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第64話 直視
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ドラグリヲが姿を消した後、メガリスによって無惨にも踏み潰されたされた蚕魂の残骸の周囲に、避難所から開放された大勢の人々が群がっている。
数時間前まで平和だったはずの街で一体何が起こったのか、せめて情報を把握したいが為に、彼ら彼女らは僅かに熱が残る戦場跡に勝手に集い、己の身勝手な推論を語って聞かせあっていた。
だが、ドラグリヲの咆哮が地平の果てから聞こえてくると、彼らは一斉に建物の内部へ逃げ込み、周囲の様子を伺い始める。
また、出来上がりつつあるこの街で戦いが起こってしまうのかと。
しかしそんな彼らの予想に反して空の果てから降下してきたのは、左手に何かをに握り締めたドラグリヲ一機のみ。
全身擦り傷だらけになった白銀の装甲を惜しげも無く人前に晒し、静かに唸りを洩らすそれは、着陸と同時に左手で握り締めていた何かを全力でコンクリートの上へ叩き付けると、即座にぐっちゃぐちゃに踏み潰してやりながら怒りの咆哮を挙げた。
何度も、何度も、踏み潰されたものは再生し、再生したものが踏み潰されては血の池を作る。
一体ドラグリヲが何をやっているのか理解できず、人々は暫しの間呆然としてその鋼の龍の奇行を遠巻きに見つめ続けるが、ドラグリヲが踏み潰している何かが、人のような何かであることに気が付くと、人々は慌ててドラグリヲの足下に集い始める。
「ちょ……、ちょっと舞ってくれ! アンタ自分が今何を踏み潰しているのか分かってるのかよ!」
何が起きているのか理解出来ないものの、人を殺そうとしている事実だけは何となく分かったのか、お節介な面々がドラグリヲのメインカメラに向かって叫び、ジェスチャーを混ぜながら必死に制止を呼びかけた。
すると、ドラグリヲは周囲に群がる人全てが視界に入るよう背を伸ばし、再び黄金の色彩を宿した瞳で彼ら彼女らを見渡す。
アルフレドが雪兎に託した力の痕跡、ダンタリオンの瞳。
それが伏野が犯した罪をありありと人々の脳裏へ強制的に刻み込むと、今まで伏野に同情的だった群衆の中に衝撃が広がり、やがて強い悲しみを伴った憎悪へと変質していった。
「儂の孫が……、この屑の手に掛かって……」
「この野郎! よくも俺の兄貴を嬲り殺しやがったな!」
「返して! 私の子供達を返してよ! どこに連れて行ったのか今すぐ吐きなさいよぉ!!!」
老若男女、人種、身分、思想的ポリシーを乗り越えてこの場の人々を団結させたのは、伏野に対する深すぎる憎悪に他ならない。
誰かが腹を痛めて産んだ子も、血と肉を分けた兄弟も、伏野にとっては限りなくどうでもいい存在だったが、彼らにとっては掛け替えのない大切なものだった。
それ故に、彼らは伏野に執拗なまでの憎悪を叩き付ける。
あるものは殴り、あるものは蹴り、またあるものは発砲と、各々が最大限表現できる憎悪を全力で叩き付けていく。
もっとも、それで伏野の身体を完全に消滅させるには至らず、伏野は痛めつけられながらも負けじと暴言を吐き散らかした。
「暴力でしか物事を解決出来ないモンキー共はこれだからイヤなんだ! 俺の機嫌を損ねて勝手に死んで転生出来ない奴が悪い! 弱いならこの世の摂理に大人しく従いやがれ!」
自らが犯した罪を恥とも思わず、それどころか誇るように喚きながら群衆を挑発する伏野。
その言葉に人々はさらに激昂し、少しでも伏野に苦痛をもたらそうと襲いかからんとした……その時だった。
「やめろ! やめるんだ!」
群衆の向こう側から矢のように飛んできた叱咤が、怒りに燃えていた民衆の心に一時的な理性の光を灯し、荒れ狂う人波の中に一筋の道を切り開いた。
「皆一体何をやっているんだ!? 殺しは厳禁だと言っていたはずだろう!!!」
人を押し分けながら混乱の中心に歩み寄るのは、一集団の長として責任を持って後始末を行っていた大黒。
