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17 借用書
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「さて、ではこちらへ」
食事の後に二階の書斎に案内された。書類棚と大きな机と硬そうな椅子しかない部屋だった。
机の上には書類が山のように積まれていた。入るなりゴルトベルガー氏は書類を指さした。
「これは借用書です。レームブルック公爵夫人と令嬢及びコンラート子爵、カスパル様の」
改めて御礼を言おうと思っていたグスタフは出鼻をくじかれた。意味がわからなかった。なぜ、兄が金を借りる必要があるのか。夜会に出るドレスを作る女性だけならともかく、兄までが借りるとは。
「元利合わせて8,346マルコになります」
「嘘だろ」
グスタフにとっては途方もない金額だった。1マルコ金貨でさえめったに見たことがないのに。
「いいえ、本当でございます。領地からの収入は公爵の家来衆がきちんと管理しておりますので、夫人も子爵もそちらから金を引き出すことができません。そこでゴルトベルガー銀行の融資をご利用されているのです。ただ、このところ返済が滞っておいでで。いずれは倍にして返すと仰せですが、無理かと。すでに元金5,000マルコに対し利子は3,346マルコ。利子が元金以上になるのは時間の問題。たとえコンラート子爵が王になられても、国庫も厳しいのですから払えるわけがない」
なぜゴルトベルガーが国庫のことまで知っているのか。グスタフもエルンストも疑問を抱いた。二人の疑問に気付いたのか、禿頭の男は言った。
「当銀行は国にも貸付をしております」
「なんと!」
「王朝初代から三代様までは国庫もゆとりがあったと聞きます。四代様の時に戦がありました。また五代様の時には飢饉が起きました。以来、国の庫はぎりぎりの状態。今の幼い陛下にはどうしようもできません。このままでは財政破綻。銀行も倒産します。誰かがこのありさまを変えねばなりません」
グスタフにはようやくわかってきた。王になって財政改革をせよと、この商人は言っているのだ。そのためにグスタフを担ぎだしたのだ。
「俺では無理だ」
財政の勉強なんかしたことがないのだから。できるのは畑の広さに応じた肥料の必要量の計算ぐらいだった。
「そうでしょうか」
商人は穏やかなまなざしをグスタフに向けた。
「貴方様はまだお若い。いくらでも学ぶことができましょう。財務省には多くの有能な官吏がおります。彼らの手ほどきを受ければ、きっと財政を好転させることができましょう」
「有能とは、あなたの影響を受けたという意味ですか」
それまで黙っていたエルンストの問いに、商人は一瞬穏やかな表情を崩したようにグスタフには見えた。
「滅相もないことです。手前がお役人にどうこうできるものですか。手前はただの商人です」
口の端を少し上げて笑ったような顔になったゴルトベルガーの目は笑っていなかった。
「それに無理だとここで諦めて領地に帰っても居場所はあるのですか」
兄の差し向けた公爵家騎士団が今頃は館に入っているはずである。居場所があるとは思えない。
あきらめたら、死。
グスタフはうなずいた。
「やってみることにしよう。ただし、あなたの気に入るやり方とは限らないが」
「それでこそ、未来の陛下です」
商人の手のひらの上で転がされている気がした。けれど、もう引き返せない場所にグスタフはいた。
「まず、何から手を付ければいいんだ」
5日に大臣たちの会議があるとノーラは言っていた。それまでにすべきことは何か。グスタフもエルンストも知らないことが多過ぎた。
「まず、貴方様はレームブルック公爵にならねばなりません。公爵位がなければ国王にはなれません」
不可能としか思えぬことをゴルトベルガーは平然と口にした。
呆然としているグスタフに代わってエルンストが尋ねた。
「それは簡単なことではないでしょう。グスタフ様は庶子です」
「王国の貴族法には妻所生の男子が存在しない、もしくは存在しても不届きな振舞のある場合、国王の認可を得れば庶子を後継とすることができるという条項があります。公爵様が貴方様を跡継ぎにすると決め、御隠居なされば貴方様がレームブルック公爵です」
つまり現公爵である父の許しがいるということである。だが、父はグスタフに何かあったら隣国ラグランドに行けばよいと言った。父はグスタフが公爵になることを許すとは思えない。
「父上がお許しになるはずがない」
「この借用書の束を見れば気が変わるかと。借金を作る息子に後を任せたいと思う者はおりますまい」
そういうわけかとグスタフは気付いた。
「わからぬことがある」
「何か御不審でも」
「夜会のドレスに女性が金を使うのはわかる。なぜ兄達が貸付を受けているのだ。二人とも相応の収入があるし、悪い遊びに手を出しているわけでもあるまい」
商人はそれは簡単な話ですと言う。
「お二人はそれぞれ陛下の御生母様、宰相をはじめとする大臣や高位の僧侶らに、賂を贈っているのです。次の王に推挙してもらうために。勿論、公爵夫人もあちこちに金貨をばらまいておいでです。この一か月でどれほど使われたことか。公爵夫人は銀行の融資では足らず、結婚の際に送られた王家の直轄地を担保にして闇の金貸しから融資を受けているとのこと」
腐敗している。グスタフもエルンストも絶句した。
恐らく高位の貴族や僧侶らは国王の逝去に気付いているはずである。たとえ知らなくとも国王が病に臥せているというのに、賂を受け取るとは。
「そういうわけで御生母様は陛下を蔑ろにした振舞と怒っておいでなのですよ。絶対にアデリナ様の息子に王位は譲らぬと」
