鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第85話 錯乱

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 人智を超越した戦いの後、置き去りにされた巨大な卵と、打ち棄てられたように横たわるシャチ型生体戦艦の周囲に今まで知らぬ存ぜぬを決め込んでいた社の住人達が集まって来ている。

 ある者は戦艦の修復を行うべく技術者や物資を運び、ある者は社から持ち出したレビテイションタンクやアーマメントビーストを走らせて周辺エリアの警戒を行い、またある者は愛機から這い出してぼんやりと考え込んでいたクラウスとミシカを保護すべく医療品を持ち出して駆けつける。

 つい先ほどまで上空を漂っていた“人在らざる知性”の二人組の姿は何処にも無く、雪兎からの精神攻撃を受けて無責任な連中の多くが精神を封じられて人事不省状態に陥り、著しい人手不足に陥る中で彼らは自らの手で自分達の身を護るべく、自分に出来る事に対して最善を尽くす。

 彼らの決意に火を付けたのは、皮肉にも雪兎が全ての生存圏内に生きる人々に対して行った問いかけ。 

 雪兎と心が繋がった時の副作用として近しい者の感情や本音を全て纏めて共有させられ、その上で哀華が拡散し続けた慈愛の宵闇に身を包まれて悪い感情を処理された結果、哀華が鐘楼街で難民達を落ち着かせたのと同じように彼らの心は凪のように鎮まり、自分に与えられた使命に没頭出来る余裕を与えていた。

 そんな彼らを、巨大な卵の頂きに鎮座しつつ再生を開始したスキュリウスの手の中で、馳夫は黙って見下ろし続けていた。 

 今さら態度を翻しても遅すぎると言わんばかりに殺意を醸して。 

 しかしその沈黙も、ノゾミが父から受け継いだ翼を使ってそばに舞い降りたことで破られる。

「この程度で彼が死ぬはずがない。 貴方もそう思っているでしょう馳夫」
「見たのか、人様の心の中をまた無断で」
「まさか、無意味に他人の頭を覗こうとするほどデリカシーの無い人間ではないわ。 そういう言い方するってことは図星だったのね?」
「……さあな」

 自分の意思が介在しない間にただのヒトとは違う生命体へされてしまった者同士、異形の証たる部位を気安く陽光のもとに晒しながら彼らは隣り合って座り込む。

「それでこれから先どうするつもり? 首領の穴を塞いでくれるはずだった真継君も消えてしまった以上、私達にも遅かれ早かれ必ず試練が訪れる」
「分からない。 ……ただ、万一この隙を狙ってサンドマンの玩具が山ほど現れたとしても、抵抗しない訳にはいかないだろう」
「随分と優しいことを言うのね。 まるで雪兎君が経験させられた惨劇を見てなかったみたいじゃない。 確かにそれこそが哀華さんが真に望んだことでしょうけど」

 広げた翼に纏わり付いた砂埃を払いつつ、ノゾミは馳夫の横顔を覗き込みながら言葉を紡ぐ。 

 すると今まで俯いて眼下の様子を眺めていた馳夫は衆愚に対する憎しみを露わにしつつ、その上でノゾミに当たり散らさないよう強く自制しながら声を振り絞った。

「勘違いするな、俺だってこんな事態を引き起こした馬鹿共は一人残らず連座でぶっ殺してやりたいさ。 だがな、社会を維持して俺達自身の命を守る為にも、最低限の労働力として奴等は生かしておかなければいけないんだ。 たとえそれがどれだけ無能で身勝手な馬鹿揃いであってもな」
「そう、貴方も可哀想な人ね。 将来に上に立たなければならない生まれであったばっかりに自分の心を捨てなければならないなんて。 ……でも」

 友の仇を十分に取ることも許されず、やりきれない感情を必死に噛み締める馳夫にノゾミは寄り添い、父から受け継いだ力で少しでも心労をケアしてやりながら、社より飛び立っていくオービタルリフターの背中を見送る。

「少なくともこれからは人類間の醜い諍いが気持ち半分減ってくれると私は信じているわ。 今回の経験をさせられた人々が生きている間はきっと」

 でなければ彼女が身を捧げた甲斐がない。 

 ノゾミはそう言葉を続けながら両手を胸の前に組んで目を瞑る。 

 これが父から立場と力を受け継いだ自分が唯一出来ることなのだと確信を以て、彼女は本当に存在するのかも分からない神という名の無責任な傍観者に祈りを捧げた。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 人間達が危機を乗り越えた様子を次元遙か彼方から眺め続ける者がいる。 

