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第一章
(8)-1
しおりを挟む再び眠りについた露珠を見守りながら、凍牙は直前までの会話を反芻する。
昔、晃牙から、乱牙に露珠を譲るのか、と問われたとき、凍牙は「彼女が望むなら」と答えたし、先ほど彼女が目覚めるまで、その気持ちは変わらなかった。
意識を失う直前に、露珠が告げた思いを信じきれていなかったせいもある。
だが、目を覚まし、そしてもう一度その口から好意を伝えられて、今度こそ望まれても解放してやれる気がしなくなっている。
そして、露珠の言葉を信じた今となっては、過去の己の行動に悔いる点が多すぎる。どれほど露珠を傷つけただろうと考えると、赦しを請う方法も思いつかない。
真白のことをあのように誤解されているとは思いもよらなかった。たまたま目の前に居た真白を助けたのは、一目で妖狐の血が入っているとわかる姿に、一瞬露珠を重ねてしまったからだ。その後も共に連れ歩くことになったのも、凍牙の傷を手当しようと必死になる姿に、初めて会ったときの露珠を思い出したせいで、突き放す機会を逸してしまっただけだった。
いずれ露珠を解放しなければ、と思っていたこともあって、大して似てもいない、ただ少し妖狐の血が入っているという共通点だけの真白を、その短い寿命の間くらい見守ってやってもいいかと、似合わぬことをしていた自覚はある。
互いのことを多く誤解していた。口数が多い方ではないと思っているが、露珠が今度目覚めたら、言葉を惜しまず伝え、露珠の話も沢山聞きたい。露珠との未来を想像して、凍牙は一瞬目を細めるが、同時に銀露への非道を打ち明ける覚悟をし、ゆっくり目を閉じた。
★
眠りながらも時々、露珠は目を覚ます。そういうときには、隣に必ず凍牙が居た。それは夜中も例外ではなく、何度目かに目を覚ましたときには、ついに隣に布団が敷かれていた。露珠の傍から離れない凍牙を見かねた家令が隣に布団を用意したらしい。うつらうつらとする度に傍らに凍牙の気配を感じて、露珠は目を閉じた。
★
「もう、いいのか」
「はい。もうすっかり。これ以上は眠れそうにありません」
眠ってから何度目かの夜中、今までの微睡みとは違うはっきりした意識を持って目をさました露珠に、すぐに気がついた凍牙が声をかける。しっかりした声音で応える露珠の、笑みを浮かべるその頬の傷は薄くなっていて、笑っても痛みに顔を歪める様子もない。穏やかに笑う姿に安堵した凍牙は、身体を起こそうとするのに手を貸す。
夜明けまで少し話すか、と露珠の方を抱いて縁側に腰を下ろした。
「あの、この前の、話の続きを」
「あぁ、全て話す」
隣の横顔を見上げると、穏やかな表情の中に決意が感じ取れて、露珠もまた別の覚悟をする。
「大雪山の湖でお前に会って、願いを叶えてやりたいと思った。だが、」自分の肩を抱く腕に、ほんの少し力がこもったのを露珠は感じる。「あの時私が大雪山にいたのは、銀露を狩るためだ」
「では、あの取引は、凍牙様が、私の願いを叶えるために?」
銀露を狩っていた、という言葉には反応せず、露珠が聞き返す。凍牙にとって決意のいる告白だったとしても、露珠にとってはさほどの衝撃ではなかった。あの頃銀露を襲っていたもののうちの1つが牙鬼であることは、当時もわかっていたことだったし、凍牙がそこに含まれたとして不思議はない。そのことを責めるつもりも初めからないのだ。
「あれは、父上が私の望みを叶えようとしたのだ。私はただ、大雪山周辺の妖を狩ることくらいしか出来なかった。そのせいで、お前に望まぬ結婚をさせた」
「いいえ、あれは救いだったのです。結果論ではなく、たとえ私が殺されることになっていても、あれは銀露にとって幸運でした。それに、私が凍牙様に出会ってから、他種族からの侵攻が減ったのは、凍牙様のおかげだったのですね」
「だが、そもそもの銀露狩り自体が私のためだった」
凍牙が、銀露狩りの経緯を話す。
「いいえ。たとえ牙鬼の銀露狩りがなくても、他の妖が同じ事をしていたでしょう。結果的に、晃牙様の角で銀露は永らえたのです」
「紅玉のことを知っていたのは、銀露をその同胞の前で容赦なく殺したからだ」
どんなに露珠が赦しても、まるで断罪されることを望むかのように言葉を重ねる凍牙に、露珠は何度でも否定を返す。
「いいえ、敵の眼前で紅玉を使うのが悪いのです。紅玉の存在とその効果を外部に漏らすことは、銀露にとって禁忌です。たとえそれによって救われるのが自分の子であっても」
意外なほどに冷たい言葉を吐きながら、露珠の表情が分かりやすく曇る。たとえ禁忌であっても、紅玉による蘇生に賭けたかった同胞の気持ちと、紅玉を与えてなおその相手が殺されるというその救いのない結末に、胸が締め付けられる。それを結末を齎したのが、目の前の夫で、そんな夫に思いを寄せる自分を赦そうとしていることへの戸惑いが、露珠の瞳を揺らす。
「それでも。晃牙様の角を得る未来ために、それ以外にはありえなかったと、私も、銀露も、納得します。凍牙様、どうかこれ以上は」
露珠の懇願の意図を正確に汲み取った凍牙が、小さく息を吐く。
「すまない。その赦しに、報いよう」
「もう十分に、していただいています」
いつも冷静で、強く、迷いのないように見えていた夫が、緊張が解けたように額を露珠のそれと合わせて目を瞑る姿に、思わず手を伸ばしてその背を撫でる。一瞬驚いた凍牙だが、そのまま露珠を抱きしめた。
しばらくそうして抱き合っていると、露珠がもぞもぞと身じろぎをする。前回目覚めて抱き合ったときには感じている余裕のなかった恥ずかしさが湧き上がっていた。それより以前は、逆らってはいけない、という思いが強くてそれどころではなかったので、露珠がこのような触れ合いで恥じらうのは初めてのようなものだ。
凍牙が抱きしめる腕を少し緩めてやると、顔をほんのり紅く染めた露珠が上目遣いに見上げてくるので、そのまま口付けて、抗議の悲鳴ごと飲み込んでやる。
強引なようでどこまでも優しい口付けを受けながら、それが今までと変わらないことに露珠は気がつく。思えばずっと、凍牙は優しかった。望まれていないと思い込み、怯え、一線を引いていたのは露珠の方だった。
大切にされていたのだと、今になって思い知る。途端に、こみ上げてくるものを押さえきれない。
露珠の眦から溢れる涙がぱらぱらと薄紅を帯びた白露となって落ちる。
「ごめん、なさい」
涙と謝罪の言葉を拒否ととった凍牙が、息を飲んで少し身を離そうとするが、引き止めるように露珠が凍牙の衣を掴む。
「嬉し涙です。凍牙様」
それだけ言うと、もう一度、と強請るように、露珠は目を瞑った。
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