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第54話 虚空
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「まさか、またここに来ることになるとはな……」
日の届かぬ深い闇の中、雪兎は久方ぶりに身につけたパワードコートを颯爽と靡かせながら歩いて行く。
ここは以前、ツガイの龍が地上に顕現した際に無理矢理穿たれた深い深い縦穴の底。
かつて、ユーラシアから雲霞の如く押し寄せ続けた害獣共を余さず迎撃すべく、数多の兵器や技術を生み出してきた大規模研究施設の跡地。
過去に紅蓮と激闘を繰り広げたせいで一部のエリアが丸々消滅してしまっているが、幸か不幸かカルマとグレイスが目的としていた座標は無事であったようで二人の表情はどことなく明るい。
『どうしましたユーザー? 何を不安がっているんです? 貴方を負かせる害獣なんてもうこの列島にはいないのですからもっと堂々として下さいな』
『そうだよ雪兎兄ちゃん、もうちょいパーッと明るい気分を出していこうぜ。 じゃないと逆にみっともないよ』
「うるせーぞチビ共! 僕はな、お前らの提案を心から納得して受け入れた訳じゃ無いんだ!」
周囲を忙しなく旋回し続ける人外のちびっ子二人組を鬱陶しいとばかりにあしらいつつ、雪兎は遠慮無く不満を大人げなく大声でぶちまける。
雪兎らしくないと言えばらしくない行動であるが、その蛮行を咎めるように軽い咳が2度響くと同時に、雪兎を現在進行形で神経質にしている原因がゆっくりと闇の中から浮かび上がってきた。
雪兎の死角を護るように追随してきたのは、新野から特別に貸し出して貰ったパワードスーツと対獣SMGを身に付け、雪兎から護身用にと渡された首領の刀を腰に差した哀華の姿。
軍の正規品とは比較にならない優れた兵器に護られており、最低限必要な訓練は受けているとはいえ、普段は銃後で生きている哀華を危険な場所へ引っ張り出させた人外二人に対する雪兎の不満はすこぶる大きい。
「大体何故彼女をこんな場所に連れてくる必要があったんだ、何とか言ってみろチビ共!」
『まぁまぁそう言わずに、貴方にとっても眼福なことだってあるでしょう?』
雪兎からの追求をはぐらかす為か、カルマがイイ笑顔を見せ付けながら指摘すると、雪兎は柄にも無く目を逸らして黙り込む。
というのも、原因は新野が哀華に貸し出した装備にある。 設計者が意図したものか不明だが、着用者の身体の線がクッキリと浮き出てしまう特殊なパワードスーツの仕様は当然、哀華の艶やかなボディラインもそのまま露わにしてしまい、雪兎の多感な心を大いに惑わせすっかり悩ませていた。
「……っ」
『何を顔紅くしてるんです? まさかやらしいこと考えていたんですか? あぁやっぱりユーザーも男である以上一介の変態なんですね。 不能じゃないかと一時期は心配していましたがそうでなくて何よりです。 やぁいムッツリスケベ変態色情魔。 悔しかったら一度くらい抱いてやったら……』
「があああ!やかましい黙れ五月蠅いぞこのポンコツ耳年増が!!!」
調子に乗って煽りに煽るカルマの口車に乗せられ、ガラにもなくムキになった雪兎は堪らずカルマに掴み掛かってその頬を捻り上げようとする。
だが、背後から全身を抱き締めるように拘束されると、雪兎は顔面を鬼灯のようにさらに紅潮させながら固まってしまった。
「こぉら、子供相手にムキにならないの」
「いや……、僕は別に何も怒ってる訳では……」
「嘘は駄目よ、一体何が不満なのか言ってみなさい」
「うぅ……」
素直に一言、貴女が魅力的なせいですと言えない雪兎の純情さが事態をよりややこしくする。
哀華は一切意図していないが、感覚が鋭敏化した雪兎にとって今の状況は生殺し同然の地獄そのもの。
