鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第72話 選別

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「予想通り餌に食いつきましたな。 まぁ下等猿の浅知恵だとこれが限界でしょう。 臓器以外に価値もない猿を救ったところで、結局得られるものなど皆無に等しいでしょうに」
「その愚かさ故に奴はこれから地獄を見る。 我々、道徳的頂点に君臨する上級知的生命体が知性の粋を以てして練り上げた策によってなぁ」
「単純な力だけが全てを支配する時代は世界樹が現れる以前に終わった。 超限戦こそ文明社会の中でしか生きていけない人間に対して最大限に効果的な戦い方。 あの情夫が身の程をわきまえず、あくまで人間としての存在にしがみつくつもりなら、我々はあらゆる手段を用いて奴を人類の輪から叩き出してやろう」

 己等自身も人類の範疇に囚われ続けている現実から逃避しつつ、全人類の遠大な自殺を計画していたのは、サンドマンが手慰みに寄越した戦力を用いてたちまち権力の座へ返り咲いた簒奪者の残党達。 

 彼らは雪兎が生存圏から留守にしている間に、社会を構成するあらゆる分野へ工作員やアジテーターを送り込むと、暴力を除いたあらゆる手段を講じて雪兎を人類社会から放逐する為の仕込みを始めていた。

 以前ならば人類を裏切った輩が生存圏に出現する都度にアルフレドが不穏分子の居場所を検知し、首領が自らの手で見せしめに惨たらしく鏖殺していたが、その両名が身罷った今、裏切り者共の蛮行を止める者はもういない。 

 各々が悠々自適勝手気ままにくつろぎながら、如何に雪兎の心に傷を残せるかを考え続けている。

「ありがたいことに、奴が連れて行った忌々しいピュアグロウチウムの小娘はこちらの活動に対し今後“何があっても”一切干渉しない旨を通告してきた。 最早後顧の憂いはない! 今こそ先方の望み通り、身体を売ってのし上がったあの汚らしい情夫から何もかも奪って差し上げようではないか」
「権利を」
「財産を」
「名誉を」
「証明を」
「安寧を」
「信頼を」
「そして最後には……ブフッ……!」

 その場にいた誰もが順に仰々しく口上を述べていき、最後に残された男が気色悪い笑みを浮かべながら吹き出すと、その場に居合わせた皆が皆、示し合わせたように笑い出した。 

 今まで何度も衝突を繰り返したが、どうすれば雪兎の心を粉々に出来るのか、ようやく目星が付いたようで互いに拳を付き合わせて笑う。

 そうして彼らは会議ごっこを手早く切り上げると、サンドマンから借りた次元潜行式ドローンカメラを駆使し、雪兎らが直面している危機を絶対的安全な立場から眺めながら悦に浸り始めた。

 ドラグリヲから飛び出して輸送機に直接乗り込もうとする雪兎が映り込む度にブーイングが会場を満たし、マサクゥルが放った熱線で既に救う術がなかった人々が輸送機ごと溶融させられる都度に大歓声をあげる。

 それはまさに醜悪の極み。 

 人間の罪を煮詰めて生み出したような正真正銘のゲスの集いであった。

 そんな彼らに対し、自分から再起を持ちかけたはずのサンドマンは一切興味をなくしてしまったようで、ゲス共の鑑賞会の傍ら、受けた注文に対して適当な発注を繰り返すと、それ以上は一切干渉せず無言で彼らのもとから足早に立ち去っていく。

「可哀想に、あんな“害獣”なんざに肩入れしなければ坊やも傷付くことなどなかっただろうにな」

 人間社会を破壊することに特化された能力を持つサンドマンにとって、彼らの思考を読むことなど歩くよりも容易かったものの、流石の彼であっても道ばたに転がった犬の糞より価値のない下劣な品性の持ち主達と延々と接し続けることは辛かったのか、深々とため息を吐いて冷たい壁に寄りかかると、これ以上はうんざりだとばかりに顔を顰める。

「いや、坊やだけじゃない。 畏れ多くも我らが世界樹の前に立ちはだかった勇士達も、あんな間抜け共を守ろうと考えず降伏していれば、世界樹の庇護のもとで良い生活を送れたはずだろうにな」

