鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第83話 愛憎

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 無限に広がる暖かな闇の中で、馳夫の意識は孤独に揺蕩っていた。 

 何かを考えることが億劫なほどに心地よく、それでいて不思議なほどに落ち着く虚無の世界。 

 まるで上等なベッドの中で微睡んでいるのかと錯覚するほどの安らぎは、先ほどまで絶望と無力感に打ちひしがれていた馳夫の気持ちを鎮めていく。

「ここが死後の世界とでもいうのなら……、死ぬことも案外悪くないのかも知れないな……」
「……違う死んでない。 馳夫君、貴方はまだ死んでない!」
「っ……?」

 今一度眠りに就こうと深呼吸をした瞬間、闇の中に突如響いた女性の声に導かれ、馳夫は落ちかけた意識を何とか奮い立てて目を開ける。 

 直後、目覚めた馳夫を出迎えたのは、いつも通り暗い雰囲気を湛えながらも似合わない微笑みを見せるノゾミの顔。

 彼女は馳夫が気絶してから再び目覚めるまでの間、カメラ越しにずっと馳夫の様子を見守っていた。

「生きてる? 俺は生きているのか?」
「貴方だけじゃない。 クラウスさんもミシカさんも大黒さんも、私達に組みしてくれた“人在らざる知性”の二人も、そして私もまだ生きている」
「……ありえない」

 あんな馬鹿げた攻撃をまともに食らって誰もが生きていられるはずがないと、馳夫は急いでスキュリウスを再起動し外界の様子を確認する。 半壊状態のメインカメラが辛うじて映し出したのは、もがれた触手に吹き飛んだ武装、そして漆黒に染まった靄のような何か。 まるで霧を真っ黒に着色したような正体不明の何かが、スキュリウスを隙間なく包み込み護っていた。

「くっ、一体何が起きているんだ! 今さら都合良く奇跡が起きたわけでもないだろう!?」

 雪兎が放ち続けた無情な光とは相反する温かな闇。 その正体が何なのかを知るべく馳夫は自ら正面装甲を開いて目を凝らすと、戸惑いのあまりに置かれた状況を忘れて立ち尽くしてしまった。

 雪兎だったものが放出する莫大なエネルギーの余波で吹き荒ぶ嵐の中、馳夫が垣間見たのは光の龍の前に立ち塞がる漆黒の機影。 

 片手に分厚く豪奢な盾を、もう片手に鋭く大きな剣を携え、しなやかな肢体にはドレスのような形状の美しい鎧を纏い、自らが立つ大地に生命の息吹を与え続ける者。

 色彩も意匠も姿も、何もかもがドラグリヲと相反する黒檀と星屑の乙女。

 彼女は雪兎だったものが全力で放った破滅の光迅を受け止めると共に、別ベクトルの力へと還元することで皆を守り抜いていた。 

 全てを突き放す光を、全てを抱き留める闇へと換えて。

「人型のアーマメントビーストだって? そんな酔狂なもん今はどこも所有していないはずだろ!?」
「それにあんな馬鹿げたエネルギーを受け止めて無傷でいられるなど有り得ん……一体何なんだ……」

 馳夫だけでなく、まだ自分が殺されていないことに気付いたメンバーの声が通信用ナノマシンを介して互いに届き始める。 

 何故何でどうしてと、答えの返ってこない問いかけが絶えず交わされ混乱が広がる中、突然全ての声を遮って、ここにいないはずの人間の声が高らかに響いた。

「もういい、もういいのよ雪兎」
「ッ!!!?」

 手にした武器を収めて両手を広げる黒檀の乙女が紡いだのは、あまりにも優しく麗しい哀華の声。 

 雪兎のすぐそばで永遠にこの世から消え去ったはずの穏やかな声の波は、光の龍の中で昏々と眠り続けていた雪兎の正気をたちまちに揺らがした。

「哀華……さん……?」

 動揺のあまりに光の龍は真継雪兎としての意識で言葉を発し、反射的に黒檀の乙女と正面から向かい合う。 

 それは赤の他人にとっては限りなく大きな隙であったが、今この場にいる者の中に一人でも横合いから手を出そうと考える馬鹿者はいない。

「木乃花? 本当にお前なのか!?」
「あぁ……もう私には何を信じて良いか分からない……」

 死んだと、確かに死んだと聞かされたはずの人物の声を耳にして馳夫と大黒すらもただ驚愕し迂闊に動けぬ中、唯一状況を冷静に観察できていたのは“人在らざる知性”の二人組。

『ピュアグロウチウムに疑似世界樹細胞。 ジャスティスまさかこれは……』
『あぁ、どうやらあのちびっ子共はまだ諦めていなかったようだな。 おまけにリンの遺品も力を貸してくれるとは……。 きっとあの坊やは誰彼構わず散々に恩の押し売りをしてきたに違いない』

