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第二章

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 顔色を変えた凍牙に気を良くしたらしい棠棣が得意げに口を開こうとしたとき、隣にいた赤い獣が棠棣を庇うように飛び出した。乱牙の接近を感じていた凍牙は、棠棣に殴りかかった乱牙に周りが気を取られている間に露珠を助けようと振り返る。しかし、黒い靄に手を掛ける寸前に、朱華が背後から切りかかり、それを妨害する。鬱陶しい、と凍牙がそれを振り払うが、その後ろから朱華を援護するように飛ばされてきた龍の攻撃は、流石に片手間には受け止められない。仕方なくまた露珠を背にして朱華と龍を相手にすることになる。

 乱牙も、赤い獣とその他の多数の妖を相手に、棠棣のところに到達するのには難渋している。



「鬼でもない僕が、牙鬼兄弟を揃って倒せるかもしれないなんて最高の気分だよ。君達のどちらかだけでも倒せれば、またいい『素材』が手に入るし。そこの銀露が生きている限り、妖の強化には不自由しない。白露だって、彼女を泣かせるコツも掴んでき――」



 楽しそうに話す棠棣の左右の頬に赤い筋が入る。凍牙と乱牙、双方からの舌打ちが聞こえて、それが二人からの攻撃で、棠棣との間に妖が割り込むことでその力を軽減したものだと棠棣が理解する。凍牙と乱牙、それぞれの攻撃に割り込んだ妖は消滅している。



 不愉快な棠棣をすぐにでも消し去りたい。凍牙は両頬の傷に驚いた様子の棠棣を視界の端で確認する。露珠を庇いながらでなければ朱華と赤い獣、そして龍以外の、棠棣を含む有象無象はすぐに殺せる。いっそのこと、ここで角を折って露珠に持たせてそうしてしまいたい、とも考える。龍との戦いに苦戦することにはなるだろうが、乱牙がいればなんとかなるだろう。角を折って露珠に持たせる隙さえあればいい。ちらりと乱牙に視線を送ると、彼も同じことを思ったらしい。赤い獣の攻撃を避けながら、自分の角を指差して凍牙に許可を求めている。

 どうやら、乱牙は乱牙で自分の角を折るつもりのようだ。馬鹿が、お前が角を折ったらその後戦闘の続行は不可能だろう、守る対象を増やしてどうする、と凍牙が心の内で乱牙を毒づく。自分がやる、と返そうとしたところで、朱華と龍の攻撃が眼前に迫る。



「余裕だね、凍牙様?露珠を拘束してる妖を抑えるために放っている妖気、あんまり長々続けると、露珠が弱るんじゃないの?」



 正攻法では凍牙に適わない朱華は、攻撃しつつも会話で凍牙の気を引こうとする。その間に繰り返される龍の攻撃が、凍牙を消耗させる。朱華が言うのは事実で、露珠を拘束する黒い妖が、今以上に露珠に危害を加えられないよう、凍牙が妖気で抑えている。そして、朱華の言うとおり、これが続けば露珠も負傷する。悠長に戦っている場合ではないのは確かだ。朱華の問いには答えずに、凍牙も朱華に揺さぶりをかける。



「身体の一部や角を渡してまで、なぜ棠棣の命令に従っている。あの程度の妖鹿、どのようにでもできるだろう」



 瞬間、力が入ったらしい朱華の攻撃が大振りになり、凍牙はそこを見逃さず、背後の龍を攻撃する。会話が出来る分、朱華のほうが戦いやすい。弱っている朱華よりも先に、龍にある程度損傷を与えておきたい。龍への攻撃の余波でよろめいた朱華が、地面に膝を着く。



「皆があんたみたいに言うから」



 聞き取れないほどの声量で、朱華が呟く。



「だって、それ以外に、私が棠棣に渡せるものなんてないから。私が、棠棣から奪ったものには、足りない」



 ゆらり、と立ち上がった朱華に、どれほどの力が残っているのか。凍牙は朱華を視界に入れつつも龍の動向を注視する。



「そもそも、あいつの目的はなんなんだ」

「鬼と同等の、それ以上の力を手に入れたいだけだよ。お前達は、その身を削るだけで価値がある。何もしなくても、持って生まれたそれ自体がね。酷いと思わ……ないか、お前達にはわからない」



 朱華に問いかけたつもりが、当の棠棣から答えが返る。その「お前達」に朱華も含まれていることはこちらに向けられた苦々しげな視線からも分かる。その視線から逃れるように顔を背けた朱華に、凍牙が問いかける。



「お前が奪ったわけではないだろう。こんな状態で、お前、いつまでもあいつを守っていられると思うのか」



 それは朱華も薄々気がついていたことだった。この時点でさえ、凍牙が露珠を諦めれば瞬時に決着がつくだろう。今回をやり過ごしたとしても、棠棣が行動を変えなければ、朱華は力を失う一方で、朱華がいなくなれば作られた妖だけで棠棣を守りきるのは難しい。朱華の角から作られた赤い獣以外の妖は、今も朱華の思念の影響下にある。朱華を失ってもその状態を保っていられるかもわからないのだ。

 朱華の迷いに呼応するように、露珠の拘束していた妖の力が緩まる。



 その隙を逃さなかった露珠は、瞬時に白狐の姿をとる。酷い消耗と拘束されていたことに加え、凍牙の妖気の重圧で声を出すことも適わなかったが、意識はあった。露珠は目の前の凍牙の背に向かって走り、その肩に巻きつくように飛び乗った。



 凍牙はその動きが見えていたかのように、肩に羽でも降ってきたとでも言う程度にさえ身体を揺らさない。当然の様に露珠を受け止め、首もとの毛を撫でてやる。

 緊迫した状況での凍牙のその仕草は、露珠自身も、その様子を見ていた乱牙のことも安心させ、逆に棠棣と朱華を追い詰めた。



 棠棣の焦りに呼応したのか、龍が青白く仄かに光る。凍牙の妖気が爆ぜるのに似たその光は、そこから強力な攻撃が発せられることを予感させた。自身に込められた力全てを解放しようとするような様子で、凍牙を向いたその口を開ける。その光が凍牙に向かって弾けた瞬間、ぱっと、露珠が凍牙の首から飛び降りて、龍と凍牙の間にその身を躍らせた。凍牙が咄嗟に手を伸ばすが露珠自身がそれから逃れるように更に前に出る。妖が放った攻撃は当然進路を変えられず、そのまま露珠に向かう。が、放った攻撃を包み込むように、龍がその形を大きく変えた。
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