 首領らと同じく歴史の生き証人であるが故、大昔に繰り広げられたことをまるで昨日起きたことのように思い起こしながら、サンドマンは残念そうに呟く。 

 そして付近にあった備えられていた窓にふと視線を寄越すと、憂いたような表情を作って見せながら口を開いた。

「なぁ、お前だってそう思うだろう。大財閥の御曹司様よ。 ……いや、今は蛸野郎の単なる小間使いに成り下がったんだったか」

 誰もいないはずの空間に向かって、サンドマンは何故か何度もねちっこく呼びかける。 

 すると、それに応えるかのように突然窓の外の景色が時計回りに回転しながら歪み、果てに深い次元の裂け目が形成される。 

 刹那、そこから猛烈な勢いで飛び出したグロウチウムテンタクルがサンドマンの眉間を深々と貫いた。

 形成された裂け目の奧から凄まじい殺意を伴って顔を見せたのは、雪兎を見舞って以来姿を消していた馳夫が搭乗したスキュリウス。 

 世界樹直系の怪物の力を得て成長しつつあるそれは、内部から馳夫の罵声を盛大に響かせながら上半身を現実空間へ顕現させる。

「何を偉そうな戯れ言をほざいてやがるゴミ虫野郎。 すまし面で格好付けたこと抜かしているが、結局は全てテメェの仕込みだろうが!」
「さぁなんのことだか、お前が何を言っているのか私には理解に苦しむね。 俺は直接あいつらにああしろこうしろなんて手取り足取り指示した事なんて一度もないからなぁ!」

 スキュリウスによって強制的にリンボの中へと引き込まれながらも、サンドマンは怯む様子を見せるどころか却って楽しげに哄笑してみせると両手で中指を立てて見せながら、馳夫に対して挑発を繰り返す。

「馬鹿め、今さらここで俺を殺して一回休みにしたところで無駄だと分からないか! いくら心ある賢人が尽力しようと所詮は少数! 絶対的多数を誇る低脳猿の暴力的奔流は決して止められん!」
「知るか! 無駄だろうが何だろうが、俺は今テメェを殺さずにはいられないのよ!!!」

 無駄に口が回る者同士、両者は口汚く罵倒を浴びせ合いながら瞬く間に戦闘態勢を整えると、無限に広がるリンボの中を縺れ合うように落下していく。

 前もって残機に仕込んでおいた害獣の肉片と世界樹の木片を急成長させて己の新たな戦闘用の木偶としたサンドマンと、星海魔から新たに支給されたデバイスを装備して大幅に強化されたスキュリウス。

 彼らが戦闘を開始すると、双方がそれぞれ所属する陣営の生体戦艦群が即座にワープアウトして現れ、そこを戦場とし、新たな海戦を開始した。

 地上とは次元という薄皮一枚隔てた空間で、星を容易く焼き尽くすような大海戦を。

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

「くっ、この輸送機も駄目なのか……!」
「分かったならさっさと退きな! 仕事の邪魔だよ!」

 ミシカからの罵声混じりの警告を受け、雪兎が臨検中だった輸送機から飛び降りた瞬間、殺戮メーサーと粉砕パルスが容赦なく飛来し、ついさっきまで人が生きて乗っていた機体をこの地上から抹消した。 

 はたから見れば犠牲になった人の声など聞こえようもないが、人の気配からその感情を察することが出来るようになった雪兎にその逃げは通じず、死にたくないという絶叫が一切減衰することなく雪兎のもとへ届けられる。

「……畜生!」

 カルマが設置した即席エアロックを何度も潜り抜け、それぞれの輸送機内に拘束されていた難民達に幾度も向き合い、雪兎はできる限りのことをしてやろうと尽力する。

 雪兎の予想は当たっていた。 

 何の仕込みも受けず、何も知らされぬまま輸送機に叩き込まれた人々は確かにいた。 

 だが、簒奪者共の悪意に晒されて苦しみの渦中へと投げ込まれた無辜の民はそれ以上に多く、各々の輸送機内で多大な混乱が生み出されていた。

 ここに運ばれる以前に脳に寄生虫型害獣を突っ込まれ、間接的に人を殺すくらいならと尊厳死を懇願する者。 爆弾の類いを肉体の要所に埋め込まれ、五体不満足にされるか殺されるかを恐れるあまりに気が狂った者。 都市間ネットワークを介して休みなく流される偏向報道を信じ込み、雪兎を化け物呼ばわりしながら他の乗客ごと殺そうとする者。 訳も分からずただ死にたくないと喚きながらすがりつく者と、簒奪者共によって心を壊されてしまった人々の言動が、図らずも雪兎の心身を揺るがす。

