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第一章 影が薄い騎士団長

偽り元従者と???

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 中庭近くのあまり陽のあたらない一室の前に、騎士団長が並んで立っていた。

「さて、嘘吐き女の部屋に着いてしまったわけだが、覚悟はいいか? あの女がお前の親戚だったらどうするかね」

 オリヴィニスが左を見る。特に表情に変化のない少し透けた男が戸を真っ直ぐ見つめていた。

 ラソワの王族を除き、人間が使用できる魔法は一種類だけ。両親のどちらか一つの魔法が子へと受け継がれる。
 トリポテが死霊魔法の使い手なら、ヘリオスの遠い親戚の可能性も十分にある。彼はその現実に特に悪い感情を抱いてはいなかった。

「不思議と悪い気はしていない」
「姫様を救ったかもしれないからか? でもな、下手すりゃ最悪の方法でこの城に潜入したかもしれないんだぞ」

 オリヴィニスの言わんとすることは彼も理解していた。彼女は城への侵入のために命を奪った可能性もある。実際、彼女が利用した騎士の男は、手柄を立てるのに必死で単独行動の目立つ人間であった。現在行方を晦ましていて、第二の人間が捜索中である。

「きっちり話して考える」
「そういや一度ちゃんと話したいって言ってたな。本能的に何かに気づいてたってことなのかねぇ……。よし、通してくれクリスタ」

 オリヴィニスが部屋の外に立つ暁鼠あかつきねず色の髪の男に声を掛けた。
 少し口をすぼめ、渋々クリスタはノブを握る。

「団長、何かあればすぐにお呼びください。動きを封じますので」
「大丈夫だろ。ヘリオスいるし」
「……ヘリオス団長も、奴のペースに飲まれぬようお気をつけください。あの女は本当に性質が悪い」
「忠告をありがとう。クリスタ」
「ぷぷぷ、細かすぎてつまんない男って一笑に付されて拗ねてんのか? クリスタくん」

 眼鏡を押し上げ、溜め息を吐き、クリスタは無言のまま扉を開ける。

「無視かよ!」
「トリポテ。オリヴィニス団長とヘリオス団長がいらっしゃいましたので、お通しします」
「おや、神が! これは僥倖。おぉ……祈りを捧げずにはいられません」

 二人の後ろの戸が閉まる。黒緑の艶やかな髪を乱して、大袈裟に天井に祈るトリポテの姿があった。
 奇行に顔色一つ変えることなく、ヘリオスは一歩彼女に近寄る。

「ヘリオス・イスキオスだ」

 差し出された右手に、トリポテは特に驚くことなく立ち上がって、彼の手を笑顔で握った。

「これはこれは。私のような者にご丁寧な挨拶を。トリポテ・ククロセアと申します神よ。この姓は、アルマース帝国先代皇帝が、即位前に名乗っていたものです」
 初めて姓を名乗った彼女に、僅かに侘しさが覗く。

「……先代皇帝の?」
「えぇ。皇帝であった父が死に、ソル殿に負け、命乞いをして下働きとなった憐れな男の娘にございます」
「はぁ? お前、今までそんなこと一言もっ!」
 オリヴィニスの驚いた顔に、トリポテはクスクスと笑う。

「おや、そうでしたか? 兎にも角にもお座りください御二方。つまらない顔したクリスタ殿が、気を利かせて昼食を用意してくださったのです。何と有難い! しかし贅沢を言うならば、女神の手料理を食したいところです。ラソワの新鮮なお野菜を使った炒め物やスープ。愛の込められた塩味の菓子……あぁ羨ましい」

 トリポテは頬に手を当て、大袈裟な動きをしながら一番奥の椅子へ腰かける。
 残りの二脚に嫌々座るオリヴィニスと無表情なまま座るヘリオス。
 二人を前にして、トリポテは暢気にカトラリーを弄んでいる。

「いやはや、シュタールは平和な国ですね。私のような人間に立派な部屋まで用意してくださるのですから。魔法を封じる手枷もなく。皇子の従者だと暴露しても、地下牢に放り込まれることもなく。アルマースでは身元不明の人間は、その場で殺すか、尋問後に殺すかの二択ですよ。あぁ、訂正します。拷問の間違いでした」

