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絡まる謎
玖 南町奉行遠山金四郎
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遠山金四郎こと遠山左衛門少尉景元は数寄屋橋門内の南町奉行所内の役宅に住んでいる。
家と職場が同じなのは有難かった。なにしろ町奉行は激務である。家がすぐそこだから少々仕事で遅くなっても不都合はなかった。
彼もまた朝早く起きると、しばし仕事のことをまっさらな頭で考える。
床から起き上がり、布団の上に胡坐をかいて、気になることを考えるのが、彼の長年の日課だった。
南町奉行としての仕事は多岐にわたる。現代の警察署、裁判所の仕事だけでなく、人別改め、養生所・牢屋敷・人足寄場・蔵前の札差業務・町会所の事務・町火消し・橋等の管理等、現代の東京都知事並、いやそれ以上の仕事量であった。
それでも遠山は優秀な官吏であるし、以前北町奉行であった経験もあるので、多忙ながらも仕事の処理は速かった。与力や同心たちも北町奉行時代の遠山の仕事ぶりを知っているので、仕事がしやすかった。何より、今は鳥居耀蔵も水野忠邦もいない。北町奉行所時代、何かと足を引っ張られていたが、二人とも失脚した。もう誰も遠山の足を引っ張る者はいない。
水野忠邦は老中として天保の改革を推進した。その一つが倹約である。
倹約は悪いことではないのだが、庶民のそれを厳しく取り締まるというのは、無駄としか思えない。奉行所の仕事は治安維持である。一般庶民を取り締まるよりも法を犯す者を取り締まるのが先だった。金使いが荒い、派手だと歌舞伎役者を罰するなど野暮な話だった。彼らは法を犯したりしない。彼らを取り締まって悪人が減るなら取り締まるが、悪人の数が減ったとは思えない。
一方で水野は海防のことなどよく考えていた。浜松藩内の軍事改革を行なっていると聞くから、それなりの見識はあるのだ。老中であった時も海防の必要性から川越藩や忍藩に相模、房総方面の海岸防備を命じたり、西洋砲術を導入している。倹約を進めるのはやり過ぎとも思えるが、海外に対する見識はやはりそれなりのものを持っているのだ。
金四郎の父の景晋は長崎奉行を勤めたり、ロシア船来航の折に幕府代表としてレザノフと会談したりしているから、金四郎自身も海外のことに関心はあった。いずれは国を外に開かざるを得なくなるかもしれぬと思っている。
ただ、自分は外交よりも町奉行の仕事のほうが性に合っているように思われた。町奉行としてこの江戸の町の治安を守る誇りを彼は感じていた。
恐らくそういう気持ちが強まったのは、若い頃の放蕩生活ゆえだろう。あまり人に語れぬことだが、一時期家を出て町人のように暮らしていた時期があった。親からもらった身体に彫り物も入れてしまった。髪も町人風の髷を結いふらふらと遊び歩いた。
だが、彼は己が決して町人になれぬことを思い知らされた。博打をしていても、女と遊んでいても、自分の行動の規範が幼い頃から叩き込まれた武士としての教育にあることを折々につけ思い知らされた。いくら身を持ち崩しても、そこに溺れられぬのだ。博打をしてもイカサマをしたくはなかったし、一度抱いた女には不実なことはできなかった。
自分は決して町人にはなれない。武士として生きようと悟った彼は家に戻った。
複雑な家庭環境の家だった。祖父の養子だった父景晋。景晋が養子に入った後に祖父に子の景善が生まれたため、父は景善を養子にし遠山家を継がせようとした。そして、景元はその景善の養子であった。実の父景晋が祖父ということになる。
そんな家に戻り数年後、景善は後を継ぐ前に亡くなった。景元は将軍家世継ぎであった家慶の小納戸として側近く仕えるようになった。将軍になった今も家慶は何かと景元を気にかけてくれる。恐らく若い頃から仕えている景元を信頼してくれているのだろう。その信頼に応え仕えるのは幕臣として当然のことだった。
父は勘定奉行まで上りつめた。景元は己の出世の上限を町奉行と定めた。それは若き日にともに生きた市井の人々の暮らしを守りたいという気持ちがどこかにあったからかもしれぬ。外交のことはこの先いくらでも詳しい者が出てくるであろう。だが、江戸の町方の暮らしに詳しい者が町奉行になるとは限らない。町方の暮らしを少しでも知っている己が奉行になればというのは僭越かもしれぬが。
