10 / 39
10 宮廷の腐敗
しおりを挟む
我ら。グスタフにとって、「王になる」よりも衝撃的な言葉だった。
エルンストもノーラも、グスタフと運命を共にする覚悟をしているのだ。
けれど、グスタフにとって、それは過酷な選択だった。王になれなければ、グスタフだけでなくエルンストもノーラも命を落とすかもしれぬ。王になれば生き延びられ、姉弟も無事でいられる。ただし、その確率は恐ろしく低い。
なぜなら、貴族にしろ王家にしろ、跡継ぎは妻の子である嫡出子でなければならないのだから。
公爵家の嫡出の男子が全員死亡しない限り、グスタフが王になるのは無理である。いや、それでも皆が認めるとは思えない。
「ラグランドに行くという道はないのか」
グスタフは父の言葉を思い出した。
ノーラはかぶりを振った。
「すでに国境の警備は厳しくなっています。旅券の発行審査も厳しくなっています。銀行でも他国への送金業務に対する財務官の監視が厳しくなっています。すべてコンラート子爵の差し金かと思われます」
「兄上が……」
ゲオルグは公爵家の跡取りというだけで、まだ継承者と決まったわけではない。
「子爵は外務大臣の令嬢と婚約の予定です。大臣としては将来の国王に恩を売っておきたいのでしょう」
ノーラは大商人の家の奉公人とは思えぬほどの情報を持っていた。きょうだいの婚約の話など、グスタフはいつも決まってから知らされていた。
それにしても、腹違いとはいえ兄である。それがグスタフが国外に出るのを妨げようとするとは。少し買いかぶり過ぎではないかとグスタフは思った。
「俺などとうてい兄上達の競争相手になどなれぬというのに」
ノーラはまたもかぶりを振った。
「十分、若様は競争できる力をお持ちです。ゴルトベルガーは若様を高く評価しています」
それはエルンストにも意外な話だった。
「姉さん、どういうことだ」
「いつだったかしら、あなたからの頼みで農業関係の書物を探したことがあった。私にはわからないからゴルトベルガーの若旦那様に選んでいただいたの。誰が読むか聞かれたので、若様の話をしたら大層驚いていたわ。以来、若旦那様は若様のことを気にかけておいでで」
「なんで、俺なんか」
グスタフには理解しがたい話だった。
「貴族の子弟で、農書を読んで、領民に肥料の配合を教えたりするような者はいない。しかも、それ以後、公爵領の小麦や大麦の収穫量が増えている。商人としては大いに興味を惹かれる話ね」
「俺はただ、皆が困ってるから教えただけで」
「領民が困っているのを助けようとすぐ動く領主はなかなかいない。それを領主でも跡継ぎでもない妾腹の五男がやったと知れば、放っておけるものですか。ゴルトベルガーはそういう国王を望んでいる」
ノーラの話はあまりに途方もなかった。
大体、見も知らぬゴルトベルガーという商人の評価など、グスタフにとっては無意味だった。グスタフの世界は領地の中だけであった。領民の喜ぶ顔を見れさえすればそれでいいのだ。
「若様、王となって、苦しむ国民を救ってください。領内でしたように」
「苦しむ国民だと?」
グスタフは国民が苦しんでいると言われても理解できなかった。ノーラは続けた。
「レームブルックは公爵がきちんとしておいでですから、必要以上に領民から税を取り立てることはありません。けれど他の貴族領や王家直轄領では、酷い税の取り立てが行なわれているのです。領民の暮らしは生きていくだけで精一杯。他の領地へ逃亡する者もいます」
「なぜ、税の取り立てが酷いんだ? 国も貴族も予算を立てて領地を経営しているはずなのに」
グスタフは王家や他の貴族の話に興味を持ったことがなかったので、意味がわからなかった。
「贅沢を好む者が多いのです。国王陛下が幼少のため、それを止めることができないのです」
「後見の御生母や宰相がいるだろうに」
「その御生母が贅沢を好まれるのです。前の陛下がおいでの時は夜会や舞踏会を頻繁に催されることはありませんでした。けれど、近頃は月に幾度も。御召し物をそのたびに新調されるので、それだけでも大層な額になります。当然のことながら出席する貴族の夫人や令嬢も新調します」
「誰も止めないのか」
「止められる者がいないのです。ディアナ様とそりの合わないアデリナ様までが近頃は張り合って贅沢なドレスを新調されています。ゴルトベルガー銀行から金を借りてまで」
「宰相も止められぬというわけか」
「宰相ライマンは御生母様ととかくの噂がございます」
前国王未亡人と若く切れ者の宰相の醜聞の噂は、グスタフも耳にしたことがあった。さほど関心のない話だったので忘れかけていた。ノーラが言うからには、単なる噂ではあるまいとエルンストにも思われた。
「つまり宮廷は腐敗しているということか」
それがグスタフの理解した現状だった。腐敗した今の宮廷は病の8歳の国王にはどうにもできない。後継者に希望を託すのは当然だろう。とはいえ王は8歳。まだ未来がある。
「しかし、陛下の病気は治らぬと決まったわけではないだろう。宮殿には名医もいるはず」
ノーラはあたりをはばかるかのように声を低めた。
「都を出る時に、陛下はすでに御隠れになっていると若旦那様が」
衝撃的な話の連続だった。グスタフもエルンストもしばし口をきけなかった。
「若様、一刻も早く都へお出ましください。領内にいたら、アデリナ様の手の者が何をするかわかりません」
