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絡まる謎

肆 愛の城攻め

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 何カ所も口づけられるうちに、佳穂は寝間着の前がすっかりはだけられ、腰にも手を回されていることに気付いた。

「そなたは見かけよりもずっとまろやかな身体なのだな」

 腰の丸みを撫でながら又四郎は言い、身体に口づけた。

「あ、そんな」

 口づけられた場所から全身にうずくような甘いおののきが広がっていく。触れられた腰からも熱が伝わり、佳穂は声が抑えられなくなった。添い寝役にも聞こえているはずだった。恥ずかしさで泣きたくなったが、又四郎は手の動きも口の動きも止めなかった。
 時折、口を身体から離すと出てくるのは甘い言葉だった。

「かわいいな、お佳穂は」
「愛しうてならぬ」
「なんと、滑らかな肌ぞ」

 そんな言葉の種が尽きそうになる頃、又四郎の指は腰から足の間のある一点に移動した。

「あ、そこは」

 そこが肝心かなめとわかっていても、やはり衝撃は大きかった。今、そこは口にも出せぬありさまになっている。

「許せ。ここをほぐさねば、痛いだけゆえ」

 そう言うと、又四郎は大事なものをいたわるように、そのあたりを大きな手で包み込んだ。手のひらの熱で佳穂は頬までも熱くなってきたように感じた。

「ふっくらとしてよいな」

 ゆっくりと撫でる動きは優しかった。そこにあるのは愛しさだと佳穂にもわかった。

「城には必ず水の手がある。それを制すれば、どんな堅固な城であっても必ず落ちる」

 佳穂という城を攻めようと、又四郎は水の手を探った。

「あっ、やっ」

 思わず声がこぼれてしまった。

「なんと豊かな水の手よ」

 又四郎はそう言いながら、佳穂の足の間に座り、足の間を凝視した。
 見られている。あの場所を。衝撃で佳穂は泣きたくなった。色道指南書に描かれたあの場所は佳穂自身からは見えぬ角度から見た物で、とても自分の身体の一部とは思えなかった。あれを見られるとは。

「お許しください。見ないでくださいませ」
「なぜだ」

 そう言いながら指が周囲を撫でた。それだけでえも言われぬ熱と痺れが背筋を駆け抜けた。

「ああっ、いやあっ」
「嫌なのか」

 嫌というわけではない。ただ、未知の感覚が怖かった。けれど、何と言えばいいのかわからなかった。

「恐ろしうて」

 それだけしか言葉が出て来なかった。他にも伝えたいことがあるのに、何と言えばいいのだろうか。

「まことそなたは難攻不落の城。落とし甲斐があるというもの」

 まるで戦国の武将のような又四郎であった。
 その前では佳穂という城は風前の灯のように思われた。
 また指が佳穂の水の手を攻めた。静かな部屋に佳穂の声が響くたびに、未知の感覚が次第に既知のものになっていく。
 これでいいのだろうか。佳穂の頭の中に疑問が浮かんだ。
 力が欲しいと思う自分は何か間違っているように思われた。懸命な又四郎のまぶしいほどの情熱を感じるにつれ、違和感が募る。
 又四郎は己の心のうちにある権力への思いをどう思うのであろうか。確かに佳穂は又四郎に惹かれている。けれど、今、佳穂は力を欲している。奥の鳴滝の期待にも添いたかった。権力や他人の期待のために、又四郎の己への思いを利用しているのではないか。
 そう思った瞬間、不実という言葉が思い浮かんだ。己は不実なことをしようとしている。いや、現にしているのではないか。
 ただただ純粋に自分を愛おしむ又四郎に対して、なんということを。

「お佳穂、いかがした」

 指の動きが止まった。

「なんでもありません」
「なんでもないのか」

 又四郎はじっと佳穂を見つめた。

「そうか。ならば」

 そう言うと、又四郎は佳穂から離れ、横に仰向けになった。何をするのかと思い、佳穂は横を向いた。
 又四郎は着ていた寝間着を脱ぎ、下帯一つになったかと思うと、その紐を解いた。

「えっ」

 思わず声をあげていた。下帯に隠れていたものが顔をのぞかせた。横になっている佳穂にもその立ち姿ははっきりとわかった。

「私ばかりがお佳穂に触れていては申し訳ない。ゆえにお佳穂、そなたも私に触れてくれぬか。こやつを可愛がって欲しい」

 鳴滝に読ませられた書物を思い出した。あれに触れる。あれが己の身体に入ることは想像していたが、触れることなど考えてもいなかった。畏れおおいというよりも、気味が悪かった。

「お、畏れながら」

 佳穂は身をすくませた。あのような不思議な形のものにどう触れればよいのだ。

「畏れながら、そのような大切なものにみだりに触れるわけには参りません」

 こう言うのが精一杯だった。

「そうか」

 どこか寂し気な響きだった。だが、どうすればいいのか。佳穂にはわからなかった。
 又四郎はさっと寝間着を羽織った。そして、佳穂のはだけた寝間着もきちんと前を合わせた。
 今宵はもうないのだと、佳穂は悟った。又四郎は怒っているのかもしれない。
 佳穂は起き上がり又四郎に背を向け、寝間着の帯を締めた。背後でも帯を締める気配があった。
 振り返った。又四郎は上半身を起こしたまま、佳穂を見つめていた。