だから、北町奉行の職を拝命した時は有難かった。この職につけてくださった公方様、町方の者達のために粉骨砕身尽くそうと思った。町奉行の誇りを胸に抱いて。
だが、そんな誇りのかけらがあるとも思えぬ、罪なき者に罪をかぶせるような男が鳥居だった。
およそ、鳥居のような男は町人にもいないのではないかと遠山は思う。いたとしたら、商人であれば客は来ずに身代は傾き、農民であれば作物がまともに育つであろうかと思うほどだった。
すでに遠山が北町奉行になる前年に鳥居の水野忠邦への告発に端を発した蛮社の獄で蘭学者らが罰せられる事件が起きていた。水野忠邦は海防の必要性を感じているのに、鳥居はその足を引っ張っているようなものだった。
いくら儒学の林家の出とはいえ、鳥居の蘭学者迫害は常軌を逸しているように遠山には思えた。
さらに当時の南町奉行の矢部定謙を失脚させて、己が南町奉行になってしまった。矢部は御預け先となった伊勢桑名藩で憤死した。さすがに遠山もこれはひどいと思ったが、本当にひどいのはこれからだった。水野忠邦の改革の先鋒として市中の取り締まりに励み、平気でおとり捜査をやり町人らからは妖怪呼ばわりされるほどだった。
寄席や芝居の弾圧までも行った。これには遠山もさすがに反対せざるを得なかった。
江戸の町に住む者達は寄席や芝居を楽しみにしていた。それが奪われたら一体どういうことになるのか。不満のはけ口はやがて御公儀に向かうことになるかもしれない。彼らの力を甘く見たら大変なことになる。遠山は祭の時の彼らの勢いを知っている。彼らはひとたび大きな目標を持てば一致団結してそれに向かっていくのだ。祭ならいいが、それがもし御公儀に向かったとしたらどうなることか。
芝居小屋廃止の話まで出た時には、さすがに反対し廃止せずに浅草猿若町への移転をさせるということにした。これによって金四郎は芝居関係者から感謝され、現代でも芝居や映像の世界で遠山の金さんとして称揚されることになる。
他にもあれこれと水野の改革に水をさしたせいで、結局北町奉行を罷免され大目付に昇進したものの、名誉職的な物で水野の改革を止めることなどできなかった。
だが、水野も鳥居も失脚し、金四郎は南町奉行に任命された。
今度こそと思う。水野や鳥居と争っていた北町時代よりもずっと仕事がしやすくなった。彼らへの対応さえなければもっと仕事ができたはずなのだ。
今、遠山を悩ませている案件があった。
鳥居の尻ぬぐいである。
鳥居が水野に密告したことがきっかけで起きた蛮社の獄。その際に幕政批判で永牢を申付けられた長岡英仙という町医者の一件である。
昨年小伝馬町の牢屋敷で火事があった際に解き放ちを行ない、火元に近い牢の囚人たちを逃した。彼らは帰ってくれば罪一等減じられる。だが、長岡は期日までに帰ってこなかった。帰らぬ場合は死罪となる。
故郷の陸奥や目撃されたという越後、信濃等に役人を派遣したが、見つからなかった。手配書も各地にまわしているが行方は杳として知れなかった。
だが、与力も同心も彼をこのまま放置する気はなかった。彼らは代々奉行所で働き、自分達の職分に誇りを持っていた。また同心たちは近くに住み、縁組もその中で行なうことが多いので皆親戚であり、家族同様の団結力があった。罪人を相手にするので不浄役人などと言われるが、彼らほどよく働く役人はいないと金四郎は思っている。
彼らの誇りのためにも誇りを汚した長岡を是非とも捕縛せねばならなかった。
金四郎は長岡の蘭学者としての一面も知っている。彼の知る幕閣や大名の中には長岡を高く評価している者もいることはわかっている。父が生きていれば惜しい人物と評したかもしれない。鳥居の罠にはまった哀れな男とも言える。
けれど、彼は法に従わなかった。戻るべきなのに戻らなかった。これは町奉行としては処罰せねばならなかった。人は濡れ衣を着せられたと言うかもしれぬが、彼が幕政を批判したことは証拠の文書もあることであった。鳥居の密告がなければ捕まらなかったかもしれぬが、いったん捕まり取り調べを受け、罪が確定したならそれに従ってもらわねばならない。それが天下の御定法というものである。
それを簡単に許すなど、幕臣としてはできなかった。
その長岡がどうも江戸にいるらしいのだ。
確証はない。が、古参の同心が怪しいと言う。
始まりは広尾村の尼だった。尼が浪人に襲われた。だが、物盗りではない。浪人はその場に一分銀を落としたと言う。しかもその一刻ほど後にさる御家中の家臣らが尼の元を訪れた。彼らは尼を知り合いの医師に診せた後、家中の屋敷に引き取ってしまった。
