11 / 39
11 黒衣の兄
しおりを挟む
その日の夕刻、公爵の館にもう一人の来客があった。
グスタフの腹違いの兄で修道院にいるコルネリウスである。都で生まれた彼は毎年夏しかレームブルックに来たことがない。しかも十三年前に修道院に入ったので、当時6歳だったグスタフは木陰で本を読んでいる姿しか覚えていない。
「修道院長様の使いでこちらの司教様を訪ねたついでに寄ったまでのこと。明日には戻ります」
挨拶ついでに語ったコルネリウスは父に似た微笑を浮かべた。グスタフは安堵した。公爵夫人に命を狙われているとか、王位を争うとか、生臭い話ばかりの後で、世俗と離れて暮らしている兄の穏やかな顔を見ていると、冬至の日以来のことが悪夢のように思われた。
「そうそう、修道院で作っている葡萄酒を持ってきました。バックハウスに預けたので、後で一緒に飲みましょう」
兄のいる修道院で作る葡萄酒は身体によいと評判だった。
夕食は館の小食堂でとることになった。大食堂は公爵一家が帰って来た時だけ使うことになっており、グスタフはいつも小食堂でとっている。
コルネリウスは修道院に入る前は大食堂で食事をしていたので、小食堂にはほとんど入ったことがなかった。
「こじんまりとしてよい部屋ですね」
そう言って、グスタフの向かい側に座った。
食前の祈りを終えると、ノーラが料理の載ったワゴンを押して来た。いつもなら食堂の女中がする仕事だった。
食前酒は葡萄酒ではなく、リンゴの発泡酒だった。
「ノーラ、兄上の持って来た赤葡萄酒は」
「後ほど肉料理とともに持って参ります」
そう言ってノーラは発泡酒をグラスに注いだ。
「リンゴ酒か、なつかしい」
コルネリウスは機嫌よくグラスを傾けた。前菜、スープ、サラダと修道院暮らしのコルネリウスに敬意を表した料理人の料理はいつもよりおいしかった。いつもグスタフが食べている薄いスープと硬いパンと筋だらけの肉料理の夕食とは大違いだった。
いよいよ肉料理が運ばれて来た。分厚いステーキだった。これにはコルネリウスも驚いた。
「こんな贅沢なものをいただいていいのでしょうか」
そこへノーラが赤ワインを持って来た。だが、グラスが三つあった。ノーラは平然と三つのグラスにワインを注ぎ、グスタフとコルネリウスの前に置いた。
「グラスが一つ多い」
「これは執事殿に。近頃、胃がもたれやすいとうかがいました」
ノーラはそう言ってお盆の上に置いたグラスを執事に勧めた。
それまで黙って控えていたバックハウスはとんでもないことと固辞した。
「そういえば、バックハウスも忙しかったからな。飲んでもいいんじゃないか」
グスタフがそう言ったのは、ごく自然なことだった。馬に飛び乗って一睡もせずに伯爵領と往復するような無茶なことをした自分もバックハウスの胃もたれの原因のように思えたのだ。
「使用人ごときが飲むわけには参りません。コルネリウス様、グスタフ様、お二人で」
あくまでも丁重に断るバックハウスだった。
「これはグスタフへの土産。グスタフから飲めばいい」
コルネリウスの言葉にグスタフは違和感を覚えた。なんだかおかしい。
「兄上、一緒に飲みましょう」
グスタフはグラスをかかげた。兄の視線がグラスと自分を交互に移動するのに気付いた。なんだか嫌な感じがする。
「兄上?」
「ああ、私も飲むとしよう」
コルネリウスもグラスをかかげた。
「乾杯」
そう言ってグラスを口に近づけた。が、次の瞬間、バックハウスが叫んだ。
「なりません! グスタフ様」
そう言うが早いか、執事はグスタフからグラスを奪い取った。何がなんだかわからず、グスタフは葡萄酒を飲み干そうとする執事をただ見ているしかできなかった。飲み終わらぬうちにグラスが執事の手から滑り落ち、床にぶつかり割れた。赤い液体が広がる中に執事の身体が沈んでいく。
「お許しを……裏切りは、死をもって償い……」
執事の小さくなっていく声にグスタフの背筋は凍った。
「なんだ……これは……」
グスタフはグラスを持ったまま蒼白となった表情で向かい側に座る黒衣の男を見つめた。コルネリウス、腹違いの兄、彼が持ってきた葡萄酒は何なのだ?
