鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

文字の大きさ
上 下
92 / 97

第92話 刻限

しおりを挟む
 天高くより降り注ぐ光の雨が、害獣とそれ由来の何もかもを流し去っていく。 

 数も質も大きさも関係なく、日に当てられた氷が溶けて消えゆくように。 

 遺されたのは降り積もった雪に隠されたコンクリートジャングルの亡骸と、主が滅びた後も延々と再生を続けるグロウチウムで構成された無人の基地だけ。

「カルマ、地下に潜んでいる人達にコンタクトを頼む。 ひとまず安全は確保したと」
『分かりました。 ……この言葉を伝えてくれるものが現存しているとは到底思えませんが』
「何もせず手をこまねいているよりずっとマシなハズだ」

 オセアニア大陸における文明的人類の生存を半ば絶望視しているのか、暗い顔をして呟くカルマ。 

 そんな彼女を励ますように雪兎は微笑むと、敵がいなくなった地上にドラグリヲをゆっくりと着陸させ、自らはコックピットから勢いよく飛び降りた。 

 列島とはまた様子の異なる星空の下、厚く降り積もった雪の上にざくざくと己の足跡を刻みながら、雪兎は身を引き締めるように冷え切った澄んだ空気を吸い込む。

『ユーザー、少しは落ち着きましたか?』
「あぁ、さっきまでと比べたら随分と気分が良くなった。 ちょっと神経質になりすぎてしまったのかもしれないな」

 コックピットの中から心配そうに問いかけるカルマに微笑み返しつつ、雪兎は軽く身体を動かして見せてアピールする。 

 そうして少し思案した後、ふと顔を上げるとメインシートの上に座るカルマに向かって手招いた。

「そういえばお前は本物の雪を見るのは初めてだったな? じっくり手で触れるにはいい機会だからお前も来いよ」
『しかし私は……』
「僕が良いって言うから遠慮はいらないさ、たまには遊んでおいで」

 まごつくカルマを気遣うように雪兎は再度大きく手招きをする。 

 するとカルマははにかんだ笑みを零しつつ、素早くふりふりもこもこの厚着に着替えると、コックピットから勢いよく飛び降りてそのまま真白い平原をぱたぱたと元気よく走り始めた。 

 彼女が元気よくジャンプする度に躍る金色のツインテールが、白一色の世界の中に小さな彩りを添える。

 そんなカルマの無邪気な様子を眺めながら、雪兎は微笑みの仮面の下で身体の内側から広がる痛みを堪え続けた。 

 気を抜いた瞬間に内側から破裂するのではないかという懸念に脅かされながら、静かに牙を噛み締める。

「やっぱり、哀華さんから貰った身体と僕の力ではミスマッチだったかな」
『逆だよ相性が良すぎたんだ。 そのせいで兄ちゃんの力の成長が加速しているんだよ。 兄ちゃん自身の肉体のキャパシティと制御を超えるほど大きく。 このままだと兄ちゃん自身が星系そのものを吹き飛ばす災厄になってしまう。 その前に奴とは決着をつけないとね』
「……気付いていたのか」
『まぁ、これでもカルマよりはずっと生き物の身体には詳しいから』

 カルマに続いて音もなく機体から降りてきたグレイスの秘匿通信を脳裏に受け、雪兎は深く白い息を吐きながら応答すると、自らも疑問を投げ掛ける。

「グレイス、僕は人間として後どれくらい生きられる?」
『断言は出来ないけど、このまま普通の人間として生きていくつもりなら人としての寿命程度は生きられると思う。 けれど兄ちゃんが力を振るえば振るうほど、死神は足早に近づいてくると思っていた方がいい』
「……そうか」

 完全に自らの肉体として同化を果たした左腕をジッと見つめ、内心おののきながらも雪兎はグレイスの宣告を何とか受け止める。 

 無論、グレイスも雪兎の情動などはお見通しで気遣うようにすかさず助け船を出した。

『今なら奴を追いかけるのをやめたって誰も咎めはしないよ』
「誰にお願いされたってやめはしないさ。 奴を殺すことは僕以外には誰にも出来ないことだからね」
『……やっぱり優しすぎるよ兄ちゃんは。 自分がいなくなった後の未来なんて気にしてどうするんだ。 それも、哀華姉ちゃんをぐちゃぐちゃにした連中の未来なんて』

