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第74話 逢瀬
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自称上級優良種に弾圧され続けた人々を救うという戦いは、彼らを鐘楼街付近に保護してからも三日三晩は休む暇なく続いた。
臭いを嗅ぎつけてやってきた追っ手や害獣共を殺し、性懲りも無く流言を撒こうとした敵側のアジテーターを吊し上げ、大黒の働きかけによって他の要塞都市や船団国家などから送られてきた特使の安全を確保する。
全ては一人でも多くの命を未来へ繋ぐため。
雪兎は自らにそう言い聞かせながら働き続けるも、今回無関係なはずの遠方の生存圏から伝わってくる軽薄な悪意は、疲弊した心神を次第に追い詰めていった。
解決の目処が立ったという大黒の鶴の一声によって、ようやく身体を休める時間と場所は与えられたが、今の雪兎にそれらを噛み締める余裕はない。
肉体的には人を超越した存在になったとしても、心は年齢相応の温和な青年のまま。
感じる疲労も苦痛も、そして理解されない悲しみも全てが容赦なく雪兎の心に重くのし掛かる。
「……っ」
故に少しでも精神的な苦しみを和らげようと、雪兎は簡素なベッドの上で泥のように昏々と眠リ続ける。
何も見たくない、聞きたくない、話したくもないと、限りなく死に近い闇の中に引きこもるように。
しかし負の感情に呼応して発生した悪夢からは逃げられず、明晰夢という檻の中で雪兎は過去の幻影にひたすら嬲られ続けていた。
「ああぅ……あぁ……」
気を紛らわせようとしているのか、無意識のうちに鋭い爪で身体を掻きむしるも効果はなく、迫害の記憶に追い立てられて雪兎は悶え続ける。
とうの昔に壊された心の器から漏れ出る涙を現すかのように、少なくはない鮮血と脂汗を流して。
しかしふと、雪兎が目元に温もりを感じた瞬間、心を覆っていた悪夢という暗雲が晴れ渡り、温かな闇の奥底から伸びてきた腕に抱き締められたような錯覚を覚えた。
「どうして貴方ばかりがこんな目に……」
朦朧とする意識の中に響く哀しげな声に導かれ、雪兎がゆっくりと瞼を押し上げる。
その先にあったのは瞳に憐憫の光を湛えて雪兎の顔を見つめる哀華の姿。
悪夢に魘され怯える雪兎の姿を傍観出来なかったのか、彼女は雪兎が流していた涙を拭いつつ、ずっとそばに寄り添い続けていた。
「哀華……さん……」
みっともない姿を見せたことを恥ずかしく思い、雪兎は咄嗟に身を起こそうとするも、そのままでいるよう哀華に身振りだけで促され、やむなく彼女に膝枕をされたまま尋ねる。
「もう、お手伝いをしなくても大丈夫なんですか?」
「余所の共同体から送られてきた医療用オートマトンやお医者様達が残りの仕事を引き継いで下さったの。 ここからはプロの領分だから貴女は働いた分しっかり身体を休めるようにって。 ……それに今の私から見れば貴方の方が辛そうに見えるから」
「大丈夫です。 だってどれだけ傷付けられても僕は……」
「嘘ついたって駄目よ」
哀華にいらぬ心配をさせぬよう、雪兎は少しでも元気に振る舞おうとするが、即座に空元気であることを見抜かれて二の句告げる暇すら与えられず、逆にどんどん言い負かされていく。
「こんなになるまで自分を傷付けておいて大丈夫なんて、納得できるわけないじゃない。 自分さえ騙せればいいなんて思わないで。 貴方が傷付くことで悲しむ人間だって少なくともいるんだから」
「あぁ……その……、すいません……」
哀華にしては珍しく強めの語気で言い寄られ、雪兎は大層気圧されながらも真摯に詫びを入れる。