スーツ越しに感じるぬくもりと肌の感触、そして軽い息吹さえも心地よく感じる程に近い距離感。
哀華の存在を主張する全てのものが、雪兎を恥ずかしさと愛おしさの狭間へ蹴り落とす。
「………………っ」
『うわぁ何て顔してるんですか気色悪い。 いいですか、私達は別に貴方にこんなみっともない姿を晒させる為に彼女を連れてきた訳じゃ無い。 全ては貴方の為、貴方を我が社に潜む虫けらの小間使いにさせないためにやってるんです』
「I.H.S.に潜む虫けらだと?」
カルマのおふざけ一切無しの返答を受け、雪兎は瞬時に仕事モードへ気持ちを切り替えると、背後から抱き締めてくれた哀華の腕からそっと抜けだし、その温もりから名残惜しそうに離れながらカルマを真正面から睨む。
すると主人からの無言の圧力を受けたカルマは手早くモニターを展開し、仰々しい医療機器が稼働し続ける何処かの部屋を映し出した。
「これは要人向けの病室か?」
『そう、ここは哀華さんが収容されていた教団内のVIP専用病室です』
「その割りには別の誰かが布団を頭から被って堂々と寝ているようだが……」
『ノゾミさんからの忠告を受けた為の偽装工作ですよ。 私も最初はただの妄言だと思っていたのですが、気になって列島周辺のネットワークを調査した結果、何者かの支援を得た武装勢力が哀華さんの拉致を画策していることが発覚しました』
「……もっと詳しく聞かせろ」
普段よりずっと低く、ドスの効いた雪兎の催促が深い殺意の篭もった視線と共にカルマへ向けられるが、カルマは馴れたものだと一切気に介さず、ただ淡々と要求された情報を噛み砕いて伝える。
『以前より首領の方針に対して反感を持っていた勢力が、首領の有力な駒の一人である貴方相手に有利に立ち回ろうと目論んだ為に起こした計画のようです。 ここまで大がかりな計画を立てておいて今の今まで発覚しなかったことを察するに、既に我が社の中枢にまで敵の手が伸びていると推測されます』
「こんな非常事態の時に下らない社内政治にうつつを抜かしている場合かよ……」
何処の誰とも知れない欲深な馬鹿の所業にただ呆れ果てて、雪兎は頭に思わず頭に手を当てる。
しかしモニターに映し出されているベッドの上で毛布に包まって眠っていた誰かが足を投げ出したのを確認すると、思わずカルマに問いかけた。
「だがいいのか? このままだと囮になってくれている誰かが犠牲になってしまうぞ」
『彼女は手籠めになんてされませんよ。 何故なら既に、間抜けな刺客連中は彼女の間合いに踏み込んでしまっていますから』
馬鹿を上から目線で憐れむような、愉快そうな表情をしてカルマは雪兎を宥める。
するとその言葉を裏付けるかのように、モニターの中の光景が大きく動いた。
雪兎が瞬きをした瞬間、毛布を被ってもぞもぞと動いていたはずの囮が目にも留まらぬ勢いでベッドから抜け出すと、何も無いはずの空間に手刀を見舞う。
刹那、虚空から夥しい量の鮮血が迸り、白一色だった病室に鮮やかな赤をぶちまけた。
「ぎゃあああああ!」
「誰が勝手にアタシの枕元に立って良いと言ったんだよ、掻っ捌いて干物にするぞ!」
被っていた毛布を投げ捨てて逆に侵入者へと躍り掛かったのは、折角の綺麗なブロンドの髪を寝癖でくしゃくしゃにしたミシカ。
彼女が狂気の笑みを浮かべながら病室中を跳ね回ると、ステルススキンを纏って潜伏していた侵入者達は哀れにも自らの血で出来た血溜まりの中に顔面を沈める羽目に陥る。
「思い知ったか変態共! アタシを組み伏せも出来ない癖に夜這いを仕掛けようなんざ思い上がりも甚だしい! このまま一匹残らず地獄に堕ちな!」
「まてまてまだ殺すなよ馬鹿野郎、コイツらには問い質したいことが山のようにあるんだ。 それにどうせ殺すなら手足を削ぎ落として臓器バンクに全身丸々売り払った方がいい。 その方が我々のだけでなく世間の為にもなる」
自らの顔面に血を擦り付けながらミシカが豪快に笑うと、そんな彼女を咎めるクラウスの落ち着いた渋い声がモニターから見えない位置より響く。
