鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第87話 新生

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 彼方から音が聞こえる。

 何かが燃え上がる音、弾ける音、砕ける音、断ち切られる音、そして消えていく音。 

 それらは卵の中に呑み込まれた後、闇の中で呆然と漂っていた雪兎の意識に遠く響く。

「何故……僕は生きている……」

 誰より愛おしかった人の腕に抱かれて死んだ。 

 その筈が何故だと雪兎は闇の中で当てもない自問を続けると、雪兎自身の意識の底から慣れ親しんだ幼子の声が昇ってくる。

『ユーザー、その認識は是であり否でもあります。 私がわざわざ説明するのも億劫なので、まずはご自身の目で今の貴方自身の身体をご覧になって下さい』
「僕の身体だと?」

 跡形もなく消滅したはずのものを何故今さらと、雪兎は言われるがまま渋々自らの身体に意識を向けた。 

 その瞬間、驚愕のあまり言葉を失いながら自らの顔に手をやる。 

 完全に意識だけの存在になったと誤解していた雪兎の視界に収まったのは、見た目こそ限りなく人間に近くもその実体は遠い肉体。

 人や害獣の体組織のみならず、ピュアグロウチウムや疑似世界樹細胞によって新たに紡ぎ出された筋肉や骨や皮が、一度は消滅した肉体という現世における魂の器を補い、雪兎の意思とは無関係に今一度絶望と理不尽に抗う術を授けていた。

「どうしてだ……どうしてこうも僕ばかりが……」
『それは、雪兎兄ちゃんにはまだ果たすべき役割があるからだよ。 舌先三寸で世界樹を狂わせたつまらない小男を衆目の下に引っ張り出して抹殺し、世界樹の精神と稼働状況を元通り正常化させる。 それが叶わない限り、俺達旧世界の遺産が兄ちゃんを死なせることはない』
「黙れ黙れ! 僕はお前らの訳の分からない身勝手な道理なんて聞きたくない! 役目がなんだ! 使命がなんだ! そんな馬鹿げた理由のせいで皆死んでいったと言うつもりか!!!」

 グレイスの言葉を受け止めきれず、雪兎は納得出来ないしたくないとばかりに激昂し、勝手に創られた新たな肉体に爪を叩き込んで引き裂こうと画策すると、カルマが強い語気で引き留める。

『やめてくださいユーザー、自身の命のみならず今度は哀華さんの身体までも滅するつもりですか?』
「何だと? 哀華さんだと!? お前らまさか……」

 望まぬ戦いをさせた挙げ句また余計な真似をしたのかと、雪兎の心に激烈な憎悪が再び宿ろうとするも相対するカルマは一切臆さず淡々と言葉を紡ぐ。

『違います、これは私達が強要したのではなく彼女自身が選択した道。 貴方が生きることを望んだ哀華さんが、ご自身の意思で自分の肉体を材料に貴方を再生したのです。 蠱毒に巻き込まれた皆が貴方に力を貸してくれたように、最期に彼女は貴方に命を託してくれた』
「そんな……」

 カルマが嘘をつけないことをよく知っている故に、雪兎はカルマが紡いだ言葉に心を挽き潰される。 散々に他人を責めたところが最終的に彼女の存在にトドメを刺したのは、他ならぬ自分であったという事実。 

 それは空元気でなんとか怒りを保っていた雪兎の力を奪い、無意識のうちに涙を零させるに至っていた。

 哀華の変わり果てた姿を目にした時、一滴も流すことが出来なかったもの。 

 憎悪という壁によって堰き止めていた悲しみの具現がようやく形となって嗚咽と共に累々と流れ落ちていく。

「哀華さん……僕は貴女が生きていてくれればそれでよかったのに……!」

 自らの身体を抱くように腕を回しながら膝をつく雪兎。 

 だが、感傷に浸る暇など世界は与えてくれず卵の外から響いてくる雑音の類いは徐々に減っていき、代わりに怪物の唸り声や吠え声が大きくなっていく。

『さて、雪兎兄ちゃんはどうするんだい? この星で最も強い暴力を持った存在になったんだ。 文字通りなんだって出来る。 全ての人間に報復することも、支配して嬲り倒すのも、たった今彼らを襲う危機から見捨てて姿を眩ますのも、逆に偉くもない癖に偉ぶっている砂野郎をぶちのめしてやるのも自由だ』
「砂野郎……サンド……マン……?」