 かつて人類史上に残る発明と呼ばれ、いつしか人がわざわざ創ってやった紛い物の神と揶揄され、最終的には人類種の天敵と呼ばれるに至った超生命体“世界樹”

 かつてオセアニア以外全ての大陸に姿を現し、人類を絶滅の淵へと追いやって来た怪物。 

 それは今、現行人類には探知できないリンボの底に潜み、莫大なエネルギーを封じた卵とそれを囲む人間達の行動を黙視し続けていた。

 無意味に同類同士で争い消耗している今こそが絶滅させるには最大の機会だと理解しているにも関わらず、その偉大な生命は何一つ行動に移すことなくそこに在り続ける。 

 その懐には、捕らえられて完全に動きを封じられたサンドマンの姿があった。 

 手足の一本一本を蔦で丁寧に絡め取られて吊り下げられた様はあまりに無様であるが、無責任なアジテーターはめげずにみっともなく喚いて抵抗を続けた。

「何故です!? 我らが主よ! 今なら我々に抵抗出来る小蠅はいない! あの劣等猿共を殲滅して地上を浄化するにはまたとない機会だというのに!」

 余計な抵抗勢力がまた生まれる前に、すぐにでも支配者シフトを完遂すべきだと必死に身を悶えさせて訴えかけるが、世界樹の関心はサンドマンなどには一切移らず、社会という巨大な獣の体内から悪質な寄生虫の排除を成功させつつある人間達に向き続ける。

「くっ!」

 何故今さらになってこんなぬるいことを考え始めたのかと、サンドマンはアルフレドから奪った力の断片を使って主の真意を探ろうと世界樹の感覚器官に目を向けた。 

 刹那、サンドマンの意識は世界樹の深層意識のさらに奧へダイブし、血族以外には誰も為し得なかった世界樹自身とのマインドリンクを確立するが、それに伴ってサンドマンに伝わってきた世界樹の情動は、今まで人類を見下しおちょくり続けてきた彼を絶望させるには十分だった。

『“人間は馬鹿で間抜けで愚かではあるが、決して救いようのない生き物ではない”か。 私を創った人間のうち一体がそう言っていたが今となっては随分と懐かしいものだ。 我が愛すべき愚かしい子供達。 鉄獄蛇がわざわざくだらない喧嘩に付き合って短い眠りに就き、星海魔が裏切り者の汚名を着てまで彼らに肩入れした理由がようやく分かったような気がする』

 雪兎と哀華とその周囲のやりとりを全て見ていたのか、世界樹は二人が遺した卵と今それを取り巻く人々に興味を示し、偵察用の超小型害獣の群れを世界中の生存圏内に点在する要塞都市の上空へ一斉に放つ。

 今の人間共がどのような精神構造を確立しているのかを把握するために。

「何故だ!? 何故です!? お願いだから私の話を聞いて下さい!!!」

 今まで散々人間を殺し続けたはずの主が、こんなくだらない茶番のせいで絆されかけている。 

 それが信じられずサンドマンは大汗を流しながら世界樹へ交信しようと強く念じるも、逆に強烈な思念を送りつけられたせいで脳を揺らされ血反吐をぶちまけた。

『私が絆されていると? 思い上がりも甚だしい。 第一、私は人間に情など抱いていない。 ただ滅するべき醜悪な害虫が観察に値する知的生命体にようやく成長したと、私の価値観を変化させただけに過ぎないのだ』

 勝手に思念を読まれたことのみならず身の程も弁えずに詭弁を弄した愚か者を誅すべく、世界樹はサンドマンの関節一つ一つに細い蔦を差し込み、体内からその醜悪な肉体をゆっくりと引き裂いていく。

「あああああ!!! 何故え!? 私は貴方様に忠誠を!!!」
『嘘が下手だな。 そもそもお前は私自身が産みだした生命体でも、その末端が造った生体兵器でもあるまい。 肉体をいくら造り替え、入れ替え、奪ったとしてもお前は紛れもなく“ヒト”だ。 それも私を心底失望させた上位者騙りの薄汚い悪魔崇拝者の猿共と同類の“ゴミ”だ』
「ひっ……」