しかしミシカよりマシとはいえ物騒な事を言っているに変わりは無く、それらを耳にした侵入者達は顔面を蒼白にして震え上がった。
「や……やめて、やめてくれぇ……! 頼むから助けてくれぇ!」
「だったら殺されないうちに全部吐くんだな。 大人しく吐いてくれりゃ命の保証だけでなく再雇用先だって探してやらんでもないぜ。 何しろ今は何処も人の手が足りないからなぁ。 お前等みたいな脛がズタズタのロクデナシであっても拾ってくれる企業が一つや二つあるんじゃないか?」
全身全霊の命乞いを受けても構わず、問答無用に脅し続ける二人を見かねたのか、カメラの手前側に立っていたらしいロンがなあなあと身振り手振りをしながらフレームインしてくる。
だが彼はカメラ越しに見られていることを撮影機器の状態から察すると、心底鬱陶しそうな表情を晒しながら振り返り、レンズを覗き込んできた。
「後のインタビューは俺等に任せて、お前等はお前等のやれる仕事でもやっとけよ。 何の為に留守番を請け負ってやったと思ってるんだ」
インタビューという名の拷問の様子を撮られては流石に気分が悪いのか、ロンが嫌そうな顔をしてカメラ越しに見ているであろうカルマに苦言を呈すると、カルマは珍しく気を利かせて雪兎に見せていた側のモニターの電源を落としてやった。
全てはよりよいビジネスの為。
カルマはそう呟きながら自らの腕を使って形成していたモニターを分解すると、再び雪兎の方を向いて語り出す。
『……首領が身罷られた事実は一般にこそ伏せられていますが、外交の場やI.H.S.の上位役員間では既に公同然となっております。 それは今まで首領の腕力によって抑えられていた勢力に取っては願っても無い朗報であったに違いありません』
『だからこそ例の砂野郎に首を突っ込まれる前に手を打っておくんだ。 また取り返しが付かなくなる前に』
サンドマンの過去に行った小細工を覚えているのか、グレイスは一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしながら舌打ちをするも、すぐさま気持ちを切り替えて雪兎の側に控えるカルマに向かって手招きをする。
『さぁカルマ久しぶりの大仕事だ。 出発前に説明した通り、君は俺が指示したその通りに動いてくれれば問題ない』
『了解しました、リードはお任せします』
グレイスが促すままにカルマがその褐色の手を取ると、グレイスの体内から生えてきた蔦とカルマの手首から射出されたコネクタが複雑に絡み合い、決して離れぬよう互いを固く結び付ける。
そうして物理的にも内部データ的にも完全な接続が為された瞬間、グレイスの身体から液体のように溢れ出した樹木がまるで粘菌のように周囲を侵蝕し、カルマのボディから延びた無数の金糸と銀糸が、樹木を基盤に巨大な回路を形成する。
「何だ!? お前ら何をするつもりなんだ!?」
『今から封鎖されていた次元亀裂を開放するんだ。 接続先はXYZ座標指定全て0。 人類が初めてリンボへの裂け目を開いた場所』
『事象アンカー投下、次元門出入口安定化完了、多重認証ロック解除、ゲート開放します』
雪兎の問いにも答えず、形成された回路の中で黙々と作業に没頭する二人。
だが、二人が生成された門を開こうとした瞬間、グレイスはふと手を止め、眦を細かく振るわせながら毒づいた。
『あぁやっぱり先客がいたんだね。 そりゃそうだ、遊びの邪魔を黙って見過ごすようなヤツじゃなかったよあのクズは……』
表面上溢れる苛立ちを何とか押さえ込もうとしているが、グレイスの少年そのものだった頭部付近が急激な樹木化を起こし、かなりのフラストレーションを押し付けられていることをその場にいる者全てに知らしめる。
