上 下
10 / 14

10 元の身体へと

しおりを挟む
 
 頭の中に響くベルの音が消えると供に眩暈が治まって、わたしはゆっくりと瞼を開けた。

 目の前に見えるのは、持ち上げた小さい手と今夜の為に着てきた鮮やかなグリーンのドレスだ。

 隣を見るとサラサラとプラチナブロンドの髪が揺れている。
 月の欠片のように光る髪の隙間から、濃い紫色の宝石の様にナイジェル様の美しい瞳と端正なお顔が見えた。

 いつもならその美しさに緊張して言葉も出ないのだけれど、今は違った。
 僅かな時間でもナイジェル様と入れ替わった事がわたしに勇気をくれたのだ。

「ナイジェル様…大丈夫ですか?あの、お身体は何か…」
 わたしが恐る恐る尋ねた。

 するとナイジェル様はゆっくりと手を伸ばし、わたしの頬を少し震える指で触れた。

 そして――。
「良かった…元の可愛いソフィアだ…」
 わたしを優しく引き寄せてぎゅっと腕の中に抱きしめてくれた。

『婚約破棄』
『ナイジェル様にはセリーヌ嬢がいる』
 頭には色々な言葉が浮かんだけれど――素直にナイジェル様に抱きしめて貰えた事が嬉しすぎて泣きそうになる。

「…ナイジェル様…」
 わたしもナイジェル様の背中におずおずと手を伸ばす。
 背中に手が回ったのを分かったナイジェル様のわたしを抱き締める力が更に強まった。

 しかしそのロマンティックな雰囲気を一気に壊す様な
「ちょ、ちょいちょいナイジェル様。今回の大騒ぎについて説明してくださらんと私は娘を安心してやれませんぞ」

 能天気なお父様の声が大きく響いたのだった。

 
  +++++

 今夜の魔法には如何やらいたずらな月の精霊の計らいがあったらしい。

 わたしはお父様に今回の入れ替わりの切っ掛けになったであろう――中庭でのナイジェル様とセリーヌ様の事を話した。
 そして大聖堂の鐘がきっかり夜の9時になった瞬間に頭痛や眩暈が起こると共に、わたしとナイジェル様が入れ替わってしまった事も。

 お父様は婚約破棄の所で烈火の如く怒ると思いきや
「成程…そうでしたか」
 と言ってアッサリと話を納得したようだった。

「――噂は本当でしたか」
「そうだ。ドレスデン侯が既に知っているのなら、もうかなりの人々の間に広まっていると考えられるな」
 お父様の言葉にナイジェル様は頷いた。

「あの…一体どういう事なのですか?」
 二人だけで進む会話について行けず思わずわたしは横から口を出してしまった。

 ナイジェル様はわたしをじっと見つめた後、目線を床へと動かした。
「――本来であればこの話をソフィアに聞かせるつもりは無かった。
 事が穏便に済めばと考えていたんだ。
 しかしセリーヌ嬢の発言を含め事態が収拾がつかない程に大きくなってしまった」

 ナイジェル様は息を吸うと一気に吐き出す様に言った。

「どうやらセリーヌ嬢は妊娠しているらしい」

「――――え?」
(どういう事?…え?)
 全身からざぁっと血の気が引いてしまった。

(まさか…父親の方は…)
 考えたくないが――まさか、まさかナイジェル様のお子様なの?

 わたしの顔色を見てナイジェル様は我慢できない様に噴き出した。

「――俺のじゃない」

「…なっ…い、意地悪ですわ、ナイジェル様…」
 ナイジェル様は焦るわたしの鼻先を指でツンと触った。

「…言っておくが先に意地悪したのはソフィアだ。
 俺とは釣り合わないと解っているなんて皆に言っていたなんて。
 正直俺はショックだったぞ。婚約を破棄すると言った時もあんまり反応が無かったし。
 もしかして本当にこのまま破棄してしまってもいいと考えているのかと疑ってしまって…とても哀しい気持ちになった」

 いつになく甘く切なく微笑むナイジェル様に、わたしは瞳が逸らせなくなってしまった。

「ナイジェル様。ごめんなさい…」
「いいんだ…俺の言葉がいつも足りなかったと解ったから。ソフィア…」

「うおっほん!うおっほん!!」
 途端にお父様が激しく咳払いをした。

 ナイジェル様はそれに気が付いて少し慌てた様に言った。

「はは、済まないなドレスデン侯。では事の経緯を説明しよう。
 まず――そもそもセリーヌ嬢と王女エイダ様は学園時代のご学友でもある。
 彼女はエイダ様の取り巻きの一人でもあった」

「…エイダ様?今夜のパーティの主役でいらっしゃいますわよね」
 今日の晩餐会でナイジェル様のお兄様であるランディ=エヴァンス小公爵様と、ミルデン王国の3番目の姫君エイダ様の婚約発表がされた。

「そうだ。そしてセリーヌ嬢とエイダ様とは卒業後も仲良くされていて、その関係で我が兄とエイダ様のご婚約以前からお二人で当家にも遊びに来られる事も多かった」

「…はい…?」
(ここで何故ナイジェル様のお兄様が出てくるの?)