 理解できないと秘匿通信越しにハッキリ雪兎に伝えてグレイスは雪兎の横顔を見上げるが、雪兎もそれには沈黙を突き付けたまま何も示さない。 

 僅かな間、二人の合間に不穏な空気が立ち籠めるが、遠くから迫ってきた落ち着きのない足音がその雰囲気を振り払った。

『ユーザー! 見て! 見て下さい!』

 声に釣られて雪兎が視線を向けると、今までだだっ広い雪原ではしゃぎまわっていたカルマが何かを大事そうに抱えて近寄ってくる。

 その小さな腕の中にあったのは小さなゆきだるま。 

 情操同様に幼いセンスが造り上げた下手くそなゆきだるまを両手に乗せて、カルマは自信満々に雪兎へ見せびらかしてきた。 

 まるで雪兎と哀華の下手くそな似顔絵を同じように見せてきたヴィマのように。

「あぁよく出来てる、凄いじゃないか」

 本物の幼子の様に忙しなく身体を動かしながら評価を待ち受けるカルマに対し、雪兎は慈愛に満ちた笑みを向けると、夫婦が幼い我が子を愛でるようにその小さな頭を優しく撫でてやる。 

 しかしその裏で、雪兎の心の中では強く凄絶な覚悟が固められていった。

「グレイス頼みがある。 お前にしか託せないことだ」
『……それが兄ちゃんの望みであるのなら』

 秘匿通信を通じて雪兎の愚直で強い意志を感じ取ったグレイスは、叩き付けられた願いを深く胸にしまい込むと湧きかけた感情を誤魔化すようにカルマに絡みに行った。

『あぁ何ですか? 私の芸術が理解できないのですか?』
『馬鹿言うな、俺が本当の芸術を見せてやるってんだよ』
『駄目ですね、貴方のようないい加減な人に私の工学的な美的センスは超えられないでしょう』
『言ったな? だったら望み通り頭でっかちには分からないもんを見せてやる!』

 旧世界の技術の粋を集めて造られた存在とは思えない非常に子供らしいやりとりを挟みつつ、じゃれ合い追いかけっこをしながら遠ざかっていく二人。

 その様を雪兎は一人黙って微笑ましく眺めていたが、人間の気配を感じ取った瞬間にその笑顔を潜めて立ち上がる。 

 その視線の先にあったのは、コンクリートによって固く封じられたシェルターの入り口。 

 それが内側よりバーナーによって溶断されると、中から10人程度の一団が重い恐怖を醸し出しながら姿を現した。

 彼らは暫しの間用心深く周囲を見渡していたが、子供が無邪気に遊んでいるのを見つけてようやく安堵したようで、強張っていた表情を緩めてホッと息を吐く。

 足下に積もった雪の感覚を噛み締めるように膝をつく者、星が瞬く空を見上げる者、そして感動するのもそこそこに資源回収の準備を始める者と生存者達は各々違った反応を示すが、ドラグリヲの足に背を預けた雪兎の姿に気が付くと、彼らは一旦感傷に浸るのを中断して皆一様に頭を下げた。

「少しの間でもこうやって空を拝める日が来るとは思わなかった。 何者かは存じないが感謝する」
「いえ、僕は自分がやるべきことをやっただけ。 それよりも一つお聞きしたいことがあります」

 今の雪兎に人からの感謝で感じ入るものなどなく、耳聡く聞き付けた彼らの言葉だけに興味を示すと、さっさと頭を上げるよう促しながら問うた。

「少しの間でもって、どういうことです?」
「そのままの意味だよ兵隊の兄ちゃん。 ここに集まってくる連中をいくら殺したって無駄なんだ。 なにせ奴等は南極から無限に兵隊を送りつけてくる。 根元を断たない限り、俺ら人類が真の意味で勝利することはないのさ」
「それを悟られないため、奴等はこの国を世界から孤立させて内側から滅ぼした。 本拠地の所在を隠蔽し、この大陸自体を人類に対する防壁とするために」

