貢物として嫁いできましたが夫に想い人ができて離縁を迫られています

藤花

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第二章

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 その夏は未だかつてない猛暑だった。大雪山は中腹付近でも黒い土が見える部分があるほどで、天然の雪の要塞にその防衛の一部を依存している銀露ぎんろの一族は、山頂付近へと、その住まいを移していた。
 そして、その夏一番の暑い日、誕生をずっと待たれていた銀露の跡継ぎ、族長の一人目の子が誕生した。

 雪と氷で作られた室内、それでも強い太陽の光を感じる中、生まれた子を取り上げた族長の妻の妹と、周りを囲む女達は息を飲んだ。
 赤子の元気な鳴き声は聞こえるのに、他があまりに静か過ぎる。先ほどまで周りで自分を励ましてくれていた女達の異様な雰囲気に、赤子の母は焦燥と不安に駆られる。

「早く、子どもを見せて頂戴。元気なのでしょう?さあ、早く――」

 腕を伸ばした彼女の手に、恐る恐る渡されたのは、一面白銀のその世界で、ただ一点、まるで太陽に焦がされたように黒い子だった。


 銀の髪、銀の目、透き通るように白い肌。顔立ちに個性はあれど、銀露の「色」は皆同じだ。その中で初めての「黒」。
 族長の長男である露霞ろかは、出産当日こそ周囲を戸惑わせたものの、元来より穏やかな性質の銀露たちはすぐに露霞を受け入れた。――少なくとも表面上は。

 露霞の母親の不貞を疑ったものは多くない。現に、表立ってその疑念を口にした者は、その夫である族長を含めて一人もいなかった。不貞があったとしても、その相手が銀露では説明がつかないのは同様だし、そもそも銀露の女は大雪山から外に出ることがない。一族以外のものと会う機会などないことは彼ら自身が良く知っていた。ましてや露霞の母が身ごもった頃は真冬、大雪山に他の種族が入ってくることは不可能だ。

 原因はともかく、生まれた子が銀露といえるのかどうかは、不貞を疑わぬ一族のものにとっても懸案事項であった。他種族からは甘美な味、芳香、といわれる銀露の血も当人達には区別がつかず効果もない。白露を確認しようとて、まだ涙を流して泣くような歳でもない。赤子を相手に無理に紅玉を取り出してみせるような乱暴が出来ようはずもなく、様々な疑問はあっても、まずは銀露として育てることになったのだった。


 露霞に物心がついた頃、族長の妻は二番目の子を身ごもった。露霞が銀露であるとは確認できていないものの、他の銀露の子と比較してなにも変わることなく成長する様子に、両親は安堵していた。次の子がまた黒ければ、それはそういうものなのだろう。数代前の、大雪山に移住する以前のことが上手く伝えられていないだけで、時々起こることに違いない。大雪山では目立ちすぎる色ゆえに、これから心配事も増えるだろうが、それは大人が気をつけてやればいい。
 そう思っていた二人だったが、生まれた長女は完璧な銀露の色彩を持っていた。

 生まれた娘が明らかに銀露であったことで、露霞の周りはさざなみが立つように、かすかに、しかし継続的に揺れた。
 幸か不幸か、露霞は我慢強く、その歳になっても涙を流して泣くことは一度もなかった。その上、幼いながらに聞き分けの良い子どもで、大人が叱らねばならないようなことがまず起こらない。
 露霞を銀露かどうか確めたい、という大人たちの思惑は果たされないままであった。

 露霞は妹に優しく、白と黒の毛玉のようにもつれてじゃれ合う二人は、周りにも微笑ましく映った。幼い妹が、加減がわからず露霞に噛み付いて怪我をさせてしまったときにさえ怒ることはなく、逆に耳を伏せておずおずとその傷を舐める妹を逆に慰めさえした。
 だが、露霞と妹との間に些細な喧嘩や、ちょっとした何かがあると、もしかしたら涙の一つも流すかも、と周囲の大人はそれぞれ少しずつ、露霞に厳しくあたるようになっていた。示し合わせるわけではないそれは、頻度や厳しさの調整がされないまま、じわじわと降り積もっていった。

 視界を奪うような吹雪の日、外に出してもらえず退屈した妹は狭いところで大騒ぎし、不注意で切り傷を作ってしまった。傍にいた露霞が手当てをしてやろうと、血の滲むその傷を舐めてやっていると、物音を気にした母親が様子を見に来た。妹の傷を舐める露霞を見つけた母親は、血相を変えて露霞を引き離し、血を舐めたことを叱り付けた。

 急に酷く叱責され、言い訳もできずに口を引き結んだ露霞は、その日、大雪山から姿を消した。

 ★

 ――おかしい

 露珠ろしゅが保護され、乱牙が結界を直してやった村から、近くの神社、森の中、そして湖。
 あの日露珠が通ったと思われる道を逆に辿っていた凍牙が、湖の中央、その湖面につま先が着くかつかないか、ギリギリのところで浮遊しながら、考え込む。
 ここまで、全く銀露の痕跡が見つけられない。露珠の話から、影見かがみの親族であろう大蛇が、露珠の血を奪った上で――おそらく殺したのが自分だと凍牙に知られないように――あちこち連れ回しては周りの小妖怪に露珠の血を飲ませていたものと予想をつけ、それらの始末をつけようと、乱牙と高藤に屋敷をまかせてきた。
 ある程度噂になるのは避けられないと思ってはいるが、一部では幻だと思われている銀露の存在を、あちらこちらに吹聴して回られるのは厄介だ。最終的に露珠の衰弱死か、別の妖に襲われて死ぬのを狙ったのであろう大蛇にも、痛い目を見てもらわなければならない。
 村のほうは、そもそも銀露や露珠についてよくわかっていなかった上、縄張り内のヒトを殺すのは避けたい。ヒトは寿命も短いし、乱牙がそこそこ脅しをかけておいたこともある。放っておいても大丈夫だと判断した。

 だが――。

 露珠の血で強化されたと思しき妖の姿もなく、湖の主である大蛇の姿もない。かなり大量の血を摂取しただろう大蛇のこと、こんなにも簡単に凍牙から身を隠せるとは思い難い。
 手間は省けたものの、この不気味な状況に凍牙は眉根を寄せる。
 凍牙がなにもしないうちに、得ようとしていた状態ができあがっている。あまりにもぴたりと一致しすぎているそれに、何者かの作為を感じずにはいられない。自分や乱牙以外の誰が、こんな面倒な形で数多の妖を消すというのだろう。

 小物は置いておくとして、せめて大蛇の行方だけでも知りたい。もし、何者かに倒されているのであれば、その死骸でも見つけないことには落ち着かない。
 付近をもう一回りすることに決め、凍牙は湖面を滑った。
 
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