すると、雪兎の背後に黙って控えていた哀華がグレイスの背に合わせて片膝をつき、その耳元で労りの言葉を囁きながら背を摩ってやると、グレイスは落ち着きを取り戻し、一旦は躊躇した開門作業を再開する。
哀華に向かって感謝の意を示す一方で、雪兎とカルマをさりげなく眺めながら。
「まぁ何時までも苛立ってたってしようがない。 こっから先はカルマと雪兎兄ちゃんに任せたよ』
「任せたって、お前何をいきなり……」
グレイスの目まぐるしい感情の変化に困惑しながら、雪兎はカルマ、グレイス、生成された門の間に何度も視線を向けてその言葉の真意を探るも、時既に遅い。
『大の男がごちゃごちゃ言わない!』
「なっ……!」
雪兎が晒したほんの僅かな隙を見計らってカルマが全力で雪兎に飛びかかった刹那、厳重に閉じられていた門が僅かに開き、雪兎の身体はカルマと共にその中へと呑まれ、底無き闇の中へ堕ちていった。
勿論、何の説明もなくリンボらしくも詳しくはよく分からない空間に送り込まれた雪兎の怒りは大きく激しい。
「この馬鹿! あの木工細工と組んで何を考えているんだ!」
『お話はまた後ほど、これよりドラグリヲを起動します。 死にたくなければ搭乗後は私の指示に従って行動して下さい』
無駄な手間をかけさせるなと言わんばかりに、カルマは牙を剥き出しにして食ってかかる雪兎の言葉を黙殺する。
そして彼女は瞬時にドラグリヲの生成を完了すると、正面装甲を即座に開放して搭乗を促した。
その様子を見て、何故そこまで焦る必要があるのかと雪兎は口を開こうとするも、ふと己の頭上に視線を向けた瞬間、初めてこの空間が危険であることを理解し、急いでドラグリヲに飛び込む。
雪兎が目の当たりにしたのは、闇を埋め尽くす程に増殖し合い、対峙する怪物の群れ。
有機物と無機物が無秩序に入り交じった獣と、植物と金属によって身を象られた天使の軍勢。
それらはドラグリヲが闇の中を疾駆したのを合図に戦端を切り、無数の火線を浴びせ合い始める。
人が造り出したものより威力も精度も遙かに上回る兵器による大海戦。
全てを削り取る死の嵐の中で、雪兎はただ己の幸運を願い続けた。
日の届かぬ深い闇の中、雪兎は久方ぶりに身につけたパワードコートを颯爽と靡かせながら歩いて行く。
ここは以前、ツガイの龍が地上に顕現した際に無理矢理穿たれた深い深い縦穴の底。
かつて、ユーラシアから雲霞の如く押し寄せ続けた害獣共を余さず迎撃すべく、数多の兵器や技術を生み出してきた大規模研究施設の跡地。
過去に紅蓮と激闘を繰り広げたせいで一部のエリアが丸々消滅してしまっているが、幸か不幸かカルマとグレイスが目的としていた座標は無事であったようで二人の表情はどことなく明るい。
『どうしましたユーザー? 何を不安がっているんです? 貴方を負かせる害獣なんてもうこの列島にはいないのですからもっと堂々として下さいな』
『そうだよ雪兎兄ちゃん、もうちょいパーッと明るい気分を出していこうぜ。 じゃないと逆にみっともないよ』
「うるせーぞチビ共! 僕はな、お前らの提案を心から納得して受け入れた訳じゃ無いんだ!」
周囲を忙しなく旋回し続ける人外のちびっ子二人組を鬱陶しいとばかりにあしらいつつ、雪兎は遠慮無く不満を大人げなく大声でぶちまける。
雪兎らしくないと言えばらしくない行動であるが、その蛮行を咎めるように軽い咳が2度響くと同時に、雪兎を現在進行形で神経質にしている原因がゆっくりと闇の中から浮かび上がってきた。
雪兎の死角を護るように追随してきたのは、新野から特別に貸し出して貰ったパワードスーツと対獣SMGを身に付け、雪兎から護身用にと渡された首領の刀を腰に差した哀華の姿。
軍の正規品とは比較にならない優れた兵器に護られており、最低限必要な訓練は受けているとはいえ、普段は銃後で生きている哀華を危険な場所へ引っ張り出させた人外二人に対する雪兎の不満はすこぶる大きい。
「大体何故彼女をこんな場所に連れてくる必要があったんだ、何とか言ってみろチビ共!」
