上 下
23 / 39

23 父の賭け

しおりを挟む
 廊下で待っていたブルーノ、ゲッツ、それにエルンストはグスタフが出て来ると安堵の表情になった。

「よくぞ、御無事で」

 そう言うエルンストこそよくも無事だったものとグスタフは思う。上着に返り血が付いている。

「怪我はないか」
「はい。とどめは刺せませんでした」

 エルンストとしてはグスタフに兄殺しの汚名をこれ以上着せたくなかったのだろう。

「公爵夫人は何と」

 ブルーノの問いにグスタフは彼女が病床にあることを告げた。

「道理で近頃姿を見せなかったわけだ」
「冬至の夜の刺客はエリーゼの策だ。コルネリウスもエリーゼが差し向けた」
「恐ろしいおひいさまだな」

 ゲッツはゲオルグが出て来たドアを見た。あのドアの向こうで妾腹の弟の暗殺の計画が練られていたとは。
 ブルーノは木箱を抱えた。グスタフが持つと言うと、未来の陛下にさせるわけにはいかないと笑った。
 いつの間に現れたのか、執事は四人を公爵の居室に案内した。



 執事はグスタフだけを部屋に入れた。
 公爵は思いのほか、しっかりとしていた。病みやつれていたが、寝台から起き上がり、ガウンを身に付けて応接の間でグスタフを迎えた。

「よくここまで来た」

 前に会った時よりもひとまわり小さくなった父に、グスタフは涙が出そうになったが堪えた。

「父上、お座りください」
「未来の王の命令とあらば、聞かねばな」

 グスタフは息を呑んだ。大きなクッションを背もたれに置いた椅子に座った父はさらに言った。

「お座りくださいませ」
「いいのですか」

 父はうなずいた。グスタフは父の正面に座った。

「公爵夫人におめもじしました。病とは御気の毒に」
「そうか。もう長くはあるまいな。わしのほうが早いと思っていたのだが」

 父の顔には苦渋がにじんでいた。グスタフの知らぬ歳月をともに過ごしてきた妻への愛情ゆえなのか。

「賭けをしたのだ」
「賭け、ですか」

 予想もしない言葉が父の口から出てきた。

「どちらが先に逝くか、わし一人だけのな。わしが先に逝けばアデリナの勝ち、アデリナが先に逝けばわしの勝ち。ゲオルグめ、侍女を籠絡しわしの食事に少しずつ毒を混ぜおった」

 グスタフはゲオルグにとどめを刺すべきだったと思った。

「病の進みがあまりに早いので妙だと思ったわしは侍女を買収しゲオルグの所業を知った。毒を少しずつゲオルグとアデリナに盛った。ゲオルグにはまだほとんど効いておらぬが、アデリナにはよく効いたようだ」
「父上?」

 正気とも思えぬ言葉だった。もしや父の病は頭の病気なのではないか。
 
「おまえを殺させぬためだ。ブリギッテの子のおまえを。どうやら賭けはわしの勝ちのようだ」

 公爵は笑みを浮かべた。何も知らぬ者が見れば、それは老人の満足の笑みにしか見えなかっただろう。グスタフにはエリーゼの微笑とそっくりに見えたが。
 
「わしの遺言はこれできちんと実行されよう。おまえに嫡出の子と同等の権利を認め公爵位を継がせると書いておいた。ゲオルグめ、遺言を見たのであろうな。それでわしに毒を盛り、おまえを殺そうとしたのであろう。おまえがいなければ遺言に何と書いてあろうとゲオルグは公爵だからな。だが、あれが倒れるのも時間の問題だ」
「父上……」
「アデリナもブリギッテを苦しめたのだから、それぐらいの代償は払ってもらわねばな」

 恐るべき家族であった。互いを憎み合い、殺すことさえ厭わぬとは。
 何もかも諦めて生きてきたグスタフには想像できぬ地獄だった。誰にも期待できぬと思いながらも領民と信頼し合う生活を送っていたグスタフは自分のいた場所は天国のような場所だったのだと今更ながら気付いた。
 ふとエルンストのことを思う。エルンスト、助けてくれ、この地獄から救ってくれとグスタフは叫びたかった。

「父上……」
「もう邪魔する者はいない。おまえはわしの与えた試練を乗り越え、レームブルック公爵となり、次の国王となるのだ。もっと背筋を伸ばせ。もっと堂々とせよ」
「父上の与えた試練?」

