鋼殻牙龍ドラグリヲ

南蛮蜥蜴

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第60話 蚕影

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 街がまるで栄養を与えられた粘菌のように広がっていく。

  大勢を養う為の超大規模住宅地が、社会の動脈たる高速交通網が、そして都市を守るための頑健な防衛設備が、地中に広がるライフラインに沿って雨後の雑草の如く育ち、新たな住人を受け入れる準備を着々と進めていく。

 数日前まで廃墟と荒野しかなかったとは辺鄙な土地は、二週間も経たないうちに生存圏外に散らばる難民を難無く収容出来る巨大都市となり、皮肉にも工事を発注した側の目論見が完全に外れる形となっていった。

 これほど早く工事が進んだ原因は、この都市の建設に携わった誰もがベストを尽くしたが故に他ならない。

 元々工事を依頼されていた建設業者と、大黒を中心とする生存圏外からやってきたグループが、所属不明機による無差別攻撃を受けたことから却って一致団結し、自称インテリから上から目線で足下を見られる前に仕事を済ませようという八つ当たり的熱意が、常軌を逸した工期での街の発展を実現させた。

 しかしその一方で隙あらば街自体を奪わんとする勢力との水面下での争いは、街の発展と比例して大きくなる一方であった。 

 本来優先して狩るべき害獣や賊共への対応業務に支障が出るほどに。

『ユーザー、今夜の監視は貴方が担当です。 忘れないようお願いしますね』
「言われなくても分かってるよ、自分の仕事を忘れちまうほどボケちゃいないさ」

 プレゼントと称して警護対象の建設業者から贈られた一戸建ての家屋の中で、雪兎はカルマにちょこちょこ纏わり付かれながらも着々と仕事の準備を続ける。 

 元々荒事に馴れている大黒の配下や、カルマの要請によってN.U.S.A.から派遣された警備部隊等、戦える人間が増えたとはいえ雪兎自身の仕事がなくなる事は無い。

「さてグレイス、いつも通り留守はお前に任せるが、哀華さんがこれ以上人から離れるような干渉をしてくれるな」
『安心して欲しい、哀華姉ちゃんに移植された植物細胞の適合具合は実に良好だよ。 俺が手出ししなくたって、自分の手足のように完全に支配できる日もそう遠くは無い』
「あのなぁ、僕が言いたいのはそういう事じゃなくてだなぁ……」

 これでは話がかみ合わないと、雪兎は終始ドヤ顔のグレイスから視線を逸らすと、見送りに現れた哀華自身に直接尋ねた。 

 一見どうみても健康体そのものであるが、雪兎は必要以上に過保護になって哀華と向き合う。

「哀華さん、本当に体調は大丈夫なんですね? 正直な話、世界樹の細胞を取り込むなんて無茶を僕は未だに納得出来ていないです」
「あらそう? 私だって貴方がよく分からない生き物を体内で飼っていることを承服出来ていないわ」
「ぬぐっ……」

 自分のことを棚に上げるなと言わんばかりに偽装皮膚に覆われた左腕を抓られ、雪兎は思わずタジタジになるが、哀華はそれ以上雪兎を詰るような真似はせず、自分より小さな騎士様の身体をぎゅっと抱き締める。

「あ……哀華さん!?」
「心配してくれてありがとう。 でもね、貴方の存在が大きくなればなるほどきっと賊共も手段を選ばなくなる。 だから私は自分の意志でこの力を受け入れたの。 貴方の重荷を降ろすためだけじゃなく、私自身も皆を守るために。 だからね雪兎、この子は何も悪くないから責めないであげて」
「ほ……ほぁい……」

 ほどよく熟れた果実のように甘い匂いが彼女のうなじから漂うのを感じながら、雪兎は哀華の抱擁を喜んで受け止める。 

 彼女の温もり、柔らかさ、そしてささやき全てが雪兎にとっての数少ない至福であった故、仕事に行きたくないという我が儘な考えが心の中で頭をもたげる。

 ――が、哀華の胸の中で蕩けきっていた雪兎の表情が突如苦痛に歪んだ瞬間、その身体は逆くの字に曲がった挙げ句、床にめりこまんばかりの勢いで乱暴に床へと叩き付けられた。

『はーやーくー、はーやーく行きますよ。 今生の別れじゃあるまいし出かける度にそれやってたら周りから顰蹙を買いますよ』
「いーたーい! いーたーいって分かったから!!!」

