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第2章.『vice versa』アウロニア帝国編

35 出る杭の立ち廻り

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『波風を立てる為に、この評議会に出席したのか?』


思いもかけない言葉に、わたしは思わず顔を上げて陛下の方を見た。

「…そ、そんなつもりはありません」
非難されたのかと思って慌ててわたしは陛下へ訴えた。

玉座ソリウムの陛下は足を組み、相変わらず無表情のままの真っ黒い目でわたしを見下ろしている。

「では何故、あの様な立ち廻りをした?」
「あ…あの様な立ち廻りとは、一体何でしょうか…」

わたしは陛下の言っている意味が分からずに尋ねた。
(一体何が悪かったというのかしら)

あの場で喋った内容は、先日陛下とバアル様に伝えた通りと相違ないのに。

わたしの反応を見た陛下は小さくため息をついた。
義兄弟の為なのか、その仕草はニキアスにとても似ていた。

「それが分からぬのなら、いつか昏い道で殺されても文句は言えぬな」
「ころ…」

わたしは呆然として、陛下の言葉を聞いていた。

「――間抜け。何故わざわざフィロンの面目を潰す様な伝え方をした?」

(え?)
「フィ…フィロン様ですか?」

わたしの頭の中にたくさんの疑問符が浮かんだ。
何故ここでコダ神の預言者フィロンが出てくるのだろうか。

「あの男はコダ神の代弁者ぞ」
陛下は物覚えの悪い子供に教える様な、噛んで含める言い方をした。

「お前はレダの神託だか未来視を伝えただけと思っているかもしれんが、よりに寄って第三評議会員達の前で『神託をだ』と云う事が、一歩間違えればコダ神の神託や預言者の顔に泥を塗る事態になる可能性がある――こんな簡単な事が分からんのか」

予想もして無い理由で陛下に戒められたわたしは、絶句してしまった。

「…仮にもゼピウスの王女の立場であったのならば、もう少し思慮深い言動が出来た筈であろうに」
陛下が珍しく感情を交えて――少し吐き捨てる様に言うのを、わたしは青ざめながら聞いていた。

「そんな…」
(そんなつもりじゃ無かったわ)

「陛下…そんな意図はありません。わたしはただ…」
「ただ?そうだな、お前は自分が正しいと思った事を言っただな」

「…………」
「この国には少ないが、コダ神の信者は確実にいる。お前はその数万人を全てを敵に回すつもりか?」
「――」

わたしは下を向いて声も無く、全身をただブルブルと震わせて立っていた。
決して陛下の叱責が怖くて震えたのでは無い。

(なんて、なんて不注意だったんだろう…)
という思いからだ。

「すみません…わたくしが考え無しでございました」
(生き延びる為にと、この皇宮に入る前はあんなに自分で気を付けていた筈なのに)

ニキアスもバアル様も陛下もわたしの話をそのまま聞いてくれたから、失念していたのだ。
わたしは敵国から来た王女で、今この国での立場は、ただ雇ってもらっただけの預言者に過ぎないという事を。

 *****


「…こんな事で余の手を煩わせるな。己が立場は、己の立ち振る舞いで変わるという事を覚えておけ」
「は、はい……本当に申し訳ありません」
退出さがれ」
「はい…失礼いたします」

陛下を直接見る事もできず、やっと一礼をしてわたしはそそくさと出口へと向かった。

肩を落としたわたしがそのまま謁見の間を出ようとした時、ちょうど戻って来たバアル様とすれ違った。
するとバアル様は、わたしを見つめながら優しく声をかけてくれた。

「…マヤ様。本日の評議会、大変お疲れ様でした。初めてなのに良く頑張って発言をされましたな」
「…あ、はい…」

バアル様の言葉を聞いた途端にわたしの緊張の糸が切れた。
すると何故だかいきなり涙がぶわっと出てきて止まらなくなってしまった。

「ごめんなさい…わた…わたし…バアル様…」
声も無くしゃくりあげて泣くわたしを見たバアル様は、衛兵と心配そうに佇むリラを呼んで『部屋までしっかり送る様に』と告げた。

わたしはリラにそっと肩を抱いてもらいながら、自室へと帰る通路みちを歩いたのだった。

 ******


バアルはとぼとぼと廊下を歩くマヤ王女の姿が遠ざかるのを見送ってから、謁見の間に入っていった。

衛兵以外誰もいない謁見の間に皇帝の椅子ソリウムに座る皇帝ガウディが指で鳴らすトントン…とした規則的な音だけが響いている。

無表情で虚空を見つめる皇帝ガウディは、戻ってきたドゥーガ神の預言者に視線だけ移した。

「フィロンは落ち着きました。大丈夫でしょう」
「――ご苦労だった」
殆ど表情を動かさずに、バアルに労いの言葉を掛けた。

「…もう出発するのか」
「ええ。マヤ王女が言っていた『蝗害』発生のテヌべの南側の下流の川沿いとベルガモン近くのデリ、コタ神殿が気になりますので」

彼女の言っていた辺りの地形と治水を今一度確認しに参ります、とバアルは言った。

「そうか。では長くなりそうだ。必要なものは遠慮せず持って行け。定期的に連絡を頼む」
「勿論です」

バアルは謁見の間の出口を見つめた。
トントントントン…皇帝ガウディはまだ肘掛けを指で叩き続けている。


「…彼女には随分とキツいお灸だった様で」
「なんの事だ」

「マヤ王女です。大変泣いておられました」
「それが何だ」

「陛下の傾向のお話です」
「…傾向?」

「お気に入りの者に殊更当たりが強くなる傾向です」

トン、と肘掛けを叩く音が止んだ。


暫く黙っていた皇帝ガウディは、バアルをちらと見てから話を始めた。
「…この皇宮であの娘を完全に守れる者は居ない。余が手を出せば必ず他の所に角が立つ」

むしろ更に住みにくくなるやもしれんと、皇帝ガウディはまた指で規則的に肘掛けを叩き始めた。

「…出過ぎる杭は打たれるどころか、潰されて原型も分からなくなる場所だ。自分でしか自分は守れん」

「ご自身のご経験からでしょうが、程度が過ぎれば嫌がられるばかりですよ」
「……」

「いっそニキアスへお戻しになっては?」

彼の元なら安全でしょうとバアルの言葉に、ガウディはまた押し黙った。

「…ニキアスの元へ戻すのはまだ早い。さすれば奴はあの娘を連れて、この国から早々に出て行くやもしれん。
それに…レダの神託が正しいなら、これから『蝗害』とやらがやってくる。あの娘の情報が必要だ」

「……」
バアルも黙ったままガウディの横顔を見つめた。

謁見の間に、またトントントントン…という音だけが響き続けている。

音がぴたりと止んだ時、バアルは皇帝ガウディが王座からゆらりと立ち上がるのを見た。

「…ハリケーンとやらが来ると言っていたな。道中気を付けて行くがよい」
そう言ってガウディ皇帝は、真っ黒い目を月の様に細めて微笑んだ。

それからバアルを置いたまま謁見の間を足早に去って行った。
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