 過去に引き起こされた殺戮を強く記憶しているのか、説明を買って出た者達の表情は一様に暗く、話している間にも時折南の空の様子を窺っていたが、今の雪兎にとってそんなものは興味を惹くに値しない。

「南極か……」

 蝕甚天のみならず、サンドマンが籠城を決め込んだ場所の目星がついたことで、雪兎はこれ以上ここに留まる必要は無いと判断すると、遊び回っている人外二人に指示を出してドラグリヲの装甲を駆け上がる。 

 だが、背後から飛んできた必死な言葉が雪兎の準備を遅らせた。

「待ってくれ、頼むからこちらからも一つだけ質問をさせてくれ!」

 声に反応して思わず振り返った雪兎の視界に映ったのは、一団の中でもっとも老いながらも精悍さを保った男。 

 彼は首筋の生体金属の突起を示しながら、尚も声を張り上げる。

「古い型式だが、私だけは身体強化用グロウチウムを投与している! 故に何となくだが君のことを知っている! 人と袂を断った君のことを! 何故君が人の為に害獣共と戦うのだ!?」

 つい先日、サンドマンのグロウチウムへの大規模な干渉によって引き起こされた精神の強制接続。 

 その余波によって雪兎の感情の一部を感じ取ってしまったのか、壮年は見ず知らずであるはずの雪兎に対し真摯になって問いかける。 

 しかし、それに対する雪兎の応答は極めて冷淡だった。

「……人の為? 勘違いをされては困る。 僕が化け物共を狩るのは自分の為。 害獣共の背中に隠れ続けたゴミ野郎を殺すついでにやっているだけだ」

 脳裏をよぎる馳夫やノゾミの顔を何とか振り払い、人間に対する嫌悪感を剥き出しにして雪兎は眼下に群がる人々を脅かす。 

 害獣を滅ぼした後、次の標的は貴様らだと思い知らせるよう精一杯の敵意を醸し出して。

「せいぜい、僕と奴等が共倒れすることを祈っておくんだね」

 生存者達が驚き惑う視線を向けてくるのも気にせず、雪兎は開けっぱなしだったコックピットに飛び込むと、そのままカルマとグレイスを素早く回収しつつ南の空を目指してドラグリヲを跳躍させた。 

 先ほどまで足を付けていた地面はあっという間に雲の下へ消え去り、代わりに星々の煌めきが新たに三人を出迎える。 

『似合いませんよ、貴方にあんなそっけない態度は』
『人間、どんなに努力したって成れないものもあるんだ。 君がいくら悪ぶったってなんの説得力もないよ』
「うるさいな、今さら何をどうしようと僕の勝手だろ」

 ガラにもなく普通の人間に無理して脅しをかけた雪兎をからかうように人外二人がサブモニターの中へ顔を出すと、雪兎はムッとした面持ちのままコンソールに触れて出力を急上昇させた。

 蝕甚天の痕跡と生存者が示してくれた終点。 

 南極点を目指して。

「そうさ、今さら僕がどうなっても惜しんでくれる人はもう何処にも居ない。 だから遠慮無く全てを賭して奴を殺しに行こう。 僕だけでなく数え切れないほどの命を玩んだあのクズ野郎を」

 ほんの僅かな間とても哀しげな表情を浮かべる雪兎だが、すぐさまそれを闘志と殺意に満ち満ちた勇ましいものへと切り替え、膨大な量の殺気に備える。

 程なく見えてきたのは、南極周辺に散らばっていた大型神話級害獣がスクラムを組むことで完成した無敵の防衛線。 

 しかしそこすら簡単に抜けられないのであれば世界樹はおろか、蝕甚天にすら掠りもしないだろうと雪兎は覚悟を決めると、概念攻撃の嵐が常に吹き荒れる地獄へ自ら突っ込んでいった。

 誰が為でなく、己が信念に報いる為に。
しおりを挟む

処理中です...