鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第66話 殺戮

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 元が何であったのか分からなくなるほど混ざりあった謎の悪臭が、ただでさえ苛立っていた雪兎の気分を急速に損ねていく。 

 リンボへ渡る技術を応用して造られた防衛装置や、最新鋭の装備を身に纏った最精鋭の兵隊による警備といった、厳重な警備体制が敷かれていた先に存在していたのは、とてつもなく悪趣味な意匠があちこちに拵えられたエリア。

 まるで旧時代のオカルト全盛期に流行った秘密結社の噂をそのまま体現させたかのような、下品で陰惨な印象のレリーフが一面に彫られた無人の区画を一気に駆け抜けると、雪兎はついに最奥へと到達する。

「カルマ、お前は引き続きデータの収集を頼む。 僕はこれからインタビューを始めるからな」
『了解しました、全ては貴方の御意志のままに』

 後々、正義の味方ヅラしてお題目を振りかざすであろう無責任な第三者を論理的に叩き潰す為、シェルター外からデータの収集を行っていたカルマに途中経過を伝えると、雪兎は最奥に続く分厚い金属扉を蹴破り、地下には似つかわしくないほど光量に富んだ空間の中に足を踏み入れた。

 質量弾か、エネルギー兵器か、それともアーマメントビーストの類いか。 

 必ず何らかの抵抗があると踏んでいた雪兎は、それぞれの手で掴んでいた武器を構えて襲撃を待つ。 

 しかし、臨戦態勢に入っていた雪兎を迎えたのは攻撃でも罵声でも無く、わざとらしい歓声であった。

「お待ちしておりました! 偉大なる首領の後継者、真継雪兎君!」

 いつでも敵の首を刎ねられるよう身構えていた雪兎に拍手を浴びせるのは、雪兎も一度は都市間ネットワークで顔を見たことのある著名人達。 

 公の立場があるものから後ろ暗い商売人まで、集まっていたものの身分こそ多岐に渡るが、全員に共通していたのは大衆の知名度こそ高いものの、その筋の人間からはすこぶる評判の悪いアジテーターであること。 

 そしてスキャンダルが大好きなはずのメディアが決して噛み付こうとしないアンタッチャブル揃いであることだった。

「なるほど、すべては首領の後釜を狙っての狼藉だったって訳か。 ありったけの投資をして送りつけたクソ野郎が役立たずで残念だったな」
「そんな滅相も無い! 我々はただ君を試しただけなのです! 君が本当に首領の座を継ぐに相応しいのかを!」
「……試すだと?」
「そうです! 全ては人類の未来の為に行った訳でありまして、決して君を敵に回すために行った訳では御座いません!」

 メットをスーツ内に格納し、殺意の篭もった言葉と共に銃口を上げた雪兎を何とか騙くらかそうと、簒奪者達は雪兎の靴を舐めん勢いで弁明を開始する。

 小賢しくも、雪兎がここに到着してから見てくれだけは取り繕う猶予があったようだが、雪兎を完全に欺き通すにはそれだけではとても足りない。 

 カルマが既に回収したサーバーデータを差し引いても、新鮮な人の血の臭い、ご禁制の薬品の臭い、そして焼却処分された死体の臭い。 

 それら全ての状況証拠と、外道共自身から漂う死臭が、雪兎にこの上なく最悪な予感をもたらす。

「それでここは何だ? 首領はここのことを知っていたのか?」
「ええ勿論です! ここは我々のように清潔な選ばれし人間だけが通うことを許される社交場。 人類に多大な貢献を重ねてきた、人間中の人間だけが足を踏み入れることを理想郷であり、首領お気に入りの場所で御座いました!」

 一から十まで全てでまかせであることを悟られているにも関わらず、簒奪者達は尚も痛々しくて下らない言い訳を続けるが、雪兎はそれらすべてを黙って聞き流すと、本能的に不快な気配に惹かれるように遊技場と書かれたエリアへ勝手に足を踏み入れていく。