 彼らは飛来した乙女の肢体がどういう物体で構成されているのかを感じ取ると、片や苦笑しながらも嬉しげに、片や哀しそうに語り合いながら、向かい合う二体の怪物の意思に全てを委ねた。

 雪兎が背中を預けてきた多くの存在が静かに見守る中、現れた黒檀の乙女は厳かにそしてどこか哀しげに語り始める。

「私も彼らの意思を受け取ったわ。 異常者の烙印を押されることを怖れ、流されるままに考えることをやめた臆病な人達の言い訳を」

 僅かながらの憤りと不満を零しつつも、黒檀の乙女はただ冷静に雪兎へ言い聞かせ続ける。

 大多数の命によってその死を喜ばれながらも、その奥底にある原始的で無垢な祈りを守り抜くために。

「でも私は、彼らを滅ぼすことを望まない。 彼らはただ何も知らなかっただけ。 悪意あって絞られた情報の中から生きるための情報を取捨選択し続けた結果、こんなことになってしまっただけ。 彼らだけが悪いと言い切るにはあまりにも無慈悲で残酷すぎる」

 理不尽と悲しみと憎悪で今も身を灼く雪兎を今すぐにも抱き留めようと、黒檀の乙女は両手を広げて雪兎の様子を見守りながらゆっくりと歩み寄っていく。 

 絶えず浴びせられる滅却の光を創造の闇として変換し、広大な花畑と草原を形成する姿はまさに聖母そのもの。

「貴方の気持ちは痛いほどよく分かる。 でも私は貴方が殺戮に狂うことだけは決して望まない。 貴方には人の血潮で心を汚して欲しくないの。 だから……」
「黙れ」

 今にも触れ合えそうな距離にまでようやく近づき、黒檀の乙女が内心安堵しながら雪兎の背丈に合わせて片膝をつき目線を下げた。 

 その瞬間、光の龍は眼前の者の言葉を冷徹に遮りながら大きく跳び下がり、剥き出しにした爪を彼女に向かって突き付ける。

「確かに、もしあの人が生きていてくれたなら間違いなくそう言っただろうさ。 だって哀華さんは、この世界で一番優しい人だったから。 ……でもな、彼女がそうやって言葉を紡ぐことはもうないんだよ。 喜んでくれることも、怒ってくれることも、悲しんでくれることも、そして笑ってくれることも二度とないんだよ!!!」

 全身から放たれる無情な光と相反し、真っ黒に染まった眼からおびただしい血涙を流しながら雪兎は声を震わせて必死に言葉を紡ぐ。 

 誰より愛しかったからこそ、誰より焦がれたからこそ、紡がれる言葉は呪いのように強く重く、この言葉が届く“人間”の心に思い切り叩き付けられる。

「あの人は僕のすぐそばで“粉微塵になって死んだ”んだぞ。 今さら現れてくれるはずがないじゃないか。 今さら僕を叱ってくれるはずがないじゃないか!!!」

 自らの五感を以てして認識してしまった無常すぎる現実を知らしめながら、雪兎は眼前で佇む哀華らしき者の前で恥ずかしげもなく身悶えし、やがて急激に落ち着くと今度は激烈な怒りを露わにして、今まで龍としては朧気だった身体の形状を確固としたものへと変える。

 ドラグリヲに酷似した、白銀と極光を纏った破滅の龍へと。

「よくも……あの人の声を穢したな……。 よくも……あの人の遺志を謀ったな……! 殺してやる! 殺してやる!! 一匹残らず嬲り殺して、テメェらが喜んで焼き殺したあの人の墓前に捧げてやるぞ!!!」

 握り締めた拳から鮮血を流し、喉奧からは血反吐を吹き上げ、激しく浮き沈みする情動に翻弄されながらも、雪兎は自分から何もかも奪い去った人類に対する憎悪を明確にし、そして叫んだ。

 この世に生きる誰よりも、狂おしく愛しかった人の名前を。

「おおおおおおお!!! 哀華ぁああああああああああ!!!」

 絶叫が響くと共に、滅却の波動が地上の全てを押し流さんばかりの勢いで放出されるが、その前に立ち塞がった黒檀の乙女がそれら全てを受け止め還元することで、地上に生きる人類全てを消滅の危機から守り抜く。

「駄目よ! 貴方にこんな惨いことはさせない! 貴方には絶対にこれ以上業を背負わせない! そう、たとえ私の全てを賭してでも!!!」

 一度は収めた盾と剣を再び構え、光の龍そのものと化した雪兎の殺意に立ち向かう黒檀の乙女。

 木乃花哀華の意思を確かにその身に宿した機械人形は、深層意識に潜むカルマとグレイスから励ましの念を受け、真正面から躍り掛かってくる光の龍にぶつかっていった。

 悲しみに身を焦がす愛しい雪兎の心を、少しでも早く鎮めて慰める為に。
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