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第2章.『vice versa』アウロニア帝国編

50 執着のかたち ②

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薄闇にひっそりとニキアスは身体を起した。

そしてマヤの顔をそっと覗き込んだ。
小さく開いた唇から漏れる寝息を聞いてニキアスは少し安心した。

(…暫くは目を覚まさないだろう)

 *****

「マヤ…俺を愛しているか?」

「あ、愛してるわ。ニキアス、でも…」
(どうしてそんな事を今訊くの?)

ニキアスの激しい愛撫に翻弄されながらも、マヤは時折不思議そうに尋ねた。

(駄目だ)
許せない。

(自分にもっと溺れて欲しい)
いや――なのだ。
は。

ニキアスは小さな耳朶を噛んでからマヤの耳元で囁いた。
「他の事は考えるのは許さない。俺だけを感じろ…俺だけだ」

内なる黒く渦巻く様な感情が、一気に燃え上がるのを感じた。

 ******

「ニキアス…もう許して」

嬌声を上げマヤは絶頂を繰り返し最後には泣いていた。
そして泣きながら彼女が意識を手放すまで、その奥を何度も攻め立てた。

(理解っててやったのだ)

いつもはどんなに性交に夢中になっても、自分よりもずっと小さな身体の彼女に負担にならない様に気を遣うのに。

今日は違っていた。
それよりもマヤ自身に全て自分のものだと刻み付けたかった。

例え――彼女が壊れてしまっても。

(感情に流されるまま欲望を彼女にぶつけてしまった)

今ひっそりとニキアスの心を占めるのは自己嫌悪だった。

*********

初めはそんなつもりでは無かったのに。

久しぶりにマヤとゆっくり近況の話しをしたくて、訪室した後の去り際にマヤの見えないところで、リラに声を掛けたのだ。

「一度資料を確認したら、もう一度マヤ王女に会いに来る」
「分かりました。もう一度ニキアス様が来られると知ったら、きっと喜びますわ」

侍女は頷いて『準備しておきます』と言った。
それをアポロニウスがじっと黙って見ていた事には気付いていた。

しかし
(この男はマヤが自分の恋人である事を知っているに違いない)
と思っていたので、特に気に留めなかったのだが。

すると帰る道すがらの廊下の途中、明らかに尖った声のアポロニウスは
「あれはどういう事ですか?」
とニキアスに尋ねてきた。

「…あれとは一体何の事だろうか?」
自分を嫌っている感情や態度を隠そうとしないアポロニウの無礼さに辟易しながらも、ニキアスは丁寧に訊いた。

「あの…『後でマヤ王女の部屋に行く』という話です。彼女はれっきとしたアウロニアのレダ神の預言者です。所謂…娼館の女性とは違いますよ?」
「そんな事は分っているが」
「ではどういう理由でなのか教えて頂けますか?
わざわざ後で会いに行かなければならない理由を僕に教えてください」

「君にそれを説明する義務は俺に無い。天文学者殿」

アポロニウスへ返す自分の声が冷たくなるのをニキアスは感じた。
強張った表情でクルっとした髪を振りながら、アポロニウスはニキアスへと言った。

「僕をただの一介の学者だと思って馬鹿にしないでください」

「馬鹿になどしていない」
(被害妄想もいい加減にしてくれ)

それよりも、一体何故こんなに将軍である自分に対し挑戦的なのかをアポロニウスに訊きたかった。

「…どうだか。軍人の方は直ぐにそう仰いますけれどね」

アポロニウスはふんと鼻を鳴らすと、
「それに今回の事を陛下へと上申するまでは、ニキアス将軍と天文学者僕のチームで共に動くように元老院から指示されています。
大事な預言者に対して勝手な行動されては困ります」

(何なのだ、こいつは)
ニキアスは半ば呆れて、まだ少年の面影を残すアポロニウスの顔を見つめた。
まるで、ニキアスがマヤへ無体をしようとするのを止める騎士気どりではないか。

「君が心配する様な事ではない」
ニキアスはもう面倒になってぞんざいに言った。
「勝手も何も…そもそも彼女は俺の恋人なのだから」

それを聞いた瞬間、アポロニウスはショックを受けた様に口を半開きにした。

「そんな……」
その表情を見てニキアスは少し驚いた。

(まさか、知らなかったのか?)
知らないであんなに自分に突っかかってきたのか。
ニキアスは意味が分からなかった。

暫くショックでその場に棒立ちだったアポロニウスは、きっと顔を上げてからニキアスを睨んだ。

「恋人だったとしたなら増々許せません。王女の神託内容は兎も角も、あんな素晴らしい案を横取りするなんて」
「素晴らしい案…?」

「そうです。『皆既日蝕』を天体ショーとする画期的で素晴らしい案の事です。貴方はもっとこれが彼女の発案だとアピールすべきだった。
王女が折角『皆既日蝕が予想できる現象だ』と証明してくれたのに、掠め取る様にその素晴らしい案までも自分のモノにしてしまうなんて」

「な……」
ニキアスは険しい表情のアポロニウスを見ながら、思わず絶句してしまった。
(何を綺麗事を言っているのだ)

あの元老院の中で議論の運び方次第では、マヤの預言があっけなく覆される可能性もあった。

現にコダの預言者による『皆既日食は凶兆の知らせ』の神託の存在があったのだから、もし本当に凶兆だとしたらどうするべきなのか話をすべきという議員も確実にいたのだ。

ニキアスにとっても議論内容は綱渡り同然だった。

『敵国から来ただ』と噂が皆に知れ渡っていた中で、だと云って、一体元老院の中のどれだけの議員が素直に賛同し受け入れるというのか。

自分ニキアスの身が半ば保障となったからこそ通った案であったというのに。

アポロニウスは複雑な表情を浮かべるニキアスに目をくれず、自分に酔った様に続けた。

「貴方は陛下の義弟君と存じていますが、血筋で云えば僕も悪くはありません。僕は軍人ではありませんが、ただの学者ではありません。学位もありますしこのチームのリーダーです。今回は参加はしていませんが、元老院の議員の一員ですし」

アポロニウスは更に声を張り上げた。
「母方の血筋はドロレス執政官の従妹筋、僕の父親はパンテーラ軍率いるヤヌス=クセナキス将軍です。どうですか?僕は次男ですが、はっきり言って血縁という話なら母が踊り子風情の貴方には負けない」

「…黙れ、アポロニウス」
ニキアスはふつふつと湧き上がってくる怒りを
(抑えなければ。冷静にならなければ…)
思っていたが、アポロニウスの舌鋒は止まらなかった。

「いいえ黙りません。貴方はマヤ王女をただの褒章として自分の物にしようとしている。
おまけに、ゼピウスで捕らえた優しく賢く美しい彼女が何も言えない立場であるのを良い事に、上手く利用し彼女の考えを引っ攫い、しかもそれを使って元老院の中で立場を主張しようとしてい…」
「黙れ!」

ニキアスは唸る様な声で怒鳴っていた。

アポロニウスはびくりと身体を震わせた。
ニキアスの怒気を浴びて蒼白になりブルブルと全身を震わせている。

(剣が無くてよかった)
ニキアスは心から思った。
あればこの煩くて礼儀の知らない若造をこの場で斬ってしまったかもしれない。

しかし、アポロニウスは視線を逸らす事無く言い放った。

「彼女を美しいと、そして欲しいと思う男は貴方だけではない。その事を忘れないでください」

そして資料を抱えたままアポロニウスはかつかつと靴音を鳴らし、後ろを振り返らずに廊下を歩きニキアスの視界から消えたのだった。
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