別に悪気があって誤魔化したんじゃないと上手く回らない舌を必死に動かし、まるで隠し事がバレた子供のように過剰に慌てながら許しを請うが、そういう反応も織り込み済みだった哀華はただ何も言わぬまま、上気する雪兎の頭を愛おしそうに優しく抱き締めて応えた。
「ふぁえ……?」
「大丈夫だから落ち着いて、別に私は貴方を責めたりなんてしないから」
傷付いた身体を少しでも早く癒やせるにとその身を寄せてくる哀華に対し、雪兎もは気恥ずかしくて何も言えないまま大人しく彼女のなすがままになる。
そして哀華の要求通りに大人しく互いの肌の一部を接触させていると、ズタズタになった雪兎の体組織が数十秒もたたないうちに再構築され、引き裂かれる以前より強靱な皮膚と筋肉の繊維が雪兎の深かった傷口を塞いだ。
額に深々と刻まれた、雪兎の悔恨の刻印を除いては。
「ありがとうございます、この傷だけは残してくれて……」
多少体力を取り戻したのか、雪兎は片腕に力を込めて額の傷に手をやると、まるで子供の頭を撫でるようにその傷跡を優しく撫でる。
雪兎が授かった無軌道な暴力とは対極を成す、何よりも優しい慈愛の力。 その凄まじさを改めて噛み締めると、雪兎は思わず哀華に問う。
「どうして、貴女はグレイスの細胞を受け入れられたんです? 自分が自分で無くなってしまう可能性だってあったかもしれなかったのに」
「……あの時の私の気持ち、ようやく分かってくれたようで嬉しいわ。 貴方が訳の分からない怪物を宿して帰ってきた時の私の気持ちを」
「あのそれは……、すいません」
また無遠慮に無神経なことを言ってしまったと雪兎は思わず哀華に詫びを入れるが、哀華は別段気にした様子を見せず、雪兎の泣き腫らしたような目と自ら視線を交じわせる。
その瞬間、雪兎は哀華が内心強い不安に駆られていることを、極端に鋭敏化した五感と本能を通じて察した。
「貴方がその怪物を宿して戦ってくれなければもっと大勢の人が死んでいた。 だから私は貴方がやってきたことを否定なんてしない。 だからといっては難だけど、貴方も私の今回の選択を受け入れて欲しいの。 私の身を護るだけでなく、一人でも多くの人を救う為にこの植物の宿主になったことを」
見た目こそ平静を装っていても、次第に上昇していく彼女の体温と高鳴っていく鼓動が、哀華の心中で否定されることへの焦燥と恐怖が同居していることを証明し、彼女の顔色を否応が無く紅潮させていく。
哀華が決して誰にも見せなかった、ただの一人の女性としての弱々しさ。
それを間近で理解した雪兎は今まで以上に哀華の全てが愛おしく感じ、身を起こして哀華の手に己の両手を添えて力強く頷く。
すると哀華はホッとしたようにはにかんだ笑みを浮かべ、今度は自ら雪兎の胸に顔を埋め、力無く呟いた。
「強くなったわね雪兎。 昔は私の背中に隠れてずっとベソをかくことしか出来なかったのに、今は誰よりも先頭に立って皆を守ってやっている。 ……私が辿り着けないようなずっとずっと遠くで」
「そんなことは無いですよ、僕は今まで一度も自分一人で戦い抜けたことなんてない。 いつもいつだって、僕の足りないものを補ってくれる人達がいた。 貴女だって間違いなくその一人なんです」
自分は一人では取るに足らない存在だと、中途半端な存在なんだと伝えるために雪兎は哀華のそばに顔を寄せる。
すると哀華は何故か少し不満げに、雪兎の顔を上目遣いで見上げてわざとらしく悲しんで見せた。
「そう……、貴方にとっては私はただ応援してくれる大勢のうちの一人に過ぎないのね?」
「いやそれは違います! 決してそういう訳では!」
「だったら、今日は貴方の方から私のことを抱き締めてくれる? それも比喩ではなく本当の意味で」
「……へっ?」
哀華の意地悪な言い方に黙っていられず雪兎は思わずムキになって否定するが、それを逆手に取って哀華は雪兎を手を引くと、そのまま一緒に簡素なベッドの上に身を横たえる。
