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22 公爵令嬢の誇り

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「お母様」
「エリーゼなの?」

 豪華な天蓋付きの寝台の真ん中に横たわる公爵夫人アデリナは虚ろなまなざしで娘の声のする方向を見つめた。 
 エリーゼから母に会わせてやると言われて寝室まで来たグスタフであったが、公爵夫人はまったく気付いていなかった。グスタフの記憶の中にある冷ややかなまなざしをした美貌の公爵夫人は今ややせ衰えた病人となっていた。自慢の豊かな金色の髪は半分以上抜け落ち、地肌が透けて見えそうだった。魅惑的な目の周囲は黒ずんでいた。

「そうよ」
「宰相からの使者が来たのね」
「まだよ。来たら真っ先に知らせます」
「おねがい」

 かすかな声を発し病人は目を閉じた。ヘルムート男爵夫人は沈痛な面持ちで寝台の傍らに立っていた。
 エリーゼは寝室の隣にある応接の間にグスタフを招き入れた。
 豪奢な寝室同様に絨毯もテーブルも椅子も重々しくもまた華やいだものであった。けれど、エリーゼの表情は不似合なほど暗かった。グスタフは思った。エルンストが意識を取り戻す前の乳母のようだと。
 グスタフは一人掛けの椅子に腰かけた。エリーゼは一瞬眉を顰めた。恐らく自分が座るように命じる前に座ったので不快だったのだろう。

「いつから、あのように」
「もう二週間、いえ三週間になる。その前から体調が悪かったようだけれど、寝付くことなんてなかった。冬至の祭の時は無理してかもじを着けて夜会に出たけれど帰宅するとすぐに倒れて、以来ずっと寝台から離れられない」

 冬至の祭の時に既に病を発していた彼女は刺客を送ることを企てることができたのだろうか。ゲオルグが考えたのか。まさか、エリーゼが?
 表情を険しくしたグスタフを見てエリーゼは微笑んだ。まるでグスタフの表情の変化を楽しんでいるかのようだった。

「母は毎日宰相からの使者を待ってる。ゲオルグ兄様を陛下の後継者にするという知らせをね。シュターデン公爵が負傷したのだから、ゲオルグが次の王になると。でもディアナはあなたの名を口にした。だから、私は母の代わりにあれこれと考えた。あなたを消す方法を。コルネリウス兄様には毒をやったけれど、結局、あなたはここに来た」

 微笑んで語るような話ではなかった。

「冬至の夜のこともか」
「あれはカスパル兄様に頼んだの。兄さまの昔の友達の伝手を使った。でも二人ともやられるなんてね。まったく情けない話」

 二人の刺客のことを情けないと言い切ったエリーゼにグスタフは驚くしかなかった。彼らを道具のようにしか思っていないのではないか。

「黄色いバラの刺繍のハンカチーフを彼らは持っていた。彼らは公爵夫人のために闘ったのではないか」
「ああ、あれ。あれは私が彼らにやったの。母の部屋にあったのをお借りしたわ」
「つまり、公爵夫人に罪を着せたのか」
「人聞きが悪いわね。私は母の願いを代わってかなえたかった。カスパル兄様もそう」

 カスパルはレームブルックにもう到着したのだろうか。グスタフがいないことを知った彼が館の者達に危害を加えていなければいいのだが。恐らくノーラが残ったのはその対策のためだろう。
 それにしても、結婚を控えたエリーゼがそこまでする必要はないとグスタフは思うのだ。

「なぜ、あなたが母親のためにそこまでするのだ。あなたは自分の幸せだけを考えていればよかろうに。宰相の子息との結婚も近いのだろう」
「あなたにはわからない」

 エリーゼは傲然と言い放った。

「領地で漫然と日々を過ごしてきたあなたには。公爵家の誇りも王家の血を引く者の誇りもわかるはずがない」
「誇り?」
「そうよ。貴族の世界も知らぬ王家の血の薄いあなたにはわからない。そんな者は王にはなれない」

 確かにエリーゼの言う通り貴族の世界を知らぬし、母は王家の血を引いていない。だが、王になれぬと断言されるのは不快だった。グスタフにも人としての誇りはある。それを無視され、命を狙われた。故郷を離れここまでやって来たのは、生き延びるためだった。領民たちや商人、エルンストらに助けられてここまで来た今、グスタフは彼らのために王になる覚悟であった。貴族も王家の血も関係ない。

「貴族の世界を知り、王家の血が濃ければ王になる資格があると言うのか。人の命を平気で奪おうとする人間が王になってもいいのか」
「コルネリウス兄様を殺しておいて、何を言うの?}
「あれは自害だ。毒の入った酒を自分で飲んだんだ」
「ここに来るまでも、あなたは大勢を傷つけている。死ぬほどの怪我でなくとも仕事ができなくなれば人生は変わってしまう。あなたは家臣の人生を狂わせた。あさましいことだわ。そんなに玉座が欲しいの」
「黙って領地にいて殺されろと言うのか」
「そうよ。あなたは生まれるべきではなかった。お母様を苦しめるだけのあなたは」

 父が言っていたことを思い出す。公爵夫人に脅され母は隣国に行ったのだと。それでも、アデリナはブリギッテを許せなかったのだ。娘に恨みを伝えるほどに。
 母の怨念を受け継いだ娘の話などもう聞きたくなかった。
 グスタフは立ち上がった。エリーゼは言った。

「一口くらいお茶を召し上がったら」

 途中で侍女が運んで来たカップにグスタフは一切口をつけていなかった。

「申し訳ないが、俺はもう少し生きていたいんだ」

 背を向けてドアに向かうグスタフにエリーゼは隠し持っていたナイフを投げようと構えた。が、侍女が寝室と通ずるドアを開けて入って来た。エリーゼはナイフをさっと椅子の下に隠した。

「司祭様がお見えになりました」

 忘れていた。母の意識のあるうちにと思って昨夜教会に依頼していたことを。グスタフが今日ここに来るとわかっていたら明日にしたのだが。いや、明日では遅かったかもしれない。

「今行くわ」

 母の塗油式を前に人殺しはできなかった。運のいい男だとエリーゼは思った。



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