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第二章
(2)-2
しおりを挟む「いってらっしゃい、乱牙」
「ああ」
玄関で、露珠と真白が乱牙を見送る。気をつけてね、と続く露珠の言葉に、お前のほうこそ、と軽口を叩いて、乱牙が手を伸ばす。露珠の髪に向かいかけたその手は、途中で方向を変えて、真白の耳の間にぽす、と乗る。
「お前もな。いい子にしてろよ」
「やめてよー!真白いつもいい子だよ!」
ガシガシと乱暴に頭を撫でられて、真白が抗議の声を上げる。
「いや、冗談じゃなく。凍牙も留守にすることが多いだろうし、俺も早めに戻るつもりだが――」
言い募ろうとする乱牙を露珠が遮る。
「ありがとう。大丈夫よ。もうあんな無茶はしないから」
ね、と真白を諭すときの様に言われた乱牙が苦笑する。
「わかったよ。じゃあ、行ってくる」
背中越しに片手を軽く上げて出て行く乱牙を見送って、露珠が中に戻ろうとするが、真白は乱牙が出かけていったほうを見たまま動かない。
「真白?」
露珠が声をかけると、視線を逸らさないままの真白から小さな声が聞こえる。
「乱牙、すぐ帰ってくる?」
もちろん、と答えかけて、露珠は言葉に詰まる。
寿命が大きく違う露珠たちと真白では、時間の感じ方も同じように違う。露珠や乱牙にはすぐでも、真白には酷く長く感じられるのかもしれない。一緒にいるときでさえ、露珠たちと真白の時間感覚の違いから、よく退屈させてしまっている。
「できるだけ早く帰ってきてくれると思う。乱牙が帰ってくるまでは、凍牙様や高藤に頼んで外に遊びに行きましょう。近場だったら私と二人でもいいし、ね?」
晃牙が亡くなって以後、その勢力圏の維持に特に興味を示していなかった凍牙だが、露珠との誤解が解け、改めて共に暮らすと決めた後からは積極的に動くようになっていた。
そのための外出が多く、真白を屋敷の外に連れ出すのはほとんど乱牙だった。
屋敷の中だけでは退屈しがちな真白が、乱牙の不在で屋敷の外に出られなくなることを残念がっているのだろうと、露珠が提案する。
「凍牙様と?」
ぱっと振り向いて期待に目を輝かせる真白に、この切り替え具合を見たら乱牙がちょっと悲しむんじゃないかしら、と乱牙を気の毒に思いつつ、露珠は頷いた。
「悪いが、これから出る」
露珠と真白の会話が聞こえていたのだろう、乱牙の見送りには来なかった凍牙が、玄関先まで来ていて、露珠の後ろから声をかける。
「今からですか?お戻りはどれくらいに?」
「半月はかからぬ。高藤は置いていく」
「凍牙様は、お一人で?」
不安気に聞く露珠に、微かな笑みを返して安心させると、そっと露珠の髪を撫でる。
「出来るだけ早く戻る」
髪を撫でた手が、そのまま頬に滑る。添えられた凍牙の手のひらに、露珠が目を細めて頬を寄せた。
「お戻りになったら、真白とお出かけくださいませ」
凍牙と露珠の様子を見ている真白の表情が、乱牙を見送った後のように曇っている様子を目に留めた露珠が凍牙を見上げて言う。真白に視線を移した凍牙が、返事をしながらその頭を優しく撫でた。
「それまでは、露珠と出かければよい」
直近の外出の許可と、凍牙との外出の約束に、真白は気を取り直して笑顔を作る。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
少しの懇願を滲ませて、噛み締めるように露珠が言う。
以前は、凍牙の外出を見送るときにこんな気持ちになることはなかった。最強の鬼の無事を祈る必要があるとは――無事でない可能性があるなんて――露珠は思いもしなかった。それがどうだろう。凍牙の強さは変わっていないし、それを疑ってもいないのに、何事もなく帰ってきてくれるように、という気持ちが、見送りの度に心を占める。
ここ最近、見送りの時に露珠が「気をつけて」と言ってくれるのを、凍牙はいつも新鮮な気持ちで聞いている。自分だけに限らず、晃牙や乱牙、高藤など、鬼の安否を気遣う見送りなど、ここではされたことがない。母親でさえ、幼少の凍牙がどれほど強くなるかは心配しても、無事に帰ってこない可能性など露ほども考えていなかったように思う。
強さを疑われているわけではないことはなんとなく分かる。言葉だけでなく、心底そう願っている、という様子でそう口にする露珠を見るのはまんざらでもない。
つい先ほど乱牙を見送った場所で、二人は凍牙を見送った。
★
「露珠様!見て!」
雪の積もった山の中、真白がウサギを追いかけている。
「高い方から下に向かって追うのよ」
ヒトの姿では難しいだろうと思いつつも、後ろから露珠が声をかける。
屋敷近くの山に、露珠は真白を連れてきていた。
牙鬼の屋敷の近くであれば、弁えている妖が多いし、凍牙や高藤が定期的に「掃除」しているため危険も少ない。ヒトの居住地に意外と近い場所ではあるが、ヒト相手であれば露珠でも十分自身と真白を守ることができるだろうし、今は冬。ヒトがわざわざ冬の山に登ってくることは多くない。
小さな崖を下って、真白がウサギを川べりに追い詰めている。
足が水に濡れて、動かなくなったウサギを真白が抱き上げようとしたとき、付近の森の中から怒号の様な声と物音が響く。
「真白」
ぴたりと動きを止めていた真白が、声を聞いてぱっと露珠の元に駆け寄る。
断続的に聞こえる音の方を注視していると、森の中から川原に数人のヒトが大きな荷物を抱えたまま転がり出てくる。それを追うように、後から数体の妖がゆっくりと姿を現した。
小さな包みを胸に抱え、先頭を走っていた一人が、川原に居た露珠と真白を見て、逃げてきたはずの森の方へ一歩下がる。
一歩後ろに下がったのは、義明という役人だ。この山を越えた先の村で起きている異変に対応すべく、酒樽と都の神職が祈祷した品々を携えてきた。
都に近い場所でのことで、対応が急がれたため、高僧から魔よけ札を授けられてきたが、思いのほか多い妖に札を使いきってしまっていた。この山を越える前に麓の村で気休め程度の魔よけを行ったが、都から追加の魔よけ札を受け取るまで待つわけにはいかなかった。この山は元々妖の数が少なく、都の守り神の居所とされていたため油断していたこともある。魔よけ札なしに山越えをした結果、山中で贄を狙った妖怪に襲われ、ここまで逃げてきた。
義明は、背後を気にしつつ、目の前の女を観察する。見た目は人だが、雪山でこの軽装。そして人とは思えないほどの美しさ。人を襲っている妖を見て特に動じた風のないその姿は、義明の目から見て明らかに異様だった。
追ってきている妖と、目の前の妖と思しき女、どちらがより危険度が高いか、義明は必死に考える。ふと、女の足元にしがみつくようにしている幼子が目にとまる。人であれば5つか6つくらいに見えるその幼子は、明らかに半妖と分かる特徴を有している。これが、この女と人との子であれば、万に一つ、人に味方してくれる可能性があるかもしれない。
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