「だが、それは敵陣のまっただなかに行くようなものだ」
エルンストの言うことも一理あった。都にはアデリナもゲオルグも次兄のカスパルもいる。アデリナが領地に刺客を送ってきたということは父の公爵にはもはや妻を止める力がないということだ。
「ゴルトベルガーは若様を支援する用意があります。領地脱出の手筈は整っています。都での安全な滞在先も確保しています」
そこまでお膳立てされているとは、あまりにも手回しが良過ぎだった。
ノーラを信用していないわけではない。だが、ゴルトベルガーという会ったこともない商人を信じていいものか。グスタフは迷った。
「1月5日に大臣の会議があります。恐らくそこで後継者が決められます。混乱を避けるために決定の後に、陛下の訃報が発表されるとのこと。大臣の会議に間に合うように2日に領地を出る予定です」
「姉さん、どうして会議のことを知ってるんだ」
エルンストはそら恐ろしくなってきた。
「ゴルトベルガー家はそういう話まで知っているんだな」
「御明察です」
グスタフの言葉にノーラはそう言ってわずかに微笑んだ。グスタフはその目が笑っていないことに気付きぞっとした。
エルンストもノーラも、グスタフと運命を共にする覚悟をしているのだ。
けれど、グスタフにとって、それは過酷な選択だった。王になれなければ、グスタフだけでなくエルンストもノーラも命を落とすかもしれぬ。王になれば生き延びられ、姉弟も無事でいられる。ただし、その確率は恐ろしく低い。
なぜなら、貴族にしろ王家にしろ、跡継ぎは妻の子である嫡出子でなければならないのだから。
公爵家の嫡出の男子が全員死亡しない限り、グスタフが王になるのは無理である。いや、それでも皆が認めるとは思えない。
「ラグランドに行くという道はないのか」
グスタフは父の言葉を思い出した。
ノーラはかぶりを振った。
「すでに国境の警備は厳しくなっています。旅券の発行審査も厳しくなっています。銀行でも他国への送金業務に対する財務官の監視が厳しくなっています。すべてコンラート子爵の差し金かと思われます」
「兄上が……」
ゲオルグは公爵家の跡取りというだけで、まだ継承者と決まったわけではない。
「子爵は外務大臣の令嬢と婚約の予定です。大臣としては将来の国王に恩を売っておきたいのでしょう」
ノーラは大商人の家の奉公人とは思えぬほどの情報を持っていた。きょうだいの婚約の話など、グスタフはいつも決まってから知らされていた。
それにしても、腹違いとはいえ兄である。それがグスタフが国外に出るのを妨げようとするとは。少し買いかぶり過ぎではないかとグスタフは思った。
「俺などとうてい兄上達の競争相手になどなれぬというのに」
ノーラはまたもかぶりを振った。
「十分、若様は競争できる力をお持ちです。ゴルトベルガーは若様を高く評価しています」
それはエルンストにも意外な話だった。
「姉さん、どういうことだ」
「いつだったかしら、あなたからの頼みで農業関係の書物を探したことがあった。私にはわからないからゴルトベルガーの若旦那様に選んでいただいたの。誰が読むか聞かれたので、若様の話をしたら大層驚いていたわ。以来、若旦那様は若様のことを気にかけておいでで」
「なんで、俺なんか」
グスタフには理解しがたい話だった。
「貴族の子弟で、農書を読んで、領民に肥料の配合を教えたりするような者はいない。しかも、それ以後、公爵領の小麦や大麦の収穫量が増えている。商人としては大いに興味を惹かれる話ね」
「俺はただ、皆が困ってるから教えただけで」
「領民が困っているのを助けようとすぐ動く領主はなかなかいない。それを領主でも跡継ぎでもない妾腹の五男がやったと知れば、放っておけるものですか。ゴルトベルガーはそういう国王を望んでいる」
ノーラの話はあまりに途方もなかった。
大体、見も知らぬゴルトベルガーという商人の評価など、グスタフにとっては無意味だった。グスタフの世界は領地の中だけであった。領民の喜ぶ顔を見れさえすればそれでいいのだ。
「若様、王となって、苦しむ国民を救ってください。領内でしたように」
「苦しむ国民だと?」
グスタフは国民が苦しんでいると言われても理解できなかった。ノーラは続けた。
「レームブルックは公爵がきちんとしておいでですから、必要以上に領民から税を取り立てることはありません。けれど他の貴族領や王家直轄領では、酷い税の取り立てが行なわれているのです。領民の暮らしは生きていくだけで精一杯。他の領地へ逃亡する者もいます」
「なぜ、税の取り立てが酷いんだ? 国も貴族も予算を立てて領地を経営しているはずなのに」
グスタフは王家や他の貴族の話に興味を持ったことがなかったので、意味がわからなかった。
「贅沢を好む者が多いのです。国王陛下が幼少のため、それを止めることができないのです」
「後見の御生母や宰相がいるだろうに」
「その御生母が贅沢を好まれるのです。前の陛下がおいでの時は夜会や舞踏会を頻繁に催されることはありませんでした。けれど、近頃は月に幾度も。御召し物をそのたびに新調されるので、それだけでも大層な額になります。当然のことながら出席する貴族の夫人や令嬢も新調します」
「誰も止めないのか」