 叱責と拷問、そして限りなく大きな嫌悪の眼差しがサンドマンの精神をズタズタに引き裂いて心を暴き、道化の仮面の下に隠されていた過去を容赦なく晒し出す。

「うそじゃあああああなああああああああいいいいいいいいい! 間違いなく私は貴方様のおおお!!!」
「黙れ。 肉親を裏切り、朋友を裏切り、故郷を裏切り、共同体を裏切り、民族を裏切り、国を裏切り、挙げ句の果てに自らが属していた種族を文字通り売り払い、みっともないゴミ虫の様な姿になり果ててまで肥大化した自己顕示欲を満たそうと全てを欺き続けたお前が我が眷属などと不愉快この上ないぞ」

 いかなる美辞麗句を並べ立てようと、真にサンドマンを突き動かすものはたった一つ。

 “自分より何かが優れている者がこの世に存在することが気に食わない”

 たったそれだけの為にあらゆる者におもねり、数多の生命を犠牲にしてきたという事実は世界樹の機嫌を著しく損ね、元々無いに等しかったサンドマンに対する評価を最底辺に叩き落とした。

『逆に聞かせて見ろ。 何故この私がお前の甘言如きに従ってやる道理があると思った?』
「………………くそがあああああああああ!!!!」

 本音も野望も性根も暴き出され追い詰められたサンドマン。 

 このまま何も抵抗しなければ見限られて死出の旅へ叩き出されることは間違いなかったが、世界で一番生き汚くみっともない生き物がこのまま大人しく処刑を受け入れるような真似をするはずがなかった。

 世界樹が慈悲深くも愚か者の最後の反論を聞くべく拷問の手を緩めたのを見計らい、サンドマンはヤケクソになってアルフレドから奪った力の断片をフル活用し、世界樹を支配する精神という名のソフトウェアの乗っ取りを謀る。

 本来ならば万が一にも成功するはずがない稚拙な抵抗。 

 だがそれはサンドマン自身も驚くほど易々と成功し、その意識は醜い虫けらの残骸から飛び出て偉大な生命のコアへ収まった。

「は……ははは……なんだ偉大なる始祖たる害獣とやらも全ッ然大したことねぇなあああ!!!」

 今まで自覚したこともない莫大な力が体内を駆け巡るのを感じ、喜びよりも驚きや戸惑いが勝るサンドマンだったが、それに水を差すように本来の世界樹自身の意思がサンドマンの脳裏を擽る。

『無駄な足掻きを。 お前の言葉を借りて言えば、生まれたての赤ん坊に星間植民船の指揮を任せるようなもの。 お前が私の身体を完全に支配下に置くことなど永遠に出来ん。 現に蝕甚天はもう既に自らの意思で動いている』
「黙れえええ!!! 敗北者は俺の頭の中から出て行けええええ!!!」

 見えない敵と戦うかのように根と枝と蔦を振り乱しながら暴れ狂うサンドマンだが、どれだけ強大な力を振り翳しても無意識から働きかけてくる言葉からは逃れられず、せっかく手に入れた上等な身体を無意味に傷付けるばかりだった。

『私には既にお前の破滅が見えているぞ、自らの真の名すら捨ててしまった愚か者よ。 いかなる小細工を弄そうとも、お前自身が散々他人に押し付けてきた報いから逃れることなど出来ない。 そう“理不尽”を許さない臆病で勇敢なあの若者の手からは決してな』
「負け惜しみをほざくなこの独活の大木があああ!!!」

 今まで気に食わなかった輩はあらゆる小細工を弄して消してきた。 

 にも関わらず、頭の中に響く声を消すことが出来ずサンドマンは瞬く間に錯乱状態に陥ると、自ら精神を分裂させて大量の姿無きイエスマンを脳内に産み出し、永遠に続く万歳の声の中へ逃げ出すことで対処する。

「そうだ……、これ以上むかつく誰かに傅く必要など無い。 今この時から俺こそがこの星で一番偉大な生命なんだ! この馬鹿でかい砂場は未来永劫俺のもんだああ!!!」

 一切の重みの無い賞賛の声に増長し、心ない万雷の拍手の中で哄笑するサンドマン。 

 そこには良くも悪くも知恵ある者として慎みのある身の振り方はなく、自らの立場も分からぬまま神輿に担ぎ上げられた無能のまさしくそれ。

 己が散々人間社会に仕掛けてきた敵対行為がそっくりそのまま自分に返ってきたことにも気付かぬまま、サンドマンは悪意の矛先を世界樹が改めて観察を始めた人間達へと向けた。
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