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第二章
(6)-2
しおりを挟む一面の紅葉の中を踊るように歩き回った露珠は、振り返ってみた凍牙の様子に思わず見入ってしまう。溢れる色彩の中でも圧倒的な銀の存在感だったはずだが、今はそれが景色に溶け込んでいるようだった。凍牙の肩に止まった三羽の小鳥、逆の腕に登っている栗鼠、その足元に寝そべる兎たち。いつもならはっきりとしている輪郭が、寄り添う動物達によって曖昧な印象になっている。優しい顔をして、その動物たちを指先で撫でる姿に見惚れてしまう。
小動物に、こんなに優しい顔をする人だとは知らなかった。目の前の凍牙に見惚れる反面、凍牙のことをまだ良く知らないということに、少し焦りも覚える。それ以上に、あまりに優しいその表情が、少しばかり羨ましくもある。凍牙に懐くその動物達は、恐らく露珠に懐くことはない。妖と動物はそう相性のいいものではないし、狐と小動物では言わずもがな。
「どうした、露珠」
自分を見つめたまま動きを止めてしまった露珠に、凍牙が訝しげに声をかける。
なんでもありません、と答えかけて露珠は思い直す。
「少し、その子達に妬いてしまって」
思いもよらぬ露珠の返事に、今度は凍牙が驚く。動物達に見せていたよりも更に表情を和らげて、凍牙が自分の太ももを叩く。
「久しぶりにここにくるか」
その誘いに二、三歩凍牙に近づいた露珠が、あと少しの距離を残して立ち止まる。
「これ以上近づいたら、その子達が逃げてしまいます」
眉尻を下げて情けない顔をするのさえ愛らしく見えるが、それを堪能するわけにもいかない。凍牙は自分に懐いてきている動物達を、何かを言い聞かせるように一通り撫でてやってもう一度露珠を呼ぶ。
「変化を解いても逃げはしない」
恐る恐る凍牙に近寄り、足元の兎が逃げないのを確認すると、肩の小鳥にそっと指を差し出す。首をかしげてちょん、とその指をつつく様子に、露珠は詰めていた息を細く吐き出した。
「凍牙様。少しお疲れのご様子です。いつもとは逆にさせてください」
「逆?」
問いかけに答えず変化を解いた露珠を、凍牙が驚いて見上げる。露珠はいつもの大きさではなく、座っている凍牙が見上げるほどの大きさの銀の狐になっていた。
露珠の意図が読めずに二の句がつげないでいる凍牙の後ろに回りこみ、鼻先で凍牙の身体を押すと、狐の腹に上半身を預けるようになる。ようやく露珠の意図に気がついた凍牙が、そのふかふかの毛に埋もれながら、その顔のほうに手を伸ばす。
「これは、負担ではないのか」
伸ばされた手に、返事の代わりにすりすりと顔をこすりつける。凍牙とその周りの動物たちをその毛皮で包むようにして、狐がその身を丸める。力を抜いた凍牙が、そのやわらかい腹の上でゆっくりとまぶたを閉じた。
小一時間ほどの休憩をとった凍牙が、すっきりと目を覚ます。視界の端をちらちらと動く、兎と戯れる尻尾を悪戯に掴むと身体を預けていた露珠の全身が跳ねる。掴まれた尻尾をバタバタと動かし、別の尾が抗議するように手をパシパシと叩く。
「すまない、つい」
手を叩いていた尻尾を撫で、反対側に首をめぐらせると、逆の手で狐の頬を撫でる。目を閉じて擦り寄ってくるのに顔を寄せて立ち上がると、露珠が人型に変化する。
「お疲れは、多少取れましたか?」
「あぁ。短時間寝ただけとは思えないほどだが……露珠」
真白の悪戯を咎める時の高藤に似た視線を向けられて、露珠が目を逸らす。
「とても、お疲れの様だったので……どうしても、お力になりたくて」
視線を下げて、変化しているのに耳を後ろに伏せているのが見えるような露珠の様子に、凍牙が表情を緩める。
「そなたの血も、涙も、髪の一本まで全て、そなた自身のものだ。そなたの意志でどのように使っても構わない。私がもしそれに異を唱えたとしたら、それは命令ではない、懇願だ」
「……凍牙様」
白露も血も使って欲しくない、というのは凍牙の偽らざる本音で、なによりそれは露珠のためだ。それでも、凍牙の役に立ちたいという露珠の気持ちもこれ以上ないほど汲んでくれている。
どこまでも優しい凍牙の言葉に、露珠は胸がいっぱいになる。
「ただ、露珠。紅玉だけは、私にくれないか」
「はい、もちろんです」
真剣な面持ちで告げる凍牙に答える露珠に迷いはない。必要だと言ってもらえるなら、今すぐにだって差し出せる。
「私がそなたにそれを求めるまで、預けておく。それは私のものだから、決して、私の許可なしに使わないと、約束してくれ」
先ほどのようには即答はできなかった露珠が、凍牙を見上げて頷く。それを確めて、凍牙も満足気に頷いた。
そろそろ戻ろう、と促す凍牙に従って、来た時と同じように黒虎に同乗する。往路の気恥ずかしさも大分和らいで、後ろの凍牙に身を預けるように少し体重をかける。そんな様子の露珠をそっと見下ろして、紅葉が見えなくなった辺りから、凍牙は黒虎の速度を上げさせた。
異変が起きたのは、屋敷のある山に程近い谷筋だった。
自分を抱きこんでいる凍牙が何かに反応するのを感じて、露珠が声をかけようとしたとき、黒虎と自分の身体に挟みこむように、凍牙が露珠に覆いかぶさる。同時に更に速度を上げた黒虎が、谷を抜けて崖の上へ駆け上がった。
直前までいた谷に、大振りの石が他の小石を巻き込んで落ちていくのを見て、露珠が凍牙を見上げるが、視線は合わない。凍牙は土煙でかすむ崖の先を鋭く睨む。
「露珠、屋敷へ走れ。黒虎、露珠を守れ」
屋敷まで高速で走り続けられるだけの力を黒虎に与えて、凍牙は黒虎から降りる。その間も視線は外さず崖の先を見ている。状況から察するに敵襲なのだろう。凍牙が心配でここに居たいと思うが、足手まといにしかならないことは重々承知だ。うっかり怪我をして相手を強化することにでもなったら目も当てられない。凍牙の言うとおり、できるだけ早くこの場を離脱するべく黒虎にしっかりと座りなおす。
「凍牙様」
思わずもれた呟きに、凍牙は一度だけ露珠と視線を合わせると「行け」と、黒虎の背を叩いた。主人の意を汲んだ黒虎が走り出す。露珠の動いた視界の端を赤い何か掠めた。
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