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第三章
(2)-1
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「どうした、露珠。腑に落ちないという顔をしている」
久しぶりに、屋敷の皆に都で覚えた料理を振舞いたい、と帰ってきて早々に真白は家令と共に厨に行ってしまった。いつもなら追いかけたであろう露珠に、凍牙が問いかける。
露珠が、眉尻を下げた困り顔で凍牙を見上げ、少しの逡巡の後、真白の話への疑念を口にした。
半妖ともなれば、見た目で狼との区別もつきがたいのだろうが、露珠には違いが良くわかる。真白の傍にいたのは、決して犬の半妖などではない。
狼の、大神の匂いだ。
狐の半妖である真白が、狼と犬の区別がつかないとは思えない、とまでは口にしなかったが、凍牙には伝わったようだった。
「眷属はどうした。管狐を、真白の傍には遣っていないのか」
露珠が牙鬼の縄張りに情報収集目的で遣わしている眷族――管狐は、都へ遣っているものの数が一番多い。真白が屋敷を出て生活することに、最後まで難色を示していた露珠であれば、彼女を守るためにも常に管狐を傍に貼り付けて置きそうなものだ。
「それは、もちろんそうしたかったのですが」
見守っている、と言えば聞こえは良いが、常時監視されている、とも言い換えられる。事実、棠棣や一族の他の鬼の下へは監視目的で管狐を遣っているのだ。
真白には、初めのうちは管狐がいるから何かあったら連絡に使うように、と言い、都での暮らしが落ち着いてからは、本人の意思を尊重して、管狐は定期的に真白の元を訪れるだけで、常には傍にいない。当然、棠棣や一族の鬼にしているのと同様、真白には気が付かれないようにすることも可能だったが、露珠はそれをしなかった。
真白が屋敷を出ることを後押しした乱牙に、少し真白離れしろよ、と言われたこともある。彼女を囲い込み過ぎないように、露珠なりに気を遣っているのだ。
「真白には悪いことをしました。折角帰ってきてくれたのに、あんな風に問い詰めるようなことを」
相手が狼の半妖であれ、真白が無事なのだからこんなに取り乱さなくてもよかったのに、と、目蓋を伏せる。落ち込んだ様子の妻を慰めてやりながら、ふと気になったことを口にする。
「匂いというのは、そんなにも簡単に移るものなのか」
凍牙の言葉に、きょとんとした後、じわじわと露珠が目を見開く。
「それは。あら、まあ……」
相手が狼の半妖だということを忘れたように、高揚から少し喜びさえ混じる表情になっていく露珠とは裏腹に、今度は凍牙の表情が険しくなる。その表情を見た露珠が、くすくすと笑い声を漏らすのを見て、凍牙が不満そうに腕を組む。
「まあ、凍牙様。まるで娘を嫁にやる父親の様なお顔を」
凍牙の組んだ腕を取って露珠が笑いかける。笑顔が戻った妻に、凍牙の表情も緩む。「娘を嫁にやるような」と言えるほど強い感情ではなかったが、やはりある程度は気になるものらしい。一番真白の親代わりのようにしていた高藤あたりが聞いたら、表情こそ変えないものの、内心穏やかでないだろうと思う。都まで相手を確認しに行きそうなのは乱牙だが。
そこまで考えて、露珠を嫁に出すときの露珠の父は、それらとは違う決意だっただろうと思い至る。
「凍牙様、昔のことを?もうお気になさらないでと何度も申し上げておりますのに」
思わず真剣な顔になってしまったのだろう、考えを見透かしたらしい露珠に釘を刺されてしまい、凍牙が苦笑する。そうだったな、と表情を緩めて妻の髪を撫でると、少し目を細めて軽く頬を寄せてくる。
少々荒れていた妻の機嫌が直ったようで、凍牙は安堵する。
真白のことはそれなりに大切には思っているつもりだが、露珠とは比べるべくもない。