その途端、グロウチウムと世界樹の疑似細胞によって形成されたドーム状の結界がベッドを中心に発生し、何の変哲も無いうら若き男女は、横槍が入る心配も無い温かな空間の中へ完全に隔絶され、共に夢の中へ堕ちていった。
互いに奥手故に、容易には踏み出せなかった暖かな夢の中へと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『あーあー情けない、大の男が最後の最後まで主導権を握られっぱなしなんて』
『そう意地悪を言うなよカルマ、あれが彼らにとって一番良かった方法なんだ。 それとも彼女の意思を無碍にした酷いやり方をして欲しかったのかい?』
『そこまで言ってませんよ全く……』
それぞれの主人の様子を遠くから見守っていたカルマとグレイスは、彼らのプライバシーを尊重すべく最低限のセキュリティだけを残して出歯亀をやめる。
そうしてちょうど良い機会だとばかりに背後から近づいてきた気配へ意識を向けると、珍しくカルマの方から友好的に切り出す。
いやらしくにこやかに微笑みながら。
『こうやってじっくり話すのも久しぶりですね“ジャスティス” あの頃と比べると我ら“人あらざる知性”の同類も減って随分寂しくなりましたが、元気そうで何よりですよ』
『今さらそんな小っ恥ずかしい名前で呼ぶなよカルマ! 今の俺の名はジョン・ドゥだ! それ以上も以下でもない!』
「……遊ぶのは後にしていただけませんかね、我が艦隊が誇る大英雄殿」
雪兎に代わって、鐘楼街全域を見渡せる高台から難民達を見守っていたカルマ達の前に姿を現したのは、N.U.S.A.から特使+護衛として派遣され、今の今まで都市間の調整を任されたテレサとジョンの二人。
かつての名を今さら掘り起こされて仰天したジョンが、本来の任務も忘れてムキになり不定形のエネルギー体に変貌しながらカルマに抗議すると、その傍らに佇んでいたテレサが煩わしいとばかりに手短に要件を伝える。
「たった今交渉は終わったわ。 我々N.U.S.A.は鐘楼街側の要求を承認し、今回発生した難民の一部を新たな労働力として艦隊に引き受ける。 流石にいきなり自国民同等の扱いは出来ないけども、害獣や賊共に命を脅かされないだけ今よりマシなはず。 後は社会に馴染もうとする彼らの努力次第よ」
『それに加え、残った難民の行き先の配分も無事決まりつつある。 移り住んだ連中が暴動やら略奪やらを起こさない限りは、きっと死ぬまで安泰に暮らしていけるだろうさ』
難民キャンプに灯った小さくも温かな沢山の灯り。
それらを一瞥しながらテレサが事務的な口調で語り、ジョンがハンサムな笑みを浮かべながら補足をいれると、カルマは畏まって二人に向かい一礼する。
『皆に代わってお礼を言わせて下さい。 ありがとう御座います』
「礼なんて必要ないわ。 これは貴方達と多くの共同体のメリットが偶然合致したからこそ通った案件だから。 ……それに貴方達は第三者から見ても報われるべき善行を散々積んできている。 ここで我々が一方的に撥ね除けてしまっては、のちのち国を滅ぼしかねない汚点にもなり得るでしょうね」
『……善行? 私とユーザーはただ淡々と任務をこなしてきただけなのですが』
二人のいうことが理解しがたいのか、カルマが怪訝な表情を浮かべながら問い返すと、ジョンは今まで撮りためたドラグリヲの勇姿や、雪兎を救うために各所に働きかける大勢の人々の姿を、空気中に発生させたミニモニターに投影させながら豪快に笑った。
『君らが身体を張ってやってきたことは決して無駄なんかじゃなかったってことさ。 君らが救ってくれた大勢の命が、今度は君達に報いるために動いてくれた。 愚にもつかない大馬鹿野郎も確かに存在はするが、人間もまだまだ捨てたもんじゃないってことだ。 お前さんもそう思うだろうグレイス?』
『あぁ? まぁ……、昔のよしみに免じて今はそうだねと言っといてやるよ』
唐突に話題を振られて返事を躊躇うも、グレイスは暫しの思考の後その言葉を否定せず、ただ苦笑してみせる。
人類を破滅に導いた存在に最も近い存在でありながらジョンの言葉を受け入れられたのは、哀華を主人としてその慈愛に満ちた精神をそばで見てきたからに他ならない。
『まぁ何にしても、これからリンの犠牲が大衆に周知されてしばらくは混乱が続くだろうが、彼女以上の力を持つ者が生まれた今、彼らの動揺が鎮まる日も遠くは無いだろう』
『……えぇそうですね、そうであってくれなければ困ります』
グレイスが前向きな態度でジョンと語らうその傍ら、カルマは歯切れの悪い言葉で適当に相槌を打つも内心強い疑念に駆られて、気楽な同胞二人から目を逸らす。
“絶対にやりかえされないから”
ただそれだけの理由で雪兎を槍玉に挙げて不当に貶め続けた衆愚の醜さを、ネットワークを通じて直接イヤでも見せ付けられた故に、カルマはグレイスとジョンのような希望を得ることが出来ず、ただ雪兎の心がこれ以上踏みにじられないことを願っていた。
誰よりも嘆き苦しみ、痛み/悼みに身を捩らせ続けた愚直で優しい主人が、これ以上誰にも傷つけられないようにと。
臭いを嗅ぎつけてやってきた追っ手や害獣共を殺し、性懲りも無く流言を撒こうとした敵側のアジテーターを吊し上げ、大黒の働きかけによって他の要塞都市や船団国家などから送られてきた特使の安全を確保する。
全ては一人でも多くの命を未来へ繋ぐため。
雪兎は自らにそう言い聞かせながら働き続けるも、今回無関係なはずの遠方の生存圏から伝わってくる軽薄な悪意は、疲弊した心神を次第に追い詰めていった。
解決の目処が立ったという大黒の鶴の一声によって、ようやく身体を休める時間と場所は与えられたが、今の雪兎にそれらを噛み締める余裕はない。
肉体的には人を超越した存在になったとしても、心は年齢相応の温和な青年のまま。
感じる疲労も苦痛も、そして理解されない悲しみも全てが容赦なく雪兎の心に重くのし掛かる。
「……っ」
故に少しでも精神的な苦しみを和らげようと、雪兎は簡素なベッドの上で泥のように昏々と眠リ続ける。
何も見たくない、聞きたくない、話したくもないと、限りなく死に近い闇の中に引きこもるように。
しかし負の感情に呼応して発生した悪夢からは逃げられず、明晰夢という檻の中で雪兎は過去の幻影にひたすら嬲られ続けていた。
「ああぅ……あぁ……」
気を紛らわせようとしているのか、無意識のうちに鋭い爪で身体を掻きむしるも効果はなく、迫害の記憶に追い立てられて雪兎は悶え続ける。
とうの昔に壊された心の器から漏れ出る涙を現すかのように、少なくはない鮮血と脂汗を流して。
しかしふと、雪兎が目元に温もりを感じた瞬間、心を覆っていた悪夢という暗雲が晴れ渡り、温かな闇の奥底から伸びてきた腕に抱き締められたような錯覚を覚えた。
「どうして貴方ばかりがこんな目に……」
朦朧とする意識の中に響く哀しげな声に導かれ、雪兎がゆっくりと瞼を押し上げる。
その先にあったのは瞳に憐憫の光を湛えて雪兎の顔を見つめる哀華の姿。
悪夢に魘され怯える雪兎の姿を傍観出来なかったのか、彼女は雪兎が流していた涙を拭いつつ、ずっとそばに寄り添い続けていた。
「哀華……さん……」
みっともない姿を見せたことを恥ずかしく思い、雪兎は咄嗟に身を起こそうとするも、そのままでいるよう哀華に身振りだけで促され、やむなく彼女に膝枕をされたまま尋ねる。
「もう、お手伝いをしなくても大丈夫なんですか?」