その家中と昵懇の与力に事情を聴くと浪人の落とした袱紗に家中と縁のある家の紋があったので、これ以上の探索は無用と言われたと白状した。
金四郎は大名の御家騒動に巻き込まれても困ると思った。大名屋敷の中のことは町奉行の仕事ではない。が、それを聞いた古参の同心が怪しいと言う。
なんでもその家中で最近世継ぎになった若殿は蘭学好きで、部屋住みの頃に長岡の一件であれこれ調べたことがあるのだと言う。その時は特に怪しいこともなかった。だが、彼の側近には長岡と親しい蘭学者中田英春の弟子田原十郎右衛門がいた。
またもう一人の側近佐野覚兵衛が五月十八日に長岡の妻子の家に行って数日後、長岡の妻子は行方をくらませてしまっていた。同心は長岡が江戸に戻ったら必ず妻子の元に行くと思って妻子の住まいを見張らせていたのである。若殿の側近は長岡の妻子に金銭的援助をしていたようで、その金の出どころは若殿もしくはその周辺の人物と見られている。長岡の妻子が動いたということはことによると長岡が戻って来たということではないかと同心は考えていた。
尼や浪人が長岡のことを知っているかどうかはわからぬが、この一件を利用して江戸屋敷に入り、若殿、あるいは側近を調べれば長岡の居所もわかるのではないかというのである。
それには金四郎もうなった。
確かにそうだ。町方は狭い土地に大勢が住み、人の出入りも激しい。姿をくらますには大勢の人の中に紛れるのが一番である。若かった金四郎自身も家からの追手をまくために人込みに紛れたことが幾度もあった。ましてや地方からも大勢の人間が江戸に流れ込んでいる。長岡は北国の訛りがあるが、そんな人間は大勢いる。江戸の町は絶好の隠れ場所となる。
同心はすでに配下の岡っ引きらに浪人の名を調べさせていた。彼が元星川家中の者で、佐野と同じ玄武館にいたことも調べていた。
金四郎は内与力の近藤を月野家に送り込んだ。浪人の名を知らせる代わりに、揺さぶりをかけてみようと思ったのである。
どこの大名家も一番恐れているのは改易だった。もし若殿が町奉行所で探索している牢抜けした長岡を匿ったり援助していたとしたら。それが露見すれば御家はおしまいである。家臣らは当然若殿に危険な橋を渡らせるわけがない。長岡への援助は断たれる。兵糧攻めに遭えば長岡も隠れ家から出ざるを得まい。彼は一人ではない。妻子がいるのだから。ことによると、家老あたりが長岡の居場所を知らせてくれるかもしれぬ。若殿のしでかしたことの代償に。
金四郎も五十三。長い役人生活で揉まれてきている。大名屋敷に町奉行は入れぬ。だが、こういうやり方であれば、あちらから協力してもらえる可能性もある。
万が一何の動きもない場合はまた別の手を使えばいい。
だが、一つ奇妙なことがあった。
一昨日の晩、月野家中の目付らが品川の喜久乃屋という茶屋に現われていた。酔いつぶれた者を迎えに来たにしては、小物らまで来ており、明らかにおかしかった。
彼らはなぜか漬物を積んだ荷車を白金の下屋敷に運んでいる。
翌日にはそこから棺桶が菩提寺に運ばれていた。誰が死んだのか調べると、下屋敷の者だということであったがそれにしても慌ただしい葬送であった。
さらに、奇妙なのは喜久乃屋が忽然と消えたことだった。建物はそのままで店の中はもぬけの殻。品川にやった岡っ引きが大家に中を見せてもらったところ、一室だけ畳と襖が新しくなっている部屋があった。よく見ると柱に小さな赤黒い染みがあった。大家に何かあったのか聞いたが、大家には心当たりがないようだった。
「喜久乃屋さんは店賃をきちんと入れてくれたし、店は繁盛してたんだがねえ。店賃は前払いでもらってるから夜逃げってのは解せないねえ」
また、主の喜久乃屋儀兵衛について調べた岡っ引きの話では儀兵衛というのは偽名らしいということだった。日本橋にはそのような者はいなかった。これ以上は調べようがないと思われた。
ところが同心の一人が名まえと人相風体が似た男がいると言う。
浅草猿若町の呉服屋喜久屋利兵衛がそれだった。場所柄、芝居の役者らの衣裳も扱っている店だった。すぐに喜久乃屋近辺の茶屋の者を連れて来て、通りの向かい側からではあるが、顔を確認させた。
「まちげえねえ。あれは喜久乃屋だ」
浅草猿若町の呉服屋が品川に茶屋を開いていた。しかも名まえを変えて。奇妙な話である。
同心らは今日も引き続き喜久屋の周辺を調べることになっている。