 悲しみに暮れていた雪兎に対し、カルマと同じく雪兎の体内で肉体の補修を行っていたグレイスが声をかけると、気が抜けていた雪兎の瞳の中に激しい意思の輝きが灯る。 

 ゆっくりとだが確かに変化を始める雪兎の情動。 

 それらをしっかりと感じ取りながら“人在らざる知性”の二体は交互に言葉を紡ぎ続けた。 雪兎自身が決して後悔しないような選択を促すために。

『そうだ、奴がようやく表舞台に出てきたんだ。 他人の威光や暴力をかさに着続け、世界樹のきまぐれによって圧倒的な暴力を掠め取った薄汚い輩がすぐそばにいる』
『貴方と何度も背中を預け合った者達と貴方を今も信じてくれている者達を嬲り殺さんと、今ちょうどこの真上でふんぞり返っています』

 表情こそ窺えないものの、相当不機嫌な顔をしているだけは容易く想像がつくカルマとグレイスの冷徹な声。 

 それが雪兎の意識を過った後、カルマの問いかけが未だ啜り泣く雪兎の心の中に響いた。

「ユーザー、貴方はようやく掴み取った自由をどう使いたいのです?」

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 ズタズタにされ、焼け焦げたスキュリウスが空の果てから派手に赤土の荒野に落下し、巨大なクレーターを掘り上げる。 

 星海魔から支給された数多の超兵器を使って数え切れない神話級害獣を肉片にするも、結局は多勢に無勢。 

 最終的には四方八方から食いつかれてパーツのほとんどを根刮ぎもぎ取られ、嬲り倒されるに至った。

「どうしたこのクソ雑魚! 立派だったのは口先だけかあ!?」
「あぁ……もう俺に出来ることは何も無い……。 後は動ける奴に任せるさ」
「動ける奴ゥ? そんなもんが何処から湧いてくるんだよ! なぁこの無能が!!!」
「……お前は目が見えないのか。 どれだけ偉ぶろうが所詮テメェなんぞその程度よ」
「何だとテメェ……えぇ……!?」

 馳夫の煽りに乗せられてサンドマンは先に焼け野原にしたはずの下界に視線を向けると、悔しさのあまりに歯を噛み締める。 

 そこで蠢いていたのは、サンドマンが歯牙にかけるどころか見向きもしてこなかった人間達の姿。 

 ブレイジングブルが展開する強固な超高域Eシールドの下で、負けじと天を睨み続ける意思ある人々の姿。

 街の中で、半壊した兵器の中で、塹壕の中で、人混みの中で、そして未だ抵抗を続ける鋼の獣の中で、彼らはただ黙ってサンドマンの醜態を見ていた。 

 今の今まで力ある者の笠を着て、赤の他人に人生のツケを押し付け続け、試練と困難から逃げ回り続けた人間としても害獣としても最底辺の生命体を、殺意に満ちた表情で見つめ続けていた。

 そんな彼らの視線から逃れるようにサンドマンが目線を逸らした瞬間、馳夫は心底楽しそうに自称世界樹の代理人をなじり始める。 

 今まで味わってきた辛酸をそっくりそのまま塗りつけてやるかの如く。

「どうした……、まさか恐ろしいのか? この愚鈍で矮小で醜悪な生き物とやらが」
「ふ……ふひひ……随分と稚拙な煽りだな。 この全知全能たる俺が貴様ら悪魔の猿を恐れていると? 何を根拠にそんな……」
「だったら、何故いまさらこんな馬鹿げた数の神話級害獣を引き連れてのこのこ現れた? 自分の手を汚すことを散々嫌ってきたテメェがだ」
「…………」

 全ての武器を撃ち切り、触手をもがれ、翼を切り落とされ、何も出来なくなったスキュリウス相手に、サンドマンの意識を宿した天使は沈黙では隠しきれないほどの動揺を表情に出してしまう。

「図星か、図星なんだな? そんなんだからテメェは懐深い世界樹様からも見限られる上、自分の手で誰も満足に殺せないんだ」
「死にかけの負け犬が黙ってろ! どいつもこいつも俺を舐め腐りやがって!!!」

 全ての超越者を自称する男のみっともない喚き声が、神話級害獣に寄生した醜い肉塊を通じて四方へと響き渡るが、あらゆる命に“理不尽”を強い続けてきたみっともない外道のわがままが“理不尽”と向き合う覚悟を決めた人間達を今さら脅かすことなど出来はしない。

「このイカレ野郎共が! だったらこの俺自身の手で息の根を止めてやる! 今度こそこの世から消えてなくなれ悪魔の猿共!!!」

 絶えず四方から投げかけられる視線に耐えきれず、サンドマンは自身の矜持を投げ捨てて全てを抹殺せんと叫び散らすと、自身の意識が乗り移った天使型害獣からブレスと酷似した極太の光線を問答無用で乱射させた。 