「余所の共同体から送られてきた医療用オートマトンやお医者様達が残りの仕事を引き継いで下さったの。 ここからはプロの領分だから貴女は働いた分しっかり身体を休めるようにって。 ……それに今の私から見れば貴方の方が辛そうに見えるから」
「大丈夫です。 だってどれだけ傷付けられても僕は……」
「嘘ついたって駄目よ」
哀華にいらぬ心配をさせぬよう、雪兎は少しでも元気に振る舞おうとするが、即座に空元気であることを見抜かれて二の句告げる暇すら与えられず、逆にどんどん言い負かされていく。
「こんなになるまで自分を傷付けておいて大丈夫なんて、納得できるわけないじゃない。 自分さえ騙せればいいなんて思わないで。 貴方が傷付くことで悲しむ人間だって少なくともいるんだから」
「あぁ……その……、すいません……」
哀華にしては珍しく強めの語気で言い寄られ、雪兎は大層気圧されながらも真摯に詫びを入れる。
別に悪気があって誤魔化したんじゃないと上手く回らない舌を必死に動かし、まるで隠し事がバレた子供のように過剰に慌てながら許しを請うが、そういう反応も織り込み済みだった哀華はただ何も言わぬまま、上気する雪兎の頭を愛おしそうに優しく抱き締めて応えた。
「ふぁえ……?」
「大丈夫だから落ち着いて、別に私は貴方を責めたりなんてしないから」
傷付いた身体を少しでも早く癒やせるにとその身を寄せてくる哀華に対し、雪兎もは気恥ずかしくて何も言えないまま大人しく彼女のなすがままになる。
そして哀華の要求通りに大人しく互いの肌の一部を接触させていると、ズタズタになった雪兎の体組織が数十秒もたたないうちに再構築され、引き裂かれる以前より強靱な皮膚と筋肉の繊維が雪兎の深かった傷口を塞いだ。
額に深々と刻まれた、雪兎の悔恨の刻印を除いては。
「ありがとうございます、この傷だけは残してくれて……」
多少体力を取り戻したのか、雪兎は片腕に力を込めて額の傷に手をやると、まるで子供の頭を撫でるようにその傷跡を優しく撫でる。
雪兎が授かった無軌道な暴力とは対極を成す、何よりも優しい慈愛の力。 その凄まじさを改めて噛み締めると、雪兎は思わず哀華に問う。
「どうして、貴女はグレイスの細胞を受け入れられたんです? 自分が自分で無くなってしまう可能性だってあったかもしれなかったのに」
「……あの時の私の気持ち、ようやく分かってくれたようで嬉しいわ。 貴方が訳の分からない怪物を宿して帰ってきた時の私の気持ちを」
「あのそれは……、すいません」
また無遠慮に無神経なことを言ってしまったと雪兎は思わず哀華に詫びを入れるが、哀華は別段気にした様子を見せず、雪兎の泣き腫らしたような目と自ら視線を交じわせる。
その瞬間、雪兎は哀華が内心強い不安に駆られていることを、極端に鋭敏化した五感と本能を通じて察した。
「貴方がその怪物を宿して戦ってくれなければもっと大勢の人が死んでいた。 だから私は貴方がやってきたことを否定なんてしない。 だからといっては難だけど、貴方も私の今回の選択を受け入れて欲しいの。 私の身を護るだけでなく、一人でも多くの人を救う為にこの植物の宿主になったことを」
見た目こそ平静を装っていても、次第に上昇していく彼女の体温と高鳴っていく鼓動が、哀華の心中で否定されることへの焦燥と恐怖が同居していることを証明し、彼女の顔色を否応が無く紅潮させていく。
哀華が決して誰にも見せなかった、ただの一人の女性としての弱々しさ。
それを間近で理解した雪兎は今まで以上に哀華の全てが愛おしく感じ、身を起こして哀華の手に己の両手を添えて力強く頷く。
すると哀華はホッとしたようにはにかんだ笑みを浮かべ、今度は自ら雪兎の胸に顔を埋め、力無く呟いた。