『まぁまぁそう言わずに、貴方にとっても眼福なことだってあるでしょう?』
雪兎からの追求をはぐらかす為か、カルマがイイ笑顔を見せ付けながら指摘すると、雪兎は柄にも無く目を逸らして黙り込む。
というのも、原因は新野が哀華に貸し出した装備にある。 設計者が意図したものか不明だが、着用者の身体の線がクッキリと浮き出てしまう特殊なパワードスーツの仕様は当然、哀華の艶やかなボディラインもそのまま露わにしてしまい、雪兎の多感な心を大いに惑わせすっかり悩ませていた。
「……っ」
『何を顔紅くしてるんです? まさかやらしいこと考えていたんですか? あぁやっぱりユーザーも男である以上一介の変態なんですね。 不能じゃないかと一時期は心配していましたがそうでなくて何よりです。 やぁいムッツリスケベ変態色情魔。 悔しかったら一度くらい抱いてやったら……』
「があああ!やかましい黙れ五月蠅いぞこのポンコツ耳年増が!!!」
調子に乗って煽りに煽るカルマの口車に乗せられ、ガラにもなくムキになった雪兎は堪らずカルマに掴み掛かってその頬を捻り上げようとする。
だが、背後から全身を抱き締めるように拘束されると、雪兎は顔面を鬼灯のようにさらに紅潮させながら固まってしまった。
「こぉら、子供相手にムキにならないの」
「いや……、僕は別に何も怒ってる訳では……」
「嘘は駄目よ、一体何が不満なのか言ってみなさい」
「うぅ……」
素直に一言、貴女が魅力的なせいですと言えない雪兎の純情さが事態をよりややこしくする。
哀華は一切意図していないが、感覚が鋭敏化した雪兎にとって今の状況は生殺し同然の地獄そのもの。
スーツ越しに感じるぬくもりと肌の感触、そして軽い息吹さえも心地よく感じる程に近い距離感。
哀華の存在を主張する全てのものが、雪兎を恥ずかしさと愛おしさの狭間へ蹴り落とす。
「………………っ」
『うわぁ何て顔してるんですか気色悪い。 いいですか、私達は別に貴方にこんなみっともない姿を晒させる為に彼女を連れてきた訳じゃ無い。 全ては貴方の為、貴方を我が社に潜む虫けらの小間使いにさせないためにやってるんです』
「I.H.S.に潜む虫けらだと?」
カルマのおふざけ一切無しの返答を受け、雪兎は瞬時に仕事モードへ気持ちを切り替えると、背後から抱き締めてくれた哀華の腕からそっと抜けだし、その温もりから名残惜しそうに離れながらカルマを真正面から睨む。
すると主人からの無言の圧力を受けたカルマは手早くモニターを展開し、仰々しい医療機器が稼働し続ける何処かの部屋を映し出した。
「これは要人向けの病室か?」
『そう、ここは哀華さんが収容されていた教団内のVIP専用病室です』
「その割りには別の誰かが布団を頭から被って堂々と寝ているようだが……」
『ノゾミさんからの忠告を受けた為の偽装工作ですよ。 私も最初はただの妄言だと思っていたのですが、気になって列島周辺のネットワークを調査した結果、何者かの支援を得た武装勢力が哀華さんの拉致を画策していることが発覚しました』
「……もっと詳しく聞かせろ」
普段よりずっと低く、ドスの効いた雪兎の催促が深い殺意の篭もった視線と共にカルマへ向けられるが、カルマは馴れたものだと一切気に介さず、ただ淡々と要求された情報を噛み砕いて伝える。
『以前より首領の方針に対して反感を持っていた勢力が、首領の有力な駒の一人である貴方相手に有利に立ち回ろうと目論んだ為に起こした計画のようです。 ここまで大がかりな計画を立てておいて今の今まで発覚しなかったことを察するに、既に我が社の中枢にまで敵の手が伸びていると推測されます』
「こんな非常事態の時に下らない社内政治にうつつを抜かしている場合かよ……」
何処の誰とも知れない欲深な馬鹿の所業にただ呆れ果てて、雪兎は頭に思わず頭に手を当てる。