 段差や家具で頭や身体をしたたかに打つこともお構いなく、カルマに後ろ髪を遠慮無く掴まれ引っ張り回されながら、辛い現実へと引き戻されていく雪兎。 

 そのまま暗い道路に引き摺り出された挙げ句、家の前にあった生け垣の中へ頭から叩き込まれてようやく、地獄のような苦痛から解放される。

「あのな、もう少し手心っていうものをなぁ」
『仕事前にふにゃけた顔してるからですよ、みっともない』

 全身擦り傷だらけになって抗議する雪兎には目もくれず、カルマはムスッとした表情のまま警備中の人員に連絡を送る。 

 流石に個人的心情を声色に出してしまうほどカルマも迂闊ではないが、そのプリプリとした態度は、たとえ赤の他人であろうと彼女が不機嫌であることは一目瞭然だった。

「そんなに怒らないでくれよ、僕も哀華さんも悪気があったわけじゃないからさ」
『悪気があろうとなかろうと、それが遅刻の言い訳になってはいけないのですよ』

 内心雪兎が思っていたことを難無く言い当てつつ、その傍らで連絡先からの返答を待つカルマ。

 しかし、数秒、十数秒、挙げ句は1分近く連絡が帰ってこない事実を認識した瞬間、そのくだらない嫉妬は彼女の疑似人格システムの深淵に沈む。

『妙ですね、交代の方々との連絡が付きません』
「カルマ、とりあえず彼らの反応が残っている位置を割り出してくれ。 ついでに大黒さんに今日は都市外から流れ着いたばかりの人々含めて表に出ないよう通達を」

 場合にもよるが、多くの場合拙速は巧遅に勝る。 

 即断即決で雪兎はカルマに命じながら深く腰を落とすと、そのまま全力で地を蹴って宙を舞った。 

 途中で何度も建物の壁を伝い、猛スピードで街中を駆け抜けていくうち、雪兎は既に招かれざる客が市中に紛れ込んでいるのを理解し、強く拳を握り締める。

 鋭利な刃物で両断されたと思われる建物や、月の光を受けて宙をちらつく糸くずのような何か等、侵入者の痕跡が街を汚す中、雪兎が目的地で見せつけられたのは、無惨にも身体中をへし折られて吊し上げられた警備部隊の惨状。 

 辛うじて生きてはいるものの、未だ予断を許さない状況にあることに変わりは無く、雪兎は彼らを救うべく即座に降下すると、ゆっくりと拘束から引き剥がした。 

 見た目よりずっと固くしなやかな糸が肌に深く食い込み、出血を誘うも雪兎は一切怯まない。

「安心して下さいもう大丈夫です、だから気をしっかり持って!」

 専門知識はないが、せめてやれるだけのことをやろうと、雪兎はカルマに医療器具の生成を命じ、糸のような何かに身体を傷付けられながらも処置を続ける。 

 不幸中の幸いか、臓器の類いは誰も傷ついておらず、雪兎は人知れず胸を撫で下ろして献身的な治療を続けた。 

 その甲斐あってか、治療中だった一人の兵士が苦しげな呻き声を上げながら目を覚ます。

「よかった、辛いでしょうが救援が来るまで耐えて下さい。 それまでは僕が貴方達を守りますから」

 一人、また一人と応急処置を終え、ひとまず安全な家屋の中へ運びながら雪兎は目覚めた兵士に向かって穏やかに呼びかける。 

 だが、兵士が雪兎を見て咄嗟に口走った言葉は、感謝でも罵倒でも無く警告だった。

「駄目だ……離れ……奴は……お前を……」
「っ!?」

 床に寝かされた兵士がそう伝えるのとほぼ同時のタイミングで、何も無い場所から突然発生した斬撃が雪兎を中心に一気に収束し、微塵切りにせんと迫ってくる。 

 雪兎の視力をもってしても攻撃そのものは見えないが、引き裂かれる地面や両断される建物から反射的に攻撃の位置を割り出し、雪兎は怪我人を戦いに巻き込まないよう咄嗟に外へ飛び出ると、そのまま明後日の方角へと駆けだした。

「こんな攻撃を仕掛けられる機体は一つしかない! だか何故アイツがこんな真似をやる!?」
『そんなこと私だって知りませんよ。 ただ、あの機体から発信される信号全てが偽装されている以上、後ろ暗いことをやっているという自覚はあるようですね』
「だったらなおさらだ! こんな馬鹿げたことを素面でやって良いわけが無い!」

 カルマのロケーターに従って大立ち回りし、攻撃や索敵を回避しながらも雪兎はようやく街中を見渡せる高所に辿り着く。 

 無慈悲な太陽とは対照的に、淡く優しい光を降ろす月の下、雪兎はカルマが生成したドラグリヲに乗り込むと、今この街で一番高い建物に陣取っていた機体を睨み上げ、気炎を上げた。

「アンタには随分嫌われているとは前々から思っていたよ。……だが何故だ、何故こんな真似をした! 応えろジェスター!!!」

 天よ堕ちよとばかりの咆哮を上げて猛り狂うドラグリヲだが、その視線の先で鎮座していた機体“蚕魂”は咆哮の余波で発生した轟音の波動を浴びせられても小揺るぎもしない。

 まるで言葉を介する価値すらないとでも宣うが如く、その優美なる蛾の貴婦人は返答とばかりに幾重もの糸の結界を展開すると、ドラグリヲとは全く対照的な仕草で空高く浮き上がり、手招いて見せた。

 殺しに来てみろと、自ら誘うかのように。
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