 そんな話をしながら、彼女は肉を突き刺して口に運んだ。
 苛立ちを隠せぬままオリヴィニスが返す。

「それは説明したろ? 悪さをした確証もなく牢に放り込むのは人権問題になるんだよ。それに、お前みたいな人間は一人にしておいた方が良い。地下牢に仲間がいて、わざと捕まろうとした可能性だってある」

「うふふっ。仲間なら、見張りの騎士殿や使用人の方々の中にもいるかもしれませんよ」
「護るような真似をしたんだ。いたらとっくにセリニ姫のために動いてるだろ」

「そう仰るということは、私が魔物扮するキーゼル殿を眠らせたことにお気づきになられたのですか。では、お忙しい身の神がこの場にいらっしゃったということは――私とをお使いになるのですね?」

 どうせ全て知っていたくせに白々しいと思いながら、オリヴィニスはパンをかじった。

 ヘリオスは動揺することなく頷き、彼女の目を見据える。

「あぁ、そうだ。禁術を使用したのは察しが付いている。そこまでする君の目的を話してもらいたい」

「ヘリオス様は至誠しせいな方なのですね。聞き出してやろうという欲がないご様子」

 オリヴィニスを瞥見べっけんし、口角を上げた。
 彼女と目が合った彼は、右手にスプーンを握ったまま動きが止まる。顔をしかめ、トリポテを睨んだ。

「悪かったなぁ。嘘吐き女を相手にするとこうなるんだよ。とっとと説明しやがれ」
「では、口汚くなってしまわれたオリヴィニス殿にもわかりやすいよう説明いたしますね」

 一言余計だと言わんばかりの顔をして、オリヴィニスはスープを飲む。ふと隣の男の視線に気がつき、横目で見た。

「随分と仲が良さそうに見える」
「まぁ! 神にも伝わりますか。私とオリヴィニス殿は相思そ――」
「ゲホッふざけんなっ。話を進めろ」

「仕方ありませんね。十年前、私はアビド皇子に一つ頼まれ事をしたのです。『魔物から女神を護れ。我々を追っていた魔物たちまでもが女神の存在に気がつき、迷惑を掛けてしまうだろうから』と。そうして、魔物たちの狙いが国交樹立百周年の式典だと知り、命の恩人を護るべく私はここにいるのです」
「つまり、捨てられたというのは嘘だったと?」

 ヘリオスの一言にトリポテは宙へと視線を投げる。

「どうなのでしょうね。三年前、侍女に紛れてお会いした皇子が、本物の皇子だったかどうかはわかりかねますし、十年前にアルマース王都が魔物に乗っ取られたのは事実です。捨てたのではなく、逃がしてくださったのやもしれません。魔物蔓延はびこる王都から」

「三年前って、まさか……タルク王子が出ていった後に――」
 硬いパンを急いで飲み込んで、オリヴィニスが険しい表情で言った。

「ご名答。なにせ、十年前からどのように潜入しようか考えていましたからね。その結果、禁術に頼ったわけですが。私は魔物のように姿を変えられませんから」
「で、その禁術ってのは何だ? ヘリオスも詳細は知らないらしいが。あと、お前はヘリオスの親戚か」
「親戚ではないのでしょうね。禁術の詳細をご存知ないのであれば――」

 ホッとした様子のオリヴィニスに気づき、トリポテは笑みを深くする。そして、脳内に響く声に返事をした。

――お静かに。貴方はこんな男がそんなに良いのですか。色々と人生損してそうなこの男が。はい? 私は好みではありません。むしろ苦手なタイプです。それに私は、アビド様にセリニ様、そしてヘリオスが幸せであればそれで良いのです。

 突如黙った彼女に、訝しげな視線を向ける二人。
 誰かと話していた彼女は、脳内での会話を無理矢理打ち切って、喉を潤した。

「失礼いたしました。まずはオリヴィニス殿のためにも、死霊魔法について説明いたしますね」

 彼女は平時より尚のこと胡散臭い笑顔を浮かべる。

「まず、死霊魔法であるのにご遺体を乗っ取っているだけでは? とお思いでしょうからお答えいたします」

 死霊魔法は主に死んだ生物の体に魔力を流し込み、魂を呼び戻し、一時的に蘇らせて術者の意のままに操る魔法である。
 操ることの出来る数は、術者によって異なり、死んで一日以上経過した生物は操ることが出来ない。

