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第2章.『vice versa』アウロニア帝国編

36(幕間)水蜜桃【ルナ】

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「マヤ様、本当にそちらのままでよろしいですか?」
心配そうなリラの声が寝室の入口から聞こえる。

わたしは小さく返事を返した。
「…うん大丈夫。このままでいいわ…」

わたしは小さな子供の様にリラに慰めてもらい、泣きながら廊下を歩いて帰った。
私室に戻ってからも着替える気力が無く、そのままの服で寝台にごろりとうつ伏せになった。

暫く横になったまま、わたしは今日の自分の発言と行動を振り返った。

『皆既日食で帝国は崩壊しません』
問題は皆既日食単体の話だけで、そう言ってしまったけれど。

(確かにコダ神の神託の後に『全てただの現象に過ぎない』と言い切ってしまったのは、まずい対応だった…)

わたしは皆既日食と帝国の崩壊を一緒に考えるのを否定したけれど、コダ神の預言はその後に続く『帝国崩壊の合図』の件までがセットなのだ。

(自分の神託を否定する様な事を言い出したのだから、フィロンが怒ったのも睨んできたのも無理は無いわ…)

陛下の言葉をわたしは思い出した。
『己が立場は、己の立ち振る舞いで変わるという事を覚えておけ』

そして初めて会った時のフィロンの言葉もだ。
『…そうじゃなくても皇宮は、魑魅魍魎でいっぱいだから』

浅慮なわたしの言葉や行動で、わたしだけではなく、ニキアスや…もしかしたら今やこのアウロニア帝国の未来も変えてしまうかもしれない。

わたしの全身が一瞬ぶるっと震えた。
(怖いわ…)

改めて『神の代弁者』たる責任の重大さを実感した瞬間だった。

その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

*****************

「申し訳ありません、マヤ様。贈り物が届いております」
扉の入口に立つリラが言った。

「え?贈り物…?」
「はい。とてもたくさん届いておりますので、一応マヤ様にお伝えしようと思いまして…」

「どなたからかしら?」

わたしは髪を整えながら起き上がり、寝室を出て直ぐ隣にある私室から続く応接室を覗いた。

芳しい花の香りと共にわたしの目に入ったのはへやに帰って来た時には全く見なかった品物の山だった。

高く積まれた艶やかで鮮やかなシルクの布の束や並べられた大小数々の竹籠と、壺に入った色とりどりでたくさんの花々だったのだ。

「ど…どうしたの?こんなにたくさん…」
わたしは絶句して、隣のリラに尋ねた。

「それが…」
リラが珍しく言葉を濁していて、手元の蝋で封をされた手紙をじっと見ていた。

「なあに?どうしたの」
「……お手紙も頂いております」

若干渋い顔のリラの様子は気になったが、
「どなたかしら」
と、わたしはいそいそ手紙を受け取った。

(もしかしたらニキアスかも…)
淡い期待を一瞬わたしは抱いたけれど、『そういえば今は皇宮外とのやり取りの全て(ニキアスからも含めた手紙や物)が、禁止もしくは検閲がかかっているんだわ』という事を思い出した。

しっかりと美しい蝋で封をされたそれは、検閲など通っている様子はなかった。

少し残念だったけれど差出人は不明で、わたしは不思議に思いながらも注意深く手紙の封を開けた。

その間リラは、頂いた贈り物をしっかりと検品している様だった。

「まあ…」
わたしは思わず声を上げた。

「バアル様だわ」
上質な羊皮紙に書かれた文字は、教本かしらと思うほど整っていて美しく読みやすい。

『マヤ王女様』
(あ、すごい。わたし文字も読めるんだわ)
と驚きつつも、バアル様の手紙に目を通した。

『――マヤ王女様。
これから私は、貴女が教えてくれたテヌべ川のもっと南側の下流と、その周辺のデリの神殿、コタとルミナの神殿の地形や植物事情と治水を視察しに行く予定だ。
結果は随時帝国に報告するつもりだ。

貴女の助言と神託に大変感謝する。

どうかご自分のお言葉と皇宮での身の立ち振る舞いに気を付けて、大事に過ごして頂きたい。

今度は明るい笑顔の貴女にお会いできる事を願っている』

最後に、『ドゥーガ神の預言者 バアル』とサインしてあった。

手紙を読み終わると胸がじんわりと温かくなって、先程あんなに沈んでいた心が少し浮上してきた様だった。

わたしは手紙を胸に抱いて、リラの方へと向いた。
「わたしがあんなに泣いてしまったから、きっと気を遣って色々贈ってくださったのね」

丁度その時、リラがおおきな竹籠を開けてわたしを呼んだ。
「マヤ様、見てください。果物もありますわ」

「わあ…果物まで?」

竹籠を覗き込むと、そこには大きく瑞々しい白い丸い桃と無花果が詰め合わせてあった。

「美味しそうだわ。後で頂きましょう」
「はい…そうですね」

わたしが上機嫌で言った言葉に、リラは竹籠を見つめて何故だかずっと浮かない表情をしていた。


******************


「ニキアス様。皇宮からお荷物が届いております」
「そうか。書類の類なら、俺の書斎の方へ届けておいてくれ」

戦後の残務処理として、余りにも確認しなければならない物が多い為のだ。(ダナス副将軍に頼んでも無駄だという事は分かっていた)

手分けして他の部下にも頼んではいるが、イェラキ隊の時の様に円滑に進まない。
報告の内容もまちまちになりがちなので、報告内容を形式状にして分かりやすく書面に落とす様に頼んだ物が続々とニキアスの元に届き出している。

(しばらくは、これに掛かりきりになるだろうな)
整頓された机の上で束になる書類を確認しながら、ニキアスは大きくため息をついた。

既に左目の面布は外している。

そんな風に面布を外して過ごす時間にも慣れ、今は屋内のほとんどの時間に外して生活している事が多い。

また美容医師の強い勧めで、褐色に変化した皮膚部分に特別な軟膏を塗ると、褐色からまた少し色素が抜けて徐々に薄い茶色に変化している気がする。

「ニキアス様!珍しい果物も届いておりましたよ」
書斎にいるニキアスに、ナラがわざわざ平籠に乗せて持ってきた。

「果物?」
「はい。とっても白くて大きくてキレイな桃です。見た事がないくらい」

「…桃?」
(この時期に?)

ニキアスはナラの持つ籠に乗っている白く丸く瑞々しい桃をじっと見つめた。

――あれは。
(…あの時に兄上が良く持ってきた桃だ)

ニキアスの脳裏に幼い頃に記憶が蘇った。
優しかった兄上がその桃をニキアスの邸に良く持って来た事。

桃を食べた後の――忘れ難い行為と、あの時は『自分は愛されている』と思い込んでいた事も。

ニキアスは暫く桃を見つめてから口を開いた。

「…それは『ルナ』と呼ばれる特別な品種の白桃だ。良く冷やしておくといい」

その方が甘い筈だからと言うと、ニキアスはまた書類を片付ける為に机に向かった。
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