「強くなったわね雪兎。 昔は私の背中に隠れてずっとベソをかくことしか出来なかったのに、今は誰よりも先頭に立って皆を守ってやっている。 ……私が辿り着けないようなずっとずっと遠くで」
「そんなことは無いですよ、僕は今まで一度も自分一人で戦い抜けたことなんてない。 いつもいつだって、僕の足りないものを補ってくれる人達がいた。 貴女だって間違いなくその一人なんです」
自分は一人では取るに足らない存在だと、中途半端な存在なんだと伝えるために雪兎は哀華のそばに顔を寄せる。
すると哀華は何故か少し不満げに、雪兎の顔を上目遣いで見上げてわざとらしく悲しんで見せた。
「そう……、貴方にとっては私はただ応援してくれる大勢のうちの一人に過ぎないのね?」
「いやそれは違います! 決してそういう訳では!」
「だったら、今日は貴方の方から私のことを抱き締めてくれる? それも比喩ではなく本当の意味で」
「……へっ?」
哀華の意地悪な言い方に黙っていられず雪兎は思わずムキになって否定するが、それを逆手に取って哀華は雪兎を手を引くと、そのまま一緒に簡素なベッドの上に身を横たえる。
その途端、グロウチウムと世界樹の疑似細胞によって形成されたドーム状の結界がベッドを中心に発生し、何の変哲も無いうら若き男女は、横槍が入る心配も無い温かな空間の中へ完全に隔絶され、共に夢の中へ堕ちていった。
互いに奥手故に、容易には踏み出せなかった暖かな夢の中へと。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『あーあー情けない、大の男が最後の最後まで主導権を握られっぱなしなんて』
『そう意地悪を言うなよカルマ、あれが彼らにとって一番良かった方法なんだ。 それとも彼女の意思を無碍にした酷いやり方をして欲しかったのかい?』
『そこまで言ってませんよ全く……』
それぞれの主人の様子を遠くから見守っていたカルマとグレイスは、彼らのプライバシーを尊重すべく最低限のセキュリティだけを残して出歯亀をやめる。
そうしてちょうど良い機会だとばかりに背後から近づいてきた気配へ意識を向けると、珍しくカルマの方から友好的に切り出す。
いやらしくにこやかに微笑みながら。
『こうやってじっくり話すのも久しぶりですね“ジャスティス” あの頃と比べると我ら“人あらざる知性”の同類も減って随分寂しくなりましたが、元気そうで何よりですよ』
『今さらそんな小っ恥ずかしい名前で呼ぶなよカルマ! 今の俺の名はジョン・ドゥだ! それ以上も以下でもない!』
「……遊ぶのは後にしていただけませんかね、我が艦隊が誇る大英雄殿」
雪兎に代わって、鐘楼街全域を見渡せる高台から難民達を見守っていたカルマ達の前に姿を現したのは、N.U.S.A.から特使+護衛として派遣され、今の今まで都市間の調整を任されたテレサとジョンの二人。
かつての名を今さら掘り起こされて仰天したジョンが、本来の任務も忘れてムキになり不定形のエネルギー体に変貌しながらカルマに抗議すると、その傍らに佇んでいたテレサが煩わしいとばかりに手短に要件を伝える。
「たった今交渉は終わったわ。 我々N.U.S.A.は鐘楼街側の要求を承認し、今回発生した難民の一部を新たな労働力として艦隊に引き受ける。 流石にいきなり自国民同等の扱いは出来ないけども、害獣や賊共に命を脅かされないだけ今よりマシなはず。 後は社会に馴染もうとする彼らの努力次第よ」
『それに加え、残った難民の行き先の配分も無事決まりつつある。 移り住んだ連中が暴動やら略奪やらを起こさない限りは、きっと死ぬまで安泰に暮らしていけるだろうさ』
難民キャンプに灯った小さくも温かな沢山の灯り。