 ナイジェル様は苦笑して
「可愛らしいソフィアには信じられない展開かもしれないが、兄とセリーヌ嬢はになった。まあ、兄は向こうから手を出してきたと釈明はしているがね」

「そんな…」
 ご学友の、しかも王女の婚約者に手を出したのか。

「どうやら彼女はNTRの性癖があるらしい」
「…?NTR…ですか?」
「――寝取りNTRだ。在学中も巧妙にしていて裏では有名だったらしいから、女を知らないボンボンの兄上など赤子の手を捻るよりも簡単だっただろうな」

「ボンボン…」
 確かに…ナイジェル様のお兄様はナイジェル様の髪と目の色はご一緒だが、もっとほわ~っと育ちの良い感じ方だった。

 いきなりセリーヌ嬢に『妊娠をしています。責任を取って欲しい』と言われたランディ様は、度肝を抜いたと言う。

 +++++


 最初父上がそれを聞かされた時は卒倒寸前だった。
 ――そして。

「父上は跡取りである兄上の名誉を守る為に、俺にセリーヌ嬢の子の父親になれと言ってきたんだ」

『ほら、あの用事があるからと途中で帰った日だ』とナイジェル様は続けた。

「俺は無理だと言った。婚約しているソフィア令嬢がいるからな」

「しかし父上は『王家より侯爵家に肩入れするというのか?』と激昂し、あまつさえ言う通りにできないなら勘当するとまで言ってきたのだ」
「そんな…酷いわ…」

 何てことだ。ナイジェル様を何だと思っているのだ。
(それにそんな大事な事を勝手に決定してセリーヌ嬢とお腹の子供も気の毒だわ)

 ナイジェル様はわたしが憤慨している様子を見て少し嬉しそうに笑った。
「…いい子だな。ソフィアはやはり。だがセリーヌ嬢の事については怒らなくていい。父上の命令の後兄上が俺に謝ってきた」

『ナイジェル…済まない。こんな事になって』
『何を…!謝られても取り返しがつきませんよ!ソフィアにだって何て言えばいいのか…』

 俺は兄上と話をしたく無いほど怒っていたのだが、兄上が妙な事を言い出した。
『実は妊娠の週数が合わない気がするんだ。彼女が言っているのは…本当に僕の子供なんだろうか』
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~

しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。 とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。 「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」 だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。 追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は? すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。 小説家になろう、他サイトでも掲載しています。 麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!

辺境伯令息の婚約者に任命されました

風見ゆうみ
恋愛
家が貧乏だからという理由で、男爵令嬢である私、クレア・レッドバーンズは婚約者であるムートー子爵の家に、子供の頃から居候させてもらっていた。私の婚約者であるガレッド様は、ある晩、一人の女性を連れ帰り、私との婚約を破棄し、自分は彼女と結婚するなどとふざけた事を言い出した。遊び呆けている彼の仕事を全てかわりにやっていたのは私なのにだ。 婚約破棄され、家を追い出されてしまった私の前に現れたのは、ジュード辺境伯家の次男のイーサンだった。 ガレッド様が連れ帰ってきた女性は彼の元婚約者だという事がわかり、私を気の毒に思ってくれた彼は、私を彼の家に招き入れてくれることになって……。 ※筆者が考えた異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。クズがいますので、ご注意下さい。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

婚約者を友人に奪われて~婚約破棄後の公爵令嬢~

tartan321
恋愛
成績優秀な公爵令嬢ソフィアは、婚約相手である王子のカリエスの面倒を見ていた。 ある日、級友であるリリーがソフィアの元を訪れて……。

グランディア様、読まないでくださいっ!〜仮死状態となった令嬢、婚約者の王子にすぐ隣で声に出して日記を読まれる〜

恋愛
第三王子、グランディアの婚約者であるティナ。 婚約式が終わってから、殿下との溝は深まるばかり。 そんな時、突然聖女が宮殿に住み始める。 不安になったティナは王妃様に相談するも、「私に任せなさい」とだけ言われなぜかお茶をすすめられる。 お茶を飲んだその日の夜、意識が戻ると仮死状態!? 死んだと思われたティナの日記を、横で読み始めたグランディア。 しかもわざわざ声に出して。 恥ずかしさのあまり、本当に死にそうなティナ。 けれど、グランディアの気持ちが少しずつ分かり……? ※この小説は他サイトでも公開しております。

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

魔法が使えなかった令嬢は、婚約破棄によって魔法が使えるようになりました

天宮有
恋愛
 魔力のある人は15歳になって魔法学園に入学し、16歳までに魔法が使えるようになるらしい。  伯爵令嬢の私ルーナは魔力を期待されて、侯爵令息ラドンは私を婚約者にする。  私は16歳になっても魔法が使えず、ラドンに婚約破棄言い渡されてしまう。  その後――ラドンの婚約破棄した後の行動による怒りによって、私は魔法が使えるようになっていた。

処理中です...