与力らも金四郎も月野家下屋敷の死人は浪人ではないかと睨んでいる。恐らく喜久乃屋で何かがあり浪人は死んだ。それを知って目付らが死体を運び出したに違いない。それで畳や襖がまっさらになっていたのではないか。
だが、一体どういう経緯でそうなったのか。実際の死体がない上に、品川は町奉行所の管轄の墨引きの外にあり、おおっぴらに調べるわけにはいかない。だが、金四郎は密かに喜久乃屋であったことを調べさせている。一体今日は何が判明するのか。
長岡の行方はそれとはまた別に追っているが、金四郎は月野家の動きが気になっていた。一体尼と浪人、袱紗にどういう関わりがあるのか。喜久屋利兵衛はなぜ品川の店をたたんだのか。
この日、金四郎は午前中登城し、老中と打ち合わせをして八つ前に奉行所に戻った。この後、たまっている訴訟の書類を整理するつもりであった。
だが、帰るなり、さる幕閣の使いが来て呼び出された。城ではなく屋敷にである。何かあったかと理由を考えたが心当たりはない。大体、ふだんまったくと言っていいほど接点のない相手なのである。
屋敷に行くと、ほとんど待たされることなく座敷に通された。
「左衛門少尉殿、急に呼び立てしてすまぬ」
すまぬなどと言われるとは思わず、金四郎はかえって恐縮した。何しろ相手は大名である。
「実は、今、そちらで調べをしておる一件についてだが」
調べている案件は山のようにある。犯罪だけでなく訴訟も扱っているのだから。一体どの案件なのか。
「月野家のことだが、手を引かぬか」
よもやそれが出てくるとは思わなかった。この幕閣は月野家とはまったく縁戚関係がないはずである。月野家の縁戚関係は最初に調べている。若殿はあちこちの蘭癖大名との交際があるようだが、この家の主とも世継ぎともまったく交渉はない。
予想外の話であった。
「何か障りが」
「ある」
はっきりと言われ、金四郎は驚いた。言葉を濁すこともなく断言するとはよほどのことである。しかもよくよくその表情を見れば、目が血走っている。これ以上突っ込めば、生きて帰さぬと言わんばかりであった。
「理由は言えぬ。だが、障りがあるのだ。これ以上の調べは無用。そもそも大名屋敷の中のことは町奉行が関知するところではない」
一体何の障りがあるのか。尼なのか、浪人なのか、喜久乃屋なのか。だが、そこまで彼が答えるはずはなかった。
「お尋ね者を匿っていたとしてもですか」
「そうだ」
あまりのことに金四郎は絶句した。
「これは余だけの考えではない。同じことを思っている者は他にもおる」
誰がなどと訊いたら大変なことになりそうだった。襖の向こうに人の気配があった。恐らく剣をいつでも抜けるようにしているはずである。
金四郎が返事を逡巡しているように見えたのか、幕閣はある旗本の名を告げた。
「……様もひどく御不興と聞く」
信じられなかった。三河以来将軍家に仕えた家柄の者がさようなことを。月野家のような外様をかばうとは。無論、その旗本も月野家との縁はない。
「畏まりました」
そう言うしかなかった。金四郎とて、ここから生きて出たかった。せっかく拝命した町奉行の職務をまっとうしたかった。
それに、長岡のことを調べるなと言っているわけではない。月野家から手を引けということなのだ。長岡の件を調べるのはお構いなしのはずである。
だが、大名の屋敷を出た後も不快感がまとわりついて離れなかった。
奉行所に戻ると、内与力の近藤と月野家や喜久乃屋についての調べを一任している与力・同心を自室に呼んだ。彼らは金四郎の命令に驚いたが、その理由を訊くことはなかった。彼らもこれまで幾度もそういう圧力を受けていた。
「そちらの精勤ぶりは十分わかっている。なれど此度ばかりは」
「畏まりました」
お奉行様までもが逆らえぬ力が加わっていることを悟った彼らは従順だった。従わねば、これまでずっと奉行所に奉職してきた累代の祖先がつないできた家が取り潰されるかもしれぬ。
金四郎は彼らを鼓舞するように言った。
「だが、長岡英仙の探索は今後も続けよ」
彼らにとってはそちらのほうが重大な案件だった。
火事の被害を受けぬように牢屋奉行が温情を加えたのに、それを無下にして牢屋破りをするなど、言語道断の振舞だった。奉行の信頼を踏みにじったのだから。しかも探索の目をくぐって江戸を出入りするなど、とんでもない輩であるとしか彼らには思えない。どんなに凄い学者だと言われても法を犯す者を許すことは彼らにはできなかった。
彼らは同心の控え部屋に戻ると、改めて長岡捕縛を誓ったのであった。