 “雪兎が気に入らない”という限りなく幼稚で馬鹿げた言い草のせいで大勢の人間が病み、傷付き、死んでいく。 

 その事実は、何の非がないはずの雪兎の心に大きな傷をつけ、酷く膿ませていた。

「惨い……、何故こんな馬鹿げた真似を思いつくんだ……!」
「外道の考えを理解しようとしても無駄だよ。 だから今は手足を動かすんだ。 自分が出来ることだけに意識を向ければ少なくとも気は紛れる。 悩むならあとで幾らでも悩めばいい」

 生かすべき命の選定を延々と強要され、死んだような表情をして呟く雪兎の耳に大黒の励ましが虚しく響く。 

 その言葉に促され、雪兎は眼下に広がる荒野にぼんやりと視線をやると、突然失速して地面に激突しかけた輸送機を受け止めたレミング型戦闘支援端末の群れが、急いで鐘楼街の方角へ走り去るのが見えた。

「私達のやっていることは決して無駄ではないはず。 だから今だけは前を見るんだ。 この両手から零れ落ちる命が、少しでも少なくて済むように」
「分かってます、分かってますよ僕にだってそんなことは!」
「……ああそうか、そうだよな。 悪かったよ」

 大黒の言葉に悪意はないと分かっていながらも、雪兎は無意識のうちにヒステリックに語気を荒立ててしまい、一人心の中で後悔する。 

 もっとも、対する大黒は雪兎の気持ちを痛いほど理解している為、不機嫌な様子を見せるどころか、却って雪兎への憐憫の情を際立たせながら救助を続行した。 

 パラシュートを無理矢理着せられて飛び降りを強制された難民達を一人残らず回収し、鐘楼街付近に設営された難民キャンプへ送ってはまた新しく現れた保護対象を戦闘支援端末に担がせ、離脱させていく。

『全体の90%の処理を完了。 この調子でいけば鐘楼街への神風だけは阻止できそうですね』
「本当にそう思えるかいおチビさん? こんな真似を平気でしでかす輩が、この程度の嫌がらせで済ませるとはアタシは到底思えないな」
『……!』

 保護にせよ撃墜にせよ、鐘楼街目掛けて飛んでいく輸送機の数が減っていく事に安堵していたカルマへ意外にもミシカが忠告を入れると、カルマも何かを感じ取ったのかすぐさま前言撤回して索敵に移る。

 ――数秒後、次の輸送機のもとへ向かおうとしていた雪兎の耳に聞きたくもなかった情報が淡々ともたらされた。

「ユーザー、残念ですがレスキュー活動はここまでのようです。 付近に複数の次元亀裂の予兆を確認。 解析の結果、複数体のメガリスがここへ転移してくることが分かりました」
「馬鹿なメガリスだと!? あの砂野郎!!! あのダニ共のスポンサーにでもなったつもりかよふざけやがって!!!」
「……流石にあの超兵器相手はアタシらにはお手上げだ。 真継、悪いが殲滅を頼む。 一機でも抜けられたが最後、あの街で生きている人間は3秒かからず皆殺しにされる」
「あぁ任せてくれよ、奴に靡くクソ野郎共に明日なんてやらない!」
「何もかも君に背負わせてしまってすまない。 何とか無事に生きて還ってきてくれ!」

 一連の通信の後、輸送機を伴って脇目も振らず撤退していくマサクゥルと王鼠を背にし、ドラグリヲはたった一機殿として廃墟の上空に留まると、フォース・メンブレンとアイトゥング・アイゼンを起動させ、雄々しく鋼の翼を広げる。

 基本的スペックと頭数の差を考えれば、本来ドラグリヲに勝ち目など一切ないが、雪兎というイレギュラーな存在と一体となった今、そんなものは何の当てにもならない。

「丸腰の相手を一方的に嬲るつもりだったんだろうが残念だったな、これから地獄を見るのはテメェらのほうだ。 理不尽に人の命を弄んだことを地獄で後悔させてやる!!!」

 死にたくないと叫びながら死んでいった人々の悲しみと苦しみと絶望を一身に受け、雪兎は握り込んだ拳から血を滲ませながら啖呵を切ると、リンボへの裂け目から姿を現したメガリス目掛けてドラグリヲを飛翔させた。

 心の底から溢れ出る怒りに、荒れ狂う殺意の行き先を委ねて。
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