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第二章

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 凍牙の角を握り締めて、半泣きで屋敷に走りこんできた真白を見て、高藤は平静さを失った。角が露珠の手にない、と言う時点で既に大問題だというのに、露珠が戻らず角だけが戻るなどあってはならない事態だ。その上、露珠と一緒だったはずの真白が泣いているとあれば、瞬時に最悪の事態を想定してしまう。

「真白、露珠様はどうした?」

 掴みかかるような勢いで問いただす高藤に対する真白の説明は要領を得ない。

「露珠様が高藤様呼んできてって。真白が助けてっていったから露珠様が妖に言ってくれて、凍牙様じゃない凍牙様が――高藤様、早く露珠様助けに行って!」

 真白と別れた時点で露珠が無事であったことと、その場所だけを何とか聞き出して、高藤は屋敷を飛び出した。


 全速力で疾走した高藤は、ほどなくして川原に佇む露珠を見つける。
 危険な相手の気配はないが、露珠が人型を取ってはいるものの、その背後に三つもの尾を出していることで、その緊迫度合いを察する。

「露珠様」

 臨戦状態の露珠を刺激しないよう、少し離れたところから声をかける。
 その瞬間、目の前の露珠の身体からふっと力が抜けたのが見て取れた。

「高藤。来てくれたのね」

 心底安心した、という表情で振り返った露珠が、少し恥ずかしそうに尾を隠す。

「何があったのですか」
「ねえ、高藤。凍牙様ってご兄弟居られるのかしら」
「それは」
「もちろん、乱牙以外で」
「私の知る範囲では、いらっしゃらないかと……」
「凍牙様に擬態した妖に会ったの。髪や瞳の色、角はそっくりだった。顔は似ているな、という程度で、だから私にも真白にも、それが凍牙様ではないと分かったのだけど、凍牙様に会ったことがない者なら、きっと区別がつかない」
「……ご同類ということは?」

 やや逡巡した高藤が、露珠を伺う。

「姿かたちだけなら、そういうこともあるでしょうけど……。鬼の力や気配までもを真似るのは……少なくとも私は方法を知らないわ」

 その偽者が本物の鬼である可能性を示唆されて、高藤も考え込む。

「打保という妖とヒトの諍いに遭遇したのだけど、彼らに向かって私を『妻』と言ったの。妖狐や狸だったとして、凍牙様のお顔をしっかり見たことはないらしいのに私のことは知っているのって、妙な具合だと思って」
「そうですね。凍牙様よりも露珠様をお見かけする方が難しいはずです」
「それに、屋敷に案内しろ、と言われて。断ったら『勝手に行くからいい。待っていろ』と」
「屋敷の場所を知っているか、簡単に辿り付ける、という自信があるということのようですね。ご兄弟の件については凍牙様が戻られたらお聞きするしかありませんが、その者が屋敷に来るというなら、出迎えなくてはなりませんね」

 高藤が、偽の凍牙と戦うことを想像して高揚したのを見て、露珠も不安を振り払う。屋敷へ戻ろうと踵を返すと、微笑みを湛えた高藤から硬質な声がかけられる。

「露珠様」
「な、に?」

 その静かな迫力に、露珠がたじろぐ。

「真白に角を持たせたようですが、決して、二度とこのようなことはなさらぬように」
「でも」
「いいですか。貴方のために、凍牙様がわざわざ折られたものですよ。相手が鬼ならなおのこと、手放すべきではありません」

 でも、と二度目の反論を試みようとする露珠に「凍牙様にもご報告しますね」と畳みかけ、高藤は露珠の反論を封じた。



 露珠と真白が凍牙の偽者と出会ってから十日。
 まだ凍牙は帰っておらず、以前旅を共にしていた仲間に会いに行った乱牙も戻っていない。そわそわと落ち着かない日々を過ごす露珠の元にその客人が現れたのは、太陽が中天を過ぎた頃だった。

 家令が「露珠様にお客人が」と告げに来たとき、表の座敷で真白と遊んでいた高藤が露珠に目配せをした。
 晃牙や影見への客人はそれなりにあったものの、その二人が亡くなってからはほとんど客と呼べる来訪者はない。その上、「凍牙様の奥方」ではなく、「露珠」宛の客人など、大雪山の銀露を除けばあり得るはずもない。真白を家令と共に奥向きへと逃がし、露珠は高藤を連れて玄関へと向かった。

 上がり框に腰をかけ、衣に覆われた長い足を組んでいた人物は、やってきた露珠と高藤に気がつくと、ゆっくりとした動作で立ち上がった。襟足が少し長めの黒髪に、切れ長の涼しげな目元、冷酷そうな薄い唇に笑みを浮かべている横顔は、次の瞬間銀髪の鬼へと姿を変えた。

「十日ぶりか、露珠。この前は妻と呼んだのが余程気に入らなかったらしいが……面倒事に巻き込まれそうな妹を、上手いこと救ってやったつもりだったんだけどね」
「妹?」
「鬼に脅されて生贄みたいに牙鬼に捧げられたというから、どんなことになっているかと思って見にきたら。そこの鬼はお前を守ろうと必死だし、大事にされているんだね。この前一緒にいた半妖は、お前の子ではないのかい?」

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