 トリポテの使用した禁術は、魂を呼び戻す能力を応用したもの。対象の魂を呼び戻したのち、対象の願いを一つ叶えることを条件に自身の魂を遺体へと移す。願いを叶えるまでは、その体から脱出することが出来ない。願いを叶えると体を自由に使うことが出来るようになるが、魔力が切れて一定期間以上放置していると、無論遺体の腐敗は進行する。

「飯食いながら、聞くんじゃなかった」

 オリヴィニスが想像してえずいた。
 隣のヘリオスは相変わらずの無表情で、肉を飲み込み、笑顔の彼女に質問を投げる。

「その体に戻っているということは、キーゼルを眠らせる際に利用した者の願いを叶えたのだろう? どのような願いだったんだ?」
「ジンク殿の願いは、単純でした。誰かの役に立ちたい。大貴族の次男坊だそうで、予備扱いされたのが相当辛かったようです。きっと、ご自身の居場所が欲しかったのでしょうね」
「そうか……」

 ヘリオスは言って、考える。元平民である彼には、ジンクの真の気持ちは理解し得ない。しかし、居場所という点では理解出来る。彼も、自身の替えなどいくらでも利くと思っていた。

「魔物に無茶な戦いを挑み、王都城壁外の森で亡くなっていました。最後は女神を助けられたことを、とても喜んでいらっしゃいましたよ」

 目を伏せるヘリオスに対し、オリヴィニスは彼女に疑いを向けた。

「お前が魔物を操って殺したんじゃないのか?」
「では、ご遺体の場所を申し上げましょうか」
「言え」

「彼が担当していた小さな町の外れに、大きな木があります。その辺りをお探しください。傷は治療していただいたので、町にいる衛生兵に詳細を。加えて、死霊魔法で操られた魔物は目の色が変色し、単調な動きしか出来ないのが特徴です。目撃情報があれば、貴方のご想像通りとなりますね」

 オリヴィニスは外のクリスタに報告すべく席を外す。
 仲間の死を悼む彼と、笑みを湛えたままの彼女が残った。

「そういえば、彼と貴方様だけは、私が運び込まれた際に見張りをつけるよう進言なさったそうですね」

 戸の閉まる音と同時にトリポテは小声で言った。

「あぁ。身元不明の人間を城に入れるのは危険だからな」
「正直安心いたしました。私が申し上げるのもおかしな話ですが、魔物を招き入れるような杜撰な出入国管理は改善すべきです」
「君の言う通りだ。杜撰なあまり、姫にまで無礼を働いてしまった……」
「おや。他国の方々には特殊な招待状をお送りするのでは?」
「セリニ姫を、先に手続きを済ませに来た従者だと勘違いしたらしくて、だな」

 そのおかげで出会えたという皮肉を口にすることはなく、ヘリオスはスープ皿に視線を落とす。
 姫君の話で途端に崩れる表情に、トリポテは目を見開いた。

「……。それ、は……それは……。アルマースなら処刑されてしまいますよ」

 言って、脳内に響く甲高い声に、僅かにトリポテが顔をしかめる。

――恋をしてる顔? いいえ。何度も申し上げましたが、寂しさゆえに必要としてしまうのです。二人が出会ったのは、やはりあの魔人の差し金。皇子とは別の考えを持って動いているようです。早くお伝えしなくては。

 騒がしい誰かを無視して、平静を装うため彼女は口角を上げた。
 そんな彼女に、戻って来たオリヴィニスが真紅の紙切れを手渡す。

「また物騒な話か。ほれ」

 アルマースの国章が押印されているだけで何も書かれていない紙。

「これは、陛下の――」
「お前の引き渡しが急遽決まった。喋るなって言っても色々喋るだろうし、向こうに戻ったってお前曰く魔物だらけなんだろ? 断っていたんだが、皇帝陛下直々に頼まれては断れない。それはお前宛てらしいが、何も書かれていなかったそうだ」

――皇子の、サインがない。アルマースで何か起きて?

「オリヴィニス殿は、この紙についてご存知ですか?」
「気高きアルマースを象徴する赤。皇族にだけ使うことが許されるもんだろ」

 トリポテは目を細め、静かになってしまった誰かに別れを告げる。

――最後に何かしたいことは? ……わかりました。もっと我が儘を言ったって許されますよ、貴方は。あの国から逃げたいなんて願いは、すぐに叶えてしまったのですから。

「ふふふっ、実は処刑宣告だって言ったらどうします?」
「は?」

 驚く騎士団長二人を前にして、
「冗談ですよ?」

 彼女は珍しく無邪気に笑った。
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