そういうわけで、遠山金四郎はふだんなら書類整理に費やす午後の時間をとられてしまい、結局その夜も遅くまで奉行所内で仕事をする羽目になったのだった。
家と職場が同じなのは有難かった。なにしろ町奉行は激務である。家がすぐそこだから少々仕事で遅くなっても不都合はなかった。
彼もまた朝早く起きると、しばし仕事のことをまっさらな頭で考える。
床から起き上がり、布団の上に胡坐をかいて、気になることを考えるのが、彼の長年の日課だった。
南町奉行としての仕事は多岐にわたる。現代の警察署、裁判所の仕事だけでなく、人別改め、養生所・牢屋敷・人足寄場・蔵前の札差業務・町会所の事務・町火消し・橋等の管理等、現代の東京都知事並、いやそれ以上の仕事量であった。
それでも遠山は優秀な官吏であるし、以前北町奉行であった経験もあるので、多忙ながらも仕事の処理は速かった。与力や同心たちも北町奉行時代の遠山の仕事ぶりを知っているので、仕事がしやすかった。何より、今は鳥居耀蔵も水野忠邦もいない。北町奉行所時代、何かと足を引っ張られていたが、二人とも失脚した。もう誰も遠山の足を引っ張る者はいない。
水野忠邦は老中として天保の改革を推進した。その一つが倹約である。
倹約は悪いことではないのだが、庶民のそれを厳しく取り締まるというのは、無駄としか思えない。奉行所の仕事は治安維持である。一般庶民を取り締まるよりも法を犯す者を取り締まるのが先だった。金使いが荒い、派手だと歌舞伎役者を罰するなど野暮な話だった。彼らは法を犯したりしない。彼らを取り締まって悪人が減るなら取り締まるが、悪人の数が減ったとは思えない。
一方で水野は海防のことなどよく考えていた。浜松藩内の軍事改革を行なっていると聞くから、それなりの見識はあるのだ。老中であった時も海防の必要性から川越藩や忍藩に相模、房総方面の海岸防備を命じたり、西洋砲術を導入している。倹約を進めるのはやり過ぎとも思えるが、海外に対する見識はやはりそれなりのものを持っているのだ。
金四郎の父の景晋は長崎奉行を勤めたり、ロシア船来航の折に幕府代表としてレザノフと会談したりしているから、金四郎自身も海外のことに関心はあった。いずれは国を外に開かざるを得なくなるかもしれぬと思っている。
ただ、自分は外交よりも町奉行の仕事のほうが性に合っているように思われた。町奉行としてこの江戸の町の治安を守る誇りを彼は感じていた。
恐らくそういう気持ちが強まったのは、若い頃の放蕩生活ゆえだろう。あまり人に語れぬことだが、一時期家を出て町人のように暮らしていた時期があった。親からもらった身体に彫り物も入れてしまった。髪も町人風の髷を結いふらふらと遊び歩いた。
だが、彼は己が決して町人になれぬことを思い知らされた。博打をしていても、女と遊んでいても、自分の行動の規範が幼い頃から叩き込まれた武士としての教育にあることを折々につけ思い知らされた。いくら身を持ち崩しても、そこに溺れられぬのだ。博打をしてもイカサマをしたくはなかったし、一度抱いた女には不実なことはできなかった。
自分は決して町人にはなれない。武士として生きようと悟った彼は家に戻った。
複雑な家庭環境の家だった。祖父の養子だった父景晋。景晋が養子に入った後に祖父に子の景善が生まれたため、父は景善を養子にし遠山家を継がせようとした。そして、景元はその景善の養子であった。実の父景晋が祖父ということになる。
そんな家に戻り数年後、景善は後を継ぐ前に亡くなった。景元は将軍家世継ぎであった家慶の小納戸として側近く仕えるようになった。将軍になった今も家慶は何かと景元を気にかけてくれる。恐らく若い頃から仕えている景元を信頼してくれているのだろう。その信頼に応え仕えるのは幕臣として当然のことだった。
父は勘定奉行まで上りつめた。景元は己の出世の上限を町奉行と定めた。それは若き日にともに生きた市井の人々の暮らしを守りたいという気持ちがどこかにあったからかもしれぬ。外交のことはこの先いくらでも詳しい者が出てくるであろう。だが、江戸の町方の暮らしに詳しい者が町奉行になるとは限らない。町方の暮らしを少しでも知っている己が奉行になればというのは僭越かもしれぬが。
だから、北町奉行の職を拝命した時は有難かった。この職につけてくださった公方様、町方の者達のために粉骨砕身尽くそうと思った。町奉行の誇りを胸に抱いて。
だが、そんな誇りのかけらがあるとも思えぬ、罪なき者に罪をかぶせるような男が鳥居だった。