それらを一瞥しながらテレサが事務的な口調で語り、ジョンがハンサムな笑みを浮かべながら補足をいれると、カルマは畏まって二人に向かい一礼する。
『皆に代わってお礼を言わせて下さい。 ありがとう御座います』
「礼なんて必要ないわ。 これは貴方達と多くの共同体のメリットが偶然合致したからこそ通った案件だから。 ……それに貴方達は第三者から見ても報われるべき善行を散々積んできている。 ここで我々が一方的に撥ね除けてしまっては、のちのち国を滅ぼしかねない汚点にもなり得るでしょうね」
『……善行? 私とユーザーはただ淡々と任務をこなしてきただけなのですが』
二人のいうことが理解しがたいのか、カルマが怪訝な表情を浮かべながら問い返すと、ジョンは今まで撮りためたドラグリヲの勇姿や、雪兎を救うために各所に働きかける大勢の人々の姿を、空気中に発生させたミニモニターに投影させながら豪快に笑った。
『君らが身体を張ってやってきたことは決して無駄なんかじゃなかったってことさ。 君らが救ってくれた大勢の命が、今度は君達に報いるために動いてくれた。 愚にもつかない大馬鹿野郎も確かに存在はするが、人間もまだまだ捨てたもんじゃないってことだ。 お前さんもそう思うだろうグレイス?』
『あぁ? まぁ……、昔のよしみに免じて今はそうだねと言っといてやるよ』
唐突に話題を振られて返事を躊躇うも、グレイスは暫しの思考の後その言葉を否定せず、ただ苦笑してみせる。
人類を破滅に導いた存在に最も近い存在でありながらジョンの言葉を受け入れられたのは、哀華を主人としてその慈愛に満ちた精神をそばで見てきたからに他ならない。
『まぁ何にしても、これからリンの犠牲が大衆に周知されてしばらくは混乱が続くだろうが、彼女以上の力を持つ者が生まれた今、彼らの動揺が鎮まる日も遠くは無いだろう』
『……えぇそうですね、そうであってくれなければ困ります』
グレイスが前向きな態度でジョンと語らうその傍ら、カルマは歯切れの悪い言葉で適当に相槌を打つも内心強い疑念に駆られて、気楽な同胞二人から目を逸らす。
“絶対にやりかえされないから”
ただそれだけの理由で雪兎を槍玉に挙げて不当に貶め続けた衆愚の醜さを、ネットワークを通じて直接イヤでも見せ付けられた故に、カルマはグレイスとジョンのような希望を得ることが出来ず、ただ雪兎の心がこれ以上踏みにじられないことを願っていた。
誰よりも嘆き苦しみ、痛み/悼みに身を捩らせ続けた愚直で優しい主人が、これ以上誰にも傷つけられないようにと。
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ファンタジー
【短いあらすじ】
普通を勘違いした魔界育ちの少女が、王都に旅立ちうっかり無双してしまう話(前世は病院少女なので、本人は「超健康な身体すごい!!」と無邪気に喜んでます)
【まじめなあらすじ】
主人公のフィアナは、前世では一生を病院で過ごした病弱少女であったが……、
「健康な身体って凄い! 神さま、ありがとう!(ドラゴンをワンパンしながら)」
転生して、超健康な身体(最強!)を手に入れてしまう。
魔界で育ったフィアナには、この世界の普通が分からない。
友達を作るため、王都の学園へと旅立つことになるのだが……、
「なるほど! 王都では、ドラゴンを狩るには許可が必要なんですね!」
「「「違う、そうじゃない!!」」」
これは魔界で育った超健康な少女が、うっかり無双してしまうお話である。
※他サイトにも投稿中
※旧タイトル
病弱少女、転生して健康な肉体(最強)を手に入れる~友達が欲しくて魔境を旅立ちましたが、どうやら私の魔法は少しおかしいようです~
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