喧嘩するほど

こむち

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喧嘩するほど

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 小雨の降る外とは別世界のように、金曜日の地下街は賑わっていた。晴れやかな顔で行き交う人の群れの中にいても、私の悩みが消えることはない。
 いま思うと、あんなに些細なことで喧嘩をするなんて、本当にバカバカしい。私も夫も時間がないのに身支度をしながらお互いを罵り、そのままの勢いで仕事に向かったから、どんな顔で帰ったらいいのかわからない。
 いや、そもそも私がそんなことを考える必要などあるのだろうか。悪いのは夫なのだから堂々と帰ればいい。
  ……でも、やっぱり気まずい。
 考えれば考えるほど気が重くなり、思わずため息が出てしまった。
 なるべく時間を稼ぎながらゆっくり地下鉄の駅へ向かっていると、少し大きめのしゃがれた声が聞こえてきた。
「こんなに必要ないものまで買わなくたっていいじゃないか」
 黄色い点字ブロックから視線を上げると、地下直結の駅ビルから老夫婦が出てきたところだった。
「いいじゃないのあんた。お隣さんの分も買ったって」
 頼りない足取りのふたりは腰を少し曲げ、私の前を私と同じ速さで歩く。
「巨人戦までには帰るって言うからついてきてやったのに」
「まだ間に合いますって。ほんとせっかちなんだから」
 聞き耳をたてていたわけではないけど、ふたりの後を付けるように歩く私には、その会話のすべてが聞こえた。
 どうやら少しだけ買い物に付き合うつもりだったのに、奥さんが色々な物を、旦那さんに言わせれば必要のない物まで買ったため怒っているようだった。
「もう知らん! 好きにせえ」
「あらそうですか。けっこうです」
 すれ違う人のなかには、気まずそうにしたり、心配そうな顔をする人もいた。
 だけど私は、きっと明日もいつもどおりの日常をふたりで過ごすのだろうなと思った。
 文句を言いながらも荷物を持つ旦那さん。その旦那さんの、空いているもう片方の腕にしっかりと自分の腕を絡めている奥さん。そして、ぴったりと揃った歩幅。
 うまく言えないけど、意識とは別のところで強く結ばれているような、そんな気がした。
 私の勝手な想像でしかないけれど、きっとこのふたりは過去にもたくさん喧嘩をしてきたのだろう。涙を流すこともあったかもしれないし、お腹が痛くなるほど笑いあうこともあったかもしれない。
 ふたりに何か起こる度に、運命の糸は交じりあい、気が付けば複雑に絡まっている。
 そして、長い年月をかけて絡まった糸は、そう簡単にほどけることはないということを、私は見せつけられている気がした。
 感情がぶつかるのは、強く結ばれている証拠で、そして今朝の喧嘩も、その過程なのだと思うと、いつの間にか私の悩みは消えていた。
 私たちの糸はあと何回交差し、どれくらい複雑に絡み合っていくのだろう。
 自然と口元が緩んでいることに気付いた私は、いまだに文句を言い合っている老夫婦を追い越した。




(了)
 
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