彼はドラグリヲに乗ったままの雪兎に抗議するような視線を送ると、地に蹲った伏野を背にして群衆に立ち塞がる。
「何やってるんだ大将! そこどいてくれよ! そいつだけは死ななきゃいけないんだ!!!」
「駄目だ。 彼がどんな罪を犯したかは知らないが、公のもとで裁いた後でも遅くはないはずだ。 我々は人間として生きてきた以上、獣に堕ちるような真似はしてはならない。 たとえその相手が反吐が出るような極悪人であってもな」
剥き出しの殺意の前に晒し出されて尚、大黒の人としての意志は揺らがず、今にも襲いかかってきそうな集団相手にも一切怯まない。
何かきっかけがあれば、それだけで全てが終わる一触即発の重苦しい沈黙。
その最中、今まで恥も知らずにいきり立っていた伏野の声が大黒の耳へ届く。
「大将だって? 嘘だ……どうしてお前……その身体でそんな立場なんだ……」
「何を言ってるんだ君は? 私と君は初対面の筈だろう?」
何度叩き伏せられても平気で屁理屈をほざいてきた伏野が、まるで別人のように怯えきって竦み上がっている。
暑くも無いはずが滝のような大汗を流し、寒くも無いはずが全身に鳥肌を立てながら。
その尋常では無い怖がり方に大黒は大いに困惑を示しながらも、なるべく伏野を怯えさせないよう気を付けて近づいていく。
「心配はいらない、私は君の味方では無いが、他の者と違って君を私的に裁きはしない。 君が報いを受けるのは、誰もが納得する形で法のもとに照らされた後だ」
「うるさい黙れ! 近づくな! その身体で気安く俺に近づくなぁああああああ!!!」
雪兎に敗北する直前にすら見せなかった絶望を露わに、伏野はみっともなく地面を這って逃走を試みるが叶わず、ついには伏野を落ち着かせようと手を伸ばした大黒に触れられる。
刹那、二人の身体がまるで稲妻にでも打たれたかのように硬直し、ほぼ同じタイミングで地に額を打ち付けた。
「大黒さん!?」
大黒が突然倒れ込んだことに驚愕し、雪兎は思わずドラグリヲから飛び降りて彼のそばに駆け寄るが、当の大黒はまるで悟りに至ったかのように神妙な表情をして、ただ呟く。
「そうか、そうだったのか……」
雪兎の肩を借りながらもしっかりと立ち上がる大黒。
彼は顔面を蒼白にしたまま全く立ち上がれない伏野を眺めながら、己の両手を固く握り締めると、意を決してぽつぽつと語り始めた。
「全て思い出した、そうだ私に記憶などあるはずがない。 何故なら私は、試験管の中で永久に近い夢を見ていたのだから」
「ちょっと待って下さい! 一体どういうことです!?」
「……私は元々人間では無い。 害獣共に続く脅威の出現を恐れた研究者達によって存在を秘匿された試製人型ミュータント。 開発コード“セイヴァー”それが私に与えられた名前だった。 胡散臭い何者かに、私という意識を宿した生体電流を、何者かの肉体と交換されるまでは」
自らの汚れた手と、かつて自分のものだった肉体を交互に見つめながら、大黒が心中複雑な感情を露わに言葉を紡ぐと、大方話を察した雪兎が大黒に問う。
「サンドマン、すべて奴の差し金なんですね?」
「そうだ。 究極の肉体に幼稚な精神を移したらどんな惨事が起こるのか。 逆に贅肉だらけの弛んだ肉体に強靱な精神を移したらどんな英雄譚が生まれるのか。 彼は私らの意識を入れ替える前にそう楽しげに言っていたよ」
結果はご覧の通りだと、大黒は自らを追ってきた部下達を自慢げに示しながら、雪兎に向けてほがらかに笑う。
「奴が何を考えてこんな遊びを仕掛けたかは知らないが、少なくとも私自身は奴の思惑を越えることが出来たと信じている。 私にはもったいない優秀な部下達と、最低限の綺麗事を実現出来る力を持つに至れたのだから」
そこに至るまで道は決して平坦では無かったがと一言付け加えつつ、大黒は再び己の肉体を奪った伏野へ視線を向けた。
その冷え切った眼差しに一体どんな感情が込められているのか雪兎には一切知る由も無かったが、実際にそれを浴びせられた伏野の狼狽っぷりは半端ではなく、自らが垂れ流した冷や汗で地面を汚らしく湿らせながら、やっとことで恨み節同然の暴言を吐き散らかした。
「どんな、一体どんなチートを使った!? どんなイカサマを仕掛けた!? どんな相手に媚びを売ったんだお前は!?」
「いいや何もしてないさ私は。 考える暇も悩む暇も惜しんで、ひたすら目の前の障害に全力で突き進み続けただけだよ」
「嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ! そんなクソみたいなステの身体で成り上がれるはずが無い!」
「あぁ確かに、私一人では何も出来なかった。 全てはここにいる皆のおかげさ。 名誉の為、出世の為、金の為、運試しの為、恩に報いる為、そして何より信頼に値する為。 様々な理由で私を担ぎ上げてくれた皆の力が合わさったからこそ、私は今こうして立っている」
入れ替わる前、伏野が生涯かけて稼いだ肉体的+社会的+経済的赤字を、持ち前である不屈の精神力と人間性を駆使して代わりに完済した大黒。 彼は胸の中に燻る複雑な思いを可能な限り表情を出さないよう心がけながら、引き攣った表情をした伏野に告げる。
「今さらその身体を返せとは言わない。 ただし、君のしでかした悪事を知ってしまった以上、私も君を庇おうとは思わない。 ……人の心を捨てた害獣はさっさと人が住まう土地から出て行け」
同じ身体に宿っていたものとして最後の情けだと、大黒なりの慈悲が込められた最後通牒。
しかしそんな大黒の慈悲も、伏野はまるで駄々っ子のように泣き喚いて聞き入れなかった。
「黙れ黙れよクソチーター! 寄生虫で卑怯者のチーターめ! いんちき野郎の癖にお前まで俺を否定するのかあああ!?」
欠陥だらけのはずだった。
いくら努力しようが踏み台や引き立て役以上の存在になれないはずだった。
なのに何故、何故今さらと、間接的な自分という存在の全否定に、伏野は自分のことを棚に上げて子供のように喚き散らすと、その身勝手極まりない癇癪は、八つ当たりとしか形容しようのないヤケクソな暴力衝動へと変貌し、一瞬の隙をついてサンドマンから貰った力の奔流を一挙に解き放った。
全て自分の思い通りにならないのなら、すべて消えてしまえと。
そんな理不尽極まりない願いが、雪兎の眼前で成立するはずがないことも忘れて。
「馬鹿野郎! お前は最後に立ち直るチャンスを与えて貰ったんだぞ!!!」
大黒めがけて放たれた悪あがきの光迅が、激昂しながら割って入った雪兎によって簡単に弾き飛ばされた瞬間、これを待っていたとばかりにカルマがドラグリヲを伏野へ食らいつかせた。
頭と胴体が再生しないよう、今度こそしっかりと何度も何度も熱を加えながら噛み潰させると、伏野の脳から直接抽出した記憶データを雪兎に送りつける。
『首領が身罷ってから今まで、我々は人間社会の一員として生き抜くために、偉くも無い癖に偉そうだった連中へ最大限の譲歩を行ってきました。 しかし、こんなどうしようもない屑を持ち上げてまで首領が遺したものを余さず簒奪しようとするのなら、我々がこれ以上奴等に傅く道理などありません』
「……あぁそうだな、落とし前はきっちり付けて貰おう。 このゴミ屑同様、他の連中も一緒にな」
胸の底から溢れる怒りの求めるまま、雪兎は脇目も振らずドラグリヲのコックピットに飛び込むと、荒ぶる激情を必死に押し殺しながら半場強引に大黒へ頼み込む。
「すみません大黒さん、もしもの時には皆のことを頼みます」
「頼むって、君ら一体どこに行く気だ!?」
「決まっているでしょう? 犯した罪に相応しい対価の取り立てに行くんですよ」
伏野の敗北を悟られて逃走される前に一刻も早く敵を滅するべく、雪兎は大黒の返事も待たず出力を急上昇させると、ドラグリヲを禍々しい悪意を感じる方角に向けて発進させた。
人様の目の届かないところで、か弱い人々の生き血を文字通り啜り続けてきた外道共の罪を、己の命をもって贖わせる為に。
「……皆殺しにしてやる」
激情のあまりに、首領どころか哀華や馳夫にすら見せたことの無い凄まじい形相をして、雪兎はただ心が求めるがままにひたすら敵地を目指す。
度を越した殺意に身を窶した姿に対し、カルマから怯えの視線を向けられていたことにも気付かぬまま。
数時間前まで平和だったはずの街で一体何が起こったのか、せめて情報を把握したいが為に、彼ら彼女らは僅かに熱が残る戦場跡に勝手に集い、己の身勝手な推論を語って聞かせあっていた。
だが、ドラグリヲの咆哮が地平の果てから聞こえてくると、彼らは一斉に建物の内部へ逃げ込み、周囲の様子を伺い始める。
また、出来上がりつつあるこの街で戦いが起こってしまうのかと。
しかしそんな彼らの予想に反して空の果てから降下してきたのは、左手に何かをに握り締めたドラグリヲ一機のみ。
全身擦り傷だらけになった白銀の装甲を惜しげも無く人前に晒し、静かに唸りを洩らすそれは、着陸と同時に左手で握り締めていた何かを全力でコンクリートの上へ叩き付けると、即座にぐっちゃぐちゃに踏み潰してやりながら怒りの咆哮を挙げた。
何度も、何度も、踏み潰されたものは再生し、再生したものが踏み潰されては血の池を作る。
一体ドラグリヲが何をやっているのか理解できず、人々は暫しの間呆然としてその鋼の龍の奇行を遠巻きに見つめ続けるが、ドラグリヲが踏み潰している何かが、人のような何かであることに気が付くと、人々は慌ててドラグリヲの足下に集い始める。
「ちょ……、ちょっと舞ってくれ! アンタ自分が今何を踏み潰しているのか分かってるのかよ!」
何が起きているのか理解出来ないものの、人を殺そうとしている事実だけは何となく分かったのか、お節介な面々がドラグリヲのメインカメラに向かって叫び、ジェスチャーを混ぜながら必死に制止を呼びかけた。
すると、ドラグリヲは周囲に群がる人全てが視界に入るよう背を伸ばし、再び黄金の色彩を宿した瞳で彼ら彼女らを見渡す。
アルフレドが雪兎に託した力の痕跡、ダンタリオンの瞳。
それが伏野が犯した罪をありありと人々の脳裏へ強制的に刻み込むと、今まで伏野に同情的だった群衆の中に衝撃が広がり、やがて強い悲しみを伴った憎悪へと変質していった。
「儂の孫が……、この屑の手に掛かって……」
「この野郎! よくも俺の兄貴を嬲り殺しやがったな!」
「返して! 私の子供達を返してよ! どこに連れて行ったのか今すぐ吐きなさいよぉ!!!」
老若男女、人種、身分、思想的ポリシーを乗り越えてこの場の人々を団結させたのは、伏野に対する深すぎる憎悪に他ならない。
誰かが腹を痛めて産んだ子も、血と肉を分けた兄弟も、伏野にとっては限りなくどうでもいい存在だったが、彼らにとっては掛け替えのない大切なものだった。
それ故に、彼らは伏野に執拗なまでの憎悪を叩き付ける。
あるものは殴り、あるものは蹴り、またあるものは発砲と、各々が最大限表現できる憎悪を全力で叩き付けていく。
もっとも、それで伏野の身体を完全に消滅させるには至らず、伏野は痛めつけられながらも負けじと暴言を吐き散らかした。
「暴力でしか物事を解決出来ないモンキー共はこれだからイヤなんだ! 俺の機嫌を損ねて勝手に死んで転生出来ない奴が悪い! 弱いならこの世の摂理に大人しく従いやがれ!」
自らが犯した罪を恥とも思わず、それどころか誇るように喚きながら群衆を挑発する伏野。
その言葉に人々はさらに激昂し、少しでも伏野に苦痛をもたらそうと襲いかからんとした……その時だった。
「やめろ! やめるんだ!」
群衆の向こう側から矢のように飛んできた叱咤が、怒りに燃えていた民衆の心に一時的な理性の光を灯し、荒れ狂う人波の中に一筋の道を切り開いた。
「皆一体何をやっているんだ!? 殺しは厳禁だと言っていたはずだろう!!!」
人を押し分けながら混乱の中心に歩み寄るのは、一集団の長として責任を持って後始末を行っていた大黒。
彼はドラグリヲに乗ったままの雪兎に抗議するような視線を送ると、地に蹲った伏野を背にして群衆に立ち塞がる。
「何やってるんだ大将! そこどいてくれよ! そいつだけは死ななきゃいけないんだ!!!」
「駄目だ。 彼がどんな罪を犯したかは知らないが、公のもとで裁いた後でも遅くはないはずだ。 我々は人間として生きてきた以上、獣に堕ちるような真似はしてはならない。 たとえその相手が反吐が出るような極悪人であってもな」
剥き出しの殺意の前に晒し出されて尚、大黒の人としての意志は揺らがず、今にも襲いかかってきそうな集団相手にも一切怯まない。
何かきっかけがあれば、それだけで全てが終わる一触即発の重苦しい沈黙。
その最中、今まで恥も知らずにいきり立っていた伏野の声が大黒の耳へ届く。
「大将だって? 嘘だ……どうしてお前……その身体でそんな立場なんだ……」
「何を言ってるんだ君は? 私と君は初対面の筈だろう?」
何度叩き伏せられても平気で屁理屈をほざいてきた伏野が、まるで別人のように怯えきって竦み上がっている。
暑くも無いはずが滝のような大汗を流し、寒くも無いはずが全身に鳥肌を立てながら。
その尋常では無い怖がり方に大黒は大いに困惑を示しながらも、なるべく伏野を怯えさせないよう気を付けて近づいていく。
「心配はいらない、私は君の味方では無いが、他の者と違って君を私的に裁きはしない。 君が報いを受けるのは、誰もが納得する形で法のもとに照らされた後だ」
「うるさい黙れ! 近づくな! その身体で気安く俺に近づくなぁああああああ!!!」
雪兎に敗北する直前にすら見せなかった絶望を露わに、伏野はみっともなく地面を這って逃走を試みるが叶わず、ついには伏野を落ち着かせようと手を伸ばした大黒に触れられる。
刹那、二人の身体がまるで稲妻にでも打たれたかのように硬直し、ほぼ同じタイミングで地に額を打ち付けた。
「大黒さん!?」
大黒が突然倒れ込んだことに驚愕し、雪兎は思わずドラグリヲから飛び降りて彼のそばに駆け寄るが、当の大黒はまるで悟りに至ったかのように神妙な表情をして、ただ呟く。
「そうか、そうだったのか……」
雪兎の肩を借りながらもしっかりと立ち上がる大黒。
彼は顔面を蒼白にしたまま全く立ち上がれない伏野を眺めながら、己の両手を固く握り締めると、意を決してぽつぽつと語り始めた。
「全て思い出した、そうだ私に記憶などあるはずがない。 何故なら私は、試験管の中で永久に近い夢を見ていたのだから」
「ちょっと待って下さい! 一体どういうことです!?」
「……私は元々人間では無い。 害獣共に続く脅威の出現を恐れた研究者達によって存在を秘匿された試製人型ミュータント。 開発コード“セイヴァー”それが私に与えられた名前だった。 胡散臭い何者かに、私という意識を宿した生体電流を、何者かの肉体と交換されるまでは」
自らの汚れた手と、かつて自分のものだった肉体を交互に見つめながら、大黒が心中複雑な感情を露わに言葉を紡ぐと、大方話を察した雪兎が大黒に問う。
「サンドマン、すべて奴の差し金なんですね?」
「そうだ。 究極の肉体に幼稚な精神を移したらどんな惨事が起こるのか。 逆に贅肉だらけの弛んだ肉体に強靱な精神を移したらどんな英雄譚が生まれるのか。 彼は私らの意識を入れ替える前にそう楽しげに言っていたよ」
結果はご覧の通りだと、大黒は自らを追ってきた部下達を自慢げに示しながら、雪兎に向けてほがらかに笑う。
「奴が何を考えてこんな遊びを仕掛けたかは知らないが、少なくとも私自身は奴の思惑を越えることが出来たと信じている。 私にはもったいない優秀な部下達と、最低限の綺麗事を実現出来る力を持つに至れたのだから」
そこに至るまで道は決して平坦では無かったがと一言付け加えつつ、大黒は再び己の肉体を奪った伏野へ視線を向けた。
その冷え切った眼差しに一体どんな感情が込められているのか雪兎には一切知る由も無かったが、実際にそれを浴びせられた伏野の狼狽っぷりは半端ではなく、自らが垂れ流した冷や汗で地面を汚らしく湿らせながら、やっとことで恨み節同然の暴言を吐き散らかした。
「どんな、一体どんなチートを使った!? どんなイカサマを仕掛けた!? どんな相手に媚びを売ったんだお前は!?」
「いいや何もしてないさ私は。 考える暇も悩む暇も惜しんで、ひたすら目の前の障害に全力で突き進み続けただけだよ」
「嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ! そんなクソみたいなステの身体で成り上がれるはずが無い!」
「あぁ確かに、私一人では何も出来なかった。 全てはここにいる皆のおかげさ。 名誉の為、出世の為、金の為、運試しの為、恩に報いる為、そして何より信頼に値する為。 様々な理由で私を担ぎ上げてくれた皆の力が合わさったからこそ、私は今こうして立っている」
入れ替わる前、伏野が生涯かけて稼いだ肉体的+社会的+経済的赤字を、持ち前である不屈の精神力と人間性を駆使して代わりに完済した大黒。 彼は胸の中に燻る複雑な思いを可能な限り表情を出さないよう心がけながら、引き攣った表情をした伏野に告げる。
「今さらその身体を返せとは言わない。 ただし、君のしでかした悪事を知ってしまった以上、私も君を庇おうとは思わない。 ……人の心を捨てた害獣はさっさと人が住まう土地から出て行け」
同じ身体に宿っていたものとして最後の情けだと、大黒なりの慈悲が込められた最後通牒。
しかしそんな大黒の慈悲も、伏野はまるで駄々っ子のように泣き喚いて聞き入れなかった。
「黙れ黙れよクソチーター! 寄生虫で卑怯者のチーターめ! いんちき野郎の癖にお前まで俺を否定するのかあああ!?」
欠陥だらけのはずだった。
いくら努力しようが踏み台や引き立て役以上の存在になれないはずだった。
なのに何故、何故今さらと、間接的な自分という存在の全否定に、伏野は自分のことを棚に上げて子供のように喚き散らすと、その身勝手極まりない癇癪は、八つ当たりとしか形容しようのないヤケクソな暴力衝動へと変貌し、一瞬の隙をついてサンドマンから貰った力の奔流を一挙に解き放った。
全て自分の思い通りにならないのなら、すべて消えてしまえと。
そんな理不尽極まりない願いが、雪兎の眼前で成立するはずがないことも忘れて。
「馬鹿野郎! お前は最後に立ち直るチャンスを与えて貰ったんだぞ!!!」
大黒めがけて放たれた悪あがきの光迅が、激昂しながら割って入った雪兎によって簡単に弾き飛ばされた瞬間、これを待っていたとばかりにカルマがドラグリヲを伏野へ食らいつかせた。
頭と胴体が再生しないよう、今度こそしっかりと何度も何度も熱を加えながら噛み潰させると、伏野の脳から直接抽出した記憶データを雪兎に送りつける。
『首領が身罷ってから今まで、我々は人間社会の一員として生き抜くために、偉くも無い癖に偉そうだった連中へ最大限の譲歩を行ってきました。 しかし、こんなどうしようもない屑を持ち上げてまで首領が遺したものを余さず簒奪しようとするのなら、我々がこれ以上奴等に傅く道理などありません』
「……あぁそうだな、落とし前はきっちり付けて貰おう。 このゴミ屑同様、他の連中も一緒にな」
胸の底から溢れる怒りの求めるまま、雪兎は脇目も振らずドラグリヲのコックピットに飛び込むと、荒ぶる激情を必死に押し殺しながら半場強引に大黒へ頼み込む。
「すみません大黒さん、もしもの時には皆のことを頼みます」
「頼むって、君ら一体どこに行く気だ!?」
「決まっているでしょう? 犯した罪に相応しい対価の取り立てに行くんですよ」
伏野の敗北を悟られて逃走される前に一刻も早く敵を滅するべく、雪兎は大黒の返事も待たず出力を急上昇させると、ドラグリヲを禍々しい悪意を感じる方角に向けて発進させた。
人様の目の届かないところで、か弱い人々の生き血を文字通り啜り続けてきた外道共の罪を、己の命をもって贖わせる為に。
「……皆殺しにしてやる」
激情のあまりに、首領どころか哀華や馳夫にすら見せたことの無い凄まじい形相をして、雪兎はただ心が求めるがままにひたすら敵地を目指す。
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最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ
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