「止められる者がいないのです。ディアナ様とそりの合わないアデリナ様までが近頃は張り合って贅沢なドレスを新調されています。ゴルトベルガー銀行から金を借りてまで」
「宰相も止められぬというわけか」
「宰相ライマンは御生母様ととかくの噂がございます」
前国王未亡人と若く切れ者の宰相の醜聞の噂は、グスタフも耳にしたことがあった。さほど関心のない話だったので忘れかけていた。ノーラが言うからには、単なる噂ではあるまいとエルンストにも思われた。
「つまり宮廷は腐敗しているということか」
それがグスタフの理解した現状だった。腐敗した今の宮廷は病の8歳の国王にはどうにもできない。後継者に希望を託すのは当然だろう。とはいえ王は8歳。まだ未来がある。
「しかし、陛下の病気は治らぬと決まったわけではないだろう。宮殿には名医もいるはず」
ノーラはあたりをはばかるかのように声を低めた。
「都を出る時に、陛下はすでに御隠れになっていると若旦那様が」
衝撃的な話の連続だった。グスタフもエルンストもしばし口をきけなかった。
「若様、一刻も早く都へお出ましください。領内にいたら、アデリナ様の手の者が何をするかわかりません」
「だが、それは敵陣のまっただなかに行くようなものだ」
エルンストの言うことも一理あった。都にはアデリナもゲオルグも次兄のカスパルもいる。アデリナが領地に刺客を送ってきたということは父の公爵にはもはや妻を止める力がないということだ。
「ゴルトベルガーは若様を支援する用意があります。領地脱出の手筈は整っています。都での安全な滞在先も確保しています」
そこまでお膳立てされているとは、あまりにも手回しが良過ぎだった。
ノーラを信用していないわけではない。だが、ゴルトベルガーという会ったこともない商人を信じていいものか。グスタフは迷った。
「1月5日に大臣の会議があります。恐らくそこで後継者が決められます。混乱を避けるために決定の後に、陛下の訃報が発表されるとのこと。大臣の会議に間に合うように2日に領地を出る予定です」
「姉さん、どうして会議のことを知ってるんだ」
エルンストはそら恐ろしくなってきた。
「ゴルトベルガー家はそういう話まで知っているんだな」
「御明察です」
グスタフの言葉にノーラはそう言ってわずかに微笑んだ。グスタフはその目が笑っていないことに気付きぞっとした。
84
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説
魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます
オカメ颯記
BL
田舎の王国出身のランドルフ・コンラートは、小さいころに自分を養子に出した実家に呼び戻される。行方不明になった兄弟の身代わりとなって、魔道学園に通ってほしいというのだ。
魔法なんて全く使えない抗議したものの、丸め込まれたランドルフはデリン大公家の公子ローレンスとして学園に復学することになる。無口でおとなしいという触れ込みの兄弟は、学園では悪役令息としてわがままにふるまっていた。顔も名前も知らない知人たちに囲まれて、因縁をつけられたり、王族を殴り倒したり。同室の相棒には偽物であることをすぐに看破されてしまうし、どうやって学園生活をおくればいいのか。混乱の中で、何の情報もないまま、王子たちの勢力争いに巻き込まれていく。
雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
【番】の意味を考えるべきである
ゆい
BL
「貴方は私の番だ!」
獣人はそう言って、旦那様を後ろからギュッと抱きしめる。
「ああ!旦那様を離してください!」
私は慌ててそう言った。
【番】がテーマですが、オメガバースの話ではありません。
男女いる世界です。獣人が出てきます。同性婚も認められています。
思いつきで書いておりますので、読みにくい部分があるかもしれません。
楽しんでいただけたら、幸いです。
美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました
厘/りん
BL
ナルン王国の下町に暮らす ルカ。
この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。
ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。
国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。
☆英雄騎士 現在28歳
ルカ 現在18歳
☆第11回BL小説大賞 21位
皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。
[完結]嫁に出される俺、政略結婚ですがなんかイイ感じに収まりそうです。
BBやっこ
BL
実家は商家。
3男坊の実家の手伝いもほどほど、のんべんだらりと暮らしていた。
趣味の料理、読書と交友関係も少ない。独り身を満喫していた。
そのうち、結婚するかもしれないが大した理由もないんだろうなあ。
そんなおれに両親が持ってきた結婚話。というか、政略結婚だろ?!
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる