鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第78話 極光

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 異変に気付くも時既に遅く、火球に呑まれた鐘楼街にようやく帰還した雪兎を迎えたのは、まさに地上に顕現した地獄であった。 

 何の予兆もなく発生した炎は人々が事態を理解する暇を与えるよりも先に死の運命を無秩序に振りまき、人々の生活の場を火葬場へと変えた。

 あるものは座ったままの姿勢で炭の塊となり、あるものは肉体を余さず焼き尽くされて影の痕跡しか遺せず、またあるものは運悪く即死出来ず生焼けになって生き地獄を味わっている。

「痛い痛いよ、ボクの身体どうなっちゃったの?」
「見えない! 何も見えない! 誰か助けてくれ! こんなのイヤだあああ!!!」
「水が飲みたい……もう死んでもいいから飲ませて……」

 全身に重度のやけどを負わされた挙げ句、手足をもぎ取られ、目や耳や鼻を潰された大勢の人々。 このまま放っておけば皆等しく死に絶えることに違いないが、それを阻止する為の物資も施設も同時に吹き飛ばされており、今の雪兎には為す術がなかった。

「どうすればいい……、僕は一体どうすれば……」
「大丈夫、私に任せて」

 咄嗟に最も近くにいた重傷者に楽な姿勢を取らせてやるも、それ以上の措置をしてやれず考え込んでしまった雪兎の頭上から聞き慣れた穏やかな声が降ってくる。 

 雪兎と等しく凄まじい力の持ち主となった哀華の声が。

「哀華さん、無事で良かっ……」

 釣られて雪兎は声の聞こえた方向へ向き直るも、今の哀華の状態を見て絶句する。 

 雪兎が目撃してしまったのは、爆発の衝撃で上半身と下半身を泣き別れにされ、おびただしい量の血を流していた哀華の姿。 

 彼女は常人なら既に死んでいるような怪我を負わされながらも全く動揺することなく、切断面から大量に伸ばした複数の根を重傷者に接続し、治療を続行していた。

「哀華さん……、身体が……」
「大丈夫、今の私はこの程度では死ねない。 少し時間を貰えればすぐに元通りに出来る。 だから雪兎、貴方は自分が出来ることをやって頂戴。 私も今は自分がやれることに全力を尽くすから」

 今この瞬間も筆舌に尽くしがたい苦痛に襲われているのか、多量の脂汗を流しながらも一切表情に出さず作業を続ける哀華。 

 その余りに凄絶な姿に気圧され、雪兎はその場から一歩も動けぬまま立ち尽くしてしまう。

「どうして……どうして哀華さんがこんな目に……」
「少なくとも君の責任ではないさ真継君。 誰のせいかと責任を突き詰めていけば、おそらくこの私こそが一番の原因だろう」
「!!!」

 思わぬ独白に雪兎は反射的に牙を噛み締め殺意を剥き出しにすると、ゆっくりとこちらに近づいて来ていた半壊状態の王鼠の死角を取って首領の刀を構える。 

 それに対し大黒は正面装甲が損壊したコックピット内でとても痛ましい表情を浮かべ、頭上から冷たい殺意を向けてくる雪兎の顔を恐る恐る見上げながら勇気を振り絞って言葉を紡いだ。

「私は奴を、サンドマンの思惑から抜け出せたと思っていた。 哀れな男が腐らせかけた肉体に精神を封じられながらも、死力を尽くしてこの地位に登りつめたことでな。 ……だが現実は違った。 奴はこうなることを最初から分かっていたんだ。 私が賊共を誅して独自の勢力を築き、君をここへ招くことを。 きっとその時の為に悪趣味な仕掛けをこの街に施していたに違いない」
「だったら貴方は何も悪くないでしょう!? 悪いのはあの影のフィクサー気取りのクソ野郎だ! 貴方は自分が出来るだけの足掻きをしてきただけじゃないですか!」
「……そう言ってくれるならこちらとしてはありがたいよ。 なにせ私もちょうど今、大事な腹心を奪われてしまったばかりだからな」

 雪兎のフォローを軽く流した大黒が王鼠を動かした先にあったのは、特殊な保育器に入れられて穏やかに眠り続ける赤ん坊達の代わり、爆風を受けて大破したネズミ型アーマメントビーストの姿。

 大黒に変わって都度都度対話の窓口に立っていた小綺麗な機体の変わり果てた姿がそこにはあった。

「まだ諦めるには早いです! 今すぐパイロットを降ろして治療を!」
「いいや、残念だが彼に限ってはもう遅いんだよ」

 必死に救助を急かす雪兎の言葉を遮るように、大黒が無感情で言葉を紡ぎながら倒れていたアーマメントビーストのヘッドパーツを外すと、芯まで焼け焦げた死体が露わとなる。 

 本来なら人間と相容れるはずのない忌み深い生物の死骸が。

「馬鹿な……害獣だと……?」

 驚きと疑いの感情が入り混じった視線を雪兎が投げ掛ける中、大黒はゆっくりとコックピットから降りると、スクナだったものの瞼と口を閉じてやる。 

 そして暫しの沈黙と長い嘆息の後、その場に膝をつきながら静かに語り始めた。

「驚いただろう? これが彼の本当の姿。 人に対する憎悪を抑え込み、人並みの知性を与えられた獣。“益獣”と呼ばれる予定だったもののプロトタイプが彼だ。 昔、私がまだ賊共の奴隷だった頃、放棄された企業跡地へ人柱代わりに送り込まれた時に王鼠共々発見して以来、彼は誠心誠意私に尽くしてくれたよ。 ……自らの元同胞を裏切ってまでも、私と仲間の為に惜しみなく働いてくれた」

 今はもう動かない炭化したスクナの身体を労るように撫で、昔のことを懐かしみながら大黒は哀しげに笑う。 

 まるで己の非力さを心底恨むかのように。

「見てくれや生まれがどうだろうと、彼は間違いなく人に等しい優れた知性を宿した命だった。 少なくとも、人の身に生まれながら喜んで畜生に成り下がった連中以上には、ずっと文明人らしい存在だったさ」

 もっとも、今さら人間らしさなんて何の足しにもならないと大黒は苦笑すると、深く頭と肩を落とす。

「これ以上何が仕掛けられているかも分からない街に長々と民草を住まわせ続ける訳にはいかない。 しかし我々はどうすれば……」
『その程度の懸念なら既に解決済みです。 つい先ほど轡を並べた生体戦艦群に交渉を試みたところ、動かしても問題ない人員ならニュー・アラスカまで運んでやると返答があり、N.U.S.A.からも多少の人数増加程度なら許容出来ると返答して下さいました。 やはり恩は一方的にでも売っておくべきものですね』
「本当か!? 我々はまだ生きていてもいいのか!?」

 絶望から一転、カルマからの報告を受けて大黒は何とか気力を取り戻すと、王鼠の支援戦闘端末群を街中に放ち、急いで負傷度合いの軽い人員の回収を開始する。 

 そして未だに治療を続ける哀華の背中にも視線を投げ掛けながら促した。

「我々の行き先が定まった以上、君達も無理してここに留まる必要は無い。 今なら契約を全て反故にして逃げて貰っても構わないんだぞ」
「いいえ、僕たちはあと少しここに残ります。 重傷者の容体が安定して移送できるようになるまではここを離れる訳にはいきません」
「そうか、だったら私も残るべきだな。 本来なら部外者である君達だけに責任を負わせる訳には……」
『いいえ駄目です。 貴方はまだ動ける人々と一緒に生体戦艦に乗って下さい。 万が一貴方まで失ってしまっては、鐘楼街で生きてきた人達は一体誰に縋ればいいのです? 貴方はこの街の代表者であり、この街の全権と全責任を担っているのです。 自分がどのような立場の人間なのか、よく考えて発言されて下さい』
「……っ」

 カルマによる問答無用の理詰めの説得によって大黒は渋々それらの提案を受け入れると、雲の上からゆっくりと高度を下げてきた数隻の生体戦艦を黙って見上げる。 

 現在地球上に伝わる技術では決して再現出来ない超技術の結晶。 

 それらは街のほんの上空に到達すると共にトラクタービームを街中目掛けて放射すると、まるで古いSFのUFOよろしく対象者を宙高く引っ張り上げ、船体の格納スペースへ取り込み始めた。

「すまない、少しの間だけ負傷者達の世話を頼む。 必ず迎えに来るからな!」
「任せて下さい。 一人でも多く生かして必ずや貴方の元へ送り届けますとも」

 王鼠と共に宙高く引っ張り上げられた大黒の言葉に対し、雪兎は微笑みながら手を振って応え、生体戦艦群が鐘楼街から去って行くのを見届ける。 

 そして表情を仕事モードから素のものへと改めると、必死に治療を続ける哀華のそばまで歩み寄った。

「すみません哀華さん、勝手に話を進めてしまって」
「それで良かったのよ雪兎。 どちらにしろ私もこの街を離れるつもりは無かったから」
『それに俺達だって一緒にいるんだ、心配せず大船に乗った気持ちでいてくれよ』
「……あぁそうだな」

 哀華が雪兎を気遣って淑やかに笑うと、その影から彼女の治療に専念していたグレイスまでもが顔を出し、無意識に消沈していた雪兎を慰める。 

 普段なら何くそと思うところだが、グレイスの存在が哀華の生存に直結することを分かっているためか、雪兎は珍しくグレイスに対して小言一つぶつけずにその励ましを受け入れた。

 大丈夫、少なくとも自分が愛する人が死ぬことは無い。 

 自らを安心させる為に雪兎は心の中でそう言い聞かせると、生体戦艦が消えていった方角を未だ眺め続けていたカルマに声をかける。

「さぁカルマ、僕たちも今出来ることをやろう。 一人でも多く人を助けるためにな」

 二つのおさげがついた小さな頭を後ろからわしわしと撫でてやりながら、いつも通りのイヤミやら小言による返答を待つ。

――しかし何故か返事がない。

 否それどころか音にも振動にも反応せず、マネキンよろしくカルマは一切動くことがなかった。

「カルマ?」

 流石に何かがおかしいと勘付いたのか、雪兎はカルマの正面に回り込んで様子を伺う。 

 その瞬間、今までピクリとも動かなかったカルマが凄まじい勢いで全身の関節を回転させ始め、耳障りなノイズを垂れ流しながら奇行を開始した。 

 いきなり無表情になってTポーズを取ったかと思えば、瞳の中にブルースクリーンを表示させながらその場に仰向けに倒れ込み、酸素不足に陥った金魚よろしく口をパクパクさせながら不気味なビープ音を発し始める。 

 しかしその最中でも、カルマは必死に雪兎に何かを伝えようとバグにまみれた声を上げ続けた。

『こ……私わたわたわたわた……バッババババババババッバババック……防……停…逃げ逃げ逃げ逃gggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggggg..................................................................................』
「カルマ? カルマ!? おいしっかりしろ!!!」
『駄目だ、リブートが終わるまではまともな返事は期待できない。 それより雪兎兄ちゃんは襲撃に備えてくれ。 連中が何の用もなく後生大事に取っておいたバッグドアを使う訳がない』
「言われずとも分かってる!」

 カルマが再起動するまでの間、頼れるのは雪兎自身の感覚とグレイスが地下深く伸ばし紡いだ生体ネットワークによる探知網だけ。 

 この状況でどこから襲われるのかなど皆目見当もつかないが、これ以上後手後手に回らないためにもと、雪兎は深く地面を踏みしめて敵の接近をただ待つ。

 だが、待てども待てども敵方の気配や物音を二人は感じ取れず困惑する。 

 二人が唯一この場で認識出来たのは、スクナが命を賭して守り抜いた赤ん坊達のすこやかな呼吸音と、重傷者達の痛ましい呻き声だけ。

『何なんだ……、連中は一体何が目的なんだ? 貴重な手札を嫌がらせで切るような馬鹿揃いだったのか?』
「そんなはずがない、何かあるはずだ。 奴等の下劣な脳味噌だからこそ思いつける逆転の一手が」

 哀華の体内から直接身体を伸ばすグレイスと背中を庇い合いながら雪兎は必死に考え続け、その果てに発想の転換に至る。 

 すなわち、自分が自分を殺しにかかるならばまず真っ先に何をするべきかと。 それを踏まえて今いる環境を考える。

 あちらにとっては何の価値もない大量の重傷者。
 無理して確保する必要も無い古い物資の山。
 カルマによる電子的+空間的防御を無効化された僅かな隙。
 重傷者治療の為に逃げ出せない自分達。
 そして、あちらにとっても有用であるにも関わらず“何故か”運良く逃がして貰った貴重な赤ん坊達。

「……ッ!!!」

 まさかと、こんな残酷な手段が行使されていいはずが無いと雪兎は願うが、程なくして莫大なエネルギーの気配を察し、理解してしまった。 

 自分を含めて大勢の人々が命を賭して守り抜いた力無き人々の一部が「気に入らない奴等を殺したい」というくだらない理由で、ただの赤ん坊を喜んで攻撃の手段として使ったことを。

「そんな……」
『赤ん坊の身体に転移マーカーだと!?』

 雪兎とグレイスがほぼ同時のタイミングで保育器を視線を向けた瞬間、赤ん坊達に仕込まれたマーカーが一斉に作動し、ここにあるべきではないものを街中に転移させる。 

 世界崩壊以前の技術を以てして製造された貴重な大量破壊兵器。 

 地球に深く根付いた世界樹を地殻ごと宇宙の果てに吹き飛ばす為に造られた疑似反物質弾。

 それらは、自らの身に何が起きたかも分からず眠り続ける赤ん坊の体内で次々と破裂し、雪兎やグレイスが体勢を整えるよりも早く鐘楼街跡地全てを呑み込んでいった。

 衝撃が、熱が、多岐に渡る化学物質が地殻にまで深々と食い込み、何もかもを焼き上げ、粉々に粉砕していった。 

 だがそれだけの兵器を以てしても、蠱毒を乗り越えた今の雪兎を完全に殺すには至らない。 

 理不尽を一方的に叩き潰す因業の力は、宿主の感情に呼応してその肉体を著しく頑健なものへ造り替え、誰より周囲の無事を願い続けた雪兎だけを皮肉にも守り抜いた。

「ぐっ……何で……こんな惨いことを……」

 超高温に晒された挙げ句、大質量の瓦礫と共にシェイクされながらも致命傷に至ることすらなく、雪兎はガラス化した土砂を身体から引き剥がしながら立ち上がると、思わず呆然とする。

 先ほどまで周囲に立ち並んでいた物が何も無い。 

 大黒が文字通り血と汗と涙を流して築き上げた街も、巨大な偽装スクリーンも、確保してきた物資を収めた輸送用コンテナの残骸も、痛みに悶え苦しげに呻いていた人々も何も無い。

 そして……

「哀華……さん……?」

 哀華の気配が一切感じられないことに気が付くと、雪兎は忙しなく呼吸を繰り返し脂汗を流しながら身を震わせる。 

 こんなことだけは絶対に信じたくないと咄嗟に視線を巡らせると、程なくグレイスが変異したであろうボール状の防御壁が目に留まる。 

「グレイス……ありがとう……」

 彼の尽力によってきっと彼女の命も守られたのだろうと、雪兎は急いでそれにかじりつき切り開く。 

 だが防御壁の中に収められていたのは、ヒトほどの大きさの二つに分割された温もりの残る炭の塊だけ。 

 それが哀華の残骸であることに雪兎が気が付くのに、それほど時間はかからなかった。

「………………あぁ?」

 眼前に突き付けられた現実を受け止められず、雪兎はさっきまで哀華が生きていた場所を見おろしながら呆然と立ち尽くす。 

 そして何を思ったのか、勢いよく膝をつくと足下に散らばった炭の欠片を必死になって掻き集め始めた。 

 こんな馬鹿げたことがあっていいはずがない。 

 こんな残酷なことが起こっていいはずがないと、血まみれ灰だらけになって、愛しい人が生きていた痕跡を余さず両手の中に包み込む。

 しかしそれも易々と砕けて、雪兎の指の間から虚しく零れ落ちていった。 

 匂いも、鼓動も、言葉も、精神も、身体も、そして雪兎と契ったはずの未来も、全てが風と炎に煽られて虚無へと消えた。 

 最初からそこに何もなかったかとでも言うかのように。 

「ああうあぁ……」

 膝をついたままその場から動けなった雪兎が唯一絞り出せたのは、言葉にすらならない呻き声だけ。 

 その時になって雪兎は、本当に心の底から哀しい時には涙どころか言葉すらも零すことを出来ないのだと自らの身を以て思い知った。 

 遠くから壊れた鐘の声が聞こえる。 

 生きているもののいなくなった渓谷を無常に吹き抜ける風に煽られて、りんごん、りんごんと鳴り続けるが、一度響く都度に音の高さも周期も低く遅くなっていく。

「うぁあああ……ああああああああ……!!!!!」

 全身を虚脱させて、心が壊れる音を無意識に聞き続ける雪兎。 

 だが、さほど時を経たずして身体にも変化が生じる。 

 雪兎の体内から生じたのは、常人なら容易く目を潰すほどの強い光。 雪兎の心の奥底で厳重に封じられていたヒトに対する膨大な憎悪が、雪兎が授かった理不尽を叩き潰す因業の力と相互作用を生むと、先ほど炸裂した疑似反物質弾など比較にならないほどのエネルギーを瞬く間に創り出し、周辺地域の大気を纏めて膨張させて拡散させた。

 爆発的なエネルギーの拡大が、何とか形を保っていた鐘楼街のシンボルである巨大な鐘を叩き落とし、耳障りな断末魔を上げさせる。

 そして、それと入れ替わるように地上へ姿を顕したのは、冬の太陽のように眩しくもただ冷たいだけの光を放つエネルギーの奔流。 

 気を違わせる程の悲しみを宿したそれは、自ら龍のような姿を象ると、ヒトの気配のする方角めがけてゆっくりと動き始めた。

 通り過ぎた後に何者も住めない漂白された大地だけを残し、無機質に響き渡る風の音だけを共にして。

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