 華美な装飾が際立つホールと様子が変わり、正体不明の不潔な液体で汚れた痕跡があちこちに目立つ通路。 

 休憩室、交配室、分娩室、手術室、狩猟場、調理場と、不穏な表札があちらこちらに吊してある中で、ふと雪兎は貴賓室と書かれた表札が吊された区画の前で立ち止まる。 

 大量の人の死骸があしらわれた、人の革張りの扉の前で。

「こんな悪趣味な仕事で金が貰えるなんて、パトロンのいるデザイナーってのは楽な仕事だな」

 まだ子供の書いた絵の方が趣があると零しつつ、雪兎は遠慮無くその扉を蹴破ると、その奧で黙々と作業を行っていた者達と偶然視線が合った。 

 大量に置かれた檻の前で、緩慢な動きをぎこちなく繰り返して雑務をこなす傍ら、要領を得ない拙い語調でこの世の全てを恨むような独り言を延々と呟き続けている使用人達。

 彼らは扉を乱暴に蹴破られても動揺することなく、黙って地面に頭をこすりつけるようにしておじぎをした後、壁に開けられた穴の中へ自らすみやかに入りこみ、そのまま雪兎の視界から消えていった。

「またいやなことをさせられる」
「そしてきもちわるいってぼくたち/あたしたちのせいにする」
「なんでみんなしてぼくたち/あたしたちばっかりをばかにしてわらうんだ」

 普段の扱いが余程劣悪なのか、壁の中から伸びる伝声管から聞こえてくる声からは一切前向きに感じられる言葉は無い。

 それらの怨嗟の呟きが虚空に消えて数秒経った後、代わりに今度は檻の奧からちらほらと人の影が現れる。 

 長い間幽閉されていたのか、多くの人々が疲れ果て痩せ細っており、その顔には一切生気を感じられない。

「また新しいゲストのご登場か。 最近は勧誘が上手くいっているようで反吐が出る」
「しかもこんな若造までもが異常性癖のサイコ野郎共の同類とは、人の未来はさぞかし暗いだろうよ」

 呆然として周囲を見渡す雪兎の頭上から、辛うじて元気が残っていた人々の力無い嘲笑と罵倒が響く。 

 さらにその中の一人が雪兎の顔を認識すると、彼は心底失望したかのように口端の歪めながら有りっ丈のイヤミを雪兎に向けて吐き付けた。

「これはこれは、誰かと思えば噂に名高い首狩り兎の坊やじゃないか。 よりによってこんなところに通されるとは、首領も地獄で随分お嘆きだろう」
「違う、僕は外道共へ相応の報いを受けさせる為にここに来た。 でなければわざわざ屑の掃きだめなんかに来やしない」
「ほお……、そりゃ悪かったな。 もうちょい早く来てくれれば満点をくれてやってもよかったがね」

 皮肉をぶつけてやる格好の機会のはずが肩すかしを喰らったと、雪兎に侮蔑の視線を浴びせていた人々は興味を失って早々に檻の奧へと引っ込もうとするが、事情を知らない雪兎は少しでも情報を得ようと慌てて声を張り上げて彼らを呼び止める。

「待って下さい! 貴方達はどうしてこんな場所に囚われているんです!?」
「そりゃ自分が一番賢くて偉くて道徳的上位に存在すると思い込んでいる傲慢な野蛮人共にとって、我々は心底邪魔な存在だからよ」

 携えていた銃と刃物を一旦収め、収容所よろしく壁沿いにずらっと並んだ檻全てに視線を巡らせながら問う雪兎に対し、痩せ細った人々はただ淡々と言葉を紡ぐ。

「我々は君のような兵士達を銃後にて支え続けてきた。 秩序だった高度な文明社会の向上と維持という太古から変わらぬ手段でな」
「たとえどれだけ厳しい環境に晒されても、国というシステムを心を殺して動かし続ける優秀で哀れな権力者達と、法に基づいて黙々と労働をこなせる愚かしくも忍耐強い民草がいれば、社会という巨大な獣が滅ぶことは無い」
「故に我々は君のことが嫌いだった、君の上司である首領殿のことも。 誰もが求めてやまない無双の力を一方的に振りかざし、法を逸脱して正義や善を騙る君らのことが心底気に入らなかった」
「……だが、今となってはそんなことはどうだっていい。 自分の好き嫌いなど贅沢を言っていられる立場ではない。 だから、奴等に攫われた皆の身内を一刻も早く助けてやってくれ。 頼む」