しかしモニターに映し出されているベッドの上で毛布に包まって眠っていた誰かが足を投げ出したのを確認すると、思わずカルマに問いかけた。
「だがいいのか? このままだと囮になってくれている誰かが犠牲になってしまうぞ」
『彼女は手籠めになんてされませんよ。 何故なら既に、間抜けな刺客連中は彼女の間合いに踏み込んでしまっていますから』
馬鹿を上から目線で憐れむような、愉快そうな表情をしてカルマは雪兎を宥める。
するとその言葉を裏付けるかのように、モニターの中の光景が大きく動いた。
雪兎が瞬きをした瞬間、毛布を被ってもぞもぞと動いていたはずの囮が目にも留まらぬ勢いでベッドから抜け出すと、何も無いはずの空間に手刀を見舞う。
刹那、虚空から夥しい量の鮮血が迸り、白一色だった病室に鮮やかな赤をぶちまけた。
「ぎゃあああああ!」
「誰が勝手にアタシの枕元に立って良いと言ったんだよ、掻っ捌いて干物にするぞ!」
被っていた毛布を投げ捨てて逆に侵入者へと躍り掛かったのは、折角の綺麗なブロンドの髪を寝癖でくしゃくしゃにしたミシカ。
彼女が狂気の笑みを浮かべながら病室中を跳ね回ると、ステルススキンを纏って潜伏していた侵入者達は哀れにも自らの血で出来た血溜まりの中に顔面を沈める羽目に陥る。
「思い知ったか変態共! アタシを組み伏せも出来ない癖に夜這いを仕掛けようなんざ思い上がりも甚だしい! このまま一匹残らず地獄に堕ちな!」
「まてまてまだ殺すなよ馬鹿野郎、コイツらには問い質したいことが山のようにあるんだ。 それにどうせ殺すなら手足を削ぎ落として臓器バンクに全身丸々売り払った方がいい。 その方が我々のだけでなく世間の為にもなる」
自らの顔面に血を擦り付けながらミシカが豪快に笑うと、そんな彼女を咎めるクラウスの落ち着いた渋い声がモニターから見えない位置より響く。
しかしミシカよりマシとはいえ物騒な事を言っているに変わりは無く、それらを耳にした侵入者達は顔面を蒼白にして震え上がった。
「や……やめて、やめてくれぇ……! 頼むから助けてくれぇ!」
「だったら殺されないうちに全部吐くんだな。 大人しく吐いてくれりゃ命の保証だけでなく再雇用先だって探してやらんでもないぜ。 何しろ今は何処も人の手が足りないからなぁ。 お前等みたいな脛がズタズタのロクデナシであっても拾ってくれる企業が一つや二つあるんじゃないか?」
全身全霊の命乞いを受けても構わず、問答無用に脅し続ける二人を見かねたのか、カメラの手前側に立っていたらしいロンがなあなあと身振り手振りをしながらフレームインしてくる。
だが彼はカメラ越しに見られていることを撮影機器の状態から察すると、心底鬱陶しそうな表情を晒しながら振り返り、レンズを覗き込んできた。
「後のインタビューは俺等に任せて、お前等はお前等のやれる仕事でもやっとけよ。 何の為に留守番を請け負ってやったと思ってるんだ」
インタビューという名の拷問の様子を撮られては流石に気分が悪いのか、ロンが嫌そうな顔をしてカメラ越しに見ているであろうカルマに苦言を呈すると、カルマは珍しく気を利かせて雪兎に見せていた側のモニターの電源を落としてやった。
全てはよりよいビジネスの為。
カルマはそう呟きながら自らの腕を使って形成していたモニターを分解すると、再び雪兎の方を向いて語り出す。
『……首領が身罷られた事実は一般にこそ伏せられていますが、外交の場やI.H.S.の上位役員間では既に公同然となっております。 それは今まで首領の腕力によって抑えられていた勢力に取っては願っても無い朗報であったに違いありません』
『だからこそ例の砂野郎に首を突っ込まれる前に手を打っておくんだ。 また取り返しが付かなくなる前に』
サンドマンの過去に行った小細工を覚えているのか、グレイスは一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしながら舌打ちをするも、すぐさま気持ちを切り替えて雪兎の側に控えるカルマに向かって手招きをする。