およそ、鳥居のような男は町人にもいないのではないかと遠山は思う。いたとしたら、商人であれば客は来ずに身代は傾き、農民であれば作物がまともに育つであろうかと思うほどだった。
すでに遠山が北町奉行になる前年に鳥居の水野忠邦への告発に端を発した蛮社の獄で蘭学者らが罰せられる事件が起きていた。水野忠邦は海防の必要性を感じているのに、鳥居はその足を引っ張っているようなものだった。
いくら儒学の林家の出とはいえ、鳥居の蘭学者迫害は常軌を逸しているように遠山には思えた。
さらに当時の南町奉行の矢部定謙を失脚させて、己が南町奉行になってしまった。矢部は御預け先となった伊勢桑名藩で憤死した。さすがに遠山もこれはひどいと思ったが、本当にひどいのはこれからだった。水野忠邦の改革の先鋒として市中の取り締まりに励み、平気でおとり捜査をやり町人らからは妖怪呼ばわりされるほどだった。
寄席や芝居の弾圧までも行った。これには遠山もさすがに反対せざるを得なかった。
江戸の町に住む者達は寄席や芝居を楽しみにしていた。それが奪われたら一体どういうことになるのか。不満のはけ口はやがて御公儀に向かうことになるかもしれない。彼らの力を甘く見たら大変なことになる。遠山は祭の時の彼らの勢いを知っている。彼らはひとたび大きな目標を持てば一致団結してそれに向かっていくのだ。祭ならいいが、それがもし御公儀に向かったとしたらどうなることか。
芝居小屋廃止の話まで出た時には、さすがに反対し廃止せずに浅草猿若町への移転をさせるということにした。これによって金四郎は芝居関係者から感謝され、現代でも芝居や映像の世界で遠山の金さんとして称揚されることになる。
他にもあれこれと水野の改革に水をさしたせいで、結局北町奉行を罷免され大目付に昇進したものの、名誉職的な物で水野の改革を止めることなどできなかった。
だが、水野も鳥居も失脚し、金四郎は南町奉行に任命された。
今度こそと思う。水野や鳥居と争っていた北町時代よりもずっと仕事がしやすくなった。彼らへの対応さえなければもっと仕事ができたはずなのだ。
今、遠山を悩ませている案件があった。
鳥居の尻ぬぐいである。
鳥居が水野に密告したことがきっかけで起きた蛮社の獄。その際に幕政批判で永牢を申付けられた長岡英仙という町医者の一件である。
昨年小伝馬町の牢屋敷で火事があった際に解き放ちを行ない、火元に近い牢の囚人たちを逃した。彼らは帰ってくれば罪一等減じられる。だが、長岡は期日までに帰ってこなかった。帰らぬ場合は死罪となる。
故郷の陸奥や目撃されたという越後、信濃等に役人を派遣したが、見つからなかった。手配書も各地にまわしているが行方は杳として知れなかった。
だが、与力も同心も彼をこのまま放置する気はなかった。彼らは代々奉行所で働き、自分達の職分に誇りを持っていた。また同心たちは近くに住み、縁組もその中で行なうことが多いので皆親戚であり、家族同様の団結力があった。罪人を相手にするので不浄役人などと言われるが、彼らほどよく働く役人はいないと金四郎は思っている。
彼らの誇りのためにも誇りを汚した長岡を是非とも捕縛せねばならなかった。
金四郎は長岡の蘭学者としての一面も知っている。彼の知る幕閣や大名の中には長岡を高く評価している者もいることはわかっている。父が生きていれば惜しい人物と評したかもしれない。鳥居の罠にはまった哀れな男とも言える。
けれど、彼は法に従わなかった。戻るべきなのに戻らなかった。これは町奉行としては処罰せねばならなかった。人は濡れ衣を着せられたと言うかもしれぬが、彼が幕政を批判したことは証拠の文書もあることであった。鳥居の密告がなければ捕まらなかったかもしれぬが、いったん捕まり取り調べを受け、罪が確定したならそれに従ってもらわねばならない。それが天下の御定法というものである。
それを簡単に許すなど、幕臣としてはできなかった。
その長岡がどうも江戸にいるらしいのだ。
確証はない。が、古参の同心が怪しいと言う。
始まりは広尾村の尼だった。尼が浪人に襲われた。だが、物盗りではない。浪人はその場に一分銀を落としたと言う。しかもその一刻ほど後にさる御家中の家臣らが尼の元を訪れた。彼らは尼を知り合いの医師に診せた後、家中の屋敷に引き取ってしまった。
その家中と昵懇の与力に事情を聴くと浪人の落とした袱紗に家中と縁のある家の紋があったので、これ以上の探索は無用と言われたと白状した。