 標的は勿論、この地表で生きる全ての人間。

 ブレイジングブルが展開したEシールドなど紙屑同然に貫ける光の雨が、仰々しくわざわざ空一面に広がった後に地面に向かって落ちてくる。 

 人様から掠め取った力を、まるで自分の力であると衆目の下に喧伝するかの如く。

 だがそれらの全ての光は、着弾寸前に突如発生した紫紺の結界によって行く手を遮られると、針路を唐突に地面に転がった巨大な鋼の卵の方向へと変え、何の抵抗もなくその殻の中へと呑み込まれていった。

「はあ!?」

 何かがおかしい。 

 誰よりも執念深く用心深かったはずのサンドマンが今さら感づくも時既に遅く、今まで沈黙を保ってきた鋼鉄の卵が目覚める。 

 心臓の鼓動を彷彿させる音色の再生パルスが、咄嗟に地に伏せた人々の心身を癒し立ち上がらせ、唸り声にも似たノイズが未だに群がる神話級害獣共を震え上がらせる。

「くそ! 止めろ馬鹿共! 誰かそこの馬鹿を止めろおおおお!」

 焦りに焦ってサンドマンは空一面に群がる神話級害獣へ指示を飛ばすも、圧倒的存在の気配に気圧されているのか一匹たりとも牙を剥くことがない。 

 誰もが動けずに立ち尽くす中、はち切れんばかりのエネルギーを貯め込んだ鋼の卵は一瞬の沈黙を挟んで大きく膨張すると、激しい光の奔流を伴って炸裂した。

 太陽がもう一つ地上に顕現したと誤認するほどに凄まじい光の中、跳梁する影が七つある。

 琥珀色の雀蜂
 常磐色の芋貝
 赤錆色の山椒魚
 濡羽色の渡り烏
 紫紺色の装甲魚
 そして、暁時と宵時の空色をした一対の龍

 蠱毒に巻き込まれた者達の魂の具現たる獣の影が、弾け飛んだ卵の中から溢れる光の中へ自ら飛び込んで一つとなり、その果てに美しくも恐ろしい異形が現れる。 

 丸太の様に太く強靱な両手足と、刀剣の様に鋭利で堅牢な爪を持ち
 鞭のように長くしなやかな尾の先には、幸魂の刀身を模した刃を伸ばし
 鉄屑の様に無骨だが、星屑のように散りばめられた輝きが映える翼を生やし
 厳しい目つきをした厳つい眼窩の奧に、優しい眼差しを宿した龍の頭を飾り
 害獣の超常的な力と、人間が創り出した叡智の結晶たる兵器を全身に配された異形

 白銀と黒金に彩られ、鋼鉄と血肉と樹木によって形作られた破滅と再生の象徴。 
 何よりも強く眩く、何よりも弱く儚い力の具現。
 ――その名は

「ドラグリヲオオオオオオオ!!!」

 哀華が遺した慈愛の力によって再生を遂げた雪兎の高らかな呼び声が響くと共に、さらなる進化を遂げた機械龍の高らかな咆哮が天を揺るがし、地を砕いた。

「馬鹿な! 嘘だ! こんな薄味のご都合主義が罷り通っていい訳がない!!!」
「ご都合主義だと? 違うな、これはお前自身が丹念に積み重ねてきた業の結果だ。 テメェが滅することを願いながら散っていった命達の執念が実ったってだけの話だろう。 それだけで十分だろうが」

 半狂乱になって喚くサンドマンに対し馳夫がご丁寧にも応えてやると、サンドマンの意識を宿した害獣の周囲に漂っていた神話級害獣の身体が紙を引き切る様に斬り裂さかれ、その影を縫うように雪兎と哀華の魂の器となったドラグリヲが舞い上がった。

「は……ははは!!! せっかく猿共の小間使いから解き放たれたというのに自分から首輪を付けられにいくのか!? とんでもなく薄汚いマゾ野郎だなテメェは!!!」
「勘違いするな、僕がここに立つのはあの身勝手な奴等の為じゃない。 お前の遊びの為に無惨に殺されていった無数の命の為に、どれだけ酷い目に遭わされても僕を信じてくれたみんなの為に、そして……こんな臆病で小さくて弱っちい僕を愛してくれたあの人の為に、僕は今ここにいるんだ」

 瞳の中に絶望の光を宿しながらも負けじと口撃を放つサンドマンへ深く重い敵意を醸しながら、雪兎はただ淡々と言葉を紡ぎ、両手を握る。 

 そして深く息を吸って目を見開くと、意を決して叫んだ。

「お前には何も残さない! 夢も希望も明日も全てお前から奪ってやる! たとえ僕の全てを賭してでも!!!」

 主がコックピットで叫ぶとの同時に、破滅と再生の光の中で揺蕩っていたドラグリヲは、肉塊と化した神話級害獣の影に隠れようとするサンドマンに向かって躍り掛かっていった。

 握り締めた拳に陽光を、意思の光に満ち満ちた瞳に揺るがぬ決意を宿して。
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