母親の気持ちとしては当然だろう。もっとも夫であった前国王亡き後、夜会や舞踏会を頻繁に催し贅沢に耽っているのは感心しない振舞だが。
食事の後に二階の書斎に案内された。書類棚と大きな机と硬そうな椅子しかない部屋だった。
机の上には書類が山のように積まれていた。入るなりゴルトベルガー氏は書類を指さした。
「これは借用書です。レームブルック公爵夫人と令嬢及びコンラート子爵、カスパル様の」
改めて御礼を言おうと思っていたグスタフは出鼻をくじかれた。意味がわからなかった。なぜ、兄が金を借りる必要があるのか。夜会に出るドレスを作る女性だけならともかく、兄までが借りるとは。
「元利合わせて8,346マルコになります」
「嘘だろ」
グスタフにとっては途方もない金額だった。1マルコ金貨でさえめったに見たことがないのに。
「いいえ、本当でございます。領地からの収入は公爵の家来衆がきちんと管理しておりますので、夫人も子爵もそちらから金を引き出すことができません。そこでゴルトベルガー銀行の融資をご利用されているのです。ただ、このところ返済が滞っておいでで。いずれは倍にして返すと仰せですが、無理かと。すでに元金5,000マルコに対し利子は3,346マルコ。利子が元金以上になるのは時間の問題。たとえコンラート子爵が王になられても、国庫も厳しいのですから払えるわけがない」
なぜゴルトベルガーが国庫のことまで知っているのか。グスタフもエルンストも疑問を抱いた。二人の疑問に気付いたのか、禿頭の男は言った。
「当銀行は国にも貸付をしております」
「なんと!」
「王朝初代から三代様までは国庫もゆとりがあったと聞きます。四代様の時に戦がありました。また五代様の時には飢饉が起きました。以来、国の庫はぎりぎりの状態。今の幼い陛下にはどうしようもできません。このままでは財政破綻。銀行も倒産します。誰かがこのありさまを変えねばなりません」
グスタフにはようやくわかってきた。王になって財政改革をせよと、この商人は言っているのだ。そのためにグスタフを担ぎだしたのだ。
「俺では無理だ」
財政の勉強なんかしたことがないのだから。できるのは畑の広さに応じた肥料の必要量の計算ぐらいだった。
「そうでしょうか」
商人は穏やかなまなざしをグスタフに向けた。
「貴方様はまだお若い。いくらでも学ぶことができましょう。財務省には多くの有能な官吏がおります。彼らの手ほどきを受ければ、きっと財政を好転させることができましょう」
「有能とは、あなたの影響を受けたという意味ですか」
それまで黙っていたエルンストの問いに、商人は一瞬穏やかな表情を崩したようにグスタフには見えた。
「滅相もないことです。手前がお役人にどうこうできるものですか。手前はただの商人です」
口の端を少し上げて笑ったような顔になったゴルトベルガーの目は笑っていなかった。
「それに無理だとここで諦めて領地に帰っても居場所はあるのですか」
兄の差し向けた公爵家騎士団が今頃は館に入っているはずである。居場所があるとは思えない。
あきらめたら、死。
グスタフはうなずいた。
「やってみることにしよう。ただし、あなたの気に入るやり方とは限らないが」
「それでこそ、未来の陛下です」
商人の手のひらの上で転がされている気がした。けれど、もう引き返せない場所にグスタフはいた。
「まず、何から手を付ければいいんだ」
5日に大臣たちの会議があるとノーラは言っていた。それまでにすべきことは何か。グスタフもエルンストも知らないことが多過ぎた。
「まず、貴方様はレームブルック公爵にならねばなりません。公爵位がなければ国王にはなれません」
不可能としか思えぬことをゴルトベルガーは平然と口にした。
呆然としているグスタフに代わってエルンストが尋ねた。
「それは簡単なことではないでしょう。グスタフ様は庶子です」
「王国の貴族法には妻所生の男子が存在しない、もしくは存在しても不届きな振舞のある場合、国王の認可を得れば庶子を後継とすることができるという条項があります。公爵様が貴方様を跡継ぎにすると決め、御隠居なされば貴方様がレームブルック公爵です」
つまり現公爵である父の許しがいるということである。だが、父はグスタフに何かあったら隣国ラグランドに行けばよいと言った。父はグスタフが公爵になることを許すとは思えない。
「父上がお許しになるはずがない」
「この借用書の束を見れば気が変わるかと。借金を作る息子に後を任せたいと思う者はおりますまい」
そういうわけかとグスタフは気付いた。
「わからぬことがある」
「何か御不審でも」
「夜会のドレスに女性が金を使うのはわかる。なぜ兄達が貸付を受けているのだ。二人とも相応の収入があるし、悪い遊びに手を出しているわけでもあるまい」
商人はそれは簡単な話ですと言う。
「お二人はそれぞれ陛下の御生母様、宰相をはじめとする大臣や高位の僧侶らに、賂を贈っているのです。次の王に推挙してもらうために。勿論、公爵夫人もあちこちに金貨をばらまいておいでです。この一か月でどれほど使われたことか。公爵夫人は銀行の融資では足らず、結婚の際に送られた王家の直轄地を担保にして闇の金貸しから融資を受けているとのこと」
腐敗している。グスタフもエルンストも絶句した。
恐らく高位の貴族や僧侶らは国王の逝去に気付いているはずである。たとえ知らなくとも国王が病に臥せているというのに、賂を受け取るとは。
「そういうわけで御生母様は陛下を蔑ろにした振舞と怒っておいでなのですよ。絶対にアデリナ様の息子に王位は譲らぬと」
母親の気持ちとしては当然だろう。もっとも夫であった前国王亡き後、夜会や舞踏会を頻繁に催し贅沢に耽っているのは感心しない振舞だが。
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