金四郎は大名の御家騒動に巻き込まれても困ると思った。大名屋敷の中のことは町奉行の仕事ではない。が、それを聞いた古参の同心が怪しいと言う。
なんでもその家中で最近世継ぎになった若殿は蘭学好きで、部屋住みの頃に長岡の一件であれこれ調べたことがあるのだと言う。その時は特に怪しいこともなかった。だが、彼の側近には長岡と親しい蘭学者中田英春の弟子田原十郎右衛門がいた。
またもう一人の側近佐野覚兵衛が五月十八日に長岡の妻子の家に行って数日後、長岡の妻子は行方をくらませてしまっていた。同心は長岡が江戸に戻ったら必ず妻子の元に行くと思って妻子の住まいを見張らせていたのである。若殿の側近は長岡の妻子に金銭的援助をしていたようで、その金の出どころは若殿もしくはその周辺の人物と見られている。長岡の妻子が動いたということはことによると長岡が戻って来たということではないかと同心は考えていた。
尼や浪人が長岡のことを知っているかどうかはわからぬが、この一件を利用して江戸屋敷に入り、若殿、あるいは側近を調べれば長岡の居所もわかるのではないかというのである。
それには金四郎もうなった。
確かにそうだ。町方は狭い土地に大勢が住み、人の出入りも激しい。姿をくらますには大勢の人の中に紛れるのが一番である。若かった金四郎自身も家からの追手をまくために人込みに紛れたことが幾度もあった。ましてや地方からも大勢の人間が江戸に流れ込んでいる。長岡は北国の訛りがあるが、そんな人間は大勢いる。江戸の町は絶好の隠れ場所となる。
同心はすでに配下の岡っ引きらに浪人の名を調べさせていた。彼が元星川家中の者で、佐野と同じ玄武館にいたことも調べていた。
金四郎は内与力の近藤を月野家に送り込んだ。浪人の名を知らせる代わりに、揺さぶりをかけてみようと思ったのである。
どこの大名家も一番恐れているのは改易だった。もし若殿が町奉行所で探索している牢抜けした長岡を匿ったり援助していたとしたら。それが露見すれば御家はおしまいである。家臣らは当然若殿に危険な橋を渡らせるわけがない。長岡への援助は断たれる。兵糧攻めに遭えば長岡も隠れ家から出ざるを得まい。彼は一人ではない。妻子がいるのだから。ことによると、家老あたりが長岡の居場所を知らせてくれるかもしれぬ。若殿のしでかしたことの代償に。
金四郎も五十三。長い役人生活で揉まれてきている。大名屋敷に町奉行は入れぬ。だが、こういうやり方であれば、あちらから協力してもらえる可能性もある。
万が一何の動きもない場合はまた別の手を使えばいい。
だが、一つ奇妙なことがあった。
一昨日の晩、月野家中の目付らが品川の喜久乃屋という茶屋に現われていた。酔いつぶれた者を迎えに来たにしては、小物らまで来ており、明らかにおかしかった。
彼らはなぜか漬物を積んだ荷車を白金の下屋敷に運んでいる。
翌日にはそこから棺桶が菩提寺に運ばれていた。誰が死んだのか調べると、下屋敷の者だということであったがそれにしても慌ただしい葬送であった。
さらに、奇妙なのは喜久乃屋が忽然と消えたことだった。建物はそのままで店の中はもぬけの殻。品川にやった岡っ引きが大家に中を見せてもらったところ、一室だけ畳と襖が新しくなっている部屋があった。よく見ると柱に小さな赤黒い染みがあった。大家に何かあったのか聞いたが、大家には心当たりがないようだった。
「喜久乃屋さんは店賃をきちんと入れてくれたし、店は繁盛してたんだがねえ。店賃は前払いでもらってるから夜逃げってのは解せないねえ」
また、主の喜久乃屋儀兵衛について調べた岡っ引きの話では儀兵衛というのは偽名らしいということだった。日本橋にはそのような者はいなかった。これ以上は調べようがないと思われた。
ところが同心の一人が名まえと人相風体が似た男がいると言う。
浅草猿若町の呉服屋喜久屋利兵衛がそれだった。場所柄、芝居の役者らの衣裳も扱っている店だった。すぐに喜久乃屋近辺の茶屋の者を連れて来て、通りの向かい側からではあるが、顔を確認させた。
「まちげえねえ。あれは喜久乃屋だ」
浅草猿若町の呉服屋が品川に茶屋を開いていた。しかも名まえを変えて。奇妙な話である。
同心らは今日も引き続き喜久屋の周辺を調べることになっている。
与力らも金四郎も月野家下屋敷の死人は浪人ではないかと睨んでいる。恐らく喜久乃屋で何かがあり浪人は死んだ。それを知って目付らが死体を運び出したに違いない。それで畳や襖がまっさらになっていたのではないか。
