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第一章 影が薄い騎士団長

真面目王子と口を挟む元従者

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 焦茶色の国章が彫られた机、山積みの紙の束。びっしりと本が並んだ棚。
 執務室に鎮座するのは、朝日を背負って底冷えするような笑みを浮かべるタルクだった。

「……オリヴィニス、ほ・う・こ・く」
 彼が頬杖をつくと、青白い髪が揺れて朝日で輝いた。タルクの不気味さと相まって、執務室の緊張感が増す。
 タルク・シュタールの執務室。昨日さくじつの一件に関わった人間が集められていた。

「はっ。キーゼルに扮した魔物に尋問を行いましたが、一向に話す気配がなく――」
「もう一匹の馬鹿もか?」
「はい。偉大なる魔王様の復活のため……としか」
「つまり、本物のキーゼルの生死もわからないってことだな? ったくいつから入れ替わってたんだ」
「少なくとも一昨日からかと。王都へ戻ったのが、その日でしたから」
 オリヴィニスの表情が曇る。

「調査を進めろ。絶対に見つけてやれ」
「はっ、必ずや」

「で、エルツのその顔。おい、ヘリオス。加減したのか」
 タルクが恐ろしいほど顔の腫れた男に目を移す。

「これでも、一、二割ほどで」
 一番左端で椅子に座るセリニ。彼女に小指を握られた状態で立つヘリオスが答えた。

「ありえんくらいパンパンじゃねーか」
「おぉ、これぞ神の御業! 誰にも認識されない呪いの代償に得た剛力「お前は黙ってろ」

 中央に立つオリヴィニスと右端に立つエルツの間で黒緑の髪を乱して祈り始めたトリポテを、タルクが両断する。

「しかし、我が女神が破壊の神にまで救いの手を「僕、黙れって言ったよな?」
「タルク王子殿、私のようなゴミがなぜこの場に?」
「立場は弁えてるらしい。話は全く聞かねぇけどな……。まず、セリニ」

 タルクの声にセリニが顔を上げた。

「はい」
「お前のせいではない、なにより無事でよかった。その、魔物を気絶させたお前の魔法だが」

「私は植物を操る魔法が使えるので、常に種を持ち歩いてます。夜は誰かが入って来た時のために入り口や窓の近くに踏んだ者が捕縛される魔方陣と種を」

 セリニがシュタールまで道のりを傷一つなく乗り切ったのは、ひとえにこの魔法のおかげだった。森での索敵、木々を利用した攻撃で遭遇することなく魔物たちを退けていた。

「相手が炎を使う魔物じゃなくてよかった」
 タルクは心底安心したように笑って、すぐさまエルツを睨みつけた。

「エルツ……申し開きは?」
「ございません」
 間者の可能性があったトリポテを、一人セリニの元へ向かわせたことは判断ミスでは済まされない愚行だった。エルツはそれをわかっていたにもかかわらず、彼女の目を信じてしまった。

「お前だけのせいってわけではない。魔物の潜伏に気づけなかった我が国の落ち度だ。セリニ姫、代表して謝罪する。御身を危険に晒してしまったこと、誠に申し訳なかった」

 タルクは立ち上がって頭を下げた。騎士たちも倣って深々と彼女に頭を下げる。

「そ、そんな。この通り私、元気ですよ。皆さん、すぐ駆けつけてくださいましたし」
 セリニは立ち上がってピョンピョンと小さく跳ねた。

「はぁ。頼むから座ってくれ。他国だったら大問題だ。前代未聞だ。ザイデ様とキューナ様が知れば、さすがに――」
 座って、両手で頭を抱えてタルクが俯く。

「お母様は絶対に物理ですが。お父様はその……じわじわと回る毒のような攻撃を、するかもしれません。ごめんなさい。全力で止めます」
「謝るな。それで済むならいいんだよ。国交断たれてもいいほどだ」

「女神はお優しい! 私のようなゴミを救ってくださる御方、その心はまるで母なる海のごと「お前はマジで黙れ。氷漬けにすんぞ」

 トリポテの謎の合いの手を遮って、彼女に鋭い視線を投げる。しかし、些かも効果はなかった。

「で、昨晩の話に戻るが。動けなくなっていたそうだな? ヘリオス。お前がそんなことでどうする」
「申し訳ございません」
 ヘリオスがこうべを垂れる。

「女神の見慣れぬ愛らしいお召し物に神は言葉を失ってしまったのですね。そのお気持ち、痛いほどわかりまする」
 トリポテは再び天井に祈りを捧げた。

「今ので何となく状況を察してしまったのが腹立たしいが、慣れろ影薄馬鹿力」
「いえ、その……」
「ん?」
「申し訳ございませんでした」
 ヘリオスの声が僅かに沈んだことに、隣に座るセリニだけが彼の顔色をうかがう。