『さぁカルマ久しぶりの大仕事だ。 出発前に説明した通り、君は俺が指示したその通りに動いてくれれば問題ない』
『了解しました、リードはお任せします』
グレイスが促すままにカルマがその褐色の手を取ると、グレイスの体内から生えてきた蔦とカルマの手首から射出されたコネクタが複雑に絡み合い、決して離れぬよう互いを固く結び付ける。
そうして物理的にも内部データ的にも完全な接続が為された瞬間、グレイスの身体から液体のように溢れ出した樹木がまるで粘菌のように周囲を侵蝕し、カルマのボディから延びた無数の金糸と銀糸が、樹木を基盤に巨大な回路を形成する。
「何だ!? お前ら何をするつもりなんだ!?」
『今から封鎖されていた次元亀裂を開放するんだ。 接続先はXYZ座標指定全て0。 人類が初めてリンボへの裂け目を開いた場所』
『事象アンカー投下、次元門出入口安定化完了、多重認証ロック解除、ゲート開放します』
雪兎の問いにも答えず、形成された回路の中で黙々と作業に没頭する二人。
だが、二人が生成された門を開こうとした瞬間、グレイスはふと手を止め、眦を細かく振るわせながら毒づいた。
『あぁやっぱり先客がいたんだね。 そりゃそうだ、遊びの邪魔を黙って見過ごすようなヤツじゃなかったよあのクズは……』
表面上溢れる苛立ちを何とか押さえ込もうとしているが、グレイスの少年そのものだった頭部付近が急激な樹木化を起こし、かなりのフラストレーションを押し付けられていることをその場にいる者全てに知らしめる。
すると、雪兎の背後に黙って控えていた哀華がグレイスの背に合わせて片膝をつき、その耳元で労りの言葉を囁きながら背を摩ってやると、グレイスは落ち着きを取り戻し、一旦は躊躇した開門作業を再開する。
哀華に向かって感謝の意を示す一方で、雪兎とカルマをさりげなく眺めながら。
「まぁ何時までも苛立ってたってしようがない。 こっから先はカルマと雪兎兄ちゃんに任せたよ』
「任せたって、お前何をいきなり……」
グレイスの目まぐるしい感情の変化に困惑しながら、雪兎はカルマ、グレイス、生成された門の間に何度も視線を向けてその言葉の真意を探るも、時既に遅い。
『大の男がごちゃごちゃ言わない!』
「なっ……!」
雪兎が晒したほんの僅かな隙を見計らってカルマが全力で雪兎に飛びかかった刹那、厳重に閉じられていた門が僅かに開き、雪兎の身体はカルマと共にその中へと呑まれ、底無き闇の中へ堕ちていった。
勿論、何の説明もなくリンボらしくも詳しくはよく分からない空間に送り込まれた雪兎の怒りは大きく激しい。
「この馬鹿! あの木工細工と組んで何を考えているんだ!」
『お話はまた後ほど、これよりドラグリヲを起動します。 死にたくなければ搭乗後は私の指示に従って行動して下さい』
無駄な手間をかけさせるなと言わんばかりに、カルマは牙を剥き出しにして食ってかかる雪兎の言葉を黙殺する。
そして彼女は瞬時にドラグリヲの生成を完了すると、正面装甲を即座に開放して搭乗を促した。
その様子を見て、何故そこまで焦る必要があるのかと雪兎は口を開こうとするも、ふと己の頭上に視線を向けた瞬間、初めてこの空間が危険であることを理解し、急いでドラグリヲに飛び込む。
雪兎が目の当たりにしたのは、闇を埋め尽くす程に増殖し合い、対峙する怪物の群れ。
有機物と無機物が無秩序に入り交じった獣と、植物と金属によって身を象られた天使の軍勢。
それらはドラグリヲが闇の中を疾駆したのを合図に戦端を切り、無数の火線を浴びせ合い始める。
人が造り出したものより威力も精度も遙かに上回る兵器による大海戦。
全てを削り取る死の嵐の中で、雪兎はただ己の幸運を願い続けた。
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