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34 よきにはからえ

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「エルンスト、何という……ひどい」

 エルンストから人としての尊厳を奪ったフランク王に改めて怒りが湧いてきた。ダンスの相手にアレクサンドラを許したのはグスタフだからそれを結果的に奪うことになったグスタフ自身に怒りを向けるなら話がわかる。それなのに、家臣であるエルンストをこのような屈辱的な目に遭わせるなど、許しがたい話だった。
 グスタフは持っていた剣で縄を切っていった。縄を切られるたびにエルンストは手で局所を隠し、足を閉じ、最終的にはグスタフに背を向けて身体を丸めた。

「申し訳ありません。かような情けない姿になり果てて」

 グスタフは寝台のそばに散らかされたエルンストの服を拾い上げた。床の掃除が行き届いているためか、ほとんど汚れていなかった。

「おまえが悪いのではない。悪いのはフランクの奴だ」
「ですが……」
「ラグランドとの関係が悪くなるのを恐れて、おまえは行ったのだろう。それは家臣として国王の俺や国民を思っての行為だ。おまえは逃げなかった。勇敢だ」
「私は勇敢ではありません。ここに縛り付けられる前に舌を噛んで死のうと思いましたが、できませんでした」
「舌を噛んだら死ぬのか」

 グスタフの想像を超えた話だった。舌は赤いから血がたくさん流れて死ぬのであろうか。舌を間違って噛んでも痛いのだから死ぬほど噛む苦痛は耐えがたいものだろう。あまり望ましい死に方ではない。

「屈辱を受けたら東の国ではそのようにして死ぬのだと書物に書いてありました」
「ここは東の国ではない。それに、生きていてくれてよかった。おまえが死んだら、俺はきっとフランクを」
「いけません、それだけは」

 エルンストは起き上がるや否や寝台から飛び降りた。グスタフはその勢いに呆気にとられた。

「わかった。おまえが無事だから殺さない。さあ、服を着ろ。あ、その前に傷つけられなかったか」
「それは大丈夫です」

 服を受け取ったエルンストはお待ちくださいとグスタフを外へやった。
 廊下でエルンストを待つ間、グスタフはフランク王の行方が気になった。アレクサンドラのことだから、おかしなことにはなってはいないと思うが。
 それにしてもアレクサンドラの部下というのはなんとも不思議な者達であった。アレクサンドラは後宮で女官長見習いとして働いていたというから、部下がいても不思議ではない。シュターデン公爵家からついてきた者もいるはずである。
 それがフランク王の動きを把握していたり、王の随行している警備を倒したり、挙句の果てには王と側近をあっという間に連れ出してしまった。
 後宮は女性が多数いる場所だから、護身のために武芸の嗜みのある女性がいてもおかしくない。だが少し多過ぎるような気がする。何よりアレクサンドラ自身が何らかの武術を用いて王を床の上に倒している。
 アレクサンドラは己を鍛えるだけでなく部下達に武術を奨励していて、いざという時に備えているのだろう。
 今回のようなことは想定していなかったであろうが、アレクサンドラに礼を述べ何らかの加増をせねばなるまい。
 
「お待たせしました」

 エルンストが出て来たので、アレクサンドラのことはいったん棚に上げたグスタフだった。

「まことに申し訳ありません。いまだ舞踏会の途中だというのに陛下を巻き込んでしまいました」
「謝るな。それよりも礼を言ってくれると嬉しい」
「気付きませんで申し訳ありません。ありがとうございました」

 グスタフはうむとうなずいた。そして、エルンストを抱き寄せた。

「いけません」
「今こうしなくていつするんだ?」
「陛下……」

 真っ暗な廊下には月の光が差し込むばかりであった。
 長い時間が経ったような気がした。エルンストはグスタフの腕から解き放たれた。

「シュターデン公爵令嬢はどちらに」

 エルンストは彼女にも礼を言いたいのだろう。

「先に出て行った」
「フランク王陛下は」
「よきにはからえと言ったので、令嬢がよきにはからってくれているのだろう」
「……」

 エルンストは絶句した。

「悪いようにはするまい。この国の者ならこの国の法で裁くが、他国からの客人、それも国王だ。法で裁くといろいろと障りが出る。さて、大広間に戻るぞ。おかしなことを噂する者がいるだろうからな」

 グスタフもさすがにアレクサンドラとの間に何かあると噂する人間の存在は想像できた。
 緑の宮殿の建物を出ると、ランタンを持ったエラが現れた。

「宮殿までお供します」

 彼女のおかげで道に迷うことなく大広間に戻れた。エルンストは持ち場に戻った。
 グスタフも王座に戻った。広間は踊る男女で覆い尽くされていた。アレクサンドラはと見回すと、壁のそばの椅子に座る兄のハインリヒの隣にいた。何事もなかったような顔をしている。

「陛下、よろしいでしょうか」

 侍従長が耳打ちした。

「お開きか」
「はい」
「フランク王がいないようだが」

 侍従長は実はと耳打ちした。グスタフは鷹揚にうなずいた。

「よきにはからえ」
「かしこまりました」

 侍従長は副侍従長に何事か指示した。副侍従長は小走りにその場から退出した。



 大舞踏会は何事もなく終了した。ちょっとした事件はあった。
 国王が公爵令嬢と休憩と称して一時間弱会場から姿を消したり、フランク王が途中で退席したりといったものだが。
 大舞踏会の数日後、市民の間で読まれている新聞の貴族のゴシップ欄にちょっとした記事が掲載された。
 舞踏会に招待された某国王が、シュターデン公爵領で作られている強い酒を飲み過ぎて部下とともに酔いつぶれてしまい、宮殿の庭で下着姿で寝ているところを不審者と間違えられて衛兵に身柄を拘束されたというものだった。
 記事には大柄な国王を起こすのに衛兵が苦労したとあり、人々はどこの国王かすぐに察した。
 以来、この国王のことが話題にのぼるたびに人々はあの酔っ払いのと口にすることになる。
 実際は衛兵に拘束されてなどいない。発見したのは庭園で逢引をしていた某伯爵と某子爵夫人である。伯爵はすぐに侍従に、侍従は侍従長に、侍従長は国王に知らせたというわけである。
 酔いつぶれていた国王や側近らは緑の宮殿に運ばれ、フランク王の醜態は隠蔽されたはずだった。
 だが、某子爵夫人の口は軽かった。あっという間に社交界に話は広まり、新聞記者に知られることになったのだった。
 なお、この一件の後、シュターデン公爵領で醸造されている強い酒が国内で売れるようになった。堂々たる王を酔いつぶれさせるほどの酒を飲んでみたいと思う人々の好奇心故であろうか。



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