」
「構わん。御公儀に害をなせば別だが、今のところは心配なかろう」
女はそれでいいのだろうかと思った。いい男だが、中身は結構危ない若殿なのに。まあ、上の者の判断だから従うが。
「そなたのおかげで、公方様の面目も保てた。幕臣や大名が女のなりで町を歩くなど、噂が広まれば、御公儀にいかなる目が向けられることか」
「まこと。屋敷のうちでやっておればよいものを」
「確かにな。屋敷のうちでなら女のなりで歩こうが、裸でいようが構わぬが、外では困る」
実際にそんな殿様がいたら、家臣らに押し込められて隠居ということになる。
「公方様も安堵なさっておる。それにしても、目安箱というものを考えた有徳院様はかような訴えがあろうとは思われなかったであろうな」
「まことに」
昨年の春のことであった。辰ノ口の評定所前に置かれた目安箱にいささか変わった訴えがあった。
目安箱の鍵を開けた公方様はそれを読んで仰天した。江戸の某町に住む商家の主からの訴えには、近頃、男が女のなりをして自分の店にやって来て買い物をするが、どうもその口振りや買い物慣れしていないありさまから、直参の旗本か大名のように思われる、御公儀はこれをご存知なのか、放置されれば天下のけじめが失われるのではないかとあった。
公方様はこのようなことをわざわざ老中や若年寄に相談するのも憚られた。彼らは懸案事項を抱えていて多忙だった。それによく考えると、女のなりをしている大名旗本が幕閣の中にいるやもしれぬ。
そこで御庭番を呼び、調査するように命じた。御庭番たちは一体どうやって調査したものか悩んだ。
だが、御庭番のうちで知恵のある旗本が、罠を仕掛けることにした。占いの上手な尼がいると噂を立て、大名家の奥に出入りさせ、内情を探らせるという案であった。
大名家の奥方や側室は庶民と違って暇だった。彼女達は殿様の愛情を争い、あるいは犬や猫、鳥、金魚などの愛玩動物を可愛がるだけの暇があった。当然、物珍しい占いのよく当たる尼がいると聞けば興味を持つはずである。そうやっていくつかの家の奥に出入りすれば、奥でしか知り得ない殿様の性癖などが判明し、女のなりをするのを好むかもわかると考えたのである。もし一人でもいれば、そこから交友関係を探って同好の士を調べることができる。屋敷の外でも女子のなりをするのは、一人ではなかなかできることではなかろう。恐らく徒党を組んでいるに違いなかった。
公方様は調査と言ったが、恐らく彼らが屋敷の外で女のなりをすることを止めさせたいとの意味もあるのであろうと考え、同好の士の集まりの活動に釘を刺すことまで彼らは考えて行動した。
というわけで、この旗本の配下の女を伶観という尼に仕立てたのだった。
伶観は広尾に庵を構え、噂を聞いてやってくる奥女中を待った。無論、旗本が噂を流した大名らの家族のことは調べ上げているので、彼らが来るとあたかも占っていたかのように、出身地やこれまで暮らした場所などを言い当てたのだった。
だが、なかなかそれらしい大名や旗本は見つからなかった。
そろそろ河岸を変えようと思った頃に来たのが月野家分家の「奥女中」だった。伶観は一目で男だと見破った。御高祖頭巾をかぶっていても香をつけていてもわかるのだ。
これだと伶観は思い、「奥女中」の依頼に従って本家の中屋敷に住む若殿の側仕えのお志麻に近づいたのだった。お志麻は簡単に伶観を信用した。伶観は出入りしながら月野家の交友関係を調べた。他の御庭番たちも月野家本家・分家と交遊のある家を調査し始めた。
彼らはすぐに月野下野守斉理が如草会なる会に所属していることを突き止めた。他の会員もすぐに判明した。
さらには分家の次男又四郎が美青年であることから、彼も女のなりをするのではないかと調べた。彼の交友関係にも如草会の関係者がいたからである。又四郎が中屋敷からの帰りに尾行されたのは、そのためであった。
途中、水野忠邦や鳥居耀蔵の件の調査があり、この件の調査が停滞したものの、月野家分家「奥女中」の依頼で事態は大きく動いた。新しい若殿様を仇と思うようにお志麻を唆せという依頼に、伶観は仰天した。だが、これを利用すれば如草会やそれを支援する喜久屋の活動を停止させることができるかもしれないということで、彼女は他の御庭番とともに動いた。
赤岩という浪人が命を落とすことになったが、現場となった喜久乃屋はたたまれ、如草会の活動はほぼ停止した。分家の斉理が乱心のために隠居したということで、会員らは異変を感じたようだった。
江戸市中に潜入している御庭番からはここしばらく女装の大名や旗本を見ることはなくなったと報告があった。
「まことにご苦労だった。しばし休むがよい」
旗本は伶観だった女、おりょうにねぎらいの言葉をかけた。
「畏れながら、休みの間にしばし学びたきことがございます」
「何をいまさら。武芸の嗜みは十分であろう」
「英吉利語を学びたく。つきましては通詞に紹介を願います」
「英吉利語とは、またいかなる風の吹き回しか」
「いずれ英吉利語を話す英吉利人や米利堅人が日の本に来るやもしれません、彼の者に近づくために」
旗本は笑った。そして真面目な顔になった。
「なるほど。それはよい。我らの仕事も大名旗本相手だけではいずれは済まなくなるかもしれぬな。では、紹介状を書こう」
「かたじけないことに存じます」
おりょうは月野家本家の新しい主慶温の考えを偵察の中で知り、外国語を学ぼうと考えたのだった。
十年たたぬうちに、彼女がその語学力を生かす時がやって来ることになる。
お志麻に仕えていたおみちは上屋敷の奥で新しい奥方様に仕えることになった。国許に許婚者がいるので、一年後に戻る予定でいた。
ところが、突然破談になったと国許の親から知らせがあった。理由はわからぬが、相手の家に何やら不祥事があったとのことだった。
おみちは相手の顔も知らぬので、さほど衝撃はなかった。かえって江戸で奥勤めが長くできると喜んだ。
それから一か月もたたぬうちに縁談がもたらされた。
おみちにとって思いも寄らぬ相手であった。
だが、それは相手にとっても同じく思いも寄らぬことであった。
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