「くっ、田舎者の執事め、五男坊に情が移ったか」
修道僧とも思えぬ口調だった。
「兄上、これはどういうことですか」
グスタフは立ち上がり、コルネリウスを見下ろした。
「コルネリウス様はアデリナ様に唆されたのでしょう。グスタフ様を殺せば、教会内での出世を約束すると。アデリナ様の母方の従兄には大司教がいますから。そのために執事に毒を混ぜさせたのでしょう」
ノーラの指摘にコルネリウスはうなずいた。
「ああ、その女の言う通りだ。だが一つ付け加えることがある。執事は昔からおまえの行動を逐一公爵夫人に伝えていたぞ。裏切りは今に始まった話じゃない」
コルネリウスは言い終るや、ワインをあおった。
ワイングラスが床に落ちて粉々になり、また一人絶命した。
グスタフはただ立ちすくむしかなかった。
グスタフの腹違いの兄で修道院にいるコルネリウスである。都で生まれた彼は毎年夏しかレームブルックに来たことがない。しかも十三年前に修道院に入ったので、当時6歳だったグスタフは木陰で本を読んでいる姿しか覚えていない。
「修道院長様の使いでこちらの司教様を訪ねたついでに寄ったまでのこと。明日には戻ります」
挨拶ついでに語ったコルネリウスは父に似た微笑を浮かべた。グスタフは安堵した。公爵夫人に命を狙われているとか、王位を争うとか、生臭い話ばかりの後で、世俗と離れて暮らしている兄の穏やかな顔を見ていると、冬至の日以来のことが悪夢のように思われた。
「そうそう、修道院で作っている葡萄酒を持ってきました。バックハウスに預けたので、後で一緒に飲みましょう」
兄のいる修道院で作る葡萄酒は身体によいと評判だった。
夕食は館の小食堂でとることになった。大食堂は公爵一家が帰って来た時だけ使うことになっており、グスタフはいつも小食堂でとっている。
コルネリウスは修道院に入る前は大食堂で食事をしていたので、小食堂にはほとんど入ったことがなかった。
「こじんまりとしてよい部屋ですね」
そう言って、グスタフの向かい側に座った。
食前の祈りを終えると、ノーラが料理の載ったワゴンを押して来た。いつもなら食堂の女中がする仕事だった。
食前酒は葡萄酒ではなく、リンゴの発泡酒だった。
「ノーラ、兄上の持って来た赤葡萄酒は」
「後ほど肉料理とともに持って参ります」
そう言ってノーラは発泡酒をグラスに注いだ。
「リンゴ酒か、なつかしい」
コルネリウスは機嫌よくグラスを傾けた。前菜、スープ、サラダと修道院暮らしのコルネリウスに敬意を表した料理人の料理はいつもよりおいしかった。いつもグスタフが食べている薄いスープと硬いパンと筋だらけの肉料理の夕食とは大違いだった。
いよいよ肉料理が運ばれて来た。分厚いステーキだった。これにはコルネリウスも驚いた。
「こんな贅沢なものをいただいていいのでしょうか」
そこへノーラが赤ワインを持って来た。だが、グラスが三つあった。ノーラは平然と三つのグラスにワインを注ぎ、グスタフとコルネリウスの前に置いた。
「グラスが一つ多い」
「これは執事殿に。近頃、胃がもたれやすいとうかがいました」
ノーラはそう言ってお盆の上に置いたグラスを執事に勧めた。
それまで黙って控えていたバックハウスはとんでもないことと固辞した。
「そういえば、バックハウスも忙しかったからな。飲んでもいいんじゃないか」
グスタフがそう言ったのは、ごく自然なことだった。馬に飛び乗って一睡もせずに伯爵領と往復するような無茶なことをした自分もバックハウスの胃もたれの原因のように思えたのだ。
「使用人ごときが飲むわけには参りません。コルネリウス様、グスタフ様、お二人で」
あくまでも丁重に断るバックハウスだった。
「これはグスタフへの土産。グスタフから飲めばいい」
コルネリウスの言葉にグスタフは違和感を覚えた。なんだかおかしい。
「兄上、一緒に飲みましょう」
グスタフはグラスをかかげた。兄の視線がグラスと自分を交互に移動するのに気付いた。なんだか嫌な感じがする。
「兄上?」
「ああ、私も飲むとしよう」
コルネリウスもグラスをかかげた。
「乾杯」
そう言ってグラスを口に近づけた。が、次の瞬間、バックハウスが叫んだ。
「なりません! グスタフ様」
そう言うが早いか、執事はグスタフからグラスを奪い取った。何がなんだかわからず、グスタフは葡萄酒を飲み干そうとする執事をただ見ているしかできなかった。飲み終わらぬうちにグラスが執事の手から滑り落ち、床にぶつかり割れた。赤い液体が広がる中に執事の身体が沈んでいく。
「お許しを……裏切りは、死をもって償い……」
執事の小さくなっていく声にグスタフの背筋は凍った。
「なんだ……これは……」
グスタフはグラスを持ったまま蒼白となった表情で向かい側に座る黒衣の男を見つめた。コルネリウス、腹違いの兄、彼が持ってきた葡萄酒は何なのだ?
「くっ、田舎者の執事め、五男坊に情が移ったか」
修道僧とも思えぬ口調だった。
「兄上、これはどういうことですか」
グスタフは立ち上がり、コルネリウスを見下ろした。
「コルネリウス様はアデリナ様に唆されたのでしょう。グスタフ様を殺せば、教会内での出世を約束すると。アデリナ様の母方の従兄には大司教がいますから。そのために執事に毒を混ぜさせたのでしょう」
ノーラの指摘にコルネリウスはうなずいた。
「ああ、その女の言う通りだ。だが一つ付け加えることがある。執事は昔からおまえの行動を逐一公爵夫人に伝えていたぞ。裏切りは今に始まった話じゃない」
コルネリウスは言い終るや、ワインをあおった。
ワイングラスが床に落ちて粉々になり、また一人絶命した。
グスタフはただ立ちすくむしかなかった。
69
お気に入りに追加
208
あなたにおすすめの小説
魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
俺の婚約者は悪役令息ですか?
SEKISUI
BL
結婚まで後1年
女性が好きで何とか婚約破棄したい子爵家のウルフロ一レン
ウルフローレンをこよなく愛する婚約者
ウルフローレンを好き好ぎて24時間一緒に居たい
そんな婚約者に振り回されるウルフローレンは突っ込みが止まらない
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
【番】の意味を考えるべきである
ゆい
BL
「貴方は私の番だ!」
獣人はそう言って、旦那様を後ろからギュッと抱きしめる。
「ああ!旦那様を離してください!」
私は慌ててそう言った。
【番】がテーマですが、オメガバースの話ではありません。
男女いる世界です。獣人が出てきます。同性婚も認められています。
思いつきで書いておりますので、読みにくい部分があるかもしれません。
楽しんでいただけたら、幸いです。
前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる