貢物として嫁いできましたが夫に想い人ができて離縁を迫られています

藤花

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第一章

(4)-2

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 狐の姿のままでは乱牙と会話が成り立たない。露珠が回復できない妖力の節約のために解いていた変化をもう一度行う。
 目の前で狐が銀髪銀目の女に代わる姿を見て、狐を保護した兄弟は口をパクパクさせて腰を抜かしている。

 髪と目の色に、積もった雪のように白い肌は、溶かされたように爛れた左頬の赤黒さを際立たせていて、怪我の程度以上に痛々しい。
 露珠はいつも以上に白く、そして細くなった手で乱牙の頬を撫で、微笑を浮かべると額を寄せて囁く。

「乱牙、怪我をしているの?いつもやんちゃだったけど、変わらないのね。結構深い傷もある」

 破れた着物から覗く傷を痛ましそうに見る露珠の肩を、乱牙が掴んで視線を合わせる。

「俺より、お前のこの傷は」

 恐る恐る、といった体で乱牙が指先を頬に伸ばす。

「大したこと、ないの。ごめんね、見苦しくて」伸ばされた指先を絡め取って、降ろさせ、露珠は自分の着物に手をかける「白露はないの。だから、直接、飲んで」

 するり、と右の肩をはだけて、首筋をさらす。
 思わずそこを凝視してしまって、乱牙は慌てて目を閉じて、視線を逸らす。

「だめだ、こんな。それに、俺のは放って置いてもじき治る。露珠の手当てが先だ」

 首を横に振った露珠がさらに乱牙との間合いを詰める。

「私の怪我は治らないから。それより、乱牙に早く怪我を治してもらいたいの。白露はないし、お願い、早く」

 なおも言い募る露珠に何か言おうとして、乱牙ははたと違和感に気が付く。

「結界はどうした?なぜ……凍牙は?」

 凍牙の名を聞いて露珠が目を伏せる。

「……返したの。凍牙様のことなら、大丈夫。もうお怒りになったりしないわ」
「返したって、それじゃあ……」

 兄弟がここで露珠を保護していたという話も、周辺の妖の様子も、乱牙の中で話がつながる。
 早くその首筋にしゃぶりつきたい、という欲求に支配されていたものが、急激に冷えるのを感じる。

「返した?取り返されたのか?なんだってそんな……せめて屋敷に……何がどうなってるんだ」
「奪われたわけじゃないの。誤解しないで。凍牙様はそんなに冷たい方じゃない。屋敷から出たのも私自身の判断よ。それよりも、大丈夫だから、早く。」

 焦れた露珠が、自分の爪で首筋の皮膚を破る。
 その行動とにじみ出る血に乱牙の瞳が揺れる。

「よせ!……ばかやろう」

 その傷を手当てしようとして露珠の顔を見た乱牙が言葉を失う。

「乱牙。あなたも、受け取ってはくれないの」

 あなたも、と言葉が震え、泣きそうな露珠と目が合う。一度目を閉じ、少しの迷いののち、乱牙は露珠のその傷に唇を寄せた。
 滲んだ血をなめただけで、体が熱くなり、その熱が怪我のある部分に集中する。それだけじゃ足りない、もっと欲しい、と暴走しそうになる身体を必死に抑えて、それでも乱牙は露珠の首筋に牙を立てる。

「……っ」

 堪えようとして、それでも震える露珠の身体を強く抱き、怪我を癒すのに必要な分だけを吸い取る。慎重に首筋の傷をふさぎながら、唇を離し、乱れた着物の襟を直してやって視線を彼女から離す。

「悪ぃ…」
「謝らないで。傷を治すだけでなく、もっと……」
「やめろ。そんな風に使いたくない。もっと大事にしろよ……って、結局牙立てて飲んじまった俺が言えた義理じゃねえけど」
「役に立ちたいの。あなたが使ってくれなければ、そのあたりの妖を強化して終わってしまう。会えると思っていなかったから、それでもいいと思っていたけど。でも。折角あなたに会えたから、あなたの力になりたい」

 不穏な内容をこともなげに紡ぐ露珠に、他意はうかがえない。
 寄りかかっている露珠が一人で座れるように身を離し、乱牙は土間に座り居住まいを正す。

「状況がイマイチ読み取れねえ。一体凍牙と何があった?角を持っていないのはわかったが、なぜ屋敷にいない?角がなくてもあそこにいれば大抵のやつらは手出しできないはずだ。それに……今まであの姿でいたこともだ」

 話してくれれば力になれる、もし話したくなければそれでもいい。そう真摯に露珠を見上げ、乱牙は言葉を待った。

「凍牙様と離縁いたしました」

 端的な露珠の言葉に絶句する。
 露珠の様子から見て、凍牙から言い出したのだろうことは想像がつく。凍牙の性格からして、まともな説明もなく一方的に告げたのであろうことも。
 願うことすらできなかった幸運が目の前にある。それでも乱牙は露珠の憔悴ぶりを見て、とてもこの幸運を喜べはしなかった。
 かけるべき言葉を探している間に、後ろから声がかかる。

「乱牙、その人一体なんなの……?」

 詰問調の問いかけの主を振り返ることもせず、乱牙は露珠を見つめたままだ。

「露珠は、俺の」

 義姉ではない。そう思えたことはない。自分を見つめ返す露珠は、きっと凍牙と離縁した自分と乱牙の関係をどう表現すればいいか迷っているとでも思っているのだろう。だが、乱牙が考えているのはそんなことではなかった。

「俺の、大切な人だ」

 正面と、背後から、息をのむ気配がする。

「受け取ってくれ、露珠。俺の気持ちにこたえてくれなくてもいいから。便利な結界としてでいい」

 離縁したことへの慰め一つ言わずに、勢いで言ってしまったことに多少の後悔はあれど、気持ちを受け取ってもらえないなら、逆に彼女に今最も必要なもののはずだ。額の右側に1本だけ生えている角に手をかけ、力を籠める。少し力を入れただけで、激しい傷みが乱牙を襲い、苦痛に顔がゆがむ。露珠の目の前だ、できればかっこつけたかったが無理らしい。凍牙は顔色一つ変えなかっただろうな、と思うと悔しいが。

「ダメ、乱牙、違うの。やめて!」
 悲鳴のような声を上げて、露珠が角を握った乱牙の腕に飛びつく。

「いいの。違う。そんなことしないで」
「凍牙じゃなければ嫌か」

 苦い思いでそう問えば、露珠は違うと首を振る。

「そうじゃないの。私はもう……」
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