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第1章.嘘つき預言者の目覚め

14 偽りのピュロス ③

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 食事が終わった頃宿の使用人等が部屋に戻ってきて、テーブルの上の食器を片付けてくれた。
 それから別の奴隷が、大きな桶と手ぬぐいのようなものをテーブルの上に置いた。

 桶の中にはお湯が入っているらしく湯気がたっている。
 そこへ熱くした温石を投入すると、ジュッと音がして更に蒸気が上がった。
 同時にハッカ油が混じったような爽やかな香りが部屋に漂う。

「先に湯を使って身体を拭いておけ」
 ニキアスは乾いた手ぬぐいをわたしに渡した。

「俺は少々出てくる。すぐ戻るから下手な真似はするな」
 部屋の鍵を掴んでニキアスは部屋を出ると、外からしっかり鍵を掛けた。

 どこに行くとも言っていなかったがけれどさっきの公衆浴場にでも行ったのだろうか。
 わたしは疑問に思いながらも身体をくまなく拭いていった。

 結構土埃で身体が汚れていて手ぬぐいに薄荷の香るお湯を含ませ髪の毛をしっかり拭いていると、持ってきてもらった桶の湯の量が大分少なくなってしまった。
(ニキアスの分のお湯が無くなっちゃったわ…)

 新たにお湯を貰いに行きたいが、勝手に部屋を出ればニキアスにまた怒られそうな気がする。
(どうしよう…)

 その時、コンコンと部屋のドアをノックする音が聞こえてそのあとおばさんの声がした。
「すんませーん。藁をお持ちしました~」

(藁…?)
 細くドアを開けると、背の高く恰幅の良い下働きのおばさんが一抱えくらいある藁を持って立っていた。

「お連れさんに寝台に敷いてくれと頼まれたんでさ」
 おばさんはわたしの方の寝台に藁を敷きながら屈んだ。
(ニキアスが頼んだ…?)

「…奥様は大事にされてますねぇ」
 目地の粗い布だが、藁の上に被せてくれ、藁を丁寧に布で包みながらおばさんは言った。

「珍しいですよ。あんなにお若くてお綺麗な旦那様が浴場での女遊びや宿の女のサービスも要らないと突っ撥ねるなんて…」
(浴場での女遊び?)
 公衆浴場のことだろうか。

「…あ!そうだったのね…」
 わたしは先程の、食事時の宿の主人へのニキアスの態応に合点がいった。
(女遊びを勧められての塩対応だったという事なのね)

『亡国の皇子』の中でニキアスは常に戦争をしている記載が多い為、マヤと婚約してはいたがその他の女性の記載に乏しくてそのあたりの情報はほとんど無かった。

 小説の中のニキアスは男色家かと言われる程女性に対して厳しかった。
 実際にあれだけの容姿と将軍という職であれば女性に事欠かない筈だと思うのだけれど、確かに今のところ(一緒にいる時には)そんな影が無いのは不思議でもあった。

(あ、そうだわ)
「すみません。訊いてもいいですか?」
 わたしはおばさんにさっきつい使ってしまった『ピュロス』と言う言葉について聞いてみる事にした。

「ピュロスって言葉なんですけれど…」
「…ピュロス?」
 おばさんは首を傾げて聞き直してきた。

 わたしの質問に、おばさんは意味ありげな視線を送ってきた。
「嫌ですねえ、普段から奥様や旦那様の間で使っていらっしゃるでしょう」

 わたしはおばさんに恐る恐る訊いた。
「あの…確かって意味ですよね?」

 おばさんはわたしの様子が余りに変に思ったのか、訝しげな表情をして教えてくれた。
「いや、どちらかというと、あなたは貴方でもって意味でさぁね」

 わたしは一瞬頭から血が引くのを感じると同時に、ぶわっと顔が熱くなるのが分かった。
(やってしまった…)
 よりにもよって後に殺される相手に、いわゆる『ダーリン♡』的な呼び方をしてしまっていた。

 わたしはその時のニキアスの理解しがたいと言わんばかりの目を思い出した。
(ヤバいわ…かなり恥ずかしい)
 頭を抱えて悶々としていると、部屋の扉が軽くノックされて鍵がカチャリと開く音が聞こえた。

 扉を開けて入るなりわたしが真っ赤になっているのを見て、ニキアスはおばさんの方を向いて訊いた。
「身支度は終わったのか?…一体どうした?」

「いやあ、旦那様がいらっしゃらなくてお寂しかったんでしょうよ」
 おばさんがそう言うと、ニキアスはわたしの方を見て一瞬何とも言えない表情をした。
 
「じゃあ奥様…あたしはこれで」
 お湯の無くなった桶を片付けながらおばさんはウインクをして、部屋を出て行った。
「お二人のお邪魔になってはいけませんからね」

 ******************

「…何を言っているのだ?あのおばさんは」
 ニキアスはおばさんの出て行ったドアの方を見ながら言った。
 そしてまだ熱い頬を押さえているわたしの顔を覗き込んだ。

「…まさか虫でも出たのか?わざわざ二階にしてもらったが」
 軽くため息をつきながら部屋を見渡した。

 わたしにとってはまさかの意外な展開だったのだ。
(ニキアスがまさかこんなに色々配慮してくれているなんて)
 彼は完全にマヤ王女を嫌っていると思っていたからだ。

「あの…ありがとうございます。いろいろご配慮していただいて」
 わたしはちらっと藁でふんわりと快適になった寝台の方を見て、ニキアスにお礼を言った。

 一瞬虚を突かれたような顔のニキアスは、わたしの視線を避けながら自分の寝台へ荷物を置いた。
「…別に礼を言われる程のことじゃない。寝られないと文句を言われても面倒だったしな」

 そしてどさりと寝台に腰を下ろしてから、今度はわたしの顔をしっかりと見て尋ねた。

「ところで、今一度確認をしたい。その神託の内容についてだ」
「…はい。分かりました」

 わたしは頷いて自分の寝台――ニキアスの向かいに座って頷いた。
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