「オリヴィニス、その女の話を聞いただけで褒めてやりたところだが、点呼は誰に任せた」
「副団長のクリスタです」
「無駄に細かいアイツに任せて何でこうなった? あーだりぃな。アルマースのクソ皇子に挨拶するだけでも胸糞悪いのに。これを口実にセリニに余計なこと言いやがったら」
 頭を掻きむしってタルクが机に伏せた。

「我が元主、アビド皇子ですか?」
「あの腹黒じゃねぇ、スピサの方だ」
「第二夫人のご子息ですか。ご存命で……。現在は十八でしたかね。そんなことより腹黒? 皇子……グレてしまわれたので? あんなに女神のことを溺愛していらした皇子が?」
 トリポテが信じられないと目を見開く。

「溺愛……? あの男が? その理由も含めて次は、ようやくお前の番だ。この僕の前で話すことを許してやる」
「おぉタルク王子殿! 女神や神には及びませんが、感謝いたしまする」

――何でこの女の基準は全部セリニなんだよ。
 心中で考えていると、トリポテが美しく笑った。

「女神は二度、私のようなゴミの命を救ってくださった崇高な女神ですからね」
「心を読むな! 大体、セリニも何か言えよ。気色悪くねぇのか?」

 タルクはトリポテをスルーし続ける彼女に八つ当たりした。

「十年前からこのような方、だったので。あと、皇子様? の方は、アダムさんと名乗っていたのですが、頭を撫でてくださったり、抱きしめてくださったり……できあい? の意味はわかりませんが、優しい方でしたよ」
「あ?」

 タルクに冷たい怒りが再び宿る。
 隣のヘリオスは、寂しそうにセリニの旋毛を見ていた。

 そのやりとりにトリポテは、不気味な笑みを湛える。

「皇子はお気に召したモノには、最善を尽くす御方でしたからね。とまぁ、皇子のことはさておき、お話しいたしましょう。十年前に起きた悲劇を」



 十年前、アビドとトリポテはいつものように夕食をとっていた。そして、その場に料理人の男が突然駆けて来たかと思うと、隠し持っていた包丁でアビドを刺そうとしたのだという。

 すぐさまトリポテが男に反撃すると、醜い魔物に姿を変え、料理人だった者は気を失った。

 それを皮切りに次々襲ってくる人に化けた魔物たちから逃げるべく、アビドとトリポテは何も持たぬまま国を飛び出す。

 そうして半年。まだ幼い皇子を連れての逃亡は限界をむかえた。ラソワ国を囲む森で倒れていたところをセリニに救われ、秘密基地だという洞窟で治療をしてもらい、食べ物をわけてもらった。
 救われたことがきっかけで、アビドは大層セリニを気に入ったという。

 キューナに見つかり追い出された後は、トリポテがエルツに話した通りであった。

「……十年前か。元々印象は最悪だったが、確かにキナ臭い噂を聞くようになったのはそのあたりだったはずだ。魔物と手を組んだのではなく、乗っ取られてるのか? ならどうして腹黒は国に戻った?」
 タルクが顎に手を添える。

「信じていただけました?」
 終えて、トリポテが首を右に倒した。

「いーや、全然。オリヴィニス、今日からお前がその馬鹿を見張れ。牢にぶち込みたいが、皮肉なことに喋りがウザすぎるだけだ。悪さはしてない。今のところな」
「……承知いたしました」
 意気消沈のオリヴィニスの返事。

「エルツ、お前は変わらずセリニの案内を頼む。今度失敗してみろ、次はねぇぞ」
「承知いたしました」
 片膝をつき、エルツは頭を下げた。

「セリニとヘリオス以外は解散! 引き続き警戒を怠るな。して、トリポテよ。余計なことをしてみろ、許さんからな」
「おやおや手厳しい。私は女神に祈りを「いいからとっとと出てけ」

 一礼するエルツに次いで、オリヴィニスに引き摺られるようにトリポテが執務室を出る。

 執務室には、不機嫌な王子と首を傾げる姫君、寂しい目をした大男が残った。
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