 公爵は息子を見つめた。

「わしは、おまえならこの屋敷に堂々と来ると思ったのだ。だからゲオルグに言った。いずれグスタフは人々の力を借りてここに来ると。あれも愚かではない。ゴルトベルガーあたりが手を貸すと察したのであろう」

 父の言葉でゲオルグは公爵邸にグスタフが来ると予期していたのだ。

「ゲオルグ一人倒せずに公爵になれるものか。わしもな、父の試練を乗り越えた。一人ではなく二人だがな」

 病の父の世迷言だと思いたかった。だが、公爵の目の光は衰えてはいなかった。
 そこへ執事が入って来た。

「そろそろ。御身体に障ります」

 公爵はうなずいた。

「うむ。グスタフ、おまえはわしのような過ちを犯してはならぬぞ」
「過ち……」
「まことに愛する者を手離してはならぬ。よいか、絶対にだ」

 そういうことだったのだ。父は愛するブリギッテと別れアデリナを妻としたことを悔いていたのだ。グスタフが生まれた後も、ヴェルナー男爵夫人が国を離れた後も。後悔ゆえに、遺言を書き、妻子に毒を盛った。そしてグスタフに試練と称して兄を殺させようとした。正気の沙汰ではない。けれど、愛する者を手離したことを過ちと言う父は哀れだった。
 いや、アデリナもゲオルグもカスパルもエリーゼもコルネリウスも。みなそれぞれに哀れだった。
 手離してならぬのは誰なのか、グスタフの脳裏に浮かぶのはただ一人だった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。 魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

堕とされた悪役令息

SEKISUI
BL
 転生したら恋い焦がれたあの人がいるゲームの世界だった  王子ルートのシナリオを成立させてあの人を確実手に入れる  それまであの人との関係を楽しむ主人公  

転生令息の、のんびりまったりな日々

かもめ みい
BL
3歳の時に前世の記憶を思い出した僕の、まったりした日々のお話。 ※ふんわり、緩やか設定な世界観です。男性が女性より多い世界となっております。なので同性愛は普通の世界です。不思議パワーで男性妊娠もあります。R15は保険です。 痛いのや暗いのはなるべく避けています。全体的にR15展開がある事すらお約束できません。男性妊娠のある世界観の為、ボーイズラブ作品とさせて頂いております。こちらはムーンライトノベル様にも投稿しておりますが、一部加筆修正しております。更新速度はまったりです。 ※無断転載はおやめください。Repost is prohibited.

竜王妃は家出中につき

ゴルゴンゾーラ安井
BL
竜人の国、アルディオンの王ジークハルトの后リディエールは、か弱い人族として生まれながら王の唯一の番として150年竜王妃としての努めを果たしてきた。 2人の息子も王子として立派に育てたし、娘も3人嫁がせた。 これからは夫婦水入らずの生活も視野に隠居を考えていたリディエールだったが、ジークハルトに浮気疑惑が持ち上がる。 帰れる実家は既にない。 ならば、選択肢は一つ。 家出させていただきます! 元冒険者のリディが王宮を飛び出して好き勝手大暴れします。 本編完結しました。

[完結]嫁に出される俺、政略結婚ですがなんかイイ感じに収まりそうです。

BBやっこ
BL
実家は商家。 3男坊の実家の手伝いもほどほど、のんべんだらりと暮らしていた。 趣味の料理、読書と交友関係も少ない。独り身を満喫していた。 そのうち、結婚するかもしれないが大した理由もないんだろうなあ。 そんなおれに両親が持ってきた結婚話。というか、政略結婚だろ?!

最終目標はのんびり暮らすことです。

海里
BL
学校帰りに暴走する車から義理の妹を庇った。 たぶん、オレは死んだのだろう。――死んだ、と思ったんだけど……ここどこ? 見慣れない場所で目覚めたオレは、ここがいわゆる『異世界』であることに気付いた。 だって、猫耳と尻尾がある女性がオレのことを覗き込んでいたから。 そしてここが義妹が遊んでいた乙女ゲームの世界だと理解するのに時間はかからなかった。 『どうか、シェリルを救って欲しい』 なんて言われたけれど、救うってどうすれば良いんだ? 悪役令嬢になる予定の姉を救い、いろいろな人たちと関わり愛し合されていく話……のつもり。 CPは従者×主人公です。 ※『悪役令嬢の弟は辺境地でのんびり暮らしたい』を再構成しました。

出戻り聖女はもう泣かない

たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。 男だけど元聖女。 一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。 「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」 出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。 ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。 表紙絵:CK2さま

処理中です...