 囚われの身となり、半ば自棄となった人々の嘘偽りの無い言葉が雪兎の心に小さな傷をつける。

 だが、正直に語ってくれているという事実が今の雪兎にとっては何故か快く感じられ、雪兎は苦笑を浮かべながら彼らの主張と最後の願いを受け入れると、黙って檻の方へ背中を向けた……その時だった。

 貴賓室と名付けられた牢獄のさらに奥底から、皮のエプロンを着けたつたない口調の使用人の一団が荷を満載にしたワゴンを複数押しながら現れた。 

 ちょうど給仕の時間だったのか、ワゴンには大量の肉料理が並んでおり、使用人達はもたもたと皿を抱えると、辿々しい足つきで料理を運んでいく。

「おきゃくさまのみなさま、えらいひとのきょかがでたのでようやくごはんができました。 おかわりもありますからたくさんたべてください」

 そういいつつ彼らが檻の前に置いたのは、犬猫用の食事皿。 

 それに加え、料理と一緒に飾るには不自然なものが皿の上にちらほらと並んでいる。 

 ヘアゴム、ヒーローのバッチ、光る靴、フリルがたくさんついたドレス、ロボットや動物の人形。 

 そして、それらを載せた盆の隅には、赤ん坊から小学生程度の年齢層の子供の写真が、何故かこれ見よがしに飾られていた。

「あぁ……、まさかこれは……」
「いやあああああああ!!! どうして! どうしてなのよおおお!!!」

 それらの盆が檻の前に置かれるやいなや、劈くような悲鳴や消え入りそうな痛ましい嘆きが牢獄中に響き渡る。 

 それらを発する人々に共通していたのは、この世の終わりを目撃したような絶望の表情。 

 雪兎はそれらを目の当たりにして確信を得た。 

 外道共が首領から隠れて行ってきたことが、人間が長い歴史を通して培ってきた道徳というものから逸脱した、筆舌にも尽くし難い所業であったことを。

「あの、どうしていつもみなかなしそうなかおをするんですか? ぼくたち/わたしたちはこうすればぜったいにみながよろこぶってえらいひとからいわれたからやったのに」
「いいや大丈夫だ、君達はきっと悪くない。 君達は奴等に汚れ仕事を一方的に押し付けられただけなんだ……」

 嘆息、奇声、啜り泣きと、何故皆が皆、何故悲しみを表現するのか理解できないのか、年齢にそぐわず無垢な瞳をした使用人達が雪兎に尋ねると、対する雪兎はやりきれない表情のまま自分に言い聞かせるように呟き、とても優しい視線を使用人達に返しながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「いいかい? 僕がここを出たら彼らを連れてすぐにここを脱出するんだ。 もしここに残ったら奴等の友達に全ての汚名を押し付けられて殺されてしまう」
「でも、そうしたらえらいひとたちはまたぼくたち/わたしたちをいじめるよ?」
「大丈夫だ、君達を虐めてきた悪い奴等は僕が一人残らず懲らしめてやるから」

 何とか心を奮い起こして無理矢理笑みを浮かべ、小間使いにさせられていた無垢な人々に促すと、雪兎は外道共が集まるホールの方へゆっくりと踵を返した。  

 絶対的な決意を胸にホールへ戻った雪兎を再び迎えたのは、張り付いたような笑顔を維持した外道達の世辞。

「おぉ! どうでしたか偉大な後継者様! 素晴らしい理想郷で御座いましたでしょう! このユートピアは今や貴方のもの! 心ゆくまでごゆるりとおくつろぎ下さいませ!」

 自分達は絶対に死なないという自信でもあるのか、外道共は自分達がしでかした悪行を棚に上げ、新たな権力者のおこぼれに預かろうとへつらうが、それに対して雪兎は何も言わない。

 何も言わず、抑えきれなくなった莫大な殺気を醸しながら外道共の方へと歩いて行く。 

 怒ることも嘲笑うことも嫌悪感を示すことせず、大鉈と機関銃を握った手に血が滲むほどの力を込めながら、ただゆっくりと。

「あれ、もしかして私達何かやっちゃいました?」

 何か様子がおかしいとようやく勘付いたのか、気持ちの悪い愛想笑いを浮かべた外道共は咄嗟に雪兎に擦り寄ろうとする。 

 しかし、重たい沈黙を保った雪兎が何を考えているのか、自らの保身にだけは長けた外道共はすぐさま悟ると見苦しく命乞いを始めた。

 あるものは欲しいものが無いかを尋ね、あるものはお前を希代のヒーローにしてやると嘯き、またあるものは望む通りの欲望を発散させてやると下卑た笑みを浮かべて傅く。

「我々は生涯を通して利用価値の見込めない穢れた血の低脳猿に輝ける場を与えてやっただけなのですよ。 さぁ貴方もその幼稚な怒りと矛を収めて欲望に素直になりましょう! これがこの世の道理なのです!」

 両手を無意識のうちにこすり合わせ、必死に場を取り繕うも束の間、雪兎の態度が一切変わらないことを理解するや否や、皆が皆外聞も建前もかなぐり捨てて醜い本性を露わに泣き叫びはじめた。

「俺達は絶対に悪くない! 謝るなんて真っ平ごめんだ!」
「アイツらが生まれ持って価値がない下等生命体なのが悪い!」
「知ったことか! あんな下等猿の処遇に対する責任なんて我々選ばれし者が負う必要などない!」
「済んだことを今さらネチネチ言うな! 俺達弱者を責める奴等は差別主義者の極右のレイシストだ!」

 このままでは殺されると判断し逃げ出そうとするが、外道共が逃げ出そうとした通路は全てカルマによってロックされ、誰もが逃げることは叶わない。

 そんな外道共に対して、雪兎が告げた言葉はたったの一言。

「死ね」

 という限りなく簡素で、冷たく、強い言の葉。

 その宣告が外道共に届いた刹那、殺戮が始まった。 

 何の根拠も無く、自分達は特別だと思い込んでいた、偉くも無い癖に偉ぶっていた悪魔の猿共が、雪兎が振るう道理が通った圧倒的な暴力に一切抵抗出来ずグシャグシャにされていく。

 脳漿が、眼球が、骨や臓物の欠片が、千切れた筋繊維や皮が、血涙を流しながら暴れ狂う雪兎の四肢が躍る度にべちゃべちゃとサロンの床や天井を赤く染め、一旦は隠された真の姿を露わとする。

 人の世で得られるもの全てを得て、退屈を持て余した屑共が造り上げた屠殺場としての姿を。

 やがて、多くの人命を文字通り啜ったクズ野郎共が惨たらしく絶命し、人として生きる者がいなくなったホールでたった一人、雪兎は頭を抱えて蹲りながら呟く。

「悪魔の猿か……、ふふっ……間違っちゃいないな……奴の言っていたことは……」

 良い人間、悪い人間、そのどちらでもない人間がいることは当然のことだと、大昔の児童用書籍にすら載っているようなことを頭の中で反芻して自分を落ち着かせようとするが叶わなず、サンドマンが人類を罵倒する際に使用していた言葉が自然と口から零れ出る。

『ユーザー……』
「心配するなよカルマ、こんな化け物染みた身体になっても僕は人間だ。 人間社会の中でしか生きられないか弱い生き物なんだ。 ……だから人を見捨てようなんて考えないよ」

 主人の呟いた言葉を聞きつけたのか、殺戮の様子を黙って見ていたカルマが恐る恐る声をかけるも、雪兎は血まみれになった顔を拭いながら穏やかに応える。

 心の中で芽吹こうとする人間に対する不信の感情を、誰にも悟られぬよう押し殺しながら。
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