「真白に謝って、都での話を聞かせてもらいましょう。ヒトや、その――お友達と、楽しく過ごしているのかしら」
久しぶりに、屋敷の皆に都で覚えた料理を振舞いたい、と帰ってきて早々に真白は家令と共に厨に行ってしまった。いつもなら追いかけたであろう露珠に、凍牙が問いかける。
露珠が、眉尻を下げた困り顔で凍牙を見上げ、少しの逡巡の後、真白の話への疑念を口にした。
半妖ともなれば、見た目で狼との区別もつきがたいのだろうが、露珠には違いが良くわかる。真白の傍にいたのは、決して犬の半妖などではない。
狼の、大神の匂いだ。
狐の半妖である真白が、狼と犬の区別がつかないとは思えない、とまでは口にしなかったが、凍牙には伝わったようだった。
「眷属はどうした。管狐を、真白の傍には遣っていないのか」
露珠が牙鬼の縄張りに情報収集目的で遣わしている眷族――管狐は、都へ遣っているものの数が一番多い。真白が屋敷を出て生活することに、最後まで難色を示していた露珠であれば、彼女を守るためにも常に管狐を傍に貼り付けて置きそうなものだ。
「それは、もちろんそうしたかったのですが」
見守っている、と言えば聞こえは良いが、常時監視されている、とも言い換えられる。事実、棠棣や一族の他の鬼の下へは監視目的で管狐を遣っているのだ。
真白には、初めのうちは管狐がいるから何かあったら連絡に使うように、と言い、都での暮らしが落ち着いてからは、本人の意思を尊重して、管狐は定期的に真白の元を訪れるだけで、常には傍にいない。当然、棠棣や一族の鬼にしているのと同様、真白には気が付かれないようにすることも可能だったが、露珠はそれをしなかった。
真白が屋敷を出ることを後押しした乱牙に、少し真白離れしろよ、と言われたこともある。彼女を囲い込み過ぎないように、露珠なりに気を遣っているのだ。
「真白には悪いことをしました。折角帰ってきてくれたのに、あんな風に問い詰めるようなことを」
相手が狼の半妖であれ、真白が無事なのだからこんなに取り乱さなくてもよかったのに、と、目蓋を伏せる。落ち込んだ様子の妻を慰めてやりながら、ふと気になったことを口にする。
「匂いというのは、そんなにも簡単に移るものなのか」
凍牙の言葉に、きょとんとした後、じわじわと露珠が目を見開く。
「それは。あら、まあ……」
相手が狼の半妖だということを忘れたように、高揚から少し喜びさえ混じる表情になっていく露珠とは裏腹に、今度は凍牙の表情が険しくなる。その表情を見た露珠が、くすくすと笑い声を漏らすのを見て、凍牙が不満そうに腕を組む。
「まあ、凍牙様。まるで娘を嫁にやる父親の様なお顔を」
凍牙の組んだ腕を取って露珠が笑いかける。笑顔が戻った妻に、凍牙の表情も緩む。「娘を嫁にやるような」と言えるほど強い感情ではなかったが、やはりある程度は気になるものらしい。一番真白の親代わりのようにしていた高藤あたりが聞いたら、表情こそ変えないものの、内心穏やかでないだろうと思う。都まで相手を確認しに行きそうなのは乱牙だが。
そこまで考えて、露珠を嫁に出すときの露珠の父は、それらとは違う決意だっただろうと思い至る。
「凍牙様、昔のことを?もうお気になさらないでと何度も申し上げておりますのに」
思わず真剣な顔になってしまったのだろう、考えを見透かしたらしい露珠に釘を刺されてしまい、凍牙が苦笑する。そうだったな、と表情を緩めて妻の髪を撫でると、少し目を細めて軽く頬を寄せてくる。
少々荒れていた妻の機嫌が直ったようで、凍牙は安堵する。
真白のことはそれなりに大切には思っているつもりだが、露珠とは比べるべくもない。
「真白に謝って、都での話を聞かせてもらいましょう。ヒトや、その――お友達と、楽しく過ごしているのかしら」
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