「申し訳ございません」

 佳穂にはそれしか言えない。又四郎の機嫌を損ねてしまったのだから。
 頭を下げた佳穂の頭上でため息が聞こえた。

「お佳穂、顔を上げよ」

 顔を上げた。又四郎の顔はどこか悲し気だった。

「誰に何を言われたか知らぬが、焦らずともよい。来年の国入りまではまだ時がある」

 だがそれでは遅いのだ。少しでも早く懐妊して、お園の身の上をなんとかしなければならぬ。そう思うと、涙がこぼれそうになった。だが、じっとこらえた。泣いてはならない。

「私はそなたが愛しうて、そなたのすべてに触れ、すべてに口吸いをしたいと思っておる。だが、お佳穂はまだそこまで気持ちが強くなっておらぬ。そんな状態で、いつくしみあっても共に幸せを分かち合うことはできない。焦らずともよいのだ。その時が来るまで、私は耐える。いや、その時を楽しみに待つ。お佳穂ほどの美しく堅固な城はないのだから」

 又四郎の気持ちが佳穂には痛いほど伝わってきた。けれど、それを待つ間、お園はどうなるのだ。
 佳穂はついにうつむいてしまった。涙を見られたくなかった。だがこぼれたそれは寝間着の上にぼたりと落ちた。
 又四郎はすっと近寄り佳穂を抱き締めた。
 その熱に堪えられず、佳穂はなおも涙を流してしまった。又四郎の寝巻の上にも涙がこぼれた。

「申し訳、ございません」
「泣くことはない。私は嬉しいのだ。お佳穂が己の気持ちに素直で。傾城けいせいのように心にもない偽りを申して男を迷わす振舞などできぬそなたは、まこと可愛い」

 その傾城のような振舞をしようとしていたのだと、佳穂は気付いた。己はなんと愚かなことを。けれど、どうすればいいのだろうか。
 申し開きをするのは卑怯かもしれぬ。だが、自分は素直な女ではないのだ、それをわかってもらわねばならない。

「若殿様、私はどうしても、力が欲しかったのです」

 佳穂を抱き締める力がわずかに弱くなった。

「何故」
「お園を、なんとかして助けたかったのです。なれど、私には何もできぬゆえ」

 又四郎は黙って佳穂を強く抱き締めた。何もできないのは又四郎も同じだった。今回の裁きは御前様が下す。それ次第では梶田家は断絶にもなりかねない。その上、目付の吉井には長岡の命運を握られている。
 だが、佳穂はお園のために力が欲しいと言った。奥で力を得るには男児を生まねばならぬ。その覚悟で今夜はここに来たのかと思えば、無下にはできない。

「わかった。できるだけのことをしよう」

 佳穂は顔を上げた。又四郎は涙の痕を指先で撫でた。

「ただし、今宵のようなやり方ではなくな。そなただけがどうにかしたいと思っているわけではないのだぞ。私も梶田のことはどうにかせねばと思っている。だから、私に任せて欲しい」

 心強い言葉に佳穂は又四郎が若殿様でよかったと思った。いや、若殿様でなくとも、又四郎に思われていることが嬉しかった。
 が、不思議なのは一体いつから佳穂を知っているのかということだった。佳穂には全く記憶がない。このような方なら、必ず記憶に残るはずなのに。

「今宵はもう休もう。明日は昼にこちらへ来ぬか。シロに会っておらぬだろう。明日は、毛刈りをするゆえ、見に来るがいい」
「毛刈りとは」

 一体あのもこもことした犬の毛を剃ってしまったらどうなるのであろうか。

「あれは水鳥の狩りをする犬ゆえ、少し変わった刈り方をするのだ。どんな姿になるか楽しみにしておれ」

 又四郎はそう言うと、佳穂を己の床に招いた。

「そんな畏れおおいことは」
「あれが怖いのか」

 佳穂は先ほど見たもののことを思い出した。怖くないと言えば嘘になる。

「今宵は大丈夫だ。あやつはなかなか手強いのだが、そなたのためを思えば大人しくしてくれよう」

 まるで自分の物ではないもののように言うのが、佳穂は少しおかしかった。

「あやつとは」
「あやつはな、私の意思とは無関係に動くことがあってな。大抵の男は皆そうであろうな。だから、男はまずはあやつを手なずけねばならぬのだ。それができねば、身を滅ぼすこともある」

 佳穂には想像もつかない話であった。

「いつか、そなたがあやつのことを好きになってくれればよいのだが」

 まるで古い友人のことを話すかのようで、佳穂は思わず笑ってしまった。

「それだ。お佳穂、その顔だ。そなたは笑っておるほうがよい」
「見苦しい顔ですのに」

 涙のせいで化粧が落ちている顔がよいなどとは思えない。

「化粧などいらぬ。そなたはそなたのままでいいのだ」

 佳穂はそっと上掛けをはがして、又四郎の横に身を横たえた。横を向くと、又四郎の顔が目の前にあった。
 佳穂の額の生え際に唇が寄せられた。

「お休み、よい夢を見るのだぞ」





「背中から一突きだな」

 ここは品川の茶屋喜久乃きくの屋の一室。
 手燭の光で照らされているのはうつ伏せに倒れている男である。その血にまみれた背中に刺さった懐剣を見て吉井は言った。

「急げ。気付かれぬように」
「はっ」

 目付の配下の者達が一斉に動き、男の死骸をむしろで包み始めた。
 吉井は部屋の入口に立ちすくむ宿の主人儀兵衛ぎへえに世話になったと言い、いくばくかの金子の包をそっと腕に握らせた。
 その重さに白髪交じりの髪の主人は仰天した。

「これはいけません」
「部屋の畳と襖の取り換え代金だ」
「へい、それならば」

 主人は今夜は悪夢を見そうだと思った。いや、眠れるかどうか。




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