貢物として嫁いできましたが夫に想い人ができて離縁を迫られています

藤花

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第一章

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 乱牙に、心を寄せているのだと思っていた。それか、大雪山に帰りたいのだと。だから、たとえ角を返しに来ても、彼女が紅玉を手放しているとは思いもよらなかった。真白から紅玉を受け取ってからここまで、凍牙はその見た目とは裏腹に全く冷静ではなかった。

 乱牙が紅玉を失った露珠からさらに血を奪ったと気がついた時には、衝動的に殴りかかってしまったし、露珠がその力をすべて自分に注ぎ込むのを許してしまった。乱牙を痛めつけたこと自体に後悔はないが、露珠の無事を確認して気が緩み、紅玉を返すことが遅れたことが悔やまれる。そして、乱牙を庇っていた露珠が、かすり傷程度の自分の傷に気が付き、なによりも先にそれを治そうとしたことに、迂闊にも喜んでしまったことも。

 銀露が紅玉を失ったとして、時が来て「急に」死ぬわけではない。凍牙はそれを知っている。何度も目の前で見てきた。同胞のために紅玉を差し出し、全身が徐々に氷となって砕け散る銀露を何人も見てきた。そして、彼らが紅玉を与えてまで生き返らせた同胞を、あっさりと殺してきたのはほかでもない凍牙だった。普通に殺せば普通に死ぬ。紅玉を失って死ぬときには、それなりの前触れがある。だから、露珠がそうなっても、冷静に対応できると思っていた。だが、残る力を口移しに凍牙に注ぎこんだ露珠が末端から凍り始めるのを目の当たりにして、予想以上の焦慮にとらわれた。

 体温の低い凍牙にさえ温度を感じさせない露珠の身体を抱いて、できうる限りの速さで屋敷に戻る。皮肉なことに、銀露の力を得たことで、凍牙は常以上の速さで空を駆けることができた。

 屋敷に戻ると、一人残っていた家令は、凍牙が露珠を抱いて戻ってきたことに一瞬喜んで見せたものの、すぐにその意識のないのを見て顔色を青くする。すぐに寝床を用意させ、露珠を寝かせると、凍牙は白露を取りに一人部屋へ行く。
 露珠は、白露を作るたびに、晃牙と凍牙にそれを献上していた。晃牙はそれを嗜好品のように楽しんだり、なにかしらの交渉に使ったりしていたようだが、凍牙は一度もそれを使ったことはない。

 白露が目的で露珠を手に入れたわけではない。そもそも、それが勤めだと言わんばかりに、せっせと白露を凍牙に献上する露珠が気に入らなかった。そんなにも白露を作り出せる状態だということも。

 白露を収めた小箱をもって、露珠の枕元に座る。目覚める様子のない露珠の頬をそっと撫で、露珠が最後に、凍牙が好きだと言って流した涙からできた白露を手に取る。

「私も、お前を……」

 手に取った白露を口に含み、一つ一つ露珠に口移しで戻していく。
 その一度毎に、凍牙は露珠の目覚めを祈った。


 凍牙と露珠の結婚を、露珠を含む銀露や影見は、晃牙の気まぐれかなにか、とにかく晃牙一人の意思だと思っているが、そうではない。晃牙の独断であることには違いないが、恐らく凍牙の想いを知ってのことだ。一度露珠に出会ってから、凍牙は大雪山の周りの妖を倒しながら、露珠を探していたことを、晃牙はどのようにか、知っていた。

 まだ凍牙の角が生えそろわず、額についた碁石程度しかなかった頃に、その成長を心配する影見に押される形で、晃牙に伴われてよく妖狩りをしていた。鬼も修練で強くなるし、成長期であればなおさらだ。だが、半人前とはいえ凍牙は鬼、成長の糧となるほどの妖力を持つ妖は、そう多くない。かといって、子供の成長を理由に鬼狩りをするほど、牙鬼の社会性は低くなはなかった。
 そこで、妖の力を増強するという銀露の血を求めて、大雪山へ向かったのだ。噂通り、銀露の血は妖力を増大させる力を持ち、その上甘美だった。大雪山には他にも銀露を狙うそこそこ強い妖が集うので、さらに相手にも困らない。銀露を狙う妖を狩っては、時々山奥へ入り銀露を刺激して、出てきた銀露から血を奪う、しばらくそんな生活をしている時に、出会ったのが露珠だった。

 雪の精かと思うような少女に、今まで誰にもされたことのない怪我の心配をされて、ましてや秘匿すべき白露を使っての治療をされた。そして、彼女は、自分が狩っている銀露の安寧を凍牙に願った。加害者に対して被害者の救済を願うのは正しい姿だろうが、目の前の少女はそれを理解していない。自分が身にまとう毛皮が彼女の同族のものであること、自分が今ここで洗い流していたのが今まさに殺してきた銀露の血であることを、咄嗟に隠したくなり、凍牙は慌てて姿を消した。

 元いた場所に戻れば、そこには血濡れの晃牙の姿があった。銀露の返り血を浴びて笑みを浮かべるその姿は、正しく鬼だ。ちらりと凍牙に目を向けた晃牙は口回りの血を舐めると、身体を清めてきた凍牙を見て鼻で笑う。
「お前は少し綺麗好き過ぎないか。わざわざ血を流しに行くなど。しかも、銀露の血だ。酔うほどに気持ちがいいぞ」
「父上。私にはもうこれ以上銀露の血は不要ですし、もし必要であれば一人で狩りに来れます」

 凍牙の訴えに、晃牙がさも面白い、とでもいうように口角を上げる。視線は、凍牙の左肩の破れた衣に向けられおり、何があったかを見透すようだった。

 凍牙の申し出どおり、その日を境に晃牙は大雪山での狩りをやめ、凍牙は修練と称して時折大雪山にやってきては、あたりをうろつく妖を手当たり次第に倒していた。
 晃牙が銀露に角の提供と一人の銀露の交換を求めるのはそのしばらく後のことだ。


 凍牙が持っていたすべての白露を戻し終えると、露珠の肌色はだいぶ良くなったが、目覚める気配はない。できる限りのことをし尽くして、凍牙は露珠にそっと触れながら、その名を呼び続けた。

 夜も更けて、月の光が室内に差し込み、露珠に寄り添う凍牙の銀の髪や角を淡く輝かせる。

「露珠。目を覚ませ。もう一度……」

 何度目かの凍牙の呼びかけに、露珠の瞼が小さく震え、それに気が付いた凍牙の声が大きくなる。一度眉根を寄せるような仕草の後、ゆっくりと目を開けた露珠は、凍牙が視界に入ると、ふわりと微笑んだ。

「雪の神様……」
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