だが、一体どういう経緯でそうなったのか。実際の死体がない上に、品川は町奉行所の管轄の墨引きの外にあり、おおっぴらに調べるわけにはいかない。だが、金四郎は密かに喜久乃屋であったことを調べさせている。一体今日は何が判明するのか。
長岡の行方はそれとはまた別に追っているが、金四郎は月野家の動きが気になっていた。一体尼と浪人、袱紗にどういう関わりがあるのか。喜久屋利兵衛はなぜ品川の店をたたんだのか。
この日、金四郎は午前中登城し、老中と打ち合わせをして八つ前に奉行所に戻った。この後、たまっている訴訟の書類を整理するつもりであった。
だが、帰るなり、さる幕閣の使いが来て呼び出された。城ではなく屋敷にである。何かあったかと理由を考えたが心当たりはない。大体、ふだんまったくと言っていいほど接点のない相手なのである。
屋敷に行くと、ほとんど待たされることなく座敷に通された。
「左衛門少尉殿、急に呼び立てしてすまぬ」
すまぬなどと言われるとは思わず、金四郎はかえって恐縮した。何しろ相手は大名である。
「実は、今、そちらで調べをしておる一件についてだが」
調べている案件は山のようにある。犯罪だけでなく訴訟も扱っているのだから。一体どの案件なのか。
「月野家のことだが、手を引かぬか」
よもやそれが出てくるとは思わなかった。この幕閣は月野家とはまったく縁戚関係がないはずである。月野家の縁戚関係は最初に調べている。若殿はあちこちの蘭癖大名との交際があるようだが、この家の主とも世継ぎともまったく交渉はない。
予想外の話であった。
「何か障りが」
「ある」
はっきりと言われ、金四郎は驚いた。言葉を濁すこともなく断言するとはよほどのことである。しかもよくよくその表情を見れば、目が血走っている。これ以上突っ込めば、生きて帰さぬと言わんばかりであった。
「理由は言えぬ。だが、障りがあるのだ。これ以上の調べは無用。そもそも大名屋敷の中のことは町奉行が関知するところではない」
一体何の障りがあるのか。尼なのか、浪人なのか、喜久乃屋なのか。だが、そこまで彼が答えるはずはなかった。
「お尋ね者を匿っていたとしてもですか」
「そうだ」
あまりのことに金四郎は絶句した。
「これは余だけの考えではない。同じことを思っている者は他にもおる」
誰がなどと訊いたら大変なことになりそうだった。襖の向こうに人の気配があった。恐らく剣をいつでも抜けるようにしているはずである。
金四郎が返事を逡巡しているように見えたのか、幕閣はある旗本の名を告げた。
「……様もひどく御不興と聞く」
信じられなかった。三河以来将軍家に仕えた家柄の者がさようなことを。月野家のような外様をかばうとは。無論、その旗本も月野家との縁はない。
「畏まりました」
そう言うしかなかった。金四郎とて、ここから生きて出たかった。せっかく拝命した町奉行の職務をまっとうしたかった。
それに、長岡のことを調べるなと言っているわけではない。月野家から手を引けということなのだ。長岡の件を調べるのはお構いなしのはずである。
だが、大名の屋敷を出た後も不快感がまとわりついて離れなかった。
奉行所に戻ると、内与力の近藤と月野家や喜久乃屋についての調べを一任している与力・同心を自室に呼んだ。彼らは金四郎の命令に驚いたが、その理由を訊くことはなかった。彼らもこれまで幾度もそういう圧力を受けていた。
「そちらの精勤ぶりは十分わかっている。なれど此度ばかりは」
「畏まりました」
お奉行様までもが逆らえぬ力が加わっていることを悟った彼らは従順だった。従わねば、これまでずっと奉行所に奉職してきた累代の祖先がつないできた家が取り潰されるかもしれぬ。
金四郎は彼らを鼓舞するように言った。
「だが、長岡英仙の探索は今後も続けよ」
彼らにとってはそちらのほうが重大な案件だった。
火事の被害を受けぬように牢屋奉行が温情を加えたのに、それを無下にして牢屋破りをするなど、言語道断の振舞だった。奉行の信頼を踏みにじったのだから。しかも探索の目をくぐって江戸を出入りするなど、とんでもない輩であるとしか彼らには思えない。どんなに凄い学者だと言われても法を犯す者を許すことは彼らにはできなかった。
彼らは同心の控え部屋に戻ると、改めて長岡捕縛を誓ったのであった。
そういうわけで、遠山金四郎はふだんなら書類整理に費やす午後の時間をとられてしまい、結局その夜も遅くまで奉行所内で仕事をする羽目になったのだった。
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